吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
「未来少年コナン」その2
大人になるに従って、テレビドラマや映画を観なくなる人は多い。あれだけ小説を読み、映画も観ていた若者が、会社にはいるとすっかりそういう文化から遠ざかってしまう。忙しいからね、そりゃわかる。
私は会社に行かないせいか、大人になっても、映画もドラマも小説も、まーまー見たり読んだりしているほうかと思う。つーか、いまだに好きだね。そういう暮らしを続けてきてもう40年、これで結構趣味がうるさくなり、あえて言うと、目が肥えてきたと自分では思う。

いちばんは、世の中の「商業的評論家」の言うようなことを、まったく信用しなくなってきたこと。
仕事をはじめて特にリアルにわかるけれども、マスコミはいかに戦略的に、商業主義的に、作品をあおり、キャンペーンを張り、口コミなども適当に操作して、世の中のムードを作り出しているのか、そういう裏側を多少なりとも知るようになると、雑誌や新聞、いわんやテレビなどの、「おかかえ○○評論家」の語る「宣伝文句的映画批評」にはうんざりとしてきたのだ。その文章を書くためにいくらもらってんだよと、ついついハスに構えた見方をするようになる。

そうしたからくりを背中にしょった、売文的批評家の言うことを、ほとんどそのまま鵜呑みにして、さもしったかぶって、オウム返しのようにブログでほめたりするような、バカな人たちのことは私はもっとよく知っている。世間のムードを敵に回して自分の言葉を発表するのは勇気が必要だ。「王様は裸だ」と言い出すことは、やっぱり相当難しい。

「未来少年コナン」が放送された時、私は小学校6年生であったと思う。
あの頃の私は毎週毎週ガクガクブルブルであった。
人生で、もっとも30分が短いと感じたのは、たぶん、あのコロの火曜日夜7時30分〜8時であった。
そのとき、世界中の人はだれも「宮崎駿」という名前を知らなかったはずだ。
テレビ局関係者にもまずいなかったであろう。
アニメ業界の中の人だけだ。
たとえば、アニメ雑誌ですら、「宮崎駿」の名前を取り上げることはほとんどなかった。
「未来少年コナン」発表時でも、どちらかというと、作画監督大塚康夫氏の方がスター的に取り上げられていたのは覚えている。
要するに「未来少年コナン」も「宮崎駿」も世の中的にはごくごくごーーーく一部の人しか知らなかったわけだ。「コナン」の視聴率だって決していいわけじゃーなかったし、おまけにいわゆるマニア的な人たちもここにはほとんど注意が払われていなかったのが現状だったのだ。

そう、当時、アニメーションファンというのは、もう既に生まれていた。
いわゆる第一次アニメファンというのは、「宇宙戦艦ヤマト」を皮切りに熱狂した人たちのことであった。
たぶん、唐沢俊一とか、その辺ね。オタキング岡田がその下の世代ではあったが、やはりこの第一次アニメファン層のグループ。
このバカチンなアニメファンたちも、ちゃんと気づいていなかったのだ。
それは「カルピス名作劇場」のノリくらいに思っていたのだと思う。「ヤマト」の宿敵は裏番組「ハイジ」だったわけだしね。
このスカタンな第一次オタクたちのことはまあ、ほっとくとして、いわゆる第二次アニメファンたちというのもかーなーりスカポンタンである。
私は世代的にはここに入るはずで、当時私もその手が非常に好きな人間ではあったが、その大部分の人たちとはかなり肌が合わなかった。
なぜなら、第二次の人たちというのは、そのほとんどが「ガンダム」のことばっかガタガタ言ってたアホーだったからであります。がっくり。今考えてもオタクくさく、気持ち悪い。認めたくないモノだな、若さ故の過ちというものは・・・・などとホントに、日常生活で使っているような奴らである。認めろっつーの、おまえらはっきり間違ってるっつーの。父さんにもぶたれたことがないのに・・・とかその気持ち悪い台詞回しやめろっつーの。

「未来少年コナン」はこうして、世間からも黙殺され、当のアニメーションファンのオタクたちにも黙殺されていたのである。
そして、当然のように「ルパン三世カリオストロの城」も、ごく一部の慧眼の人たちをのぞき、多くの人たちから同様に、無視され、興行的には、ほぼ「大失敗」と言ってもよい状況であった。
中学生の私は、冬休み初日に、「カリオストロの城」の劇場に駆けつけたが、カップリングの「ミスターブー」に辟易しながらも、劇場から出てきてその興奮はとまらなかった。ありえない。

「コナン」「カリオストロの城」がいかに、アニメファンたちの間でも無視されたかをはっきりと示す事例を(記憶をもとにだが)書くと、当時、アニメーション好きの間で最も部数を伸ばしていた、アニメーション雑誌・徳間書店の「アニメージュ」(のちに「ナウシカ」の連載母体ともなる)では、「カリオストロの城」が封切られた年あたりだかに、投票式による、「アニメグランプリ」なるものを開催している。

はっきり覚えてるから書くけども、そのグランプリは

作品グランプリ1位「機動戦士ガンダム」
演出家グランプリ1位「りんたろう」(←「銀河鉄道999」等の人)

などであり、そこには「未来少年コナン」も「カリオストロの城」も、演出家名では「宮崎駿」もまーーーったく出てこなかった(たしかベスト10のうち、相当下位にちょろっと出てた程度)
渋いアニメ評論を展開し、当時からアニメファンのオタク的傾向に批判的だった、おかだえみこ氏や、脚本家として有名な辻真先氏などは、「コナン」「カリオストロ」でその制作スタッフの抜群のセンスに感嘆し、持ち上げようとしていたけれども、世間の大勢は、「ガンダム」で「シャアさま」で「安彦良和」と「富野喜幸」であったのだ。(「富野由悠季」は当時は「喜幸」)

正直、当時の薄っぺらな風潮の影響で、私はいまでも「ガンダム」が嫌い。てゆーか、あれ、おもしれーか? はっきりいって。
異様なムードを持つブームだったんで、私もそりゃ教養程度には観たし、多少は覚えているけれども、「未来少年コナン」やら「カリオストロの城」やらに比べると、格段に落ちるというか、圧倒的に下というか、ウンコとダイヤモンドくらい価値の違うものだと当時も思ってたし、今でも思っている。
そのウンコのような「ガンダム」がブームというわけのわからん風潮のおかげで、どういうわけか、本当に優れているその「コナン」や「カリオストロ」がかすんでしまったという事態に、私の子供心は相当すさんでしまった。
そう、そのとき、私ははっきりとわかったのだ。
「世の中のやつはバカばっか」
「本当におもしろいものを知る人は少ない」
「テレビや雑誌がもちあげるものがいいものなんて、そんなこたーない」
「むしろ本当に優れた素晴らしいものは、地味ぃに隠れているものだ」
そういうことを当時身にしみて感じていた。
この考えは当時生まれて今でも自分の中に強く染みついている。
私がブログを続けているのも、たぶん、そうした意識が強く出ているからではないかと思う。
世の中の評判なんてアテになんねーんだよ、俺の感じた通りがいちばんやっつーの、という傲慢ともとれる意識。それが私の意識の核に座ることになる。

そして、その後、10年を経て「ラピュタ」の後には多少、「宮崎駿って多少は知ってる」ムードが広がり、いつのまにやら、「世界の宮崎駿」になってしまった。
遅いんだよ、あのときだーれもそう言わなかったじゃんと。
「ラピュタ」とか「トトロ」とか、そんなん「コナン」や「カリオストロ」に比べたらぜーんぜんつまんねーじゃん、なに、いまごろ言ってんだよと。

世界ブランド「宮崎駿」が生まれる過程をまたつぶさに経験することで、私はまた、こういう意識も自分の中に持つようになる。
「結局いいものは、時間が経てばみんなに伝わる」
「それにしたって時間経ちすぎなんだよ」
「いったい何年かかってんだよ」
それはともかく
「おれ、ずーーーーっと前から、好きだって言ってたもんね」
というこれまた、相変わらず傲慢かつ選民的な過剰な自信。
こちらのブログを継続的にお読みいただいている方にはおなじみの、「吉祥寺拓也のゴーマンかましてよかですか」的自信過剰日記というのは、こうして生まれるに至ったのであります。

ぜんぜん「未来少年コナン」の中身にはふれないままさらに続く。