吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
「人魚姫」と「崖の上のぽにょ」
元祖「人魚姫」は、王子様から、また愛されることを願い、キスされることを待つんだけども、結局それはかなわなかったという悲劇。
宮崎駿版の「人魚姫」である「崖の上のぽにょ」では、そのオリジナルに対する、絶対反対的な目から鱗のアンチテーゼで成り立っていると言える。

「キス」はされるものだろうか? そうじゃねーだろうと。「キス」はお互いにするもんであって、どっちかがどっちかに対して、一方的に「与え」たり、「受け」たりするもんじゃねーだろうと。もちろん「待つ」ものでもない。やりたくなったら、自分からすりゃーいいじゃねぇかと。たとえ女の子の方からだとしても。

「崖の上のぽにょ」が最後のカットで言いたかったのは、(全編を通じて言いたかったのは)まさにそのことだと言える。
「キスなんか、待ってなくて、自分からやっちゃえばいいじゃん」って今回の映画のメインテーマの一つがこれだ。会いたかったら、自分から会いに行っちゃえばいいじゃん。魔法でも何でも使えるものは使えばいいじゃん。嵐でも津波でも起こしちゃえばいいじゃん。それがこの映画である。

というか、宮崎駿の女性像というのは、いつもコレ。ホントにコレ。笑っちゃうくらいこのパターンである。
過去11監督作品中、女性が明確に主人公というものが4作品(ナウシカ、トトロ、魔女の宅急便、千と千尋)。男性が明確に主人公ってのは3作品(コナン、ルパン、紅の豚)。男女の比重がほぼ同程度ってのが残り(ラピュタ、もののけ姫、ハウル、ぽにょ)。だけどこの男女比重が同等って言うけど、そのうち、「もののけ姫」と「ぽにょ」はやっぱタイトルになってる位だからやっぱ、女性主人公と言ってもいいのかもしれん。「ハウル」だって狂言回しはソフィーだし、どっちかというと女主人公色が強い。
この中にはいれなかったけども「名探偵ホームズ」でも、実際にいちばん活躍して最も強い印象を残したのは言うまでもなく「マリー・ハドソン夫人」である。

とにかく、宮崎アニメとは、「空飛ぶアニメ」であるのと同様に、「元気な女の子のアニメ」だと言ってもいい。
男主人公の3作品(コナン、ルパン、紅の豚)においても、ラナとクラリスの芯の強さ・積極性は多くのひとに知られる通りである。

いつもこの監督は、「強い女」を描く。「強い」というか、「意志のある女」。「やりたいことのある女」。「やりたいこと」つっても、「虫が好き」とか、「ハムが好き」とか、「飛行機が好き」とか、「もののけが好き」とか、わりと変なことが好きで、しかしその歪んだ嗜好と、強い意志が、結局世界を救う、あるいは世界を破滅させる、という物語ばかりだ。
ナウシカは大海簫を引き起こして、巨神兵を復活させ、あまつさえ、本来の人類種を絶滅させる存在でもある。ラナはとっとと太陽エネルギーを復活させりゃーいいし、クラリスだって早々に指輪を渡しちゃえばあんな大事件になったであろうか。いちばんヤバイのは、ラピュタのシータね。呪文三文字で何人殺しているんだろうか。
今回のぽにょも超ヤバイ。観てないひとのために、詳しく言いませんが、人類と地球を絶滅寸前まで追い込んだと言ってもいい。

そうやって、この宮崎駿の描く「元気な女性登場人物」は、いつも、自分で追い込んだ地球の危機を、自分でちょっとだけ緩和させているだけだ。その地球滅亡をした理由が「好きな虫のため」とか「好きな男のため」とかいうことにある。周囲を鑑みないで、自分の「好きなもの」のことしか考えていないという、究極のKY思考が根本にあるんである。
地球を滅ぼしても「自分の好きなこと」優先ということが宮崎駿のヒロインたちのテーマである。

そんなね、人魚姫みたいに、イチイチ暗〜く、待ってないっつーの。あいたきゃ自分から会うっつーの。どんなにみんなに迷惑かけようとも。やりたいことは自分からやるっての。それがこの映画だ。
これは反面、やりたいことをやるってことは、こんな周囲にとんでもないはた迷惑をかけるってことだけど、それわかってる? みたいなメッセージも裏に隠されている。
生きるってことは「なあなあ」じゃすまないよってことだ。
ひっそり身を引いた人魚姫の生き方は、ひとに迷惑をかけてない分はやっぱマシなのかもよ的な余韻すらある。

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「ぽにょ」感想メモ
以下「崖の上のぽにょ」感想のメモ。あとで加筆。

●「ファンタジー」というイマドキ流行のカテゴリーよりも、昔ながらの「児童文学」の枠組みがぴったりはまるような感じ。
「飛ぶ教室」とか「いやいやえん」とか。ホグワーツ魔法学校のノリではない。
宮崎駿は確か学習院大学、児童文学研究会に所属していた。
「ファンタジー」ってのは、SFの1ジャンルというか、「子供の心を忘れない大人のために」みたいな、くさくて気取ったマーケティングの産物みたいな気がするけれども、「児童文学」は、そんな「エセ子供(ぶった大人)」は最初から相手にしない。もっと純粋に、子供のためにという姿勢がある感じ。
だから、「児童文学」は、「出てくる大人」がみんな「子供にとっての大人」。「本物の大人」ではない感じがする。

●崖までまるまる海の底、水の中には、原始生物がというのは、星新一「午後の恐竜」や、宮崎駿「シュナの旅」なんかのイメージ。あそこがいちばん好き。

●子供たちは、「名探偵ホームズ」の「ミセスマーサ」を探している女の子。

●結局いちばんおいしいのは、やっぱり、山口智子。日本人の永遠の好感度女優。
最初、キャスティングを聞いた時に、また「チョイ役」で話題集めかと思ったけれども、ふたを開けてみれば、もしかしていちばん台詞の多い役じゃなかろうか。準主役と言っても過言ではなし。大人の中ではいちばん出てくるひとでした。堅い部分も残るものの、これはね、山口智子のアテ書きに近い人物像。たぶん、宮崎駿も好きなんだろう。糸井重里、木村拓哉に次ぐ、名キャスティング。

●いろんな意味で集大成を感じる。山口智子は「トトロ」の歌を歌ってるし。「千と千尋」のトンネルみたいなのは出てくるし。「カリオストロの城」かと思うような運転だし。ある種の「自己パロディ」がいくつもみられるんだけど、これはやっぱり最後のファンサービスみたいな感じがする。

●欠点というほどでもないが、あえて、何か文句的なものを言うところがあるとすれば、「話の単純さ」だとはやっぱり思う。それは俺が言わんでも、これについて、文句を言うヤツがいるとすれば、そこにもってくるだろうなーとは思う。特に結末が「素直」すぎる印象はあるかも。
しかし、話はもちろんややこしくすればいいというものでももちろんない。
「ハウルの動く城」なんてあきらかに複雑に過ぎる。ただ、その点、絶妙だったのは、やはり「千と千尋の神隠し」だ。あの広げ方に、収め方、あのストーリーは本当に素晴らしかった。私の好きな「魔女の宅急便」や「カリオストロの城」なんかも、すげー単純な話だ。

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「崖の上のぽにょ」(宮崎駿監督)
7月30日水曜日夜10時30分から、12時過ぎまでの回「崖の上のぽにょ」を観た。

宮崎駿はネ申。
ぽにょはネ申。
崖の上はネ申。

ここだけの話、ホントはまったく期待していなかったが、エーーーークセレント。
ありえないくらいイイ。
これを観ないひとは、人生をドブに捨てたも同然。
この映画は、つまり宮崎駿の「人魚姫」で「午後の恐竜」で「いやいやえん」なんだと。

アニメーションとは何か。
アニメーションとは、元々、「アニマ」、すなわち「魂」が語源。
宮崎駿という神の作るフィルムには、今回のように、いつも「魂」が宿る。
まーでも今回くらい、「アニメーション」であることを堪能させる映画もなし。
常に「アニメーションで」ということに宮崎駿は自覚的であった。
たとえばそれは、押井守と対照的なんだよね。押井守の作るほとんどの映画は「アニメーション」である必然性が必ずしもあるとは言えない。金がないからアニメで作る(特撮よりボロが出ないだろうから)、あるいは単におかれた立場からしてアニメを作る、別に実写でもいいような話を、というようなわけとはまるっきり違うわけなんである。
さらに言うが、それは高畑勲とだってはっきりと違う。「ホタルの墓」って結局実写の方がよかったんと違うと、誰も言わんが俺は昔っからそう思っていた。

アニメーションの語源は「魂」であるが、アニメーションの本質とは「メタモルフォーゼ」である。それは私が言い出したことではなくて、あらゆるアニメーション技術の本にどれもこれもみんな書いてある有名な話で、手塚治虫もそればっかり言っていたりする。
「メタモルフォーゼ」こそがアニメーションの最大の特徴。
それ以外は、ここまでCG技術が進んだ今(CGとはアニメのことだとは思うがそれはおいておいても)実写映画にできないことはなくなってきた。すなわち、アニメであるということは、ただ「安上がりな特撮効果」を狙うという消極的な意味合いに変わってきている。
日本の売れ線のSFロボット系列はほぼすべてがそうだと言える。「トランスフォーマー」をマイケルベイがやっちゃったんである。
じゃあっつって、巧みな漫画の世界かというのも、それはアメリカ的発想で、たとえば「ニモ」やら「トム&ジェリー」なんて世界はあきらかにそういう路線を狙っているわけだ。が、それじゃ、足りない。それは「アニメーション」であることの本質までは届いていない。

アニメーションがアニメーションである、その絶対的に隔絶的な理由とは、やはり「メタモルフォーゼ」にある。直訳すると「変身」だけれども、それじゃちょっと違って、なんつーか、アニメーションのコマドリでしか表現できない「変化」というか「変態」というか、そういう感じね。うまくいえないけど。
うまくいえないが、それがそのまま表現されているのが、この映画だ。「崖の上のぽにょ」とはそのアニメーションでしかあり得ない、アニメーションの本質を最大限に生かした非常に美しい映画だ。びっくりするくらい。
一方ですべてのアニメーション表現とは、それなりの「メタモルフォーゼ」であるとすら言えるのであるが、それにももちろんピンキリであって、世の中のあらゆるアニメはたいていヘボ表現にとどまっているわけだが、その最大限に、洗練された形がこの映画だと言うことができる。
考えられる限りで最高のアニメーション映画がコレだ。

「千と千尋の神隠し」で言うならば、湯屋に、いろんな神様や化け物たちがいるのも非常にアニメーション的ではあるけれども、しかし、今のCG技術をもってすれば、ハリウッドにはもっとすごいシーンを作りだすことは可能。言ってみれば、それだけ言えば「スターウォーズ」でいろんな宇宙人がジャバザハットと一緒にいるのと同じ地平の問題である。
しかし、クライマックスで白竜がハクに変身するという見せ方、それはまさにアニメーション的なメタモルフォーゼ。
で、今回の「崖の上のぽにょ」はとにかく、その「変身」にだけ特化したような映像で最初っから最後までぐいぐいそればっかりで押しまくり。観ている限り圧倒される。

それにしても、この監督、もうすぐ70歳でしょう。
どんだけのイマジネーションなんだと。
こんな若々しく瑞々しい空想力をいったい何歳まで持ち続けることができるのだろうかと。
ひとは死ぬまで成長し続けるのだろうかと。
でも、もういいんじゃないかと。
とても素晴らしい花道じゃないかと思います。
少なくとも「ハウルの動く城」の百万倍はいいわけなんで、アレを最後にしなくてよかった。
やっぱりね、原作が宮崎監督ご本人のものがイイ。


ちょっと観てきて興奮しているので、また今度。

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「となりの801ちゃん」(3巻)他
●「となりの801ちゃん」小島アジコ(3巻)
「となりの801ちゃん」が素晴らしいのは、それはネタがBLだからでも、婦女子だからでも、オタクだからでもない。単純にセンスが抜群なんである。
あの突っ込み、その呼吸。これ以上ないリズムの合いの手。
パロディの差し込み方、楽屋落ちの絶妙さ、そしてその元ネタを知らないひとへの(私も知らないものが多い)これまた、息をのむほど巧みな説明。脚注だけで十分文学だ。脚注だけでも読む価値がある。「なんとなくクリスタル」以上に優れた注釈を私は初めて見ることになった。
あえていうが、エクセレント。
すばらしい。ジーザスクライスト。

あの薄くて読みにくい手書き文字の印刷も含めてぜひこのまま、彼女のセンスで進めて欲しい。
今回の私の最大のヒットは74ページ。
ってアルェーーーーー。

●「中学生日記」QBB(8巻)
久住昌之も永遠だ。
画家が誰であろうと、天才は天才。
「カッコイイスキヤキ」から既に30年近くになるはずだ。
「ダンドリくん」「豪快さん」「ロボ」など地味にぃに、漫画界地下室のトップスターの座を堅持。
絶対にメジャーブレイクのない天才。
本シリーズもすばらしい。
たしか山下監督が映像化するとかしないとか、なんかそんな話もなかったっけか。
登場人物は粒ぞろいであるが、あえて、「ただひとり」を挙げろと言われたら、私はあの、「ママにだけキレる」「超内弁慶」のボーズことヒカルを推したい。
彼が登場する回は常にワンパターンであるが、その圧倒的なリアリティで毎回息が詰まるほどの大爆笑である。

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早め亭
月曜日、今日も急ぎの件。嗜好品関係。あらやっさっさっさーとやってると、先日納品した件の追加。
てゆーかね、そこ、最初にすげー念押しで確認をしたところじゃんと。
どーしてそのときと違うことを今になって言うか的な。

プロというか経験値のある人間とは、「先の見通せる」人間だ。
超能力は必要ないが、これまで多数の経験を培ってきたことで、ぴーんと来るところがあるのがプロフェッショナルである。で、そういう時のための万一の保険を打つこともできること。
仕事には常に判断がつきまとう。アルバイトは決められた時間に言われたことだけやりゃーいいが、本当の仕事は、依頼主に対して成果を捧げるモノだ。その途中の方法については基本問われない。

今回の追加修正は実は全ページに及ぶものである。
が、こんなこともあろうかと、用意の良さが私がプロたるゆえんである。
魔法一発でチャンチャラチャン。
さすがは俺、こんなことは他の人にはできまい。

で、さらに、本来の今日の仕事に戻ろうとすると、担当者から電話。
集計された数値を見て、愕然とする。
調査設計通りのリクルートがされていない。
実施担当の超チョンボね。集計ミス以前。てゆーか、ディレクターが今になって気づくのがちょっと遅くないか?
そういうわけでこっちは数値が全とっかえになるので、こちらの仕事もストップで待機。

で、ゴニョゴニョと、他の相談もされる。
聞いて、だーかーらー、そういうことなら最初っから話しておけっつの。
最初はテキトーなことしか言ってないのに、あとから、ゴタゴタ追加情報ばっかのっけないでっての。
最初からそれ聞いてりゃ、それ用のことやるのに。もー。どうせ作り直しだからいーけど。つーかよくないよ、そもそも、俺、他にもたくさん仕事あるんやっつの。


***************
ケラリーノ・サンドロヴィッチ 「おいしい殺し方」を見る。
非常におもしろい。
主役級の3人の女性が抜群。奥菜恵も見直す。この人、顔もかわいいけど、ちゃんと才能あるよね。
池谷のぶえや犬山イヌコがイイのはもちろんだけれども。
いちばんいいのは、今回は犬山じゃなくて、池谷。
運転の楽しみ
日曜日は、「海」よりも、なぜか「動物園」へ。
クルマで親子三人「市原ぞうの国」に向かう。
これが意外とおもしろい。とにかく、動物と人との距離がすごく近い。
横浜ズーラシアでも、多摩動物公園でも、そういう現代的巨大動物園は、動物数も多く、土地が広大であり、そのためか、どうしても、動物を見る位置と動物までの距離がある程度遠い、あるいはガラス越しになる。
市原ぞうの国は、必要十分な種類の動物に限られてはいるが(しかし、ベーシックな見ておもしろい種類の動物が厳選されている)、とにかく、手を伸ばせばすぐ動物。すぐそこにいる動物。歩いているとおもわず、キリンに首筋をなめられることもあるだろうし、普通にカバの水浴びの水を浴びてしまう。

まーしかし、私も息子も、本来動物はどーでもいい派で、それよりロボットとか機械とか大好きな未来志向のエンジニア体質であるため、動物に喜んでいるのは、実際には妻のみ。
昔から思うが、動物園デートとか、いったいそれを喜ぶ男とかどっかに一人でもいるんだろうか?
あんなん、100%女の子接待の場としてしか考えられず。
あー動物だねー、あーゾウだねー、あーキリンだねーとか、そういう、論理学的には何も言ってないのと同じ感想しか言えず。

そういうわけで早々に辞去。
ゾウの国なのに、息子が「ゾウ怖い」と言ったからである。滞在時間、約25分。

本来は、暑いし、とにかくクルマでブラブラしようというのが、目的だったんである。
とりあえずの行く先がないのもなんだから、ゾウの国にしただけで。
そのまま、市原のおもちゃ屋へ、さらに近所の和食屋へ。
ここがなかなかおいしかった。安かったし。てゆーか市原、土地も安い。新築マンション、4LDKで2500万円なんだって。

そのまままたブラブラと運転。
千葉の道は、空いている。そして信号がない。頭文字Dの舞台になってもおかしくないような山道が延々と続き、運転していて楽しいことこの上なし。そしてたぶん燃費も良い。
朝出て戻りはお昼過ぎ。3〜4時間ドライブしていたことになる。
それで十分楽しめる。
ただ冷房の効いた車内で、ぼんやりおしゃべりしながら、移動するのが私たちは昔から好きなんである。電車と違って、大声出しても文句は言われないし、気分次第でコンビニに寄れるし、私は純粋に知らない道を走るだけで楽しいし。

帰宅後昼寝。夕飯は、刺身、カツオのたたきなど。

夜10時ゴロ千葉出発。
東京着は12時。
ガラガラ。
深夜の高速を、一人で適正スピードで流しながら、クラシックやらジャズやら流れるFMを聞いていると、非常に瞑想的な気持ちになる。
夜景は美しく、しかし明らかに静かで、その中を延々と走る。
心が落ち着いてきて、眠くなるのとも違う、こう、何かに集中していく感覚がある。だんだんと心穏やかに、いろんなざわざわしたものが静かに沈んでいくような感覚。
私は昔、座禅をしていたことがあるが、あえて言うと、その感覚に似ている。意識はちゃんとクリアなんだけれども、余分なものがなくなっていく感じというか。
土曜日
毎週の恒例、土曜日は朝8時30分ゴロ、東京を出発。
渋滞ポイントは、首都高4号線(新宿線)の付け根付近、ただしこれは都心環状線の池袋方向(これが外回りか内回りかは永遠に覚えられない、山手線もそうだけど)。私はカーナビを無視して、常に、渋谷方向へ行くのでさほど影響はない。
カーナビ的には、いつも、首都高はぐるっと上まわって(神田やらを回って)6号に乗ってから錦糸町やらを通って、京葉道方向へという、いわば単純なルートを示すけれども、そっちは箱崎を始めいろいろ問題スポットが多いんである。私はこの数年、常に、下周り、つまりレインボーブリッジ渡ってから、湾岸線をぶっちぎりコースを選ぶ。この方が道幅が広い部分が多いから渋滞とは関係ないことが多いのだ。しかし、今回さすがに、穴川がちょっぴり渋滞。むーやはり海水浴客か。
実際、野呂インターで休憩に降りると、その乗車メンバーはほぼ全員、海水浴ムード満タンな若者とファミリーであふれている。天気はいまいち曇っているのに。

外房の海水浴場近くの妻実家へ到着は11時30分。軽く渋滞するとこうして3時間かかる。渋滞がなければ同コースで2時間というところだ。

ただ、全体的に言えることは、あきらかに、首都高の交通量は、今年は激減しているということだ。
新しいルートができたことも大きいだろうが、しかし、いちばんはやっぱり、このガソリン価格の高騰じゃないだろうか。ちなみに、東京から千葉のたとえば御宿へ海水浴へ行く場合には、絶対にJRがおすすめ。外房線特急「わかしお」は1時間に1本の割合で、東京駅から出ており、御宿駅まではほぼ1時間で到着する。意外と空いてるし、駅から海水浴場までも結構すぐだし。だいたい海水浴場の駐車場なんてあっというまになくなっちゃうのだ。その料金は決して安くはないし。

千葉では、子供と遊んだり、ポチポチ新調査の、調査票を作ったり。

土曜日夕飯はキンメの煮付け。
27時間テレビは結局ほとんど見なかった。なぜなら田舎過ぎてテレビがうまく映らないから。しかし、SMAPが司会をしていないと、とてもおもしろそうに見えるものだ。
「ホームワーク」
7月25日金曜日。
今日は朝から集中して、官庁系の軽い報告書一本まるまる仕上げる。まあまあイイできだと思う。
昨日から始めたファッション系の報告書は、とりあえずほったらかし、来週早々にはあがるであろう。
週末の宿題は、とあるタレントの調査企画の立案。こういうのも珍しい課題。でもおもしろそう。メールで打ち合わせしたら、結構ウケが取れて、わざわざ「おもしろかった」とお電話をいただいた。この手のやわらかいジャンルは、明らかに上記の官庁系なんかより得意だとは思うけれどもね。
もうひとつの宿題は、カメラ。そう、先日、新しく、デジタル一眼レフカメラ、キヤノンEOSのFを買ったのだ。仕事に使うことになったので、早々に使い方を覚えなきゃならない。

最近見たDVD。
この数日、ずっと見ていたのが、TBSの傑作「ホームワーク」。唐沢寿明主演。
唐沢の出てくるドラマって、たとえば「輝け隣太郎」やら「白い巨塔」なんでもそうだけど、結構「お仕事」ドラマとしてまずまずのおもしろさ。唐沢寿明って別に好きでもないのに、おもしろいドラマって多いんだよね。同じことは織田裕二にも言える。

それはともかく「ホームワーク」おもしろい。
なんといってもまず、あの主題歌のサウダーデな感じね。
「クリスマスキャロルが、流れるコロには」
ここの部分からして、まずかなりイイんだけれども、しかし、まだね、「ありきたり感」もあるし、よくある感じに過ぎない、しかし、次の
「誰を愛してるのか 今は見えなくても」
これがね、泣かせる。ピンポイントでツボにはまる。
そう、時は、バブルも終わりな1992年年末。ヤバイよ、あの時の、顔ぶれと町並み、どこに住んで、どこで何食って、そんな自分の思い出映像がブワーーーーーとあふれ出す。これが音楽うらしま効果。あっというまにタイムスリップ。
私もまだ若く、青春真っ盛りだったので、あんなことや、こんなことや、自分だけのドラマチックな小さな思い出があふれかえる。
このへんのテレビドラマ主題歌って、当時の私は、このドラマ中の唐沢のようにカラオケ盛り上げフリークだったので、相当徹底的に歌い倒して体に染みついており、それと重なる思い出も遺伝子レベルに刻み込まれているのである。

他にもたくさん、思い出ぶり返し曲というのはあるものです。
たとえば、「TRUE LOVE」、「浪漫飛行」、「RUNNER」、「真夏の果実」その他。
俺はやっぱり、バブル入社のエイティーズやなぁと思う次第であります。

「ホームワーク」、何から書いていいやらわからんほど、(くだらないレベルの)感銘を受けた。
一連のクリスマスへ向けたTBSドラマって、歴代傑作揃いではありますよね、たとえば、内舘先生の「想い出に変わるまで」「クリスマスイブ」「あしたがあるから」やら。
清水美砂やら、松下由樹やら、吉田栄作やらが、絶好調だったあの時代。そういや仙道敦子もいたよねみたいな。
しかし、その歴代TBSクリスマスものの中でも、私はこの「ホームワーク」が頭一つ抜けてるとずっと思っていたのであった。そしてTBSクリスマス独占の歴史は、この「ホームワーク」を頂点として以下転落を続ける。
翌年、日本クリスマステレビドラマ史上における最高傑作である「29歳のクリスマス」によって、フジテレビがTBSの野村宏伸らを撃沈してしまうからであった。しかしそれはまた別のお話。

そう、「ホームワーク」は佐野史郎&賀来千香子の「冬彦」シリーズとともに、あの時代のTBSの勢いを象徴する傑作。今見てもちゃんとおもしろかったし。たぶん、福山雅治はこのドラマを最後に悪役から足を洗う。だいたい、次世代のエースは、主人公の敵役からってのは、当時からの常套手段。たとえば唐沢寿明にしたところで、私の記憶じゃ「結婚の理想と現実」あたりでは、まだ浮気相手候補チックな敵役だったりしたものだ。

それにしてもあの頃のテレビドラマ(とその主題歌の数々)は本当に私の青春そのものであったことよ。どういう君と僕に雪は降るのだろうか。この歌詞が切ない。
最近読んだ漫画
最近読んだ漫画

●「誰も寝てはならぬ」(9巻)

結局いま一番楽しみにしている、また確実な満足感が得られる漫画がこれ。
「誰も寝てはならぬ」。
以前は「働きマン」とコレが双璧であったけれども、「働きマン」が作者病気で長期休載になったため、結局はこれが一番。
サライネス、前回「大阪豆ごはん」も良かったけれども、これはかなり究極にすばらしい。
昔、一年だけ編集者をやったことがあったんだけれども、そんときも、すげーこの人が好きで、この作家の新連載を強行に主張しようとしたのだが、当時は上司から「顔がみんな同じみたいだからパス」として却下されたのだった。あほーめ。なんと見る目のないうすらバカどもよ。

それにしても、なんでこの漫画がこんなに好きか?
地味で、格別な何かがあるというわけでもなし。
だけれども、とにかくなんかこれが好き。
これ以上ない共感度。自分の人生とすごくシンクロする部分が強いからじゃないかと思う。
ハルキにしても、ゴロちゃんにしても。


●「聖★お兄さん」(第2巻)

あれだけ持ち上げといてなんだが、この漫画は1巻で終わっている。
ダメだ。あの奇跡のようなギャグの輝きが、まったく失われている。たった1巻ですべてが出尽くしてしまったのか。2巻のネタは、ほとんどが、1巻のネタのリピートになっているようだ。残念。ギャグマンガは続けるのが本当に難しいという典型例。
あの鮮烈なネタの数々、そもそもの設定からして、強烈に大爆笑だったのだけれども、あっというまにそれが陳腐化してしまった。もう、元に戻ることはできないだろう。ダイヤはあっというまに木炭になってしまった。馬車はカボチャになってしまった。


●「未来歳時記・バイオの黙示録」(諸星大二郎)

マジでキモイ。とても読み進められず。おらと一緒にパライソさ行くだ。
少年ジャンプ編集部のことを、唯一、ホントにエライと思っている点は、諸星大二郎と星野之宣を見いだしたことであろう。よくまー「孔子暗黒伝」を連載したものだ。今にしてみれば考えられない。
手塚治虫と宮崎駿という、世界の2大天才が、揃って「諸星大二郎にだけはかなわない」と言わしめる。天才のみが認める天才中の天才。
いや、そりゃそーだけどさー、今回ちょっとキモ過ぎでしょう、ページとまったっちゅーの。
東京犬さんも早速お読みになったようで、あの「生物都市」との対比の視点から分析され、とても興味深い感想をお書きになっていますから、そちらをご覧ください。
「生物都市」は私もスゴイといまだに思いますが、これはちょっといーよー。絶対にCGなどで実写化してほしく「ない」作品のナンバーワン決定。

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「八日目の蝉」(角田光代)
最近読んだ本など。

●「八日目の蝉」(角田光代)

「対岸の彼女」が本当に傑作であったので、最新作も。これも各方面で結構評判がいい。
そこそこおもしろいが、そりゃやっぱ「対岸の彼女」だけやっぱり突出していたのだなーということがわかる。ありゃやっぱ奇跡の小説だったんである。

「八日目の蝉」は、言ってみれば、桐野夏生をもうちょっと、優しい女性らしい視点で描いたものというか、「残虐記」の心温まる版とでもいうか。
桐野夏生って、やっぱりね、なんとゆーか、グロ過ぎ。心が寒々しくなり過ぎ。いくらなんでもそりゃーねえだろう的な、ドス黒い感情だけで構成されているような、人間とか人生のダークサイドストーリーだけれども、角田光代が描くと、似たような事件の、似たような小説でも、もっとずっと、前向きで、希望のある物語になるものです。
私は甘口カレーが好きなんで、桐野夏生の50倍カレーみたいな、香辛料で真っ黒みたいな、辛さ我慢大会用の味のわかんないほどの辛さのカレーよりも、角田光代の、バーモンドカレー中辛くらいの方が好きだ。たまには、桐野夏生のブラックカレーもたまに食べる分には悪くはないが、あんなの、毎日食ってたら、人間がゆがむと思う。舌が麻痺しちゃうね。微妙な味がわかんなくなりそう。私は韓国人じゃないんで、唐辛子とか日常的に食べません。和食の繊細な味わいが好きだし、和風な木村多江の見た目が好きだし、いかにも和風な角田光代的ほのぼの感が好きだ。

でもやっぱ「対岸の彼女」がいいけどね。ホント、あれだけ、ちょっと特別だわ。なんであんなしょーもないストーリーのフツーの話が、あれだけ胸を打つのだろうか。小説ってすごいなーと思う代表的なもの。ストーリー展開は、あきらかに「八月の蝉」の方が歴然とすばらしいし、この二段構成にしたってとこなんて、マジでいいと思うんだけど、でもね、「対岸の彼女」は別なのだ。ホント。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

にわかで素人
FC2は訪問者情報の取得がかなり細密で、誰がいつ来たのか、相当細かいことまでわかるけれども、たとえば検索エンジンのキーワードから来た人の場合、よく使われるキーワードは何かまでランキング形式と実人数で把握することができる。

うちのサイトの場合、意外と多いのが、

●調査企画書
●調査企画書の書き方
●調査企画書 書き方

というキーワードだ。いちばん多いってわけじゃないが、毎月コンスタントに上位に入るキーワードである。
実際に上記キーワードで、グーグルにいれてみると、うちのサイトがたぶん、1ページ目に出てくる。
特に下のページで。
http://marketingrobo.blog108.fc2.com/blog-entry-70.html

「マーケティング」という言葉は、日本では、もんのすっっっっっごく定義が曖昧で、あまりにも広大な範囲の内容を指し示すニュアンスを持つため、誰でもかれでも、「自分の仕事はマーケティングで」と言える仕組みになっている。「歯科医」や「弁護士」、「うどん屋」や「八百屋」といった職種・職業名などとは違って、他の仕事内容との境界が実に曖昧、人それぞれの持つ意味合いが異なるからだ。
これが「マーケティングリサーチ」となると、まだぐっと絞られてくるのだけれども、それでも、世間では「そば屋」と「うどん屋」と「ラーメン屋」といった「麺もの一般、全体的に」まで含めたような、ゆるやかで境界が見えにくい仕事のように感じられる。その中には「製麺屋」も入りそうだし、「インスタントラーメン」を販売しているコンビニも入れてもいいような、そんな幅広さがある。

たとえば、テープ起こしの内職をしている主婦が、インタビューテープを起こしているからといって「自分はマーケティングリサーチをしている」と言い出している現状がある。
インターネットでただのネットサーフィンをしていることを「市場調査」と自称する場合も目立つ。
街でウインドウショッピングをして、商品ラインナップを見ることで、「リサーチ」とか言い出す場合だってある。
「マーケティング」になると、もっと悪質で、ネットのインチキ商法で詐欺まがいの商売をする人間が、ばんばん意味なく頻用している。おめーらのような、黒くて頭の悪いアフィリエイターみたいな人間がなんでもかんでも「マーケティング」とか言い出すから、イメージ悪くなって本職のこっちは大迷惑なんだよっとすごく思う。「情報商材」ってそりゃーなんだよと。まずそのダセーセンタリング画面の大きすぎでカラフル過ぎるフォント使いをやめてから何か言え、うさんくさすぎなんだよっ。

こうしたケースは笑止なあるいは迷惑な例だが、ホント、あまりにも気楽に「マーケティング」、または「マーケティングリサーチ」という言葉は使われすぎて、その言葉の本当の中身が見えにくくなっている現状がある。

こうした混乱した状況にあって、正式なマーケティングリサーチの、王道的な、教科書的な内容を伝えるサイトは確かに少なすぎる。
とにかく「自称・マーケッター」が多すぎなんである。
で、また、そのインチキ、にわかマーケッターが、語る語る。
テキトーすぎる自分理論、持ちすぎ。
ネットだから、言ったもんがちとか思ってないか?

日本には、(社)マーケティングリサーチ協会という、何十年も続いている(もちろんインターネットが生まれる前から)業界団体もちゃんと存在していてですね、その協会の会員企業(ちゃんとした調査会社)だけでも、100社以上はあるんだよね。賛助会員には、朝日新聞など大手新聞社や、電通博報堂など大手代理店、その他トヨタ・花王・松下・味の素・JRなど、そうそうたる日本を代表する企業で構成されている正式な団体であります。

そのマーケティングリサーチ協会に加盟しているような、ちゃんとした市場調査機関にいる人ならば、もちろん「何が調査」で「何が調査でないか」の区別はきちんとつくけれども、そうでない、外野のにわかも、テキトーに「自分なり市場調査」を主張したとしても、世間的には特に罰則はない。マーケティングリサーチ協会会員企業が、そんな「自分なり市場調査」を主張したら、怒られちゃうけどね、つーか協会からハズされちゃうです。
調査の方法には、いろんな種類があるけれども、それぞれの調査手法の正式名称も、協会会員企業だったら、きちんと統一されている。
たとえば、CLT(会場調査)と、集合調査、この2つ、内容が似ているようだけども、いったいどこが違うのか、ちゃんとした調査会社に勤務する調査マンなら、それはすぐに答えられないとダメ、そうなるように教育訓練がなされているはずであります。
調査ってゆーと、すぐ、「マクロミル」みたいな、WEB調査のことだとばっかり思うのも、「にわか」、あるいは「インチキ素人」ね。「にわかインチキ素人」はまず、「集合調査」と「CLT」がどういう段取りの調査かもほとんど知らない。もちろんその両者の違いもわからない。どこが似ているかも知らない。

調査手法は、「自分なりに」開発しているものでは、決してなくて、百パーセント、既に「正式に名前の決められている」ものがあるわけです。
素人は、すぐに、「自分だけの調査」とか言いだしがち。料理をしたことのないヤツに限って、レシピを無視して、「自分流」だとか言い出すのと同じね。まずは基本をちゃんと勉強してから、自分流を言い出せと。

そう、言いたいことは、いくらでも自由に「自己流調査」を言い出せる世の中ではあるけれども、実際には、その「にわかインチキ素人」マーケッターの知らないところで、「基本」というのは、ちゃんと存在しており、専門調査機関のわれわれは、きっちり、その基本に習熟してから業務を行っているわけであります。
先日もとんでもない、「にわか素人」がネットですげーでかいつらして、滔々と、自己陶酔的にマーケティングリサーチの自分理論を述べていたのを発見した。これがまーものすごい赤面。おまえいったい、何知ってんだよと言いたくなるようなことで、「知ったかぶり」情報を延々語っているわけ。
そのどれもこれも、たとえば、用語の使い方が微妙に間違っていたりして、素人まるだしなわけ。
たとえば、グループインタビューのことを批判してたりするんだけど、(グルインにネガティブな側面があるのは当然、つーか、あらゆる調査手法にはそれぞれ長所と短所があるに決まってるけどね)、その一方で、彼が唱える、「新しいインタビュー方法」とか載ったりするのだ。
いわく「シンク□ナイズド・ヒアリ●グ」らしい・・・・。
・・・・はぁ???? としか言えず。
それは、正式な用語である「デプスインタビュー」あるいは「個別ヒアリング」、「有識者ヒアリング」などとはどう違うんデスカ??
10年くらい前に流行った分析方法で「ラダリング法」ってのがありましたけれども、それとか関係あるんデスカ??

この著者いわく、プロフィールには、高校卒業後、市場調査会社に勤めてうんぬんって書いてあったんだけど、いったい、そりゃ、どこだよ。
「シンク□ナイズド・ヒアリ●グ」とかってさ、そんなオヤジのだじゃれ的ネーミングの調査手法とか、ねーよ、つか、他にそれに相当するちゃんとした手法名は既に確立されてんだよっ大昔っっっから。
テキトーなことばっか言ってんなよと。
「グループインタビュー」のことをちょっとだけ知ったから、「じゃ、一人相手のインタビューを深掘りしてしちゃうって方法をすればいいじゃん、俺、発見した、この方法俺だけじゃん、」とか思ったんじゃねーの?
彼が市場調査会社に勤務していたというプロフィールを信じるのならば、その調査会社は、どーしよーもないインチキ会社であるか、あるいは、ちゃんとした調査会社にはいたけれども、ちゃんとした仕事はしてなかったということだ(結局はただのバイトとかね)。
そんな「見よう見まね」でやってるくせに、自信満々でインターネットで発表すんなよっ、みっともない。
読んでるこっちがド恥ずかしい。
その他プロフィールなど詳細を読むにつけ、うさんくささが、超満タン。文章というのは、読む人が読めば、その人の人となりが、これ以上ないくらい正確に反映されるものです。腐った心根の人は、腐臭を放つ文章しか書けない、甘ったれた人は、気持ち悪い文章しか書けない。
んでまた、エラソーに、講演会とかセミナーとか、バンバン開催して、自費出版みたいなインチキ本を売りつけたりしては、せこい詐欺まがいの商売で小銭を稼いでるわけだ。脱力。とにかく、神田なんとかって安っぽい起業本の著者が流行って以来、こーゆーインチキマーケッターが世の中にあふれかえってて、あたしゃー嘆かわしいですよ。

テーマ:マーケティング - ジャンル:ビジネス

企画仕事
この3連休にしたこと。

(1)医薬業界関連の企画書作成(7ページ)
(2)通信業界関連の企画書作成(10ページ)
(3)精密機械関連の報告書作成(60ページ、ただしコメントのみ)

である。
市場調査プロジェクトには、段取りから考えて、企画→実施→入力→集計→分析・報告というステップにわけられますが、このうち、実施や入力は人海戦術が重要、集計は冷静さが大事。
いわゆる、「頭」を使うのが、なんといっても、最初の「企画」と、最後の「分析・報告」であります。
で、実施、入力、集計は、外部スタッフやらアルバイトさんやらを大量動員することがまー普通ではありますが、その最初と最後の「企画」と「報告」だけは、人手もいらないので、ディレクターたる調査マン本人(調査機関社員)が行うというのが、まあ一般的。

で、私が引き受けるのは、その「企画」と「報告」部分の代筆というか、ピンチヒッターというか、その部分の専門家ということに一応しているんであります。この「代打」要員というのは、これが意外と、層が薄い。普通、この部分を任せる人は少ない。そもそも、この部分は内容に通底してないと無理だから、普通は各調査のディレクター本人がやるもんだし、外部にまかせたくても、普通そういうことができる人間はどっかの調査機関の社員になってるから、そういう人材がなかなかいないって事情があります。そういうわけで、私はこの世界では、かなりレアケースのフリースタッフだと思われます。プロ野球の世界にも、DH専門って人は数少ないですけれども、そんな感じ。

ところで、その「企画」と「報告」の2つの仕事のうち、私はまーほとんどの場合、「報告」が仕事の大半を占めています。「企画」には、フリーになってから、あんまりタッチしない。せいぜい、年に2〜3件、自分で丸請けしてディレクション全般をしている件か、よっぽど頼まれて、「これで取れたら、後の仕事全部やるから」的な乗せられ方をしての、プレゼン用企画から入ることが希にあるくらい。

「企画」の仕事はまーおもしろい、というか自由度は高いし、やりがいもあるのは間違いないのだけれども、自分としてはあんまり引き受けたくはない。
そもそも「企画」段階からの依頼があんまりないってのもあるけれども、軽く振られても、忙しければ、それを理由にわりと断りがちなことが多い。
とゆーのも、なんとゆーか、「企画」仕事は、どうしても、コンペ系が多い、すなわち、通らなかったら金にならないんである。
企画が通らないってのは、もちろん企画内容がイマイチだったてのも理由にはあるけれども、ぶっちゃけ、世の中はそんな簡単な話だけとは限らないんである。コネがあって最初っからほとんど決まってるようなコンペに、一応形だけ参加するって場合もあれば、なんだかわけのわからん政治力が絡む場合もある(こないだはアッチをとったから、今回はコッチが引き下がるとか、そういう大人の事情やらね)。
仮に企画が通らなかったら、会社によっては、ご苦労さん、企画書作ってくれてありがとね、とほんの気持ち程度の企画書作成費が出る場合もあるけれども(通らなかったらその会社の自腹になるから、マジでたいしたお金なんか出ない)、すんません、次仕事お願いしますから的に無料働きってケースだってあるわけである。
自分で企画を持ち込んだ場合なら、もちろん、通らなきゃ完全にお金なんかもらえないわけね。

企画から取り組んで、それが通ると、たいていは大きな見返りになることも多いんだけれども、私は基本的にギャンブルが嫌いな性格なんであります。
これが「報告書」の仕事だと、何しろもう、仕事は受注して動いているわけなんで、多少厳しいスケジュールだろうと、それをうまくやっつけちゃえば、確実にお金はもらえる。
そういう確実に金になる報告書の仕事が目の前にいっぱい動いている時に、わざわざリスクを冒して企画書を書く必要もない。
そんな感じで、あんまり企画書仕事には手を出さないスタンスであった。

去年も確かこの暑い時期に、プリンターの会社に縁があって直接企画書を出す機会があったけれども、これがまた没。先方の社内事情が変わったとか、そういう説明を一応受けましたが、それは体のいい言い訳だったんだろうと思います。
今年も、この時期、いろいろ思うところもあって、報告書仕事も一段落してることだし、企画書仕事のお手伝いをすることになっている。
どっちもうまくいけば、いいけれども。
ただまー久しぶりに書いてみて、やっぱ企画書はおもしろい。
御宿
日曜日は、今年初プールで、御宿へ。
せっかく御宿なんだから、目の前で海水浴にすりゃーいいのだが、子供が海怖い、プールというご所望のため。
妻は家でお留守番。
二人でクルマでプールへ。

ガチガチのピーカンで、たぶん、気温は30度以上。
これはプール日和。
幼児用の浅いプールの水温は、ぬるめの温泉とでも言えるほどのぬくもりがある。

10時半〜12時までプールで泳ぐ。(てか水遊び)
今回は週末にやんなきゃいけない仕事が結構あったので、ノートパソコンを持って行っており、暇を見てはパチパチ企画書書いたり、コメント書いたりしてたのだけれども、やっぱり効率が悪い。
通信関係の企画書は結構イー感じに書けたんだけど、報告書はやはり大画面じゃないと、グラフの文字が小さすぎてコメントしにくいんである。テンキーも持ってこなかったから数値も打ちにくい。

そういうわけで、当初予定を一日繰り上げて日曜日の夜中に帰ることにした。

夜10時半頃出発、あらゆる道はガラガラで、東京の家に着いたのが1時前。東京FMでは宮崎駿のロングインタビューを流しており、それが非常におもしろかった。やっぱり私にとって宮崎駿の言葉というのは聖典だ。それはホントに何年経っても。
しかし、問題はいつ、どこで「崖の上のぽにょ」を見るかということだ。
平日の深夜興業に行くのがやっぱり妥当か。
宮崎駿は引退しないのか
7月19日土曜日。
朝9時頃、東京出発。環八はそうでもないが、首都高はそれなりに混んでいる。やはり夏休み初日で三連休初日。おまけにこの上天気。全国的に梅雨は明け、三連休とも良い天気だろうと予報もされている。そんな土曜日の首都高が混まなくなったら、道路公団も自動車産業もガソリンスタンドもおしまいである。
おしまいであると言えば、とにかく、地方で、えーらい目立つガソリンスタンドの廃業・倒産。大丈夫か? こんな値段になったら、人は一円でも安い店に行くようになる。そうして大規模経営セルフスタンドだけが生き残り、それ以外の個人経営小規模SSはほぼ全滅になっている模様。ガソリンスタンドで働いていたフリーターたちが、蟹工船を読んで労働争議をやってる場合やないって感じ。

9時過ぎに出発、千葉外房に到着は12時半頃。ルートを選びに選んで渋滞を極力回避してもこの通りである。この時期とにかく道は混む。昔、独身のコロ、東京を10時に出発して、千葉マザー牧場に着いたのが夕方4時だったということすらある。5時閉園なんで、渋滞に巻き込まれに行ったということが正しい。そんな時代もありました。

一週間ぶりに子供と遊ぶ。
「未来少年コナン」の後半(DVD4巻〜7巻)がお土産。
一緒に見る。
そういえば、ラジオで今日から「崖の上のぽにょ」が公開だとか、各局とも騒いでいた。
今から10年以上前、「もののけ姫」公開の時、ジブリは「宮崎駿はこれで引退します」と大々的かつ正式にコメントしていたのだが、結局そうはならなかった。世の中がそれを許さなかったのだ。
さらにその後の「千と千尋の神隠し」の時にも、確か「宮崎駿の最後の仕事」的な発表はあったかもしれない。ただこんときは結構曖昧。実はなかったのかも。
しかし、「ハウルの動く城」の際には、もう、メチャメチャはっきりと、断言的に絶対に「宮崎駿はこれで引退」という発表がなされていたはずだ。
だから、例の「ゲドなんとか」は、血を受け継いだ二代目が監督をするようになり、原作者すら公に批判をし、もちろんわれわれ、宮崎駿に人生を賭けた人々はネット上の各地で炎上活動をした。いまだ、「ゲドなんとか」を私は一切見ていない。レンタルDVDにも金を払うつもりは一切なく、もともと見ないタチだけどもテレビ放映もまったく見るつもりはない。

そんな何度も何度も「これが最後です」と発表し続けているにもかかわらず、また監督の宮崎駿氏。
通常であるならば、こういう筋の通らない、いかにも儲け優先主義の、商売っけが過ぎる態度には、激しい批判をする私であるが、正直言ってこの件についてだけは
「何度でも監督して、お願い」
という、祈りに近い気持ちである。心からほっとしている。あーまた監督してくれてありがたや。世界の映画界にまた一つ新しい宝が生まれた。見てないけれども、そんなこたーあったりまえなんである。
今回はまた特に「これで最後」とか「引退」とか聞こえてこないでしょ。
すんげーーーほっとしている。まーーーーじで嬉しい。
ずっとお元気でいてほしい。
宮崎駿氏は後進を育てなかったという批判も世の中にはあるが、それは違う。
どうやったって、宮崎駿の次なんて、人間にはどうあがいたって無理なんであります。
世の中には、こうして、あらゆるものを超越できる、本当の天才というものが、ごくごくごーく希にいて、それはもう、伝承不可能なんで、ただ大切にするしかない。
影に隠れているけれども、高畑監督だって、むろん、とんでもない超才能ですよ。
しかし、宮崎氏の天才が、あまりにも過ぎているために影に隠れてしまった。

もしかしたら高畑監督の後釜には人は努力したらなれるかもしれない。早逝が惜しまれた近藤氏はもしかして高畑監督クラスにはなれたのかもしれない。
だけど、宮崎駿には誰もなれない。絶対に無理。ましてや息子が嗣ぐなど超あり得ない。

ともかく、千葉初日。夜は焼き肉を食いに出た。ここすげーーうまい店。だが、ウェイトレスさんたちのボケぶりがちょっと信じられないクラス。厨房と原材料費にはすんげー金かけていて、フロアの人件費を渋りまくっているのではないか。どんな格差社会店なんだよ。フロアの人たちがみなまんべんなくダメ、なのに、食うモノは信じられないくらい美味い。逆よりは私はいいと思いますが。
「ぐるりのこと。」(木村多江/リリーフランキー主演)
全国数百人はくだらない木村多江マニア熱望の初主演映画。
やっぱりコレは劇場に行くでしょ。
てかいっとかないと。今後あるんだかどうだかわかんないし。
共演は、もっともうらやましいフリーランサーリリーフランキー。
劇場来場者には超特典の信じられないスーパーカットもあり。
なんと、
(1)木村多江、超マジ、本格派ヌードシーン大公開はもちろんのこと
(2)それどころか、これまた超マジ、アナルセックスにまで初挑戦!!
(3)ファンにとっては鼻血かつ卒倒確実、静香ちゃん以上の超長回しの入浴サービスシーン付

とまー以上事実関係にウソはありません。
もちろん、そんなエロ目的の黒谷友香や寺島しのぶの映画とはまったく違う意味で、本当におもしろかった。いや、マジで予想を遙かに超えるおもしろさ。
私、昨夜から今朝にかけて「ゴッドファーザー」と「マッドマックス2」を見たけれども、「ゴッドファーザー」より2.5倍はおもしろかったし、「マッドマックス2」より25倍はおもしろかった。
「ゴッドファーザー」は映画史に残る名作ではあるが、別におれ、イタリア人でもアメリカ人でもないし、親戚にマフィアもやくざもいないし、今は1940年代じゃなくて、2008年の日本だし。
今の日本人としてリアルタイムで感じるのであれば、間違いなく、「ぐるり。のこと」の方がずっとおもしろい。「マッドマックス2」には石油価格高騰の折、共感する部分は確かにあるが。

いまのところ、今年いちばんの「アタリ」ではないだろうか。あれだけ宣伝が派手な「ザ・マジックアワー」よりずっとこっちの方が質が高いと思うし、「インディジョーンズ」よりこっちの方が好きだ。


それにしても、渋谷、あいかわらずすっっげーーーーわからん。ぜんっっぜんわかんない。
私も東京に住んではや20年以上なのであるけれども、渋谷のことは何年たってもさっぱりわかんない。だいたい渋谷で映画見るのなんて、何年ぶりであろうか。もしかして「ハル」以来じゃねーの? それは1996年の映画です。たぶん、その前に渋谷で見た、映画って、シャルロットゲンズブールの「小さな泥棒」(1988年)だと思う。
よっっっっっぽどじゃないと、渋谷で映画なんか見ない。オシャレだとは思うが、文化的センスの低い街だと実は思っている。あるいは、非常に「浅い」街だ。内容が希薄なというか、カッコだけってゆーか。
東急沿線に住んでいたことだってあるんだけれども、当時だって映画は新宿か銀座で、あるいは郊外のシネコンで見たものだ。
渋谷の何が嫌いかって、ロクな本屋がないことね、まず、第一に絶対にソレ。このおかげで、この駅には降りる気がほっとんどしないのだ。なりだけでかいが、センスが超〜ないブックファーストとか、まだあるんだろうか。アレならまだ、丸井の横のながぼそーい店がマシなんだけれども、なーにしろ、垂直方向の移動が大変で、しかも、苦労の割に品揃えがもういっぽ。
渋谷にはBunkamura以外に文化がない。

「ぐるりのこと。」は東京では「シネスイッチ銀座」と渋谷の「シネマライズ」でしか(今は)やってないんだけど、今日は午前中バタバタ書き物していたら、銀座の時間には合わなくなってしまったので、やむをえず、渋谷で下車。
この「シネマライズ」の場所がさっっっっっっぱりわからず。スペイン坂ってのは、ラジオでよく聞いてはいる地名だが、自力でたどり着くことが非常に困難。何度も迷う。渋谷。本当に相性が悪い。渋谷よ、ああ、その安っぽい街よ。古着だか安着だかボロだか先端だか渾然となった貧乏な若者たちの街よ。その見た目にいれる力と反比例して頭の程度が弱そうな街よ。GDPのように、歩いている人間たちの偏差値を総合計すると、銀座にはもちろん、新宿や、ことによっては池袋よりも低いんじゃないかと思ってしまう街、渋谷よ。思わずポエムを語りたくなるほど、はっきり言って嫌いな街よ、渋谷。まずその迷路のような地形からどうにかしたらどうだろうか。同じ迷路でも、新宿や池袋にはそうは感じないのに、どうしておまえはそんなに感じが悪いのだろうか。きっと歩いている人のガラと頭が悪そうだからだろう。一部ポエム調でお届けしましたが、悪意はないので、無視してね。

そんなことはともかく、すごいイイ映画だった「ぐるりのこと。」。やっぱり木村多江サイコー。
あの和風なたたずまいがいいのだ。
髪の毛の黒そうな知的で古風なところがイイ。
日本人は黒髪がいちばんだと、この人を見るとホントにそう思う。
黒木瞳のダンナが電通だからといって、別にどーでもよかったけれども、木村多江のダンナが電通だと聞くと、キクショーと思うのは、私だけでしょうか。

木村多江に似合う役はいくつもある。
ぽっと思いついたところで
●神楽坂の芸者役・・・これがまたハマってる
●ダンス教室の先生のレオタード姿・・・・これがまた超似合う
●癌におかされたMR役・・・・白い巨塔でいちばん泣けるシーンはここ
なんかが特に印象に残っている。
看護婦の「白衣」や、幽霊役が似合うってのは言わずもがな。
しかし、今回の「普通の奥さん」役が、また、ここまで素晴らしいとは、予想外です。

宮藤官九郎がいろんなドラマで何度も同じテーマを繰り返していることからもわかる通り、21世紀の愛の形とは「夫婦愛」ということなんだと思う。うれしはずかし、家庭内デート、待ち合わせは我が家である。
「不倫」とは、確かに石田純一の言う通り「文化」であることは、間違いないと思う。それは本当にそうだと私は常々感じている。
しかし、文化は当然、浮き沈みがあるというか、ブームのあるもんである。「不倫は文化」だが、ぶっちゃけ、その「文化」は今もう、ちょっと古い感じで、ダサイんである。今、不倫ってそれ、超遅れてるって感じ。今世紀的な、アップトゥーデイトな文化とは、夫婦ラブラブなラブである。「不倫は文化」であるが、その文化は廃れてしまって、イマドキの最先端にしてホットなキーワードとは「夫婦ラブラブは文化」であるということであろう。
90年代末ごろに、あんだけ、うんざりするほど、不倫ストーリーが世の中にあふれだすと、質の悪いものも大量に生まれたせいもあって、不倫文化のインフレが起こってしまったのだ。不倫はいまどき流行らないんだよね。

で、この木村多江とリリーフランキーが描くのも、まさにその最先端、「夫婦愛」の話。心から素晴らしい話。「ゴッドファーザー」の「家族愛」よりずっとずっと身にしみます。ホントに良かった。
リリーフランキーと木村多江のために描かれたような脚本。てゆーかたぶん、ホントにそうなんじゃないかな。このキャストありきの映画であるのは間違いない。
寺島進ファミリーもまたいつも以上の好演技。日本映画に今出ている人、がほとんど全員出ている感じ。あと足りないのは大森南朗だけじゃねーのと思うほど、主に法廷の犯罪人役たちで現在の邦画B級スターが勢揃い。そう、法廷画家という職業を通して、90年代からのこの10数年間の日本の犯罪史の鏡にもなっているのも興味深い作りであった。

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曖昧な美人のテーゼ
昔からよく「モーニング娘。の構成員が覚えられないとおじさん」とか「嵐のメンバーで名前がわかんない人がいるとおじさん」とか「おにゃんこクラブのメンバーがわかんないとおじさん」とか、つまり時代時代の有名アイドルの認知程度がおじさん定義の構成要素とされてきたのは周知の通り。
いまならなんだ? 「ヘイセイジャンプのメンバーがわかんないとおじさん」とか「そもそもヘイセイジャンプとかカタカナで書いてる時点でおじさん」とかだろうか。「山下智久ってキムタクそっくりじゃんと言った途端におじさん」とか、「岡田准一をTOKIOのメンバーと勘違いしたからおじさん」とか「結局ダパンプのメンバーはISSAしか覚えられなかったからおじさん」とか「しかも、最近そのISSAが出てきても気がつかなかったからおじさん」とか、「ところでISSAってすげーいっぱいいろんな女性アイドルと付き合ってきてねぇ? とか言ってるからおじさん」とか何度もおじさんおじさん、うるさいよ。

それはともかく、私は昔から自分をはっきり中年と自覚するおじさんであり、決して「年より若く見えるって言われるんですよぉ」とか妙な自慢をしてみたりはしない。「俺って精神的にはまだ20代だからさぁ」とか若ブルことはダサイと考えている。人間、年相応が一番です。
若いことはたいていの場合恥ずかしいことだ。
少なくとも男はそう。女性はもしかしたらちょっと意味が違うかもしれないが、男がなんでもかんでも女の真似するのもみっともない。私は学生時代から姪がいたせいで、「おじさん」という呼称には20代から慣れているんです。姪やら甥に「おじさんではなく、○○くんって呼んでね」とか、そんな「タラちゃんにおけるカツオ兄ちゃん」的なことは日本語としても間違っているし、いつまでも若さにしがみつきたいような幼稚な精神性だけはまっぴらごめんなんである。
30代には30代としての自覚が必要だし、40代には40代の生き方をすればよい。人間として「若い頃は良かった」とか「昔は良かった」とだけは言いたくないものです。

そういう中年として、今、いちばん、区別の曖昧なテレビ出演者とは何かを考えてみたい。
もっとも「おじさんバロメーター」として適切なものはなんだろうか。
人のことは知らんが、私は以下の3人の区別が今いちばん微妙なんである。

●相沢紗世
●松下奈緒
●佐田真由美


上記の3人である。
これがね、結構曖昧。相当間違いやすい。てゆーか、各人の名前、今ググってやっとわかった。そしてたぶん今後記憶することはできないだろう。

私にとって
●相沢紗世→「『日経のCM』に出てた子」
●松下奈緒→「『恋に落ちたら』に出てた子」
●佐田真由美→「『働きマン』に出てた子」


という認識でしかない。撮り方によっては間違う場合は多い。
ちなみに好感度的に言うと、
『恋におちたら』の子(松下)がいちばん。

だいたいこの3人の3人ともが昔っから私がいちばん興味のないタイプ。美人ではあるが、ちっともそそらない、どーでもいい女の子たち軍団である。(だから覚えられないんであろう)
ライバル
16日水曜日。午前中は集計。
VISTAにしてから、ある集計ソフトがうまくインストールできないため、めんどくさいが、こっち系の集計のみ、XPが入っているノートパソコンで行う。
ちなみに、私が使っている集計ソフトは2種類。「太閤」と「秀吉」。どっちも似たような名前だが、それは業界の人なら結構知ってる事情、もともとの開発者が同じだから。ただ、現在は2つの会社に分派していき、「秀吉」の方はずいぶんと別の方向に進化しているので、操作方法はずいぶん違う。

集計仕事って実は結構好きだ。なんとゆーか、ロジカルなところが。きれいな規則性が性格に合っていると思う。集計だけじゃ儲からないからそれを本業にするつもりはないが、こう作業内容的に「ボケ防止」に有効だとも思うので、年取ってたまーに仕事するなら、集計専業ってのもいいかも。

その後、吉祥寺の病院で軽く検査。先日かかりつけ病院で偏頭痛の薬を出してもらったら、たまにはCTでも撮るかと言われ、念のために吉祥寺保健センターの予約をしてもらったのだ。たぶんたいしたことなし。頭痛持ちは辛い。一日中PCはりつきの仕事だし、通勤もないし、どー考えても運動不足なのがなんつっても一番の原因なのは間違いない。趣味を持とうと思う時だ。
今の候補は、「散歩」と「自転車」ね。どっちももともと好きなんだけど。特に「自転車」は前々からまじめに取り組みたいと思っているのである。せっかくスポーツタイプの自転車なんだし、ちょっと本格的にやってみたい。

夕方から都心の代理店にて打ち合わせ。次の企画に向けて。ただそっちの内容は軽い。なんとゆーかたまには会って話しましょう的なノリに近い。大半は雑談。でも、時間がある限り、こういうことってすごく大事。
昨日一日かけて特急で作業した件に関連して、I社の作成した資料を見せてもらう。
I社というのは、簡単に言うと、まさに私がやろうとしているジャンルを、本格的に進化させて特化した小規模企業だ。が、今相当勢いがあるっぽい。
調査実施は行わないが、調査・集計結果をもらってから、その分析を行い、プレゼン用資料や報告書作成、その後のマーケティング提案書の作成に特化した会社だ。
20名足らずの小さな会社で、その社員は、元調査会社出身者が多い様子。一説には私の元いた会社出身者もいるとかいないとか。
そんな少人数の会社なのに、某一等地の高級ビルに、3フロアも占めている。どんだけ儲かってんだよと。
で、そこの会社の作成した資料を見せてもらったが、これが、イイ。さすが。うーん、ちょっとやられたかも。さすが、儲かってる会社は違います。

汐留の某世界的広告代理店にとっても、切り札的存在らしく、一二を争うトップクラスのセンスということらしい。たぶん、私の3倍の費用は取ってると思われる。
このI社の業務スタイルというか、作業ジャンルは、まさに私がやろうとしていることで、そこに集中している存在というのは、実際にはまだまだきわめて少ないメチャメチャニッチなはずなんだけれども、たぶん、この会社が現在業界ナンバーワンと言ってもいいのではないか。超極小業界ですが。

今日はその会社の仕事成果にずいぶんと刺激を受けた。
世の中には、調査報告書がごまんとあふれているはずで、私の作るものは、その中でも上から10%に入るほどのクオリティなりがあるはずだとか、ちょっと思っていたりもしたが、いやいやいやーーー、まだまだ修行の余地は十分ある。少なくともこれまでスピードだけは業界ナンバーワンくらいに自分で思っていたりしたけれども、それにしたって、そのI社もスゴイことが判明した。やー、やっぱり井の中の蛙であった。
ちょうどいいベンチマークができたと思う。このI社が、スピード・質とも、おそらく価格も、その巨大代理店にとってナンバーワン評価を受けているのであれば、そこに匹敵する、あるいは凌駕する内容の仕事をするようにすればいい。それがまったくの無理とも思わない。
フリーになって、そこそこ仕事も適当に順調に来ていると思っていたが、初めてこうなんというか、具体的な目標というか、ライバルの姿みたいなものが見えたと思う。この会社に負けないようにしたいと思う。そうすりゃ、単価も3倍になるかもしれないのだし。頑張ろう。
「ダイハード2」(レニーハーリン監督)
「ダイハード」を見たらそりゃ「ダイハード2」を見なければならない。
いわゆる「続編」もので、屈指の出来映えと呼ばれるのがコレ。
ただ、連日で見直すと、

(1)第1作よりも派手
(2)第1作よりも緊張が続く
(3)しかし第1作の方が味わいがある

といった印象が残った。
なんでかなーと思うに、やっぱりちょっと詰め込み過ぎな部分にあるのだろうか。
あまりにも矢継ぎ早に、休む間もなく、ギューギューにアイデアを押し込み、それを具現化するもんのすごい金が投下された驚異のアクションシーンが連続するんだけれども、そうすると、味が濃すぎちゃうって面が出てくるのだ。
「箸休め」が必要。
桂花ラーメンで言うならば、キャベツみたいな。
味は濃い〜ばっかりじゃダメ、その濃さを味わうためには、「休憩」が必要なんだという、そういう逆説的なものを感じた。

第二作に比べると、第1作は、言って見りゃ「休んでばっか」みたいな感じすらある。
しかし、その「休み」こそが、メリハリをつけた。あの「休み」あればこその「印象」だったのだ。

第二作で思い出すものは、と言われたら、たぶん、ほとんどの人は、例の手榴弾をぽんぽん投げ込まれた飛行機の中から、椅子ごと脱出するシーンを思い浮かべるのではないかと思う。あーりゃ、さすがにすごかった。すごかったけれども、他はどうでしょう? ちなみに、ラストを覚えてますかと言われると、結構ハタと止まるのではないかと思う。実は私は忘れていた。見ながら、ああ、そうか、飛行機のアレかと思うけれども、そりゃーそれですごいアイデアの名シーンには違いないのに、そんなスゴイシーンばっかり他にもたくさんあったんで、印象に残っていなかったりする。だから、たった一つだけ、椅子脱出シーンだけが記憶にあるのではないか。

さらに、1作目でも相当だけれども、二作目になると、さらに目立つ、明かなマクレーン刑事の「過剰防衛」ね。「24」のジャック・バウアー並と言っても過言ではない。
ラスト、飛行機に火を付けるのはいいんだけれども、いや、それいいっけか。やっぱやりすぎじゃんと今になるとやっぱり思う。一応他国の実権を握ってた将軍だしね。その一味が乗ってるとはいえ、飛行機一台いくらするっちゅーのか。よく考えれば、ナカトミビルもぶっつぶしているし。一介の市警警察官がだね。単独行動にもほどがある。管轄外なのに。近代警察は組織捜査がモットーだと室井管理官だって言っている。

私はこういう低次元な、いわゆる「つっこみ」というべきものが、すげー幼稚でするのが嫌なんだけれども、あえて今回はする。マクレーンやりすぎ。
最近の警察モノは、とにかく「違法捜査」を厳罰視するものが増えてきていて、「捜査の妥当性」やら「捜査倫理」とか「組織論理」みたいなものの対立そのものが、テーマとなってきている位なんで、こういう20年前の感覚には、さすがにちょっとひっかかりが生まれる。もちろん非常にうまく作っているからギリギリのレベルだけれども。


しかし、今日は意外と忙しかった。
昨夜から始めた突貫工事の件で、やっぱり一日かかってしまった。
夕飯時にこの一本を見たきり。
明日は打ち合わせで外出と、新規の集計を一本。
「ダイハード」(ジョンマクティアナン監督)
「未来少年コナン」については、書くこと多すぎなので、また今度。

今日から、本来は3件の仕事が始まる予定であった。
クルマの件と、ファッションの件と、飲料の件。
しかし、クルマとファッションの方は、集計はあがったものの、分析軸について、エンドクライアント側と調整中。そのため、こっちの作業はちょっとペンディング。
飲料の件は夜中にデータが到着で、これは明日中に仕上げるという超特急案件。

WEB調査の分量が多くなるにしたがって、ますます求められるのは、スピードだ。
もともと私は、「世界最速」の報告書作成屋というのがウリのコンセプトである。
そういうわけでどんと来い超能力。

飲料のデータ到着までは、今日一日暇。
飯食いながら今日観たDVDは「ダイハード」第1作目。
これを観たのは学生時代。
世の中はバブルに浮かれていたコロだ。
だから標的は金がうなるほどある日本企業の米法人<ナカトミビル>である。
そういえば、日本企業がエンパイアステートビルを買収したり、ハリウッドの映画会社を丸ごと買収したりとか、そういう時代もあったのだよなぁ。
どんな時代だよ。
島耕作も、ハリウッド映画会社をそのまーんま買ってたからね。

私は当時、風呂無しの四畳半に暮らしていたので、かなりバブルとは縁遠い暮らしだったと言えるが、それでもやはり、世間には非常においしいバイトが転がっていたし、あとなんとゆーか、今考えるとあれもちょっとどうか、と思うような経験もある。
ちょうどそれが「ダイハード」の想い出とちょっとだけ関係がある。

実はこの「ダイハード」、私は劇場に3回見に行っている。
よっぽど好きかというのともちょっと違う(結構好きだけど)、そこがちょっとバブリーな理由と関係している。
当時、友達の友達みたいな人で、ちょっと不思議な慶応ボーイの人がいた。私より二歳くらい年上で、既に卒業し、お父さんの会社を手伝っている=というのが既にバブルっぽい。この人が今思うとSF(少し不思議)的なことであるが、なんだか異常に女の子の知り合いの多いくて、彼がなんとゆーか、女の子紹介バンクみたいなことになっていたのだ。
バンクっつっても、たぶん怪しいものでなくて、お金はかからないし、その女の子たちもお金なんか使ってなかったと思う。エッチなことの斡旋とかそういうわけでは全然ないのだ。
たぶん、その慶応ボーイが、趣味で、彼氏のいない女の子の電話番号を集めていて、それがなんだか莫大なデータベースとなっており(ってのがバブルっぽい)、男の友達(の友達とか)やらに「紹介」していたのである。
これはどこにも利益というか金銭的なものは発生せず、また、援助っぽいイヤラシー意味合いとか、そういうものもない、牧歌的で昔ながらの「お友達紹介」システムみたいなもんなんだけれども、とにかくその慶応ボーイの女の子データベースがすごかったのだ。

そんなSFシステムにちょっとした縁があったため、私はその頃次々に女の子を紹介してもらうことになった。こっちは彼女なんかいない時だったので、超ラッキー。
次々と紹介と書いたが、ホント、誤解のないようにはっきり書きますが、エッチな関係は一切なかった。もちろん、その後、付き合うことになったとしたら、そりゃあったかもしれなかったが、たいていの女の子とは、一回会って、映画観て、お茶飲んで(あるいはお酒飲んで)お話してそれっきりというようなことを何回か繰り返したのみであった。

そのSFバブル慶応ボーイは、言うなれば、若いくせにすげーーお見合いおばさん的な趣味にはまっていたのだと思う。あるいはパッと見、モテる男だったので、その女の子の電話番号を次から次へと聞いてはゲットしていく、その行為自体にはまっていたのだろうと思う。で、電話番号はたまったものの、別に使い道がないので(←あんまり野獣のようなタイプでもない、ある程度ちゃんとした男だったのである)、結構信用のできそうな良さそうな男に、良さそうな女の子を、お見合い紹介していたというのが実際のところだと思う。

話はそれたが、ちょうどその慶応バブルボーイとの付き合いがあったコロ、公開されていたのが、まさにこの「ダイハード」だったわけだ。
で、女の子と会って、じゃあおもしろそうな映画でも見ようかと、なると必ずこの映画がチョイスされるということである。私はそれもう見たわけであるが、非常におもしろい映画だったので、何度も見るのは全然苦痛ではなかった。そういうわけで、私はこの映画を、劇場で3回も繰り返して見ていることになる。

個人的に、いちばん繰り返し見た映画は、「野獣死すべし」か「ルパン三世カリオストロの城」で、どっちも二十回以上みているが、しかし、それはほとんどビデオで繰り返し見たに過ぎない。
劇場で金払って見た回数がいちばん多いのはたぶんこの「ダイハード」だろう。
そんなアホみたいな思い出話でおしまい。
今回久しぶりに見直したが、劇場で三回見た後も、テレビでも見たし、ビデオも借りて見てもいるから、中身のサプライズはほとんどない。安心感を持って純粋にディティールを楽しんでみた。
改めて思ったのは、緩急のリズムのメリハリがきいた映画だなーということ。
「明かな休憩時間」というのが、ちゃんと入るのだ。どんな映画もそうだけど、まーこの映画くらい、はっきりと「いま、お休みですから」的な演出になるのも珍しい。もちろんちょっと一服着けたらすぐまた緊張のシーンが怒濤のように押し寄せるわけだが、その切り替えが毎度毎度楽しい。

またこの映画では犯人チームの緻密な作戦がやたらと持ち上げられがちで、私も当時はすげーとずっと思っていたわけだけれども、今回じっくり細かく見ていると、これで意外と結構アナもあるよなーと思わなくもない。ロス市警とFBIが超ド間抜けだったから、犯人チームもイー感じに進めたけれども。

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「未来少年コナン」その2
大人になるに従って、テレビドラマや映画を観なくなる人は多い。あれだけ小説を読み、映画も観ていた若者が、会社にはいるとすっかりそういう文化から遠ざかってしまう。忙しいからね、そりゃわかる。
私は会社に行かないせいか、大人になっても、映画もドラマも小説も、まーまー見たり読んだりしているほうかと思う。つーか、いまだに好きだね。そういう暮らしを続けてきてもう40年、これで結構趣味がうるさくなり、あえて言うと、目が肥えてきたと自分では思う。

いちばんは、世の中の「商業的評論家」の言うようなことを、まったく信用しなくなってきたこと。
仕事をはじめて特にリアルにわかるけれども、マスコミはいかに戦略的に、商業主義的に、作品をあおり、キャンペーンを張り、口コミなども適当に操作して、世の中のムードを作り出しているのか、そういう裏側を多少なりとも知るようになると、雑誌や新聞、いわんやテレビなどの、「おかかえ○○評論家」の語る「宣伝文句的映画批評」にはうんざりとしてきたのだ。その文章を書くためにいくらもらってんだよと、ついついハスに構えた見方をするようになる。

そうしたからくりを背中にしょった、売文的批評家の言うことを、ほとんどそのまま鵜呑みにして、さもしったかぶって、オウム返しのようにブログでほめたりするような、バカな人たちのことは私はもっとよく知っている。世間のムードを敵に回して自分の言葉を発表するのは勇気が必要だ。「王様は裸だ」と言い出すことは、やっぱり相当難しい。

「未来少年コナン」が放送された時、私は小学校6年生であったと思う。
あの頃の私は毎週毎週ガクガクブルブルであった。
人生で、もっとも30分が短いと感じたのは、たぶん、あのコロの火曜日夜7時30分〜8時であった。
そのとき、世界中の人はだれも「宮崎駿」という名前を知らなかったはずだ。
テレビ局関係者にもまずいなかったであろう。
アニメ業界の中の人だけだ。
たとえば、アニメ雑誌ですら、「宮崎駿」の名前を取り上げることはほとんどなかった。
「未来少年コナン」発表時でも、どちらかというと、作画監督大塚康夫氏の方がスター的に取り上げられていたのは覚えている。
要するに「未来少年コナン」も「宮崎駿」も世の中的にはごくごくごーーーく一部の人しか知らなかったわけだ。「コナン」の視聴率だって決していいわけじゃーなかったし、おまけにいわゆるマニア的な人たちもここにはほとんど注意が払われていなかったのが現状だったのだ。

そう、当時、アニメーションファンというのは、もう既に生まれていた。
いわゆる第一次アニメファンというのは、「宇宙戦艦ヤマト」を皮切りに熱狂した人たちのことであった。
たぶん、唐沢俊一とか、その辺ね。オタキング岡田がその下の世代ではあったが、やはりこの第一次アニメファン層のグループ。
このバカチンなアニメファンたちも、ちゃんと気づいていなかったのだ。
それは「カルピス名作劇場」のノリくらいに思っていたのだと思う。「ヤマト」の宿敵は裏番組「ハイジ」だったわけだしね。
このスカタンな第一次オタクたちのことはまあ、ほっとくとして、いわゆる第二次アニメファンたちというのもかーなーりスカポンタンである。
私は世代的にはここに入るはずで、当時私もその手が非常に好きな人間ではあったが、その大部分の人たちとはかなり肌が合わなかった。
なぜなら、第二次の人たちというのは、そのほとんどが「ガンダム」のことばっかガタガタ言ってたアホーだったからであります。がっくり。今考えてもオタクくさく、気持ち悪い。認めたくないモノだな、若さ故の過ちというものは・・・・などとホントに、日常生活で使っているような奴らである。認めろっつーの、おまえらはっきり間違ってるっつーの。父さんにもぶたれたことがないのに・・・とかその気持ち悪い台詞回しやめろっつーの。

「未来少年コナン」はこうして、世間からも黙殺され、当のアニメーションファンのオタクたちにも黙殺されていたのである。
そして、当然のように「ルパン三世カリオストロの城」も、ごく一部の慧眼の人たちをのぞき、多くの人たちから同様に、無視され、興行的には、ほぼ「大失敗」と言ってもよい状況であった。
中学生の私は、冬休み初日に、「カリオストロの城」の劇場に駆けつけたが、カップリングの「ミスターブー」に辟易しながらも、劇場から出てきてその興奮はとまらなかった。ありえない。

「コナン」「カリオストロの城」がいかに、アニメファンたちの間でも無視されたかをはっきりと示す事例を(記憶をもとにだが)書くと、当時、アニメーション好きの間で最も部数を伸ばしていた、アニメーション雑誌・徳間書店の「アニメージュ」(のちに「ナウシカ」の連載母体ともなる)では、「カリオストロの城」が封切られた年あたりだかに、投票式による、「アニメグランプリ」なるものを開催している。

はっきり覚えてるから書くけども、そのグランプリは

作品グランプリ1位「機動戦士ガンダム」
演出家グランプリ1位「りんたろう」(←「銀河鉄道999」等の人)

などであり、そこには「未来少年コナン」も「カリオストロの城」も、演出家名では「宮崎駿」もまーーーったく出てこなかった(たしかベスト10のうち、相当下位にちょろっと出てた程度)
渋いアニメ評論を展開し、当時からアニメファンのオタク的傾向に批判的だった、おかだえみこ氏や、脚本家として有名な辻真先氏などは、「コナン」「カリオストロ」でその制作スタッフの抜群のセンスに感嘆し、持ち上げようとしていたけれども、世間の大勢は、「ガンダム」で「シャアさま」で「安彦良和」と「富野喜幸」であったのだ。(「富野由悠季」は当時は「喜幸」)

正直、当時の薄っぺらな風潮の影響で、私はいまでも「ガンダム」が嫌い。てゆーか、あれ、おもしれーか? はっきりいって。
異様なムードを持つブームだったんで、私もそりゃ教養程度には観たし、多少は覚えているけれども、「未来少年コナン」やら「カリオストロの城」やらに比べると、格段に落ちるというか、圧倒的に下というか、ウンコとダイヤモンドくらい価値の違うものだと当時も思ってたし、今でも思っている。
そのウンコのような「ガンダム」がブームというわけのわからん風潮のおかげで、どういうわけか、本当に優れているその「コナン」や「カリオストロ」がかすんでしまったという事態に、私の子供心は相当すさんでしまった。
そう、そのとき、私ははっきりとわかったのだ。
「世の中のやつはバカばっか」
「本当におもしろいものを知る人は少ない」
「テレビや雑誌がもちあげるものがいいものなんて、そんなこたーない」
「むしろ本当に優れた素晴らしいものは、地味ぃに隠れているものだ」
そういうことを当時身にしみて感じていた。
この考えは当時生まれて今でも自分の中に強く染みついている。
私がブログを続けているのも、たぶん、そうした意識が強く出ているからではないかと思う。
世の中の評判なんてアテになんねーんだよ、俺の感じた通りがいちばんやっつーの、という傲慢ともとれる意識。それが私の意識の核に座ることになる。

そして、その後、10年を経て「ラピュタ」の後には多少、「宮崎駿って多少は知ってる」ムードが広がり、いつのまにやら、「世界の宮崎駿」になってしまった。
遅いんだよ、あのときだーれもそう言わなかったじゃんと。
「ラピュタ」とか「トトロ」とか、そんなん「コナン」や「カリオストロ」に比べたらぜーんぜんつまんねーじゃん、なに、いまごろ言ってんだよと。

世界ブランド「宮崎駿」が生まれる過程をまたつぶさに経験することで、私はまた、こういう意識も自分の中に持つようになる。
「結局いいものは、時間が経てばみんなに伝わる」
「それにしたって時間経ちすぎなんだよ」
「いったい何年かかってんだよ」
それはともかく
「おれ、ずーーーーっと前から、好きだって言ってたもんね」
というこれまた、相変わらず傲慢かつ選民的な過剰な自信。
こちらのブログを継続的にお読みいただいている方にはおなじみの、「吉祥寺拓也のゴーマンかましてよかですか」的自信過剰日記というのは、こうして生まれるに至ったのであります。

ぜんぜん「未来少年コナン」の中身にはふれないままさらに続く。