吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
3月も終わり
今日で3月は終わり。
なんだかあらゆるものがほっとしたせいか、とにかく今日は何をする気にもなれず。

昨夜遅くに、2本分の仕事を完成させ、送信完了。
これで3月分、片付いたでぇーーーと思ったのだが、実を言うと、今年は意外と4月も混んでいる。

4月3日(木)までにって言われているAの件をやっと今日から手を付ける。
4月4日(金)までのBの件(これは軽い)のデータが明日やってくる。
4月7日(月)までと言われているCの件のデータも明日来る。
4月11日(金)に完成させたいDの件も残っている。
ちょうどその頃入れ替わりにEの件が入ってくることも決まっている。
ちなみに、4月8日〜9日は家族サービスの小旅行が既に予約済みでこれは外せない。
そして4月12日は友人の結婚式がある。

そんなかんなで、花見も織り交ぜていたりなんかしたらとても余裕なんかあるとは言えないスケジュールなんで、今手に持っている、Aの件を超特急で今日ガンガン片付けるべきなんだけれども、これがちっとも筆が進まない。
月曜日病。
じゃあっつって、派手に遊びに行ったりするのも、なんか気が引ける。結局何もしないなら桜の見える日帰り温泉でもふらっといきゃーいいんだけど、午前中雨だし寒いしで、なんか気が進まず。
そうこうしてるうちに、パソコン修理屋さんがやってきて、先日依頼していた、HDのデータ取り出しを持ってきてセッティングしてくれたり。
どっかにいっちゃった、集計ソフトのCDを探したり。
「急遽、3月末で経理的にしめることになったので、とりあえず請求書送ってくれ」と言われたので、送ってみたり(ちなみに、この件、まだデータももらってないし、当然こっちは作業何もしてないのだ。ま、よくあることだが)。
やっと夜中から本格的に作業を開始。

しかし、今年も1月から3月、よく働いた。
結構エライ自分。

明日からは4月。
新学期の4月。
新入社員の4月。
私がフリーになったのは4月1日からだった。

明日以降は、いろんな会社で、すっとぼけた新入社員たちのてんてこ舞いな電話取りかなんかがあるのかもしれない。
しかし、就職氷河期なんてのは今は昔のことらしいので、今年の新入社員は優遇されてるらしいので、きっと、不景気の頃と違って、たっぷりの社内研修時間が職場とは別枠であるのかもしれない。それをもって実際の配置に着くのは連休前後になるのかもね。

白い靴下でスーツを着てはダメだよ、新入社員。
あと、ネクタイの結び方、それでいいのか、もう一度ネットを検索だ。前の広角がベルトの位置だ。
花見(4)椿山荘裏神田川沿い
私が上京したのはもう20年以上前になる。
初めて住んだのは、早稲田通りに併走する裏道、安兵衛通りにある一軒家の二階の一部屋。
風呂はないので、徒歩一分の近所の銭湯に通うことになった。

この銭湯は、
♪あなたと行った横町の風呂屋、一緒に出ようねって言ったのに、いつも私が待たされた♪
で有名なフォークソング「神田川」の舞台になったまさにその「横町の風呂屋」だというのはすぐ知った。
私が引っ越してからもすぐテレビの取材が入っていたし、結構ご近所じゃ有名な話だったのだ。
その銭湯の名前は、「安兵衛湯」。
ネットをググってもらっても、すぐに、その風呂が「神田川」舞台だったということが出てくるはず。

そして私はまさにその神田川的な貧乏くさい一人暮らしをスタートさせるようになったのである。
ところが、今回、安兵衛湯のことを書こうと思って、検索してはじめて、なんとあの思い出の銭湯が、平成2年に廃業してしまったということを知った。ちょっとショック。つーか、銭湯がつぶれていくのは、まー自然な流れではあろう。いまどき、風呂のついてない下宿自体減っているのだ。もちろん残ってはいるだろうけど、あの時代、結構銭湯はいろいろ選べたわけなんだけど、その数が淘汰されるのはやっぱり当然。たぶん、私が学生の後期に愛用した、早稲田通り沿いの「松の湯」は残っていると思う。以前ちらっと見たこともあるし。

話はそれたが、今日は、その「神田川」沿いの花見。午前中に車で椿山荘へ。
椿山荘裏の神田川沿いというのは、知る人ぞ知る、超抜群の隠れ桜スポット。
ちなみに椿山荘には桜は少ないです。椿山荘の裏口を出たところから神田川沿いの一帯がスゴイわけ。ちょうど首都高5号線の早稲田出口のあたり。もんのすごくアクセスの悪いところであるため、地元の人などごく限られた人しか知らないし、超マニアックなしかし、間違いなく都内で屈指の桜ポイントであります。だから私は毎年積極的にここに来る。椿山荘って駐車場無料だし。
今年も見事。
素晴らしい。
ここも、川沿いだから、桜と水の対比が綺麗なのだ。

しかし、今日は仕事が気になって早々に退散。
明日提出の件、2つあるのに、両方ともまだ未完成なのだ。
なんとなくノドがいがらっぽくて風邪気味だし。
椿山荘でご飯を食べて帰ろうと思っていたが(ここのバイキングはすげーうまいのだ)、貸し切りのため昼食できず。そのため帰り道になぜか「サイゼリア」へ。

帰宅後、いったん寝て。仕事集中。
結構厳しいつなわたりだったが、10時頃、やっとあらかたの片がついて一安心。
あとは、明日の朝、起きてすっきりした頭で30分簡単な作業をすれば、提出できる。もう一本は完全に完成。

今読んでる本は長島有の「ジャージの二人」。結構おもしろい。また昨夜「HERO」を初めて観る。もちろんキムタクの方じゃなくて、アメリカのドラマの方。こっちもおもしろいかも。日本の描かれ方に少し不満はあるけども(特にアンドウ君の日本語がヤバイ)。
花見(3)井の頭動物園
今日は午前中から友人家族と井の頭公園横の動物園で花見。去年も彼らとはココ。
友人家族とは、ご夫婦がともに私と同業者。ご主人が私とほぼ同年齢、奥さんはうちの奥さんとほぼ同年齢、子供同士もほぼ同年齢。家もわりと近所。
そういうこともあって、毎年、クリスマスはどっちかの家でホームパーティー、花見も一緒という、パターンがこの3年続いている。

井の頭公園はめちゃ込みだが、有料となる(つっても大人400円、うちは、年間パス1600円を取っている)動物園は、結構穴場的に空いている。
有名な象の花子さんもおり、猿山は楽しく、遊園地的アトラクションも充実、無料の遊具もたくさんある。小学校入学前の子供たちには、非常に楽しい場所。

先方のMちゃんとうちの息子も仲良く遊び、和やかな時間を過ごす。
毎年、結構力をいれた弁当を持参するのだが、今回は、私は、カツサンドと鶏の唐揚げを作った。
どっちもイイ出来であったが、しかし、カツと唐揚げはさすがに油っぽ過ぎ。ビールはすすむが、ちょっと食傷。先方の作ってきていただいた和食や、うちの奥さんの別のツナや卵のサンドイッチの方が結局はおいしい。好きなものばかりを作ればいいというわけではない、料理はやっぱりバランスだと思う。

酒飲みながらなんちゅーことない世間話。いつもだけど。酒飲みながらちゃんとした話ってフツーしないし。だいたいちゃんとした話ってなんだ? ほとんどの日常会話とは情報の交換内容が重要なのではなく、その場の空気が楽しいか楽しくないかが重要なのである。そういう意味では、いつものように、非常に楽しい時間を過ごす。
11時集合で、解散が2時半ごろ解散。

ところで昨日読んだ本「人生ベストテン」角田光代。かなりおもしろい。角田光代はたいていそうだけど、なんとゆーか、吉祥寺を中心とした、井の頭線、中央線沿線の、地元場所感覚がまず楽しい。リンク先でも近所が描かれる本の楽しさがかかれていたが、地元の話はそれだけで、楽しさ50%増し。地元ひいきの目。さらに角田光代は私とほぼ同じ年齢で、同じ学校出身と、それまた身びいき要素が多い。甲子園で地元の高校やら、出身大学の系列高校を応援するような気持ちと似ている。ある種の学閥のようなものである。
その「人生ベストテン」で最後の話が、やはりこの動物園が舞台となっていた。偶然だけど。
人生ベストテン (講談社文庫 か 88-8)人生ベストテン (講談社文庫 か 88-8)
(2008/03/14)
角田 光代

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花見(2)井の頭公園
午前中は、昨夜突如依頼された超特急の件、コメント書き。
朝から集中して、昼前にはほぼできる。
今週はなんだかこんな超特急案件にばかり振り回された印象。
こういう「頼むから明日までにコメント50ページ書いてよぉお」みたいなヤツ、今週だけで3本やった。
全部、筋は同じ、某広告代理店系の仕事。
この系列の仕事、私は会社員時代から慣れている。
依頼内容はキツイけれども、それに対応できるわれわれスタッフに対して敬意があるし、そして通常の世間相場より割高なギャラでちゃんと報いてくれるのだ。
代理店系の仕事が、嫌だって人もいるけれども、やっぱこっちが好きって人も多い。
私のような、“仕事は苦にならない金の亡者タイプ”にとっては、大歓迎である。
もういっこ、ライバルにあたる某代理店との付き合いも一応私は(少し)あるので、そこと比べても、ギャラはいいし、何よりも、外部スタッフに対する気配りが違うんである。そこがね、この世界最大の代理店のイートコロ。

そりゃーいいけど、当初予定していた他の仕事がちっとも進まないのが難点。
3月末ってのは、ホントめちゃくちゃスケジュール管理になってしまうのである。
だって、請求書処理だけでもこんだけ案件がバラバラとふってわけば一仕事である。
一番の大得意先のレギュラー仕事が遅れに遅れている。

が、午前中の仕事が終わると、妻と昼飯食いがてら、近所に花見。
吉祥寺駅南口のキャンティでカルボナーラ。私はこの店のカルボナーラが大好物。
外で食うスパゲティの中でいちばん好きだ。
今日も一人で二人前のカルボナーラを食べる。あと、鶏肉の炭火焼き。
この店の欠点は唯一、配膳の手順がイマイチなことだけ。

その後井の頭公園へ。
井の頭公園がまた素晴らしい。
先日日記で、井の頭公園の花見はダメだと書いたばっかだけれども、それは、土日の花見客(酔客)ですべての地面がビニールシートで覆い尽くされ、一般花見客が身動きのできない状態になっている井の頭公園はダメだという意味。
今日のような、平日でちゃんと歩くスペースがある程度残っているような場合、やはりここは都内で一二を争う絶景花見公園であることはやはり間違いない。

井の頭公園の花見の何が素晴らしいのか。
これは、都内ナンバーワン花見スポットである「千鳥ヶ淵」にも共通すること。
「水」(池やお堀)と桜の相性が素晴らしいということである。
水辺に桜が群生し、水面に桜が映りこみ、また花びらが水上に舞い落ちている。
この水と桜のコンビネーションが抜群に美しいのだ。

花見とは言うまでもなく、桜を観ることではない。桜が咲いている一瞬の景観を楽しむことである。
桜はどこにでもあるが、その桜がどのような演出が施されているかが重要なんである。
桜の本数とも直接は関係ない、誰が考えたか知らないし、あるいは偶然なのかもしれないけれども、桜を愛でるように、絶妙に配置された土、水、空、そして桜のコンビネーションの妙を楽しむことが花見である。

私は田舎育ちだけれども、もちろん田舎にはいっくらでも桜はそこかしこにバラバラと植えられ、勝手に咲いている。が、桜がいくらあっても、あ、桜だなー春だなーでおしまい。桜に限らず、景観を楽しむためには、そうすべく時間をかけた計算がある場所が一番である(もちろん偶然桜ばっかで綺麗ということもある)。
アメリカにも桜は咲いているけれども、それがたいして、話題にもならず、感動もされず、桜=日本みたいな図式として定着したのは、日本人のサムライ的情緒とあまりにも密接に桜がかかわっているだけではなく、日本人は桜を「愛でよう」という意識の元に、そうした桜スポットを計画的に作り出してきたという要素が絶対にあるはずだ。

同じ本数桜が咲いていても、感動する風景と、そうでない風景が出てくるのはそういうわけ。
だからこそ、桜花見は、絶対に厳選して行った方がいい。
桜が咲いている期間は本当に短いから。
井の頭公園は、土日に行っては絶対にダメ。それは絶対につまらない。
てゆーか、ホント、土日、吉祥寺駅周辺、めちゃくちゃなことになってしまい、いつも以上に徒歩交通が麻痺してしまうので、毎年マジで困ってます。
花見(1)武蔵野市役所→小金井公園→中野通り
朝、息子を保育園へ車で送ると嫌がったので、せっかく車を出したが結局家にいることに。
午前中から、スポーツ関係のレポート、コメント書き始める。
集中して午後2時には終了。
他にも仕事はあるが、たぶん、桜がイー感じに違いないので、とりあえず、家族全員で花見にGO。
といっても、基本は車で、花見コース周遊ドライブ。

まずは、基本の、武蔵野市役所周辺。これがまたイー感じに渋滞。
八分咲き? いやほぼ満開じゃないの? しかもまったく散ってない。散ってない桜ってまるで映画のセットのように作り物のような美しさだ。満開に近いが、散ってもいないという桜なんて、365日のうち、たぶん2〜3日しかないんじゃないか。そういうレアな完璧状態を観る。ホントは散り始めの桜がまた綺麗なんだけど。

そのまま車で小金井公園へ。ここは、公園内散歩。江戸たてもの園も観る。

さらに、まだみんな元気だったので、今度は中野へ。
中野通りを青梅街道側から北上。
しかし、ここはスゴイ距離桜が続く。そしてまたイー感じにここが渋滞で、じっくり桜が観れるのだ。
堪能。3kmくらいか。時間にして(混んでたから)30分くらいだろうか。
中野通りの桜は、駅をちょっと北上し早稲田通りの手前くらいからはじまり、そのままずっと新青梅街道にぶつかる中野通りのドンツキまで、哲学道公園なんかもからめながら延々続く。
景観の完成度では、覆い被さるような武蔵野市役所の方が上だと思うけれども、とにかく中野通りはその桜街道の長さね、これがまー半端じゃない。質より量が中野通りだ。素晴らしい。

他にも車で通って美しい桜並木ってのは、私のお薦めは、千川通りの中村橋から練馬にかけて周辺。あそこも素晴らしい。中村橋に住んだのは、ちょうど桜の時期からだったんだけど、あの桜通りが気に入ったからというのも理由の一つ。

しかし今日思ったのは、やっぱ中野いいなってこと。吉祥寺の次、中野がいいと思う。
一人暮らしなら、中野が特にいい。食い物屋の充実度がスゴイ。
事務所中野にしちゃおうかって感じ。

夕飯を「わのか」で食って来たので、これから仕事夜の部開始。
星ひとつの夜
桜は咲き始めたが、まだまだ忙しい。
てゆーかギリギリ土壇場受注が相次いで、結構タイト。
月火の2日で新規3件の引き合い。
他にすげー昔、言われてて忘れていた件が現れて、しかも、4月3日まででヨロシク。
今、業界は全員がテンパッているに違いなし。
どんな無茶ブリへも対応するのが私の得意技、どんなスパイクも必ず拾う(昔の)日本女子バレーのような仕事ぶりが真骨頂の私である。
今週末、てゆーか、今日入れてあと3日に形にして提出しなきゃならない仕事が4本ある。(そのうち一本は昨夜のうちに完成し送信)。
今日はまるまる一本完成させたいし、その気分転換で、軽いグラフ作りやら、軽いコメント書きやらもちょっと行ったりする。

そんな私の唯一の楽しみは、妻子が寝静まった頃に観る新作のDVD。
昨夜観たのは「星ひとつの夜」。

星ひとつの夜星ひとつの夜
(2008/03/19)
渡辺謙、玉木宏 他

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これは放映時すげー観たかったんだけど、ちょうど去年のその日、田舎に帰ってたりして観ることができなかったのだ。このネット社会ではあちこちで、感想やらあらすじが氾濫してて、観る前から完全に細かなストーリーまで把握してしまっていたので、ちょっとその辺ががっかり。
山田太一は必ず、細かなサプライズを入れて入れてつなぐタイプなんで、その驚きが味わえないとなるとちょっぴり残念。やっぱり山田太一はリアルタイムでテレビで観るのが一番。
もちろん山田ドラマは、そのびっくりを味わうだけの物語ではないので、しっかりと味わいが残る。

いつものように、解決のないドラマ。問題提起をぽーんと投げかけて、ゆさぶって終わり。
いしだあゆみの言う「若いうちに何億も稼ぐのってどうよ」的意見と、玉木の生き方に対する、結論は出ないままだし、渡辺謙のえん罪もそのまま。それどころか、笹野高志との関係すらほったらかし。
そして絶対に続編を作らない。
安易な教訓やら結論を垂れ流さず、対立的意見をくっきりと際だたせて、どっちにするか、視聴者のみなさん、ちゃんと自分で考えようね、というスタンスがいつものように、山田太一。ここが凡百の脚本家と文学者山田氏の違い。よく並び称される倉本聰と比べたって、あきらかに山田太一の方が深い。

テレビドラマは宗教じゃないので、答えはいらないし、だいたい答えなんかないだろうに、ってのが山田氏のいつものやり方。人は必ず死んでしまうという、厳粛な事実があって、その理由はいろいろ答えがあるようだけど、実際のところは、答えなんかないんじゃないかと思うような感じ。ある種のニヒリズム。答えなんかない、正義だって相対的なものじゃないか、みたいな虚無的なものがいつも底にあって、だからこそ、ちょっとしたふれあいに幸せやらを感じるみたいな。その麻酔注射のような、友情やら恋愛やらにまぎれて、本質的な虚無をやりすごしていくというのが生き方の本質なんじゃないか、みたいな、暗く言ったら山田太一はいつもそんなスタンスだと思う。

だから山田ドラマは解決策やら大団円はなく、突き放したような物語の終わりが来る。期待やら不安やらをどっちも適当に予感させるけれども、予定調和とは言えない結末を迎える。

それにしても、「彌太郎さんの話」からコッチ、やたらと多いのが、えん罪で何年も牢獄ってモチーフだ。その前の「遠い国から来た男」もそんな感じだし。
やっぱね、このえん罪が一番の「この世の地獄」感が出るね、確かに。絶望的な時間だ。10年とか20年とか。えん罪ってのは、つまり「誤解」ってことで、人は誰も共感できるのが、誤解を受けて関係ないそしりを受けるような事態、そういうことなら、誰にでも思い当たる経験があるけれども、あれは確かにつらいものだ。それの究極の形がえん罪なわけで。
「一生を台無し」になるという感じが一番伝わる感じがする。
「サウスバウンド」(森田芳光監督)
「天然コケッコー」「腑抜けども」に続き、07年発表<ド田舎映画>シリーズ第三弾。

いやー映画館行かなくてよかったー。

私はこの原作小説の熱烈なファンなんであるが、こういう大根を揃えて、変わった台本の読み方をさせることで、ここまでヒドイものができるとは、誰が予想できただろうか。
炭酸の抜けたコーラ以上に、原形の良さをとどめていない。

たとえば、「原作の筋は一応おっているけど、映画化されることで、こんなにメチャメチャつまんないものになってしまった」という単位を、あの有名な「デビルマン」を基準にする。
100デビルが「デビルマン」クラス、つまり最大級のひどさ。
そうすると、この「サウスバウンド」は70デビル。かーなーりヤバイ。

沖縄の海だけが美しい。
沖縄っていいなーという映画。
やっぱ沖縄だ。

今度沖縄映画シリーズを借りることにする。
蒼井優のがいいらしい。

映画や本をけなすのは品がないからやりたくないんだけど、なんだかなー。
俺は3月いっぱいやっぱりメチャメチャ忙しいんで、そんななか、無駄な時間を過ごさせられると腹が立つんである。
原作本をもういっかい読み直した方がずっとずっと有意義。
それにしても、映画への焼き直しは難しいんだろうなーと改めて思う。
まず脚本がそーとーヤバイし、役者の演技がそれに輪をかけてヤバイ。
やっぱりね、自分が好きな原作の映像化は観るべきではないってことだね。
「腑抜けども、悲しみの愛をみせろ」
サトエリ熱演で話題を呼んだカンヌ映画祭出品作。
実際にはサトエリだけではなく、永瀬正敏、永作博美、佐津川愛美の4人の家族全員の存在感と演技が誰をとってもソートーハイレベル。特に、どういうわけだか“いまが旬”の、永作博美のM性が本作でも爆発。
「永作博美が芸能界でいちばんいい女」説ってのは、どっかのお笑い芸人たちが言い出さなくても大昔っから決まっていることである。

田舎風景が非常に美しく暑苦しい。
エンドクレジットで石川県の奥地と知るが、山口県のうちのおばあちゃん家かと思うほど。都会はいろんな町でそれぞれの味わいがあるものだが、ド田舎は、どこのド田舎でも、似たようなものだ。
そういえば、最近観たド田舎映画「天然コケッコー」ともそっくり。
「天然コケッコー」との共通点は、ド田舎から抜け出す方法は、漫画家になることだという点でも共通する。

全体的に映画として大変おもしろい。
一つ屋根の下の4人の俳優たちがとにかく素晴らしいし、田舎映像が美しい。
映画としておもしろいが、しかし、原作の物語自体に多少の疑問がないわけでもない。
うねうねとしたエンターテインメント的なストーリー自体にそれなりに興味がそそられるけれども、「だから何?」感が残るというか。
思わせぶりなのは、ホントに「ふり」だけで、実態にはたぶん何もない、借り物の、ある意味テレビドラマのような薄っぺらさしか実はないような気がする。
兄弟の確執やらね、近親相姦的な異母兄弟とか、兄嫁はセックスレスとか、田舎の狭い社会観とか、言ってみれば全部「既に出尽くしたモチーフの焼き直し&寄せ集め」なんじゃねーの、で片がついてしまうようなところがある。
この物語にしかない、なんらかの「物語としての新奇性」というか、「文学としての新しい核」とか、そういうのが弱いんである。「そこそこ衝撃的」なプロットを積み重ねている感じはするが、ホント「そこそこ」なんだもん、どれも。よくみれば最近のトレンドに沿った感じ。流行に乗った感じはするが、流行を作り出すようなオリジナリティはないってこと。

たとえるならば、漫画家・山本直樹が書きそうな話。しかも、山本としては失敗作みたいな、そんなレベルの。
そう、この程度が芥川賞やら三島賞を取っちゃうとしたならば、山本直樹の方がずっとスゴイということを私は言いたいのだ。これなら候補止まりが妥当だと思う。器用な「そこそこ」感という意味で、たとえば「死神の精度」の伊坂幸太郎なんかと同様で、生涯候補作家止まりなんではないだろうか。読んだらまーたいてい「フツーに」おもしろいけど、誰にとっても「一生の一冊」にはあんまりならないだろうなー的な感じか。本やら漫画やら舞台でも映画でも、中途半端に好きな人が作る物語ってば、いつもどこかに既視感が漂うんだよね、自分では枠からはみ出したつもりで、ぜんぜん仏様の手のひらの上だったみたいな、孫悟空的な感じ。


そういうわけで、原作の文学性は(実はちょっと前に読んだばかり)ほとんど評価できず、ただしそれをちゃんとしたエンターテインメントに仕上げた映画としては、キッチリ評価できるみたいな、そんな感じ。
またまたディズニーシー
日曜日もいい天気。
そういうわけで、またディズニーシーへ出かけた。
週末日替わりの遊園地。
子供大喜び。
私にとってもこういうのは夢だったんである。

妻も今日は一緒。
風邪治り立てではあるが、昨日がすごく楽しそうだったんで、どうしても一緒に行きたくなった様子。
彼女は昔から、楽しそうなことにだけ目がないタイプである。
楽しそうな飲み会があれば、少々の熱は押してでもなにがなんでも出席し、人より先に帰れない人である(帰った後におもしろいことが起こるのが嫌だから)。

自分が子供の頃、小学校の時くらいか、全国のあらゆる遊園地を完全制覇したいとか、思っていたことがある。泊まりがけで日本中の遊園地のすべてのアトラクションに乗りたい、そういう旅行を一人だけでもしたいと思っていた。結構何度もそういう妄想は持った。裕福な家ではなかったので、実現は無理なことは承知の上で、一人で頭の中で夢を描いていただけである。もちろん今は別にそんなことに興味はないが、あのとき強く、遊園地にいきてーと思っていた気持ちを持っていたことをはっきりと覚えているんである。
そうした記憶が今、こんだけさんざん遊園地づくしな休日になっているのではないかと思っている。

自分は自宅にずっといはするものの、忙しい時期はホントに、食事以外完全仕事場にこもりきりで、ろくに家族と会話することもない。少しでも手が空くならば、なるべく一緒に過ごしてやりたいと思うし、少しの時間しかないのであれば、出来る限り密度の濃い、最大限の喜びを引き出せる方法はないかと考える。結論が遊園地というのは、若干、選択肢が乏しいというか、想像力に限界があるような気もするのだけれども、じゃあ、2歳の子供に他何があるだろうか。(ホントはいろいろあるんだけど)
「時間」対「効率」が良いのであれば、この際「費用」面は多少かさむのは仕方ない。
この3ヶ月寝る暇ないほど忙しかったんで、遊園地代くらい、別にかまわない。ちなみにたいていの遊園地では3歳未満の子供は無料である。

いつものように昼過ぎ帰宅。
午後爆睡。
夕方仕事。コメント20ページ書いて、今日のお仕事は終了。
明日は久しぶりに仕事で外出。暮れに買ったスーツ、結局まだ3回くらいしか着ていない。2月に買った新しい仕事用カバンは一回しか持ち出していないと思う。打ち合わせもろくすっぽせずにとにかく書き物処理に追われたいつもの3ヶ月であった。
初トーマスランド
妻の体調がイマイチ。
ここはゆっくり寝かせるのが一番。
だが、子供がいて、そういうわけにもいかないので、今日は私が子供を連れて二人でお出かけ。
朝8時に、とりあえず車に乗る。
なんだかしらんが、私と二人きりだと異常に礼儀正しく素直な息子。
普段は嫌がるチャイルドシートも、自分からすすんで乗る。偉い。

いつもの定番、豊島園に行こうかと当初思ったのだが、豊島園は開園が10時から。
あきらかに時間が早すぎる。
で、いつも渋滞のため、あきらめる、トーマスランド(富士急ハイランド内)に試しにむかってみる。
中央道は今日は比較的大丈夫。八王子までチンタラする場面もありはしたが、十分許容範囲。
八王子を超えるとガラ空き。つーか、毎度毎度なんで、あそこは混むのか。

結局9時30分には富士急に到着。
子供は感激のようす。それを見るのが親の楽しみ。
プレゼントは常に贈る側の喜びである。
4月にはトーマスランドに泊まりで来る予定。今日はその下見を兼ねて。
やっぱり土日はそれなりに混む。富士急は全体に充実。ディズニーランドまでではないが、結構いい勝負というか、首都圏ではやはりディズニーリゾートに次ぐ勝ち組遊園地はここであろう。「絶叫マシン=富士急(フジヤマ他)」というブランドが浸透している。キャラクターを明確にしたもの勝ちというか。
そして小さい子供向けには、トーマスランドが、また成功を収めている。

今日乗ったのは4アトラクション。めぼしいところは押さえたが、他にも混んでてなかなか行列する力まではわかない。
園内では7割方私がだっこ。妙なことをやりださない安心感はあるが、やっぱり重い。
週末はこのように育児ダイエットと呼ぶ運動を散歩がてら取り入れている。

富士急は改めて思うが、目の前に超でっかい富士山を望み、これ以上ない絶景スポットでもある。
今日のように晴れてる日は、気持ちよさ最高。

帰宅はいつものように昼過ぎ。
中央道はがら空き。
息子はまた行儀よく自らチャイルドシートへ。
調布インターで降りてからの下道で工事などのため少し渋滞。
帰宅後、休憩して、医薬品の仕事を少し進める。こっちは今日中にたぶん完成できるはず。
明日もできれば日中はどこかに息子を連れて遊びに行き、夕方から仕事をしようと思う。
「鹿男あをによし」と花見予定
「鹿男あをによし」本当におもしろいドラマだった。
最初から最後までちゃんと楽しめるドラマって久しぶり。
原作読んだ人には不評だったかもなんだけど、(まーたいていのドラマは原作が好きな人にとってはダメなものだ)私は今回、あえて原作に手を出さなくて結果的に正解だった。
素直におもしろかった。

タベミカコの鹿顔と、鹿の声の山寺宏一が一番の勝因ではなかろうか。
山寺宏一ってあんな声だったっけ? ネズミはトーマス&アンパンマンだし。顔出しの山寺宏一は大好きなんだけど、声の山寺宏一ってイマイチイメージがつかめてない。最初わかんなくて竹中直人かと思ったり。とりあえずチーズ(犬)とかアヒルとか鹿とか動物ばっかりやってる印象だ。

もう今週終わり。
今週も忙しかった。
A)政府系のレポート、まるまる一本書き始めて終了
B)医療系のレポート、書き始め
C)テレビ番組のレポート、追加編10ページのみ作成

Aは今日金曜日までだったんで、昨夜なんとか完成させて送信済み。
Bは月曜日まで締め切り。ただしもう半分は終わってるから、土日に残りを。
Cも月曜日までだったが、できれば今日中に出したくて、あとちょっと。夕飯前には終わらせたい。

さらに
D)通信関係のレポート
が今日、グラフだけ届くから、この50ページのコメント作成を、月曜日までに仕上げる。
E)ファッション関係のレポート
これは一昨日データが到着したんで、来週の早いタイミングで提出の予定。
F)公的施設の出口調査
もあって、これは月曜日に集計、来週中に集計表と速報を提出、4月中旬にレポートアップ。

等が続くけれども、このA〜Eが終わる、来週末には、この死にそうに忙しかった今年の年度末仕事がほとんど終了する。
あとは、まーFとか、他にもちらほら予定は入っているものの、たぶんこれまでに比べれば半分以上休みみたいなもの。

そして今月末からは、怒濤の遊び計画が実は目白押しなのである。
今決定しているだけでも、3月末の日曜日は、M&A家族と花見予定in吉祥寺、次の日曜日はK&T家族と花見予定in吉祥寺、4月第2週平日は旅行その1が予約済み、5月連休明けすぐにも旅行その2が予約検討中。旅行その2はこないだハマった沖縄へ、また性懲りもなく、半年あけずに再度訪問。今度は宮古島か石垣島の予定。
ブログ仲間と温泉旅行も今計画中。
あと、毎年恒例だが、4月の平日は基本的に昼間は仕事などせず、毎日日替わりで都内花見スポットへ行く予定。

<毎年絶対外せない>スポットは
■千鳥ヶ淵
■椿山荘裏神田川一帯
■武蔵野市役所付近
■小金井公園

<ホントはここも行きたい>スポット
■浅草隅田川公園
■昭和記念公園(園内自転車で)

<マイナーだけどここもいいって>スポットは
■飛鳥山公園
■中野通り

<人が言うほどたいしたことないよ>ってトコロは
■上野公園
■代々木公園
■新宿御苑
■井の頭公園

この最後の「言ってるほどたいしたことない」花見スポットはむしろ積極的に避けるべき理由がある。
混みすぎ。ぜったいに上記の他エリアに行った方がいいって。
井の頭公園とか地元として断言するけども。絶対にやめたほうがいい。
吉祥寺なら、ちょっとあるいて武蔵野市役所あたりへ行きなさい。絶対にそっちがおすすめ。
テレビはいっつも上野公園と井の頭公園ですが、あれもーやめたほうがいい。都内の桜の醍醐味はそんなところにはない。酔っぱらいの生態をじっくり見学したいなら、その2スポットは最高ではある。(ホントにキチガイがどっと集まるのでおもしろいことはたくさん起こっているようです)
伝説
伝説の番組と言えば、ただ一つ。
86年と87年のクリスマスに放映された「メリークリスマスショー」。
桑田佳祐と松任谷由実の二人を核に、ありとあらゆる、当時のスーパーアーティストを結集して作られた奇跡の音楽番組。司会は明石家さんま。出演アーティストの名前の列記はもうめんどくさい、ホントに当時のスーパーアーチストの全員が出たと言ってもいいから。いちいち書けないのだ。
ただダラダラと順番に出る番組なら、紅白歌合戦もそうだし、毎週の歌番組も基本そんなもんなんだけど、この伝説の番組のすごいのは、信じられないような、組み合わせで歌っていること。
たとえば桑田佳祐作曲、松任谷由実作詞の「クリスマスだからじゃない」とかね、あり得ないでしょう。
まーそれもあるっちゃーあるよね。いまでもたまによくある話。しかし、この番組は、その場で歌わせる歌自体がもー信じられないくらいの超スーパークオリティなわけ。しかもそのほとんどが一回こっきり。歌自体がそのスーパーユニットのために提供され、しかもその後の放送がなかったりする。
ウィーアーザワールドが出た翌年あたりの企画だから、あれを意識していたとは思うけれども、はっきりいって、日本人にとっての衝撃は、あの聞き飽きた音楽、見飽きたPVの百倍はあった。少なくとも私にはそれ以上のインパクトがあった。
何よりも、この番組が伝説となったのは、とにかく、楽曲の発売はもちろん、その番組自体の再放送やビデオソフト化が(確か)なされなかったこと。これにつきる。
だからまーとにかくレアでレアで、いまだに、語り継がれているわけである。
ほんっっっっっっとにあの日のあれには超びっくりした。
私個人は「電通」ってのはどこまですごい会社なんだろうと、あれほど思ったこともない(確かエンドクレジットでの制作が電通だったんで、そんな名前の出し方もすごいわ)。


そして長い間日の目をみることが許されなかったこの伝説の番組。
語り継がれることしかなかった、奇跡の番組。
やっぱね、ユーチューブはすごいわ。
なんでもあるユーチューブ。
こうして奇跡は再生される。
伝説は摩滅するが、あの時の興奮をもう一度味わえるとは思えなかった。
ソフト化されてないってのは私の勘違で、ビデオ発売されてたのか?

今見ると、例の桑田作曲、ユーミン作詞のエンディング曲「クリスマスだからじゃない」はそうでもない。当時死ぬほど笑い転げた次の曲などがやっぱり思い出にも残っているし、今見てもすばらしい。

二年連続で一番おいしい二人組
鈴木雅之&桜井賢




「二人のFour Season」
泉谷しげる&渡辺美里&竹下登(当時自民党新総裁)
好きだなぁ、こういうの。




超高額出演料の物まねグループ
BEACH FIVEの「長崎は今日も雨だった」
翌年の別メンツのTAKE FIVEもさらに下品になってて必見。


偽キャンディーズ(ユーミンと原ボーとアンルイス)の歌う「年下の男の子」
翌年はキョンキョンも参加。


とにかくね、あらゆる楽曲のアレンジのすばらしさをみよと。
一瞬だけのコネタ数々、そのすべてに対する偏執的な懲り方が伝説なんだと。
空想生活
今日の日記は完全妄想バージョンで。

(1)栗山千明

私にとってまったく色気というか、女を感じさせない女優が栗山千明。
なんとゆーか、完全に異性を忘れさせる存在。
女としてちっとも興味がない。
仮に栗山千明と同級生で、クラスにいても、かんっっっぜんにノーマークは間違いなし。
しかし、彼女のことは嫌いというわけでもない。
もしも同じクラスにいたら、実はすげーー話とか盛り上がっちゃうかもしれない。
エヴァンゲリオンネタだけで何時間も持ちそう。
そのほか、たぶん、こまかーい話までいくらでも盛り上がれそうな予感がプンプンする。
別に女としてどーでもいいというか、一切興味はないが、オタク友達として、すげー仲良くなれそうな気がするのが栗山千明。
実際、そういう存在は昔から結構いる。
で、こっちは異性を感じないのだけれども、そういう相手からは、意外と、結構モテたりしたりする。
そんな相手が栗山千明。
もちろん妄想上の話だけど。

(2)マナカナ

逆に、クラスにいたら、たぶん、俺好きになっちゃうだろうなーという、予感が超しているのが、双子のマナカナ(三倉茉奈・佳奈)。
現実路線として、ああいう子を好きになることがとても多い。
エリカ様の顔がいちばんきれいだとは思うけれども、たぶん、まじめに好きになるのは、私の場合、マナカナタイプなんである。ああいうよく笑う子ね。テキトーにおもしろい子。超かわいいってゆーか、フツーにかわいい感じで、とにかく笑顔がポイント。
でも、ああいう明るい子にはなかなか近づけないんだよね。秋の文化祭ごろまではなんとなく遠回しに見てるしかないような距離感。それまでは、教室の隅で、栗山千明その他のオタク仲間たちとオタク話ばかりしている感じ。
もちろん妄想上の話ですが。
「エデンの東」(エリア・カザン監督)
DVDで「エデンの東」を見た。
これがたぶん3回目。
最初に見たのは、結構はっきり覚えてる、中学校3年生の時。秋から冬にかけて、テレビ放映されたものを見た。
当時日記をつけていたので、覚えている。
そんときゃもー猛烈感動したのだ。
ご承知のように、愛に飢えた出来の悪い次男坊が主演の物語であるが、彼を演じるジョームスディーンがやたらとヒューチャーされるが、実際には、それとほとんど同じ比重で、その父母の話が原作には描かれている。

父親の名前がアダム、母親は父を裏切るというまー聖書で言えばエバ(イブ)に相当。
で、カインとアベルという兄弟喧嘩が人類史上初の殺人につながったという、例の創世記の物語をベースにというか発展解釈し、スタインベックなりの「原罪」と「贖罪」を描いて、物語として相当おもしろい。構成が非常に凝っているわけだ。

ジェームズディーンの映画は、その後半だけを取り出しているんだけど、まー確かにいちばんの見所ではある。なんつっても、あのジェームズディーンのひねた様子、あの屈折。あんだけの美形でありながら、まーとんでもない演技力を発揮するという、やっぱこういうことは、木村拓哉にはあきらかに無理なわけで、ハリウッドのスター俳優が、どんだけ層が厚いんやねんと、改めて思うような映画。
今回見ても、やっぱり、あの演技には息をのむね。ジェームズディーンが大豆の先物で金を作って、父親の損失をカバーするために誕生日プレゼントにそのお金を渡したら、それを父親は拒絶するのね。戦争のために儲けた金なんかわしゃー受け取れん、お兄ちゃんのアロンの誕生プレゼント(アロンの婚約)の方がずっといいよ、そういうのにしてくれんかのぉと、厳しく叱責するのである。まーそれにしてもどこまで偽善者やねんと見ていてムカっぱらがたつのだけども、その時のジェームズディーンの絶望やらイライラやら嫉妬やらこんのくそオヤジィイイイイという、愛をくださいというあの目、あの全身演技、あそこはホントに圧巻であります。

ところで、今回見直して見て、気がついたのは、昔、あの中学生の時の、引きつけられるような感情移入というか、身を刻むような感動とか共感とか、そういうのがずいぶんと薄れている。
なー何度も見てるし、筋は結構細かく覚えているし。
しかし、それにしても、年齢ととともに、ここまで入り込み方も違ってくるかと愕然とするほどである。
やっぱり映画は、その映画ごとに見るべき年齢というのがある。
「エデンの東」はやっぱり、遅くとも20代の頃までに、できればやはり10代に見るべき映画だ。
逆に先日の「LEON」なんかはね、あれ20代の頃見たけど、40になった最近の方がよっぽど滲みる映画だ。20代の頃なんて、マチルダとレオンの関係、本当の意味ではよくわかってなかったかも。あの娘みたいな恋人みたいな、みたいな微妙な距離感ってのは、若い男には実はホントのところはわからないかもね。俺はわかったつもりでいたけど、当時はやっぱり「頭で」「理屈として」わかってるだけで、気持ちのスミまでしみてたというわけじゃーなかったと思う。

今回の「エデンの東」もそう。こっちは、もう父親なんで、アダム側の視点にも一部なっちゃったりして。当時はそんなんなくって、もう、親から愛されるかどうかという、ジェームズディーン側だけの視線だったから、あの映画にはストレートに反応したけど、今の私の共感は結構分散しちゃってる。ジェームズディーンに対する教育的指導みたいな見方をしてしまったりする。「あーもー、そんなんするから、お父ちゃんに叱られるんじゃん、バカだねー」とか、そういう感じも一部ある。
アダム側もアリ、キャル側もアリみたいな。おまけに、自分の今の年齢は、親アダムともずいぶん年は離れてるし、息子キャルとも年は離れてて、どっちにしても、中途半端な距離感なんである。

まーしかし「風とともに去りぬ」が何回見てもつまんないのに対して、「エデンの東」はきっちりおもしろさが持続。テーマの良さと主演俳優の良さ、ついでにいって、音楽の良さでありましょう。でもやっぱこれは大人になる前に見るべき映画。太宰治の小説みたいなものであります。
エデンの東エデンの東
(2007/12/07)
ジェームス・ディーン、ジュリー・ハリス 他

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時系列とタルい仕事
調査の仕事がオイシーのは、「時系列調査」というのが多いことだ。
去年新しいクライアントが調査をした時、今回も同じ調査票で「第二回調査」をするという確率が非常に高い。前回と比較してどうだったのか、その結果の比較も分析しましょうよという提案がしやすいのだ。その時系列比較は、とても貴重なデータであるため、クライアント企業もとても関心を持つものだ。第二回までやったら普通第三回もあるし、それ以降ずっと続くものもとても多い。

で、その場合、まー9割以上の確率で、だいたいその同じ調査会社が担当することになる。
同じ会社がやった方が、調査条件をまったく同一にして(=たとえば対象者抽出条件などね)の調査実施が容易だし、前回との比較分析についても、前回集計データを持っている同じ会社がやったほうが合理的で経済的だからであります。

そして同じ会社がやる場合、当然だけれども、同じ担当者がやることが多い。
調査なんてどれも同じと思っているが実のところ、調査票の文言をちょっと変えるだけで、数値はスポーンと違ってくるし(新聞ごとに政党人気調査の結果が違ったりするのはおそらくそういうこと)、調査結果の読み取りも、担当者によって実は違う。同じ75%という数値でも、視点によって「それはよいことなのか、悪いことなのか」その分析判断は異なる場合がある。プロ調査マンなら同じ判断になるはずではあるのだけれども、各調査ごとに、判断の基準となるというか、土台としての立脚点が違うわけだ、たとえばそのクライアント商品が既存ジャンルで一人勝ちしているガリバー商品であれば75%のシェアはむしろ減少した結果として懸念されるものであるかもしれないし、ポッと出の新商品であれば75%は超大飛躍だと言えるし。広告の出稿量や営業マンの動員数など販売・プロモーションにかけた費用対効果として、その数値はどうなのかという判断も必要な場合だってあるから、単純に75%はよいのか悪いのかなかなか言いにくかったりするのだ。しかし、それが「慣れた」担当者というか、調査第一回目から携わっているその業界、そのクライアントの事情を熟知した担当者であれば、いちいち細かい説明を最初から受ける必要はなく、「前回のノリ」で分析を進めればいい。
それは分析担当の話だけではなくて、集計担当もそれぞれの案件で決めていた方がいいし(ベースの取り方はとても重要な要素だから)、対象者リクルート担当も同じ担当者がやったほうがいい。

そんなわけで、ある特定の調査案件が何回も時系列で調査を実施する場合(それはとてもよくあるケースだ)、同じ調査会社の、同じ調査マンが担当するのが普通。
私自身も、この時系列のシリーズものの仕事が非常に多い。年間にすると100種類前後の企業の調査の報告書を書いている。その半分以上が、「シリーズもの」だと言ってもいいくらいである。


まー話は長くなったけれども、とにかく世に出ている調査報告書の半分くらいは、「時系列」のシリーズもの調査報告書と言え、そのため一回やったらその分は(よっぽど下手でもうたないかぎり)同じ担当者がやることになるから、そのシリーズ担当をある程度もっているため、私も多少は安定的に仕事を得ることができたりするわけ。
そして、私は、結構この時系列を落とさない。正直、いつも出来がいいので、少なくとも報告書が悪いからって理由ではあんまり仕事を落とすことはない。
他の調査会社がよくないんでって、理由でこっちに回ってくることは多い。基本は同じ担当者がやるんだけれども、中にはひどい仕事もたくさん出回っているので、そういうのは、われわれまっとうなプロチームが後から横取り、以降ずっとわれわれが請け負うことになるというケースもそれほど珍しいわけではない。こっちの出来が悪くて他に回ることはないから、われわれの仕事は増える一方である。たまに値段が安いからという理由で他に回ることはあったりもするが、正直、それも私は心配していない。つい最近もそういうケースで他にいったん流れたのだが、その安く請け負った会社の仕事があーまりにもヒドイものだったので、結局値段は高くてもわれわれチームにやってもらったほうがいいと、戻ってきたことが何度もある。そういう意味で私は自分の仕事に誇りも自信も結構もっている。

世の中には「なんちゃってマーケッター」とか「カッコだけリサーチャー」とか「基本知らないプランナー」とか「名刺だけなんとか」みたいな人がすっごくあふれている。口先だけはとりあえず語るけれども、実際の技術はあまりにも未熟で素人くさく、経験自体はほんとに薄っぺらな人たちがたっくさんたっくさんいるんである。日本はとにかく「マーケッター」とか、いっくらでも自称できる環境なんで、みんながいかにもな自分だけの定義を持って、ばんばん自称してハッタリをかましているのが現状なんである。

ところで、この他がこれまでやっていたんだけど、どーもパッとしないから、今回からやってみてよ、みたいなオーダーが、うちには結構今も来ているんだけれども、その引き継ぎが結構難しいケースもある。
前担当者のやり方が、チュート半端な場合がそれだ。
で、オーダーに「なるべく前担当者の文体や視点から大きく変えないように」という指示がある時ね。
基本、前担当者のやりかたがまずいから私に担当が変更になったはずなんだけれども、しかし、顧客にあまりに露骨に書き手が変わったということを印象づけるのはまずいような場合だってあるわけ。
で、その前担当者の書き方が、まーその、「間違い」じゃーないけど、「あんまりうまくない」ってケースもあるわけであります。一応ちゃんとしたところで訓練を受けた様子の、しっかりしたコメントではあるが、正直スマートさにあまりにも欠けるというか、ドンクサイ。俺にも経験があるが、やっと一人前になったかならないかくらいの、うーんと、経験が3年目とか4年目クラスの、イマイチさえない、コメントが下手っぴなヤツの書いた報告書みたいなものね。
俺だったら、もー全面改稿して、バンバン違う文体というか、視点でざくざく切っちゃって、もっと短く簡潔に行くように書くけどなーという素材なんだけれども、しかし、この前担当者の「雰囲気」もある程度残して書かなきゃならないという、それはそれで難しいオーダーだ。

うまい人のまねして書けというのは、非常に勉強にもなるし、いい仕事だ(こういうのも今までに何度も経験している)。だが、「下手な人」のまねで書けというのは、すごいストレスである。
そりゃもうつらい。やっててむなしくなってくる。ドストエフスキーの書いてる拷問みたいなものである。
うまいやり方には、そんなに種類はないものだが、下手なやり方というのは、その下手の数だけ無数にある。いろんな種類の下手があるものだ。そのまねをして書いてもこっちには何のプラスにもならない。車庫入れのうまい人のまねして、一発で車庫入れをしろといわれたら、すごい勉強になるけれども、下手な車庫入れをわざわざまねして、何度も何度も切り返しながら車庫に入れなさいといわれたら、それすごい大変じゃん、心理的にも徒労感が強くて、やってらんねーという気持ちになる。そんな感じである。

そんな感じの仕事を、日曜日と月曜日かけてやった。ホントは、分量的には日曜日だけですませたいところであったが、そのあまりにも、タルい、へたくそのまねをしながら書かなきゃならないという、苦痛で、どーにもこーにも仕事が進まなかったのである。久しぶりに仕事がタルかった。

他にもこういうことは多い。すっげーへたくそなグラフのフォーマット渡されて、このフォームにそったグラフで報告書書いてとか言われるのも、いやでいやでしょーがない。こーんなダッセー仕事、俺いやだと思ったりして。なんでおれはこんなダセーグラフで、ダセー文章書いてるんだろうと、うんざりしてくるのだ。そういうのがだいたい年に1、2本くらいはあるものだ。たいてい、あんまりつきあいのない人との仕事。ぜーんぶまかしてくれたほうが、一発でいいの書いてやるのに、と思ったりする。
中華街・大珍樓
昨夜遅かったため、起床は10時。
この週末、Aの報告書まるまる一本金曜日の夜に作り始めて土曜日の午前中には完成させた。これは40ページくらいなんで結構簡単バージョン、だからちょっと安めの仕事。他に70ページの報告書のコメント書きも残っている。これもできれば月曜日朝までにアップしたいところ。そのほか金曜日データ到着した別件が2本進行中。

ただし最近はとにかく気持ちがいいもので、今日も朝起きると家族で車でお出かけ。
そもそも子供がちょっと風邪気味なんであまり外で遊び回るということが似合わない。車でフラフラドライブに出るくらいがちょうどいい。
あてもなく出ると、道が全体に空いている。
首都高高井戸から新宿線に乗るもこれもガラガラ。日曜日の午前中は首都高はいつも空いているんである。当初お台場はどーかと言っていたのだが、正直それも飽きてるんで、道も空いてるし、横浜に行くことにした。中華街で飯食おう。

横浜首都高の横浜公園で降り、中華街と横浜スタジアム近くの駐車場へ。
中華街は久しぶり。たぶん息子は初めてじゃないだろうか。つまり2年以上来ていないと思う。
今日も相変わらずものすごい人出であった。11時過ぎなのに、店によっては既に一時間待ちが出てる。ここは永遠に繁盛するテーマパークだ。ディズニーランド並の集客力。さすがであります。

中華街は意外と、当たり外れがでかいので、私はいつも行く店を決めている。
均昌閣別館。内装がとにかく凝っててすごくオシャレ、料理もまずまず、価格も高くないし、席がゆったりしているから、もう10年以上中華街ならココと決めているんである。が、今日は休み。つーか、もしかして、つぶれたかも(というような外観であった)。均昌閣本館ならやってるんだけど、本館に入るなら別にどこか他のところを開拓してもイイ(とにかく別館の中身が超かっこよかったんである)。

そういうわけで、何店か見て、今日選んだのは「大珍樓」。食べ放題で一人2000円ちょっと。(2歳の息子は無料)。食べ放題でもバイキング形式じゃなくて、オーダーして作ってもらう形式の食べ放題。
これがまた、ソートーうまい。
何食ってもうまいと言いたいところではあるが、それは必ずしもそうじゃない、自分の好みとちょっと違うのもそりゃまじってる、たとえばチャーハンはイマイチだったらしい(私は食ってない)。フカヒレもスープはちょっと味が薄いと感じた。が、9割方のものは、すげーーーうまい。
フカヒレ餃子も、春巻きも、北京ダッグも、アヒルの炭焼きも、炭焼きチャーシューも、皮付きバラ肉も、エビのマヨネーズあえも、牛ばら肉の角煮も、酢豚も、そのほか食いきれないくらいのものをジャンジャカ頼んだが、どれもこれも、すっばらしくうまい。
そして、支払いは一人2000円ちょっと。子供無料。
超大満足。てゆーか食べ過ぎる。2時間の食べ放題だが、結局1時間もいなかった。とても食いきれない。

食い過ぎで動きたくなかったので、そのまま車に乗ってすぐ帰宅。
まだまだ道は空いているので、ユーミンとオネエマンズの植松さんのトークラジオを聞きながら、第三京浜とカンパチを通って帰る。一時間弱で到着。
家族全員昼寝熟睡。

その後仕事。
すぐに夕飯の時間。
なんか食ってばかりな一日の印象。
これから残り40ページほどのコメントを書く予定。所用推定時間は2時間半。がんばろう。
「LEON」(リュックベッソン監督)
14年ぶりに見た「LEON」。
当時私はぺーぺーのサラリーマンで、神楽坂に住んでいたんだけど、なぜかこれは府中のシネコンみたいなところで見た。
以来、テレビでもビデオでも見ていない。
クレジットによると1994年なので、14年前。

はっきりいって、リュックベッソンでおもしろいのは、これと「TAXI2」だけ。
初期作品についていろいろ語りたがる人が多いのは知っているが、あれほどウザイ通気取りもない。
私は「グランブルー」が好きとか「ニキータ」が好きとかいいやがるうさんくさいヤツとは基本的に会話をしないことにしている。映画好きを気取る人間にろくなものおらず。誰かが何かを語るまで(パクれる言葉が出てこない限り)自分の言葉を持たない人々でもある。そのくせ、大衆と自分に線を引きたがるのも特徴だ。

まーとにかく、そうした通気取りな方々に非常に評判の悪いこの「LEON」。改めて見てやっぱりおもしろい。劇場公開時にはかなりカットされてたらしいけれども、なんか今回初めて見たって感じのところが確かにいくつかあったように思う。たとえばマチルダといっしょに、いくつかの殺人をしていくシーンとか、あれ、あったっけ? レオンの昔話も初めて聞いた気がするが、忘れてただけか?
劇場で見たときには、あの二人の仲良くなり方が結構性急というか、はしょられてる感じが確かにあったののだけど、今回のDVDじゃそうはなってないのは、やはり完全版の良さか。

昔好きだった本とか映画を見ると、その当時のことを思い出すのがいいものです。
また、「当時の自分」と「今の自分」の距離を確認するのもいい。
だいたい、「あの頃はよかった」という感想ではなくて、「今、俺はここまで来た」みたいな、感じ。
女性はどうか知りませんが、男の場合は、たいてい、年を重ねるごとに(ある程度までは)いろいろプラスが大きくなっていくものではないでしょうか?
私は明らかにそうで、たいていの「あの頃」よりも、まーまずまちがいなく「今」の方がずっといい。
まだまだ人生には上り階段しかないような気がしている、少なくともこれまではずっと上りだった。あんまり悪くなったと思うことはない。
昔の写真は、ずいぶんやせてるのは確かだけど、顔には深みが足りず、少し病的に神経質なところがあり、いろんなことに自信が足りず(そりゃ実績がないんだから自信が持てるわきゃーない)、あきらかに貧しく、ガツガツとして余裕がない。やる気はあるが、中身が足りないんだよね、やっぱ。
女の子はもしかしたら、若いときに人生のピークを迎えるのかもしれないけど、男はやっぱ20代より30代だし、30代よりゃやっぱ40代な気がしてますがどうでしょう。

私は少年隊の東山紀之やら、ソフィマルソーやらと同じ年。安田成美や森口瑶子も同じ年。彦麻呂や見栄春も同じ。トータス松本や坂本ちゃんも同級生。秋篠宮紀子妃殿下も高井麻己子も同じ年である。いや、別にただそれだけの話ですが。「LEON」と何の関係もない話ですけど。
テレビ王
過去、私の知る限りの数あるテレビ番組の中で、これはっと思うもの。
ドラマの話は何度かしたが、それ以外のバラエティの番組企画で、すばらしいと思うもの。

いくつも候補はあがると思うが、まず筆頭にあげられるべきなのは、明らかに次の2つ。

一つは「食わず嫌い王」(とんねるずのみなさまのおかげでした)。
パロディとしての様式美は完璧。
みんなが大好きな「食」テーマ。食ってるシーンだけでも十分楽しめる。
どれだけ旬の(そして無芸の)芸能人も出演可能。たとえば野球選手とかね、トークがイマイチの人でもこれは話題が広がるし、そもそもしゃべらなくてもおもしろい。
ネタ当て推理番組としても奥が深い。
そしてあらゆる出演者の人間性掘り下げにもこれ以上有効な、そしてお茶目な企画はない。
本当に、この番組企画だけはすばらしい。
完璧だと思う。
だてに十年以上も続いていない。
とんねるずの二人でなければ、厳しかったかもしれないけれども、ただ、ナイティナインにこの企画は無理かと言えばそうでもないはず。でもね、この裏の意味として、「とんねるず石橋ほどわがままで好き嫌いが多そうなヤツもいねーだろ」みたいなニュアンスがあるからこそおもしろいってのもあるんだよね。
ナイナイが出てきたところで、他の食バラエティ企画、たとえば「ゴチ」もおもしろい企画だと思うけれども、やっぱね、あっちの方が飽きるんだよね。結局は「うまそう」って感想ばっかりだから。
いかにこの「食わず嫌い王」が優れているかだと思う。
何年たっても古びない。
好き嫌いってやっぱ、人間の尊厳の根源だよね、みたいな哲学がある。


他にもいくつもあるけれども、私の思う、これが日本テレビ番組バラエティ界の最高峰にして、到達点だと思うもの。
それは「空耳アワー」(タモリ倶楽部)。
同じタモリがメインとなる、その亜流企画(パクリ番組)「ボキャブラ天国」などはとても見る気も起きない蛇足番組の筆頭であるが、この「空耳アワー」のクオリティは、大昔から一貫して高いままだ。
他にもこんなような企画コーナーはいくらでもある。
しかし、この「空耳」はあの馬鹿映像のスーパーセンスと、タモリの脱力感と、サブの安斎さんの無気力な笑顔が、ことのほかはまっている。
上記の「食わず嫌い王」でもそうだが、優れた企画はたいていの場合「安い企画」でもある。
まさにアイデア勝負。
特にこの「空耳アワー」のチープさ加減は半端じゃない。何十年経っても、初期の頃からの低予算ぶりは変わらず、そして、そのおもしろさクオリティだけは常に一定以上をキープ。
投稿番組としては圧倒的だ。
大昔の萩原欽一氏司会の「欽ちゃんの〜」は当時から私はそのほとんどが受け付けなかったけれども、あの寒さの一因は、司会者のくどすぎるいじりもさることながら、そもそもの投稿レベルがかなり程度が低かったということもあるはずだ。
「空耳アワー」はまずその、企画からして、視聴者を選び、また投稿者を明らかに選ぶスタイルだ。毎週せいぜい2〜3本という、少数精鋭主義もまた、番組のクオリティを高いままに持続させるコツか。



昨日久しぶりに今年度の「空耳アワード」をやってて、また大笑い。何年経ってもおもしろさ変わらず。これまた、「食わず嫌い王」以上の長寿企画ではないだろうか。
実は他にも「マネーの虎」とか「クイズ悪魔のささやき」とかすばらしい番組企画はいくらでもあるのだけれども、とにかく「食わず嫌い」と「空耳アワー」は質が落ちない、長く続く、とそれだけでもすごく評価できると思うのであります。
ウィンドウズメール
最近の日記は、愚痴やら怒りやら、とにかくネガティブなことが多いので、たまにはイイ感じだと思うこと。

(1)VISTAのイイトコ

悪評ぷんぷんのVISTAですが、こっちもうっかりすると、つい悪口を書いてしまいそうになるのですが。ちなみに、基本のレイアウトは、私、XPのころもそうだったんですが、昔ながらの、ウインドウズ95かっちゅーほどの「ウィンドウズクラシックスタイル」で一貫してます。XPのオリジナル配置すら嫌だったんで、マックをやめてウインドウズを使う決意をした日以来10年以上、このクラシックな配置はかわりません。(そういうわけで、あのCMに出てきたようなかっこいいレイアウトはどう使うのかもわからない)。ほめることがあるなら、まず、その「クラシックスタイル」を選択できるようにしておいてくれたことをまずほめたい。これがあると助かる。これさえあれば、われわれ、一般ユーザーにとっては、単にフツーのウインドウズパソコンですよ。

(2)アウトルックエクスプレスが消滅???

最初のビビリはこれでした。メールソフトはアウトルックエクスプレスをずっと使ってきていたので、当然今回もと思っていたら、ない!!! アウトルックエクスプレスがなくなっている!!! じゃあ、このしょっぼーーーいマイクロソフトのアウトルックでも使えっちゅーのか、と。そういや、大昔、IEをPCにインストールしたまま売るのは独占禁止法だとかアメリカの議会が騒いだことがありましたが、あれはいったいどうなったんでしょうね。ちなみに今でもウインドウズでネスケを使っている人はいるのだろうか?

ま、とにかく、アウトルックエクスプレスがなくて、悲嘆に暮れていたら、(だって他のソフトじゃインターネット接続やらメールの設定の方法もわかんないから)見慣れない「ウィンドウズメール」とかいう、メールソフトがあるんで、一応それを見てみる。
と、ああ、これが。
アウトルックエクスプレスはフルモデルチェインジをして、それを機会に名前を変えたみたいですね。
トヨタセルシオが、レクサスLSになったみたいなものです。


(3)驚異の迷惑メール撃退ぶり

この新型アウトルックエクスプレス、新名称ウィンドウズメールですが、これがかなりいかしている。
相当いい。
いちばんいいのは、迷惑メールを勝手に判断してふりわけてくれるサービスね。
これに類することは、たとえば、セキュリティソフトや、ニフティやらOCNやらのプロバイダがやる場合もあるけれども、正直、それはやり過ぎだとずっと思っていたんである。自分の手元で判別して、どっちも手元にないと、その大本の判断ミスがあれば、重要な届くべきメールが届かないことがある。

ところがこのウインドウズメールの新機能は、受信メールソフトそのものが振り分けるんで、どっちにしても受信は受信。ただ迷惑メールっぽいものは、別枠のフォルダにためられていく。これなら、安心してまかせられる。そして、これまで数日使った限りでは、これがソートー頭がいい。まず間違えない。そしてうれしいことに、ちょっとユルい。つまり、ごくまれには、通常の受信フォルダに、迷惑メールもぽつりと入ってくることがある。つまり、通常のメールが向こうに行くってことはあんまりなさそう。迷惑メール専用フォルダもすっきりと見やすいので、重要なメールがそっちにいってないかなーという確認も簡単。今回のバージョンアップでいちばんの功績はこのアウトルックエクスプレスからウィンドウズメールへの切り替えではないだろうか。つっても別に、ブランド名変えなくてもよかったんじゃないのとは思うけれども。まーアウトルックエクスプレスって例のマイクロソフトエクスプレスと名前似てて、混同されやすかったからいっか。
また怒る
木曜日朝、今日の朝イチ必着でと、先方がノリノリで言っていた件が到着していない。
この上天気、朝来た仕事を午前中に片付けて、午後は別のことやろうと思っていたのに。
仕方ないから散髪をした。3ヶ月以上ぶりくらい。

10時半に散髪から帰ってきてもまだメールは入らない。
電話してみると、「今日は午前中休み」とのこと。
こういうね、うすらとんかちがいるから、世の中は腹が立つ。

そもそもこの件の担当者とは、電話で話したことがあるだけで、名刺交換すらしたこともない人だ。
この会社、私が昔いた会社なんで、おおざっぱに事情がわかるが、その上司すら、俺より下だから、この担当者なんて、まだまだ超下っ端にちがいなし。
もしかして20代か、せいぜい30過ぎたばっかくらいの女。

これが、最初から、「予算がないから費用は相談に乗ってくれ」と言っている。
相談に乗れというのは、この予算しかないから、作業はある程度までに分割しようとか、担当領域をどのようにわりふろうかとか、そういう相談をするという意味では、おそらくなくて、単純に「値引きしろ」と言っているだけだ。
その時点で、私はそーとー、腹が立っていたわけである。

こっちは、この貧乏会社と好きこのんで仕事をやってるわけじゃー全然ないんである。
だから10年もこの会社とは音信不通でこれまでやってきたんだ。
たまたま去年、この会社の取締役と、ばったり、某所で出会っちゃったんで、仕方なしに名刺交換をし、そしたら、元の上司たちがこぞってバラバラと連絡をくれるようになり、とんでもない低価格で仕事を(ほとんどボランティアに近いようなことを)押しつけられているに過ぎない。

この会社はもとから貧乏ったらしい会社であったが、私が辞めてからさらに経営は悪化し、今はもう、とある系列の傘下に入ってしまったという情けない状態であるため、そりゃーもう、現場は安い仕事で回さなきゃいけないことは目に見えるわけである。
が、そのうちで特に「金がないから」という理由で、こっちにさらに依頼をするというのはいったいどういうことであろうか。
「金がないなら自分でやれ」というのが、常識的な感覚だと思うのであるが。
10年会ってなかったんで、こっちが貧しくてひもじくて仕事ほしいよーとか思っているとでも思っているのであろうか? あほかと。

この貧乏会社のために、苦肉の策で考え出した、サイテーな価格基準の見積もりがあるんだけど、それすら割り込みそうなことを、最初から言い出している。
どういうつもりであろうか。
わるいけど、それだけは絶対に無理な最低価格なんである。

今こっちは、3月17日(月)に出さなきゃならない他の報告書がこの他に2本あり、翌週3月24日(月)に出さなきゃならないのが、そのほかに3本ある。昨日一日休んだとは言え、正直忙しい状態だ。その5本はいずれも、適正価格というか、忙しい時用に上乗せしてもらったような、特急料金みたいなお値段のお仕事でもある。
その昔ながらのおつきあいの3社の5担当者それぞれの高いお値段の仕事を、さしおいて、最低価格からさらに値引きを要求してくる神経っていったいどういうものであろう。しかも、一面識もない若い女。そんな仕事、やんなきゃいけない義理もなければ、私にとってどうしてもやりたい必然性もかけらもないわけだ。正直、できることなら、そんなショボイ仕事やりたくないし、他の仕事に集中したいんだよね、今週の土日も当然仕事で既に埋まっているんだから、このショボ仕事で単純に私の睡眠時間が削られるわけだ。
そんなやりたくもない仕事を、むりくり押し込まれた上に、しかも値引きを前提として(初対面なのに)、おまけにだよ、そのデータを「今日の朝までには絶対にいれますから、その日中にやっちゃってくださいね」と言ってたはずが、朝入ってないし、てゆーか、午前中半休とってるし。たかだが30ページそこそこの報告書のコメントだけなんて、2〜3時間もあればできちゃうから、今日の午前中にやっつけちゃおうと思っていたところだったんである。それのデータを送らずに、本人は悠々と朝寝をしているわけである。そして、私に値引きを要求する。他の高い仕事をわきにどかせて、私の睡眠を奪った上に、自分は朝寝坊して値引きを要求か。その朝寝坊の時間があれば、そんなコメント、プロなら書けちゃうと思うんだけどと思う私はいつものように心が狭いのであろうか。金がないなら、こっちに頼まずに、そのくらい自分で書けよと、半休とる暇があるなら、十分書く時間くらいあるだろーがと。だいたい土日使えばヨユーだよ、俺は土日も別の仕事でイッパイイッパイだけどな。

心が狭かろうが、広かろうが、道理に通らないことは、私はかっちりと筋道たてて相手に説明をする主義である。メールだと逆に相手に逃げ道がなくなりそうなので、はっきりと腹を立てた声を出して、電話で怒鳴りつけることにした。

おまえは、2万円しか財布にないのに、レストランに入って10万円の料理を要求する気か。
金がないなら、自分で作って飯食ったらどーか。あるいは(ふつーは)持っている金の範囲で食べられる料理を注文するものである。
まだ最初に、「2万円しかないんで、その金でできることよろしく」と言うのならまだしも、その手の内も明かさずに、単に「値引きだけ」を要求するのってのも、まーいやらしい。誰も金の話なんかしたくないから、相手に言わせよう言わせようとするのも、いやらしい。こっちの目算より安い値段いわねーかなーくらいのつもりだろうが、なんとアザトクまた、こすっからいことか。どこまで性根が貧乏性か。こっちはサラリーマンじゃねーんだから、サービス残業もくそもねーっつの。仕事はみんな金のためだってことが、わかんねーかな、馬鹿。
全部仕事が終わった後に、値段交渉するってのは、ちなみにいうと、それ、下請法違反なんで、明らかに。レストランで10万円分さんざん飲み食いしたあげく、食ったものについて、さも食通ぶって評論家よろしく「あれは火の加減がいまいちだったから減点、これは食材が安物だったから減点、そういうわけで、ぜんぶで2万円ってところでしょ、だから私が払うのは2万円でよろしくね」とか言いたいのであろうか。言うまでもなく、ホントのレストランでそんなこと言ったら、コック全員にぼこぼこにされたあげくに、警察に突き出されることであろう。そのときのレストラン側の当然の言い分は「金のないやつはうちの店に来るな」である。金もってないなら、コンビニで弁当買ってくっとけということである。
あんたのやることはそういうことであるうえに、おまけに、データ送信を自分の休み都合のために遅らせて、こっちに大迷惑をかけようとしているんである。今日はスタートする件が他にも2件あるんだよ、午前中しかこの件にかけられる時間なんかねーっつの。その貴重な午前中を、おまえが自宅で「郁恵井森のお料理がんばるぞ」見ている間につぶれてしまったっつの。俺はゆっくり髪切ったっつの。


そんなようなことを、電話できちんと筋道をたてて説明した。
百歩譲っても千歩譲っても、どこの誰がどう聞いても、私に非の1ミクロンもないのは明白である。
ホントは、こう言って、タンカを切った上で、「そういうわけでこの件、おろさせてもらいますから」と言いたかったのだが、さすがにそれを言うのはかわいそうなんで、結局はこっちで引き受けたわけだが、もちろん金の値引きだけは、絶対にしないという条件だけは付けた。そもそもその金額自体が超スーパー大サービス価格なんだっつの。それ以上の値引き考えるだけで犯罪である。

相手の女の人は、ホント、サラリーマンとしての「自分の休みの権利」とか、「予算枠内」とか、そいういう発想しか頭にはなく、「仕事は自分探し」とか「夢を実現させる仕事」とかそういう頭の悪いリクルート広告みたいなことを本気で考えながら仕事しているようなタイプであるが、もちろん、世の中のあるありとあらゆる仕事というのは、「金」のために動いている。「金」だけのためにはもちろん動かないかもしれないけれども、「金」も払わずに、人に何かをしてもらおうなんて、甘ったれたこと、よくもまー思いつくものである。
平日に休むこと
水曜日はオフモード。
朝9時前に起床。
10時過ぎに出発。
飲むつもりなので電車。
銀座の寿司屋到着が開店と同時くらい。
昼からビールを飲みながら寿司を食べる。うまい。
昼酒ほど休日感の出るものもない。

フリーになっていいことは、代休もくそもないということだ。
仕事も休日も基本は自分が自律的に決めること。

たとえば、すごくよくあることだけど、会社員だとこんなようなことがある。
とあるすげー働き者のA氏がいて、毎週毎週土日もなく、働いている。
その土日に働いていることは周囲はよく知らない。
で、土日に働きすぎたので、平日に代休をとった。
そしたらもー、なんだかしらないが、「平日に平気で仕事を休むやつ」くらいの目でみられたりする。
みんなが休んでいる時に働いたんだから、代わりの日に休むのは、当然だという理屈を、いちいち説明するのもめんどくさいし。しかし、なんだかそういう雰囲気が漂ってしまう。
あほらしい。
土日も出てがんばっているから、すげー売り上げやら利益率やらとにかく成果を達成しているのだけれども、あいつは結構平日にぽかっと「自分の都合で勝手に休む」やつだし、いつも「疲れた疲れた」と言っては「遅刻も多い」しとか、そういうことばかり言われ、土日しっかり休んで、いまいち成果もあがっていない、遅刻だけはしない(わかりやすいところだけポイントを稼いでいる)人の方が、上司の受けがよかったりして、そのためボーナスの査定額に差がついたりする(もちろん、その成果がいまいちなくせに、土日休んで遅刻のない人の方がボーナスがよかったりする)。
たとえば、世間の、「会社」というのは、基本的にそういうところである。
日本は和を持って尊しな国なので、仕事は「周りの目」こそが大事であり、成果は二の次。
チームワークを乱さないことが、目的を完遂させることよりも重要。
目的のために手段を選ばないジャックバウアーのようなやり方こそが最悪。いかに最終目的を達成しようと、そのたどる過程に、ミスやらちっちゃな不正がなく、礼儀正しく周囲と協調することの方が重要。
日本企業というのは、基本的に(この10年でずいぶん考えは変わったとは思うが)そういう場所であった。

そんな、硬直した仲良しこよしの護送船団的なというか、官僚主義的なというか、はっきりいって大企業病にかかった斜陽の日本企業文化がホントにうんざりで、構造改革には賛成したし、ほりえもん的なやりかたには喝采を送ったものだ。
ある時期までの日本企業は、仕事なんかできなくても、出る杭にならない方が絶対にいいという、完全な村社会に堕していたというのが実感である。

そんなところを抜け出してから、一人で仕事をするようになるともーこれが実に快適でシンプルだ。
仕事があれば、それは完全を期すために時間や曜日など度外視で、お客のために全力を尽くし、そのお客から報酬を受け取る。会社組織ではお客と上司に気を配る必要があり、報酬を受け取るのはお客ではなく、自分の会社であり、その報酬額を決めるのは人事権と採点権を持つ上司であった。
で、仕事がない時、あるいは、自分が休みと決めた時に、休む。
休みは自分の仕事と報酬に影響を与えるだけで、それが別に関係ない、同僚やら上司やらには何の影響も与えない。つーか、いないし、そんなウザイ存在。
顧客と自分の間で、方針が決まればそれでオッケーなのが当然のことだと思うのだけれども、会社組織ではたとえば、イッチョカミでよく事情も知らない上司やらが、でしゃばってきては「俺の経験ではこういうことになるからこうしろ」とかプランを改悪させられることもよくある話なのだが、もちろん今の私の立場ではそんなあほなことはない。

ぬるい仕事をしていれば、会社組織じゃそれでもどっかで生きてはいけるかもしれないが、個人でそんな仕事してると、仕事なんか来なくなる。逆にいい仕事をしていれば、仕事は切れることはない。評判が評判を呼び、どんどん忙しくなり、それにあわせてどんどん収入も増える。
そんなに多くの人がフリーで生きている業界ではないのだけれども、私の知ってる人で、私の後からやっぱりフリーになった人がいたけれども、その人はまー口だけでっかいこと言ってる人で、かっこばかり気にしているご様子だったけれども、ぶっちゃけ仕事のできは相当イマイチだったので、開業当初からパッとしないまま、たぶんいまでは事実上の廃業に追い込まれているはずだ。いまは何をしていることやら。

話は長くなったが、私はともかく、休める時にはしっかり休むことにしている。休める時は胸を張って自信もって休む。誰にも何も言わせない。俺には休む権利があると、それをいちばんよく知っているのは私自身だし。自分が通常、どんだけ身を粉にして働いているか、どこの誰にも負けないだけの仕事をしてきたという自信があるから、休む時には芯から休む。そしてちょっとだけ贅沢をする。