吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
「天然コケッコー」(山下敦弘監督)
4日も寝ればほぼ復調。
土曜日は遅れを取り戻すべく仕事復帰。

夕飯食べながら「天然コケッコー」を観る。
くらもちふさこは、全盛期からテレビ化・映画化がされなかったけれども、たぶんあの完全主義な作家のこだわりにちがいない。
本当に、一時期までのくらもち作品は、完全だというのがぴったりの、パーフェクト作品群であった。
ありえない位の完成度。
あらゆる芸術を超える日本の漫画の中でも、その物語完成度とでも呼ぶべきスケールで最高の存在が彼女。繊細さと大胆な伏線の両極端を縦横に使い分ける日本少女漫画マスター、その頂点にいるのは、たぶん、大島弓子ではなくて、くらもちふさこだ。
一般に、漫画を語りたがるような人は大島弓子を持ち上げがち(俺もそうだけど)。
大島弓子は唯一無二の絶対的個性を持つ天才でそのマネは誰にもできなかったのに対し、くらもちふさこは、その後追い作家だけで別マの誌面がまるまる埋まるほど物まねがはびこりまくった。考えてみればくらもちふさこのやり方自体、従来の少女漫画の方法論から決して遠くにはいないところから始まっている(大島弓子が少女漫画の枠組みを早い時期からスコーンと抜けていたのとこれも対照的だ)。しかしくらもちのものすごいところは、それだけ大勢の集英社的物まね作家たちを従えてなおかつ、絶対に彼女の作劇の次元には足下にも及ばせなかったということだ。物まねがあれだけいて、改めて知る、くらもちふさこのレベルの高さよということである。言ってみれば、くらもちふさこは、少女漫画の王道から決して逃げなかったということである。そしてその王道をふつうにあるいている風を装って、そこらへんの純文学の30年先は超余裕でぶっとばしまくっている。

大島弓子の天才は誰にでも「わかりやすい天才」であったのに対し、くらもちふさこの天才は、集英社のマーケティングの影に埋もれてしまいがちな、ある意味「わかりにくい天才」なんである。売れ筋路線を決して踏み外さないで、あれだけの物語完成度をしかも連載でコンスタントで発表し続けるなんて、ちょー無理っすから、ほんっっとあり得ない。
別マでちゃんと売れていた分だけ、そしてジャンルをあえて少女漫画枠からはみ出なかった分だけ、「通ウケ」が弱いけれども、きちんと漫画を読む人であれば、くらもちふさこのものすごさは誰がどーみたって別格なわけ。

そんなくらもちふさこですが、彼女の全盛期というのは、たぶん80年代終盤ごろか。以来何十年もたっているけど、その間、レコードなりの音声ドラマとかなからあったような気がするが、テレビや映画などの映像化は私の記憶ではたぶんこれが初めてなんではないだろうか。(ちなみに大島弓子はバンバン映画化されてますし、テレビドラマにもなっている)
それにしても、変な時期。いまごろ「椿三十郎」の映画やったり、「天国と地獄」のドラマやるような不自然な感じもするが、まーそれはやっぱアレか。それこそ大島弓子のアレが映画になるのも似たような理由なのかと思ったりもしたりして。
だいたいこの「天然コケッコー」自体、全盛期の彼女からしても遅い。言ってみれば「キン肉マン2世」とか「リングにかけろ2」とかそういうノリでしょ、往年のスター作家を別雑誌に迎えて、昔のファンを取り込む作戦みたいな。そりゃちょっと言い過ぎだが、正直、いちばんの旬の頃の作品ではないというのも確かなはず。
とりあえず、この「天然コケッコー」はくらもち漫画の最後の代表作だと言ってもいいくらいだ。もちろん今も発表し続けていて、私はちゃんとそのたび、新作単行本は漏らさず買っているけれども、それはですね、大島弓子の「グーグーだって猫である」を買うのと同じ意味でしかない。ファンとしてはむしろきれいな引退を望んでいたりする。

天然コケッコー 特別版 (初回限定生産2枚組)天然コケッコー 特別版 (初回限定生産2枚組)
(2007/12/21)
夏帆.岡田将生.夏川結衣.佐藤浩市.柳英里沙.藤村聖子

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天然コケッコーが変な時期の映画化であろうと、まずは
(1)監督が山下敦弘
(2)主演が夏帆
とまーこれだけそろったら、くらもちファンとして見逃すことはやっぱできないよね。
どっちもドンピシャ過ぎだからであります。

観ていて思ったのは、
●非常によく原作の雰囲気を伝えている(これはあの完成度の高い物語をよくぞまーという感じで驚異的なプラスポイントでしょ)
●しかし、あれだけ長い話なんで、歯抜けの話になるのは当たり前
●ただし、その抜けた部分にこそ、実はこの長い物語の本当の味があったんではないだろうか

ということ。
結局、好きな漫画は、どんなにすばらしいキャストでどんなに優れた監督が映画化しても、いつも結論は「じゃあ、漫画のママでなんでだめなのよ」ということであります。
いっつもこの結論か。

全体的に夏帆と原作のプロモーション映画かと思いました。
あるいはわれわれファンにとっての「やっぱくらもちふさこサイコー」と再確認させるきっかけみたいな。
私はとにかく、映画見終わった後に、この映画化されていない、あの話やこの話(たとえばシゲちゃんのお見合いシーンやら、先生の結婚やら、高校入学後も見所はゴマンとある)をもう一度読みたくなってウズウズしてくるのであった。
コメント
この記事へのコメント
ぼくが「別冊マーガレット」を愛読していた25年前(いつポケ連載時)は、確かに誌面にくらもちフォロワーばっかりでしたよ。ページをめくれどもめくれども「こいつも」「ああこれもくらもちふこの模倣か」って感じ、ていうのは大げさで、河あきらや亜月裕、多田かおる、槇村さとるなども連載していましたから、実際のところ「ばっかり」ではないですけれども、当時の新進気鋭のほとんどはくらもちふさこの影響が大だったような印象があります。いくえみ綾に至っては、くらもち作品の登場人物から頂戴したペンネームを使っているほどです。

2008/03/08(土) 22:42:36 | URL | Ringo #gPTakghk[ 編集]
こんにちは、お忙しそうでなによりです。
別マはすべて、くらもちふさこ流が定番になっちゃってましたよね。マジでマジで「ばっかり」でしたですよ。
私の感じでは、槇村さとるや多田かおるだってくらもちふさこの話の作りをもうちょっと好感度の高い絵で再現しただけのような感じとも言えますし、その後出てきた紡木たくにしたところでくらもちふさこからの派生という感じがしました。亜月裕はやっぱさすがに別とは思いますけど。
2008/03/09(日) 00:08:17 | URL | ロボ #-[ 編集]
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