吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
来年もよろしく
2007年を振り返ると、なかなかいい年だったと思う。
悪いことが特になかったというだけで、実はそれはものすごくラッキーなことだと思う。
楽しい思い出ならいくつも思い出すのだけれども、悪いことなんて、なんかあったっけくらいな感じである。

楽しいことと言えば、
(1)沖縄旅行
がまず筆頭か。4泊5日くらい、かなりゆったりとした。
コウリ大橋と瀬底ビーチが特に良かった。伊計ビーチも良し。
2008年にもう一度沖縄に行くことを決めた。多分、春。
今度は宮古島か石垣島へ行くつもり。

(2)5月遊びまくり
私は毎年5月と10月がヒマなんで、その時期に集中的に遊びまくるのだけれども、今年はなんだか10月がすげー忙しく、上記の旅行がせいいっぱいであった。が、5月は連休前後、毎日どっかに出かけて遊び疲れるほど遊んだ。
仕事は好きだけれども、遊ぶのはもっと好きだ。
多摩動物園、多摩テック、ディズニーランド、ディズニーシーと、基本的に子どもの遊ぶ場所ばかりなのだけれども、大人は子どもが遊ぶ風景をみるのが一番心癒されるとつくづく感じる。

あとはもーなんだかとにかく超大忙しな一年。
今年残念なのは、秋の沖縄をのぞいて、夏がすっげーーー忙しかったせいで、夏の海に行けてないことだ。プールは昭和記念公園に二回、サマーランドに1回行ったくらいか。

その他、箱根、万座、山口に旅行。山口の角島も美しかった。

一年の反省点ってのは、特にないね。
おーむね、満点。さすが俺。
しいていえば、もっと大きな仕事に来年はがっつんがつんとりくんで、ざっくんざっくん大もうけしたい。
年収は億を超えて、都内超高級住宅地に15LDKくらいの超豪邸を建て、毎月車を買い替えるような、そういう稼ぎをしたいと思う。
でも、人を雇いたいとか、誰かにまかせたいとか、そういう気持ちにはやっぱならない。
やっぱね、仕事というのは自分でやるからおもしろいんであります。
人を育てたりとかそういうことに生き甲斐を感じたりする人もいるんでしょうが、私はむかしっからそういうことにちっとも興味がもてないのだ。
一生現役の一プレイヤーとして、常に主役で目立つ役。

今年一年、あいもかわらずこうした子どもっぽくてわがままなブログをお読みいただいて本当に感謝しております。ありがとうございました。
世の中には、謙遜に満ちあふれた、自分の優秀さには一切触れず自分をおとしめるようなことばかりを書いた、好感度抜群のブログがたくさん出回っております。
ああいう謙虚な人柄のすばらしいブログを読むたびに気持ちが洗われ、清冽な心になりますよね。たくさんのすばらしいブログよ、いつもありがとう。
しかし、そういう素敵なブログばかりを読んでいると、たまには、わがままなことばかりを書いている自分大好きな人のブログも読んでみたくなるものです。
私はそういう、刺身のつまのような、鯛焼きのしっぽのような、そんな無駄心いっぱいの日記を今後も書いていくことでしょう。デッドストックジーンズのようなブログを今後も書いていきたい。
素敵なブログを読んで気持ちを新たにされた方は、このブログを読んで、少し薄汚れた気持ちになっていただければと存じます。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よく晴れた休日の朝
休みの日、起きると天気が良いというのは、この世の中にある小さいが確かな幸せの1つだ。
これは特に30歳で免許を取ってから特に顕著な傾向である。
土曜日、あるいは日曜日、起きると晴れている。もう、それだけで車に乗る。
免許取得と同時に40万円という破格で中古の日産プレセアという1800ccの車を買ったんだけど、休みはもー誰かが助手席にいようといまいと、とにかくまず車に乗った。
車を運転するのは、それが高級車であろうとなかろうと、ひとりぼっちだろうと友達と一緒だろうと、ワクワクするものだ。それは今でもそう。

車で知らない道を通る、あるいはよく知った道をスイスイ抜けていく。
スーパーに行くのも楽しいし、行ったことのない温泉に行くのも楽しい。
ポイントは自分の行きたいところに、自分の気分で行くということだ。
そして天気が晴れているということ。(できれば渋滞のない場所であるということも)

仕事や義務で、誰かの指示通りに運転してもそれは全然楽しくない。
自分の思うままに、テキトーに、行きやすい道を通りながら、好きなところにでかけていくのが楽しい。


休みの朝、晴れていると、さあ、今日はどこに出かけようかとワクワクするものだけれども、あの幸せな気持ちを毎日持つようにしたい。
生きている時間はホントに限られている。
人生90年としたら、もう少しで半分が終わっちゃう。
これはもー楽しまないと絶対に損。
毎日を不平不満愚痴で過ごしているなんて、チョーもったいない。

毎日毎日を、あの、車で出かける土曜日の朝の気持ちで過ごしたい。
今日は何をしよう、今日はどんなことが起こるだろう、そんなワクワクした気持ちでできるだけ過ごしたい。
仕事して食って寝るだけという言い方はできるけれども、まったく同じ一日というのはあり得ない。必ずしも冒険的ではないけれども、毎日のささやかな変化に新鮮な気持ちで楽しみながら少しでも感動したい。
小さなことに喜びを見いだし、楽しいと感じる心を大切にする。ちょっとしたネガティブ要素でその他のフツーの一日を真っ黒に塗りつぶすようなことはしたくない。

車にのって初めての道を通ることはすごく楽しいのだけれども、ところでそれのドコが楽しいのかと言われたらちょっと言葉に詰まる。それを楽しくないと感じる人だっているだろうし。タクシーの運転手さんにしてみたらむしろ苦痛なのかもしれない。しかしそれはこちらが「楽しい」という心構えで受け取る限りは、どんなに疲れていても楽しいものだ。これと同様に、毎日を楽しめることは十分に可能なはず。

楽しいドライブの最中には、稀にマナーの悪いドライバーがいたりしてむかついたりすることもあるのだけれども、その一部のバカドライバーのために、一日を台無しにするのはもったいない、そんなこともあったけれども、まーその他は楽しかったし、全体的には9割おもしろかったという感想だってあるはずで、ずっっとそのドライバーにムカムカして過ごすのだけはやめたほうが賢明。つーかその他全体的に楽しかったらそんなちっちゃいことはすぐ忘れるものだ。

愚痴を言うくらいなら、自慢した方がイイ。
卑屈になるくらいなら、威張った方がイイ。
ホントは、自慢もせず、威張りもせず、ただ一人で鼻歌を歌いながら、あー俺って幸せと、静かにニヤニヤしているのがイイ。
ストレスを抱えることだけは何がなんでも避けていきたい。
毎日イヤなことだけは絶対にしない。
フリーになってもうすぐ10年近く、基本この精神でやってきたが、これからますますそういうつもりでやっていきたい。
仕事はむしろ増やしたい。だって俺結構今の仕事好きだし。毎日毎日新しいテーマについて新しい結果を発見したりして、それをレポートする仕事は頭は使うが結構楽しいし。昼寝し放題でパソコンの前でポチポチ書くだけ、こんなラクで楽しくやりながら、お金もらっちゃって、申し訳ないとか思う位であるが、お金をドンドンもらうことも、言うまでもなくチョー大好きだし。

来年の目標ももちろんベースはこれ、ストレスなく、毎日をはっきりと楽しみながら過ごすこと。
仕事も家庭もその他あらゆることを、おもしろおかしく過ごすこと。
おもしろおかしく過ごすのは、ルールを無視することでもないし、不真面目になることでもない。ドライブを楽しむには、運転を真面目にする必要もあるし、交通ルールは厳守しなければ楽しめない。ストレスになる渋滞は避けて、自分なりの自由をもって、自分の行ったことのない場所を冒険する、あるいは行き慣れた山道の運転を習熟させる。多少疲れはするけれどもが、発見と進歩と感動に満ちた、そういうドライブのような毎日をこれからも過ごしていきたい。
2007年
2007年の目標は確か3つくらいあって、
(1)営業
(2)健康
とあともう一個は忘れてしまった。もしかして最初から2つだったのかもしれない。昔書いてたブログをサクっと消しちゃったので、よくわかんないのだ。

ところで、この2つの目標ははっきりと達成したと言える。

(1)の営業であるが、D社とS社、R社の3社と新規で取引が始まった。ただし1社N社とケンカして取引を止めたことがちょっと反省。とは言うものの、3歩進んで1歩下がる、2歩前進って結構すごくない? 実際問題D社は躍進てゆーか、これは私がフリーになった時からの目標みたいなもんだったしね、来年はさらに深耕させたい。S社は大昔私が在籍していた会社。すげー久しぶり10年ぶりくらいに関係復活というか。

(2)の健康はいい線いってたと思う。まず、寝込むほどの風邪を一度もひかなかったと思う。頭痛いのが1回ひどくて武蔵野赤十字に行ったことが最大の病気か(たいしたことなかった)。他「風邪っぽい」とか「体の節々が痛い時期があった」とか「頭痛がしてヤダなー」みたいなことはまー日常的にあったけれども、どれもみなたいしたことなし。もちろん入院も事故もなし。前厄にしてはなかなかグー。
風邪の少なさは、「温度管理」と「湿度管理」を結構真面目にやったせいだと思う。すっげーわかりやすい場所に、高精度の湿度計を設置して、温度はともかく湿度にすごく気をつけた。ウィルスは温度よりも湿度の関与が高いのだ。あと部屋を多少は清潔にするようにちょっと気をつけた部分もあったからか。

どっちの目標も80点クリア。大学の成績なら「優」(B+)と言えよう。

売り上げ目標的にも、まずまず、過去最高に近い出来高であった。この辺が限界かと今まで思っていたけれども、最近はまだまだいけるはずと思っている。来年度はそこが目標になるはず。

来年は2008年、平成で言うと20年である。
平成20年て。
昭和が終わってもう20年ですよ。
小渕さんがまだ官房長官であの「平成」を掲げた頃、私はまだ留年中の学生でした。
その小渕さんはのちに総理大臣になり、しかもお亡くなりになってしまった。それどころか、あの頃、アベちゃんのお父さんが総理になれるかどーだかという時代だったと思ったけれども、そのご子息が総理になって、しかも引退までされている。

昭和の終わり、井上陽水が「みなさん、お元気ですか〜」と言っていたテレビCM(のちにとやんごとない事情で口パクとなる)は、初代セフィーロのものでしたが、そのセフィーロはもはや廃盤。
しかし「笑っていいとも」はいまだに電話を回し続けている。
撤回
子どもの風邪が治らないのだが、今日は妻が出勤日。
しかし、私もテンパッテいる。何しろ今日がギリギリのデッドエンドなのにまだちょこっと仕事が残っている。
そこで、午前中だけ妻が仕事を休むことにして、その間に猛スピードで仕事を私が終える。
なんとか11時頃には完成し送信。で昼飯を3人で食べて、午後妻は仕事に出る。
午後は私が子どもを見る。
あーそれにしても綱渡りだった件が、なんとか終了。
だが、実は30日までにくださいと言われている方がさっぱり手を付けてないデスよ。
今日入れても実質2日しかないデスよ。

それはともかく、麻生久美子。
計ったように、伊賀大介と結婚発表。
オダギリジョーに先を越されたんならショーがない。
だーかーらー、あんたはオダギリジョーと結婚するのが正しいつってんの。
などと言ってももちろん仕方ない。

昨日の日記ももちろん冗談だったんだけど、いやしかし、ホント、麻生久美子、オダギリジョーを意識した発表のタイミングなんじゃないの?
結婚に思う
死にそうに忙しい。今日中に終わらせたら明日からはまたぜんぜんやってないヘビー級の仕事が30日までに出してと言われているのをやんないと。その後4日までの宿題というのが1本あったのだが、さらにもう一本今日追加でオーダーがあった。忙しい年末年始だがでも儲かるのは嬉しい。

それはとにかく、オダギリジョーと香椎由宇の結婚。
私、思うに、今いちばんのモテ男は、実はオダギリジョーなんじゃないかと。
彼は何しろ本質的にクリエイティブだ。
そこらへんの、ジャニーズやら、アミューズやら、ホリプロやらとはちょっと格が違う。

言うなれば、メジャー感の漂う浅野忠信と言えよう。
トヨエツを超えることができそうな本格派の筆頭である。
世界クラスをねらえる、あえて言えば、松田優作の後釜ポジションを唯一ねらえる男だとも言える。

そのオダギリジョーが香椎由宇。
どうよ、香椎由宇。

香椎由宇みたいな、気の強い女、つーか強そうな女(←賭けてもいいが、絶対に気が強い)
ああいうタイプが好きっていうのは、わかってるんである。
ああいうキッツイ顔の女だと、ごくごくごーーーくたまに、ニコっとホントに笑ってもらうその笑顔が嬉しいとか、貴重だとか、そんなことがアノ手の魅力らしいじゃないすか。
俺にはまっっっっっったく理解できないのであるが。

それは、つまり、いっつもDVを受けて、家でボコボコにされている女の人が、
「でも、あの人、たま〜に、ホントに優しいこと言ってくれるんです」
とか言うのと同じ理屈であります。
騙されるなっとその女の人に言いたいのと同様、オダギリジョーにも同じこと言いたい。
騙されるなっ香椎由宇に。

めったにみせない笑顔だから貴重ってのは、それ理屈としてオカシーですから。
いっつも笑顔の人がいいに決まってますから。
いっつも優しくて暴力ふるわない男がいいに決まってるのと同じですから。

オダギリジョー、俺にまかせろ。
あんたは、麻生久美子と結婚するのがいちばんいい。
時効警察でわかっただろう。
霧山君にいちばんお似合いなのは、三日月君なのっ。
俺がそういったら絶対にそーなのっ。
ああ、また香椎由宇みたいなのに騙されてぇ。
麻生久美子にしとけっつの。
あんな可愛い子いないっつの。
三日月フォーエバーやっつの。
なんでもかんでも霧山君だっつの。
疲れた
今日は働いた。
脳みそをゾウキンにして、ギューギューに絞って、もう一滴も出ない〜っというくらいに、コン詰めて書き物をしていた。

そんなときの一服の清涼剤はやはりユーチューブ。

今日のお勧めは
「裏キューティーハニー」
副題は「田代、ちゃんと亡命しろ」

http://www.youtube.com/watch?v=luqBIdOopew&feature=related

サビの繰り返しがたまりません。
碧いうさぎ
連休明けは死にそうに忙しい。
逃避はユーチューブだけ。
ふと思いついて、酒井法子「碧いうさぎ」を聴く。

http://www.youtube.com/watch?v=u-kHFkZWD3I&feature=related

時代を超える名曲。
そしてそうした曲がすべてそうであるように、ギリギリのところまでベッタリと当時の時代とくっついている。
まさに、歌は世に連れ、世は歌に連れ。
歌は時代そのものだ。

それにしても、なんでこの、言ったら「ベタ」そのもののメロディライン、新奇性に薄い歌詞、どっから聴いてもアイドル歌謡な、ともすれば演歌みたいな、一歩間違えば没個性の塊とも言えるこの曲がこんなに輝いているのだろうか。当時もはっきりとそうだったし、今聴いてもこんなに圧倒的な感動を呼ぶ。
酒井法子のことは好きでも嫌いでもない私が、この曲だけははっきりと美しいと思う。つーかこの曲がなければ酒井法子のことはわりと嫌いだったかもしれない。てかフツー覚えてないですよね。だって「星の金貨」の続編の主題歌は知らないし、そもそも俺、あれはすぐ観なくなったもんね。

この主題歌があったればこそ、あのベタ丸出しの、当時としても相当時代がかってかなり古かった(60年代的センスと言える、「氷点」かっ)あのドラマがあれだけ盛り上がったのは間違いない。
この主題歌があったからこそ、竹野内豊は今の地位を築くに至ったし、多分大沢タカオもそうだろう。どっちも当時は、だーれも知らない、ド新人の超大抜擢で、だからこそ、放送開始当時は相当な低視聴率だったはずだ。
しかし、この主題歌は強い。物語をあげるあげる。
今でこそ、結構よくある手法であるが、まだ放送途中なのに、突然「今からでもわかる『星の金貨』」と称したスペシャルダイジェスト番組をはじめた。
このプロモーションは、つまり、視聴率こそ低いものの、少ない視聴者の満足度がそれに反してものすごく高い場合に有効だ。制作者側が、絶対に途中からでも人に見てもらいたい、だって観ている人は少ないけど、その人たちがすっげーーー喜んでるから、自信があんだぜ、みたいな時に活用される手法と言える。
私の知る限り、多分、本放送途中なのに再放送で客を呼ぶという方法は、この番組が一番最初に始めたのではなかったろうか。少なくとも最も印象に残っているのはこの番組だ。
なぜなら、確かにこの番組は、誰も見てなかったけれども、その途中からの盛り上がりには国民が全体的に盛り上がっていったからだ。まさに「今からでもわかる〜」大作戦は的中したと言える。クリエイターのすばらしさをマーケッターが的確に後押しした良い事例だ。
とにかく、その「今からでもわかる〜」手法を作り確立させたのも、まさにこの「碧いうさぎ」の力と言える。

何がいいのだろう。
音楽のすばらしさを言葉で表現するのはとても難しい。
まずはイントロ、こんだけ「ありがち」な短調の曲なのに、まったく別格感が漂う。
知ってる人は、そこだけ聴いて涙ぐんだりする。
「星の金貨」最終回の日、私は自宅の近くで友人と酒を飲んでいたのだが、この曲が店内の有線でかかって、はっと「今日最終回じゃん!!」と気がつき、友人(←こいつも当然毎回観ていた)を連れて部屋に戻って放送を見た記憶がある。
ありふれたメロディなのに、誰かにトントンと背中を叩かれたような、存在感がある。
「トントン、これからはじまりますよ、トントン」

酒井法子はカワイイ声だが、別に音域がすげー広いとか、洋楽も意識したような新しい歌い方とか、声量がすごいとか、そういうことは全然無い。
ある意味フツーのアイドル歌手だ。まーいったら、正統派のちゃんとした歌手だ。あんまり破綻はない感じ。嫌味はない(凄みもないが)普通の歌い手だと思う。
が、その彼女がもてるだけの「フツーさ」をはっきりと前面に出しながら、このアイドル歌謡的には古典的とも言える、織田哲朗丸出しな歌を歌い始めるとまったく魔法のような歌がうまれてしまう。

先日、テレビで織田哲朗のトークを聴いてた時のこと。彼はどうもあらゆる歌は計算づくで、かなりマーケティング的な視点で、どのくらい売れそうかもわかりながら、職人的作業で曲をつくっていったようなんだけれども、唯一、自分が作った曲が、その後歌手が歌うことによって、はっきりと別次元に昇華した例があると語っている。
その、職人的プロデューサー織田哲朗の予想を唯一遙かに超えるできばえをみせた、奇蹟的な曲こそが、この「碧いうさぎ」であるという。
ホントそうだろうな。これは、もー、なんだか知らんが、神がついていた。いろんな意味で偶然がすべてプラスに重なった奇蹟の曲だ。

こんなフツーの曲が、なんかしらんが、イイ。
普通なら、破綻がないだけと言えるような曲なのに、どういうわけだが、イイ。
どうしてなのか、よくわかんないけれども、この曲だけはイイ。
「警官の血」(佐々木譲)
本年度このミステリーがすごい第1位。
毎年これだけは読むミステリー。
やっぱりハズレ無し。堪能。

毎日チラチラと読んでいたが(←長丁場なんで、スリリングな展開というほどのものはないのだ)第三世代は身につまされながら一気読み。途中休憩のつもりが、やめられなくなった。
上野天王寺の駐在所、戦後すぐから3代続く警官の血族の物語。

基本は、最近の警官モノとして世界的トレンドである「内偵」とか「公安」とかいったモチーフが中心。
読み応えのある長編なんで、いろんな視点がありますけれども、私はあえて「男と女」切り口の感想で。

3世代の安城警官それぞれに、女性のパートナーとの話が出てくるんだけれども、この時代的変遷がすげーリアルでおもしろい。
男女関係の戦後史の縮図になっていると思う。
戦後すぐのお祖父ちゃん世代の男女関係のなんとつつましくあっさりした牧歌的なものであることか。あの頃は貧しく、男も女も基本無欲であったことよ。
これが、第二世代、安保闘争の頃に公安のスパイとなったお父ちゃん世代になると、同棲もからめば、婚外妊娠やら、結婚後の家庭内暴力が浮き彫りになるとかね。いわゆる「女性が強くなった」時代ではあるけれども・・・みたいな男女の空気感。
で、第三世代の現代が、女性がいかにしたたかで男をふりまわし、その一方で金と権力に弱い面がどんどこ露わになっていることよと、これもまた、すっげー現代をうまく表現していると思います。

ちなみに、そんな話じゃ全然ないので、メインは、骨太な警官家族三代のリアルな描写とそれにまたがる事件の謎解きです。事件の謎解きは普通に読んでればまー誰にでも検討はつく感じだけれども、いろいろ「なんでこんな(まどろっこしい)エピソードを書くかなー」という描写が後々で生きてくるという伏線の張り方がうまくておもしろいです。
警官小説なんで、硬派で男っぽいキャラクターもみな魅力的。
吉祥寺イブ
24日クリスマスイブの吉祥寺は異常な混雑。
通常の土日も、メチャクチャなところにもってきて、今日の駅回りはラッシュ時の通勤快速くらいには混んでいる。
若者カップルが目立つのが微笑ましい。
吉祥寺はこういうイベントの日に立ち寄るのが正しい。
それにしても混みすぎ。

息子が朝からプラレールに興奮し、一歩も外に出たがらない。
こんなに天気がいいのに。

というわけで私が午前中に、買い物(夕飯用のパンやら、シャンペンやら)。
妻が夕方、予約していたケーキとチキンを受け取りに、それぞれ個別に吉祥寺へ行く。
まーしかし、混んでいた。

夕飯はいつもより少し時間をとってケーキなどいただいたり。
あとは普通に仕事。
かなり押している。明日出しが実は3つ位あるんだけど、そのうち完成させたのは、1つだけ。
少なくとももう一つは完成させないと今日は眠れない。
久しぶりに仕事で徹夜か。
何気に年末年始ほどほど忙しい。
しかし、どれもこれも安っちい仕事なのがちょっとアレだ。

来年のテーマはボロ儲けでいきたい。
プレゼント
♪あなたが私にくれたもの、キリンが逆立ちしたピアス♪

この曲が発表されて何十年目もたった今更基本的な質問をするが、ピアスに上下天地があるのだろうか? つまり、そのキリンは、ホントに逆立ちしているのか?どういう格好かわからないけど、もしかして上に手(前足)をのばしているだけなんではないのか?
そもそも、キリンが逆立ちしようとした場合、ドー考えても、キリンの首がつっかえちゃうんじゃないかと心配でしょうがない。三点倒立するにしても。キリンの手(前足)は確かに長いけれども、それでもあのクビが邪魔になるに違いない。「キリンが逆立ちをするか〜」という突っ込みはあまりにも陳腐でつまらなく、また論理として雑だし稚拙だ、われわれが身につけるアクセサリー的なデザインに動物を用いることは非常に一般的だし、コミカルな要素を加えるために多少のデフォルメは十分アリだから。だからそんな子供っぽくて頭の悪い突っ込みはイマドキまったく流行らないけれども、それにしても、「キリンの逆立ち」は、「ワニの腕立て伏せ」とか「カメの腹筋」とかそれ以上に明らかに無理のある設定だと思うわけである。キリンをキリンたらしめている最大のアイデンティティはあの長い首であり、それを無効にするようなデザインをはたして存在するだろうかと。もしも逆立ちができるような短い首のキリンだとしたら、もしかして、それはこの作詞者が「キリン」と勘違いしているだけで、実は「馬」とか「犬」とかなのかもしれない。「フラッグチェックのハンチング」や「ユニオンジャックのランニング」は、もう目の前にどういうものか鮮明なイメージを結ぶが、キリンが逆立ちしたピアスは、ゴロがいいから騙されがちだが、どう考えても無理がある・・・と思うマーケッターロボです、メリークリスマス。

さて、最近とても嬉しいプレゼントをもらった。
私が飲み会に出かけている間、近所の仲良しのママ友達とその子供をうちに招いてホームパーティー的忘年会をしていた。
そこにお土産としてもってきていただいたものが、超びっくり。

今、新宿でとにかく話題、サザンテラスで、長〜〜〜〜い行列を作りまくって、2時間待たないと手に入らない、例の幻のドーナツ屋さんのドーナツを箱一杯に買ってきてくださったのである。これは感激。
この死ぬほど寒い中、2時間も待って、あのドーナツを!!!!
私は世の中で嫌いなものを3つだけ挙げると、親戚づきあいと開店時間にウソの書いてあるホームページ、最後の1つが「行列に並ぶこと」である。
とにかく、行列がイヤでイヤでモーレツにイヤ。
しかしながら、このドーナツ、いったいどんなものか確かに一度は食べてみたかった。
何しろ、あの行列、ヒドイ時には、高島屋まで達してるからね。吉祥寺サトウのメンチカツ並に「いついっても行列」のお店である。

そのドーナツを持ってきてくれている。しかも大量に。
これはありがたかった。
純粋に、嬉しい。マジで「感激」という言葉が似合う。

喜ばれる贈り物とは、「高価な贈り物」ではないなと改めて思った。
「手の込んだ贈り物」の方が近いか。
「貴重な贈り物」というか。
ホント、金出せば手に入るものも、そりゃ高いものは貴重だけどさ、金出しても、このドーナツは手に入らないじゃん。2時間寒空並んでくれたもののほうがずっとずっとありがたいし貴重だ。

「時間」とはすなわち「命」そのままなんで、その時間を削ってドーナツを買ってくれたというその心意気に頭が下がり、また感謝の気持ちが湧くってもんである。

今回息子のクリスマスプレゼントには、多少のお金と何よりも時間をかけた準備をした。
23日の深夜にかけて、プラレールを一人せっせと組み立てた。こんなのやるのは初めてだったので、意外とこれが手間と時間がかかる。
子供が起きてきた時に、トーマスとパーシーとテレンスが動いているという、サプライズを狙ったのであった。案の定、手応えのあるヒットとなった。
やっぱ、プレゼントに重要なことは「いったいそのプレゼントのために、どんだけ手間暇をかけたか」ではないかと思う。もちろん企画意図が贈る相手にうまくはまるかどうかも重要ではあるけれども。
オフ会
土曜日はオフ会忘年会。
いつものメンバー。
6人位だが、このメンツがかたまってから、年に2回くらい、これで5〜6回目じゃないだろうか。ただし今回はR氏がお子さんの病気のため欠席。

しかし、この時期の新宿の混み具合はハンパない。
どこもかしこも「2時間制とさせていただきます」と言われる。
そういうのがイヤなんで、予約をせずに、開始時間ピッタリに入店しているのに。
あと、ホームページに4時30分からと書いていたら、ちゃんと4時30分から開店してください。看板に偽りアリ。

基本このメンツは、ギョーカイ周辺の横文字職業フリーランサーの方々が中心なのであるが、全員に共通するのは、
「読書家」で「映画」「お笑い」「ドラマ」「芸能人」などにマニアックなネタを持っていること。
つまり男も女もオタクっぽいから、いつも、ソートー突っ込んだウィキペディア以上のネタトークが交わされる。
ブログがおもしろい人たちは、みな、普段のしゃべりはもっとおもしろいです。

一次会の居酒屋を追い出された後は、これも定番のいつものジャズバーに行ったんだけど、ここは、もーさすがはクリスマス連休だけあった、われわれ以外は、もーほとんどがお洒落カップルたちであった。
帰りは早めであったため、中央線はわりと空いていたが、吉祥寺駅からのタクシー待ちがかなり厳しかった。
親戚づきあいとオフ会の関係
親戚づきあいが積極的に嫌いなので、独身時代はまず100%正月は東京で過ごしていた。
正月を実家で迎えたということは、多分、20代の最初の頃、学生の1〜3年生くらいまでしか経験がない。あとは例外なく、東京で過ごしていた。
これ、やってみた経験のある人はわかってもらえるが、実に清々しく、快適かつ楽しいものである。東京には人も車も少なくて、空気がきれいだし、イマドキコンビニがあるから生活にはまったく困らないどころか、この10年はスーパーもデパートもむしろかきいれどき位に人が集まる。まー何するかって、すげーウマイものを特別に買ってきて、朝から酒とかちょっと飲んだりしながら、ダラダラこたつでテレビを観たり、ビデオを観たり、漫画や本を読んだりするという、まさに、私の理想の生活なわけである。
まーそのときどきの彼女やら友達やらに適当に声をかけてもらえば、一緒にどっか(近場に)行って飲んだり食ったりしたりする。そうして過ごす正月というのは、ホント、非常に気持ちよくてのびのびとするものであります。

しかし、結婚をしてからは、さすがに、いろいろ気を遣う場所が増える。
自分の実家には相変わらず行くつもりは一切ないのだが、うちの奥さんの実家は、車で2〜3時間という絶妙な距離感の場所にあるため、さすがに正月の里帰りの車を出すようになっている。仕事が忙しいとかなんとか、理由をつけて、私だけ行かないという年もあったりはしたが。
が、去年くらいから、正直それもめんどくさくなってきて、今年の正月はなんだかんだ理由をつけて温泉に行った。
今年も千葉には行きたくねーなーという雰囲気を体中から発散していると、妻もそれに気がついてくれて、年末まで子供を連れて実家に(妻子のみ)帰る、私は東京で居残りをさせてもらい、妻子の戻った元旦は東京で四季の「ライオンキング」に3人で行こうという計画を進め、結構イイ席にチケットが取れたりした(元旦からライオンキングに行く人はさすがに少ないと思われる)。

そういう計画は前から進めていたのにかかわらず、今日になって、義母から「正月は一緒にすごそーよー」という強い要望が出てきて困っている。
もちろん義母が過ごしたい相手というのは、妻と息子(義母の一人きりの孫)だけであろうが。
妻には兄がおり、その高円寺に住む兄夫婦が正月に里帰りするから、別にうちはイージャンと思っているのだが、義母的には、一族を実家に呼び寄せるのが、正月というイメージがあるのだろう。
わたしゃーそういうのがほとほとウンザリしている上に、いまさら「ライオンキング」のチケットをどうすればいいのか頭が痛い。つーか、予定がある旨は伝えているのに、なんでそーゴリオシをしようとするのか。だいたい、妻は一応そちらの家を出ているので、昔ながらの慣例を持ち出すのであれば、私の実家に行くのが筋と言えば筋。孫に会いたいなら、ウチに来い、ライオンキングのチケットをもう一枚取ってやるとすら思っている。

ことほどさように、親戚づきあいというのはしないに限る。
改めて思うが、親戚づきあいとは、つまり人間づきあいの縮図。
いろんな人とテキトーに広く浅く付き合うのが好きなタイプの人もいるんだろうが、私はむかしっっっから超徹底してて、人付き合いは「せまーーーーーく」そして「それなりに深く」ということを心がけている。

例えばオフ会をするとすれば、なんでもいいから誰でも来てよとか、そんなことを言うつもりはまったくない。厳選された友人と、じっくり話しができる人数だけとしか集まるつもりはない。

親戚づきあいとは、「相性」やら「好き嫌い」やらとは一切無関係に、「親戚だから」というだけの理由で無理クリ、人間関係を築かされるという場である。各人の主体性はほとんど無視される。
私はそういう、ある意味不自然な人間関係というのが子供の頃からすっげー嫌いなんである。
その意味合いで、学校や職場も、ある意味その延長線上にある。だから学校も行かなくなるし、会社にも行きたくないから独立した。

「自分で作り上げた、自分好みの人間関係」ではないこと。
私は好き嫌いがメチャメチャはっきりしているので、嫌いな奴と一分一秒も長くいるのはウンザリなんである。嫌いとまではいかなくても、別に好きでもない(フツーの)人を、わざわざ好きになったりする努力なんかしたくないんである。
正直言って、結構そういう一般的な社交術が一応出来ちゃうタチなんで、またさらにストレスがたまる。
義母のことはもちろん、好きでも嫌いでもないが、しかし、義理の母なんで、そりゃね、キッチリした対応を私もするに決まっているんである。私は「三歳児並にわがままな心」を持ってはいるが、実際には表面をとりつくろうのもウマイ大人なんである。とりつくろっているだけなんで、そういうのは、長時間は無理なんである。


子供の頃、「誰とでも仲良くしなさい」というのが規範のように教えられ、そのように子供にも教えるつもりではあるが、実際のところは、私がこれまで生きてきたように
「ウザイ人間関係を作ることほどストレスなものはなく、そうしたストレスが人間の精神を蝕み、おそらく肉体も実際に傷つけることになる」
という信念を持ち、「なるべく少ない限られた人たちと、幸せな関係を作ることだけに努力する」という人間関係のポリシーもあながち間違ってはいない、ある種の見識であると私は考えている。
「300」
「300」を観た。
映像がスゲーかっこいい。
当初CMにあったあのシーンだけかと思ったけれども、全編を通じて、あの調子。
今、ハリウッドのCG技術ってのは、どこまできているのか?

色調を統一させ、レンブラントのように影の濃淡をはっきりさせて一枚絵のような効果を生む。そうするとCGであり得ない映像をかぶらせても、それが実に美しくかっこいい。ものすごい緻密でリアルなアニメーションのようだ。

例えば、大昔、市川コン監督が手塚治虫「火の鳥」(黎明編)をアニメと実写合成で映画化したことがあるけれども、あーりゃまー、とんでもないものではあった(もう一回なんか観てみたいのでDVD化希望)。
その「火の鳥」と「300」は(考えてみれば物語もメチャメチャ似ているが)映像のコンセプトは「300」はほぼ同じだと言える。
が、どーよ、この時代の差。「火の鳥(黎明編)」が劇場公開されたのは、70年代だったような気がするので、30年の時代が過ぎると、ここまでこーなるのかと。

例えば「スターウォーズ」と比べても、この「300」は映像のセンスがあきらかにイイ。スターウォーズって何年経っても、やっぱ円谷プロ的かぶり物感は残ってるし。あれはどっちかというと人形劇の楽しみに近い。ジャジャマル、ピッコロ、ポ〜ロリ〜のあの世界に近い。(現在はグ〜ちょこらんたん)

まーしかし、映像を楽しむだけのものなので、劇場に行かずに正解であった。こういうタイプが好きな私がDVDで観てても、二回ほど瞬間的に気を失った。この時期、映画で気を失いやすい方にはお勧めできない。ちゃんと布団で寝ないと風邪ひいちゃうぞ!!
「ロッキーファイナル」は何故おもしろいのか
朝昼飯を食いながらDVDで「ロッキーファイナル」を見始めたら止まらない。
ちなみに、食事をしながらということで、音声を日本語にしたら、途中から英語に戻すのが面倒になった。
ロッキーは当然、羽佐間道夫(グローバル艦長)。これが昔からはまっている。この声が日本人声優とキャラクターのベストマッチ賞じゃないかと前から思う。あ、やっぱトイ・ストーリーの唐沢が一番(あれ以上は絶対に考えられないものすごいはまり役。白い巨塔の財前教授もいいがそれよりずっとトイ・ストーリーの方が似合っている)。

よく観ればわかるが(よく観なくてもわかるが)、「ロッキー」シリーズは、1〜今回まで(5だけ観てないけど)、すべてが、まったく同じ話である。
まったく同じ構造。
それはつまり、「水戸黄門」が全話すべてまったく同じ話だというのと同様。「寅さん」がすべてまったく同じ話だというのと同様。「美味しんぼ」がすべてまったく同じ話だというのと同様。「ウルトラマン」が・・・「仮面ライダー」が・・・ありとあらゆる黄金パターンを持つドラマがまったく同じ話であるのと同様なんである。

しかしながら、この「ロッキー」シリーズほど、当たり外れのでかいシリーズもない。
私は「2」が一番好きだ。
世間的にはもちろん「1」の評価が最高なのは知っているが、私は「2」が好き。
しかし、それが「3」になって、アレレ? と皆思い、「4」になったらほとんどの人が怒り出した。「5」は存在すら大半が知らない。(誰も見ていない)

しかし、何度も言うように、今回のファイナルを含めて、すべての「ロッキー」はまったく同じ話だと言ってもいい。マジでゴールデンワンパターン。すばらしい予定調和。物語としての完成型だと言える。

その究極の物語、ロッキーが、「1」「2」と今回の「ファイナル」だけが高評価で、「3」と「4」はヒドイのか。
これがポイント。
映画はあらすじじゃないからだね。
ロッキーに関して言うと、映画とは音楽だと、すら私は思う。
少なくともロッキーが素晴らしい映画となったのは、半分以上はあの優れた音楽のせいだ。
70年代以降の映画音楽界を完全に牛耳ったのは、言うまでもなくジョンウィリアムスだけれども、その「SW」やら一連のスピルバーグモノに、唯一対抗できる(というか超えることのできた)普遍性を持ったのは、多分この「ロッキー」が筆頭にあげられるはず。

もちろん音楽だけじゃない。
映画ってのは、ほんと、ちょっとした台詞の使い方、映像の見せ方、役者の演技1つ、音楽の使い方1つで、同じワンパターン物語でも、こんなに、天と地ほどの評価が分かれるモノかと改めて思う。
映画とは料理みたいなものなんで、わずかなさじ加減のバランスが崩れるだけで、その繊細な味は台無しになる。ほんのちょっとした差で、できあがりは180度まるっきり違ったモノになると言える。

今回の「ファイナル」は良かった。いろんな意味で抜け目がない。考えてみれば、世紀の駄作「ロッキー4炎の友情」は、ちょっとしたところでアナだらけであった。たいしたアナではないのだけれども、そのショーもないアナを埋めていこうとする、丁寧さに欠けた製作スタッフがそろっていれば、そりゃ、全体がもーメッチャメチャになる。
冒頭、チャンピオン生活の長いロッキーはお金持ちになってるんだけど、そのロッキーが、確かエイドリアンのお兄ちゃんのためだかに、プレゼントとして買っているのが、ダッサーイ(当時は多分ほんとは売ってなかった)ロボットだったりとかね。今、ASIMO贈るんだったら話は別だけど、あの90年初頭に、ロボットを贈ったとか、そういうエピソードを映画の冒頭に持ってくる、そのセンスがまずチョーダサイわけであります。
そういうダッサイセンスは他の部分にも随所にあらわれる。ロシアのチャンピオンにアポロが試合中に殺されちゃうわけなんだけれども、この試合シーンがもうね、カメラワークがダサければ、アポロのやられっぷりが見事に漫画(←悪い意味で)。ロシアチャンピオンの人物造形もひどいし、トレーニング風景たるや、もー、「リングにかけろ」のパクリだろうみたいな感じで、イチイチみっともないわけであります。

最初に書いた通り、あらゆる「ロッキー」シリーズは、すべてまったく同じ話の構成になっています。すっごくわかりやすい、典型的ハリウッド節。
しかし、その基本的なシンプルな物語を、彩る編曲加減が、各話でぜんぜんレベルが違ってて、最悪の「4」に比べると、今回の「ファイナル」は出色の出来だったと言っていい。シリーズ「1」「2」に匹敵する、イイできばえだと思った。ロッキーはそもそも金なんかたいしてかからない映画だから、あとは監督以下の作り手側がどこまで細部にこだわって、どこまで辛抱強く粘り腰に映画を作り上げていったかで、クオリティがまったく違ってくる。脚本中の台詞1つとっても、音楽の使い方1つとっても。
「ロッキーファイナル」はこれまでの途中の駄作を帳消しにする、とてもイイ出来の完結編だったと思う。もう一本作らないことだけを切に願います。あと、ついでにスタローンも、きっちり引退すればいいんだと思います。ロッキーにはじまり、ロッキーに終わると。
「バベル」
久しぶりにDVDで映画を観た。
「バベル」。
これはタイトルオチ。
お笑い用語で「出オチ」ってのがあるけども(←出てくるだけで笑いが取れてしまう、見た目がおかしいような場合等)、その前、「タイトル」ですでに「オチ」ている。
なんつーか、その「タイトル」が全てを語っていた、みたいな。

バベルの塔っていうのは、聖書の創世記にある有名な話。(創世記11章)
古代、人間たちが、すげー賢くなって、自分たちの力を集めて、メッチャメチャ高い塔を作り始めた。そりゃもーものすごく高いのだ。
が、これが神の癇にさわる。
「俺たちってチョー賢いからこんなスゴイことができんだ」と傲慢になっている人類たちにイラっとしてしまったのだ。
「おまいら、ちょっとチョーシに乗ってないか?」
そういうわけで、神様の力であっというまに、その超たっかい塔はお取りつぶしのめにあってしまう。

結構ここまでの話が有名なんだけれども、しかし、実はこの寓話は、その次にあるオチこそが重要で、しかしその部分は意外とあまり知られていない。

神様はその塔をお取りつぶしになっただけではなく、人間達を諫め、また二度とこうした傲慢なことをしないように、人間の言葉をバランバランにしてしまう。
つまり、それ以前の地球は、単一言語だったわけ。多分ヘブライ語で全地球上が統一されていた。今みたいに、英語やアフリカの言葉や中国の漢字やらそんな何百言語も存在してなかった。
聖書によると、このバベルの塔の取り壊しのタイミングで、言語は複数生まれることになった。
言語がバラバラになると、それがきっかけで文化もバラバラになり、多分そこから「国家」がいくつも生まれることになる。

だから「バベル」というのは、「混乱」という意味となる。


だから今回の映画「バベル」というのは、まさに、タイトルそのままの話。
バベルの塔以来、人間には、言葉や国家の壁、文化の壁が生まれたため、それをきっかけにして、いくつもの不幸が生まれるみたいな、そういう物語。
●モロッコ
●メキシコ
●日本
の3国で微妙に関係し合う3つの物語が進行していく(よく観ればわかるが、同時進行ではない)物語構成で、どれも、たいしたことない、ある種の偶然的なことから、エーライ大変な事件に発展してしまう悲劇を描いている。

「私は悪人ではない、ただ、ちょっと愚かなことをしてしまっただけ」

という台詞が最後の方に出てくるんだけど、この台詞が物語すべてをまとめているメタファーにもなっている。
ほんのわずかな悪意や愚かしさ(というかイタズラ心)が、予想もしなかった重大な悲劇的結末を導いてしまったという物語。
バベルの塔を築いた人間達には、虚栄心はあったろうし、神様に勝てるかも、ぐらいの愚かな野心はあったかもしれないが、そんなにたいした悪意はなかった(と思われる)。がやっぱりそういう愚かさから重大な結末を導いてしまったのと同様。

で、その3国で起きる悲劇の基本となっているのが、いずれも「言葉の壁」なんであります。だからこそ「バベル」。
モロッコでは、瀕死の重傷を負ったブラピの奥さんがいるのに、政治的理由から救急車の出動ができず、ヘリの出動もない。
メキシコ国境では単に、軽い酔っぱらい運転を隠そうとしただけで、国境突破をすることになり、砂漠で子連れで生死をさまよったあげくに、余罪が全部ばれて(たいしたことないのに)強制送還されてしまうとか。
何より日本の場合は、菊池リンコは「言葉」がしゃべれない。耳が聞こえないから、手話だけのコミュニケーション。このため、深い孤絶を強いられていくことになる。

バベルの塔以来の、言葉の混乱、コミュニケーションの不全が、今の世の中でも、これだけの悲劇をあちこちで頻繁に起こっているんだという物語。
そういうわけで、そのぜーーーーんぶは、「タイトル」に現れている。だからこれは「タイトルオチ」の物語。
閉じこもり生活
晴れると暖かくて外に出る気も起きるのだけれど、ちょっと曇るとまるでシベリアとかアラスカのような今日この頃。そんな月曜日は一歩も外に出ることなく、一日中部屋にこもって仕事。
昨日は一日でショッピングセンターのプロファイルレポートを作ったが、今日はまったく別の報告書、クスリ関係のものをやっぱり一日で仕上げる。
ガーっとやってると、どうしても飽きてくるんで、そうすると、ニンテンドーDSを取り出して「カブトレ」を進める。株の調子がイマイチ悪くなってくると、仕事が気になり始めて、元に戻る。
もうね、一日が純粋にその繰り返し。
あ、夕方、また、短い、一日仕事が舞い込む。明日特急でやってちょという件。ページ数を聞いたら確かにそのボリュームなら半日で済むだろうというような感じ。コメントだけだし。とにかく今月はこういう細切れの仕事がチョロチョロやってる印象。
短い仕事はいつも特急系なんで、来たらすぐにパッパと仕上げていくが、そうするとレギュラーモノのボリュームのある件が結局〆切間際できつくなる。

新聞はとってないし、テレビは「トーマス」と「アンパンマン」のDVDで占領され、インターネットを見る時間も「カブトレ」に奪われ、外出せずに一日こもりきりで仕事をしている毎日だと、世間との隔絶感がスゴイ。
四国で大きな事件があったようだが、どういうことなのかよく知らないし、銃の乱射事件もあったようだということは知っているが、具体的なことは何も知らない。

ところで、こうした大きな殺人事件の内容を詳しく知る必要というのは、何かあるだろうか?
不都合は、たまに会う人との世間話が少しぎこちなくなるくらいか。
しかし世間話の潤滑油として使うのが殺人の話ってのはそれも殺伐としてどうか?
推理小説とかミステリーとか、そういうものにさっぱり興味が持てないのは、そもそも殺人事件にほとんど関心がないということも関係していると思う。
芸能ニュースは大好き、誰々が誰かと付き合ってるとか結婚したとか離婚したとか。そういうのは楽しいと思うが、殺したとか殺されたとか、正直言って、自分と同じ世界で起きているという実感が持てない。イラクの空爆と同じ位、自分にとってはリアリティや切実さが足りない。
つーか情報が足りないからリアリティもないんだろうね。

しかし、話は戻るが、そういうどっかの誰かがどっかの誰かを殺したという話が、自分にとってどういう影響を与えるのであろうか。私にとってそれはどれほど「必要な情報」であろうか。私自身をなんらかの成長に向かわせるような情報か? それを知ることで、何かを気をつけるようになるとか、何かがうまくいくようになるとか、そういう役にたつ情報なのか? 私が精神的に(あるいは肉体的に)成長したり、向上したり、幸せになったり、深みを身につけたりするような情報であろうか?

もちろん被害者とその肉親の方々には同情申し上げるが、その遺族の方々にしてみたところで、日本中にその話を聞かせてあげて、同情して欲しいとか思っているわけでもあるまい。
マスコミはこうした殺人事件を大々的に報道することにナンの意義を見いだしているのだろう。
「犯罪を憎む気持ち」を醸成したいとか? 被害者遺族に対する同情を集めたいとか?
おそらくは、野次馬たちの「あー自分じゃなくてよかった」というような気持ちとか、「まるで推理小説や映画のような展開だ」というような事件を楽しむ気持ちをあてこんでいるのが主な目的なんじゃないかと推測するけれども。

自分の血肉にならない、端切れのように雑然とした知識をバラバラと持っていたところで、ほとんどナンの役にもたたないんじゃないかと前から思っている。
自分が関心のある領域については、何冊も本も読むのは苦にならないし、そもそも特定の課題について深く調べて分析することが仕事なわけだが、ダラダラと垂れ流されるテレビのニュースや新聞のようなものは、昔からホントに関心がない。最近ますますその傾向がはっきりしてきた。
また日曜仕事日記
今日は天気の良い日曜日だったが、明日提出の仕事があるので、いちんち、ビッチリ仕事。
木曜日に打ち合わせてきた45ページの短い報告書。簡単だから安い。しかし一日仕事と思えば、割といい小銭稼ぎ。
今月はこういうショートストロークの安い仕事がほとんど。
ただ、今日のは内容が結構楽しかった。

膨大な顧客データを元に、某業種のライバル店(系列)同士の、プロフィールを見ていくんだけれども、調査の設計がいいし(質問の組み立て方が的を得ているということ)、集計もかなりめんどくさいはずだけど、時間を取ってきめ細やかに算出しているから、調査結果がすごく実りのあるものになっている。

その店ごとの個性がはっきりと浮き彫りになるのだ。膨大な対象者数だし、質問数も多めだから、かなり金はかけているはずだけど、こういうウマイ調査企画のものは確かにその金をかける意味があるね。自分なりに結構勉強になる。特別かっこつけた分析とか、目新しいものは特にないのだけれども、まーやっぱ調査票の設計に深みがあると、おもしろい結果はこうやって出せるなーと思った。

こうやって結果が明確な調査報告書は、コメントを書いているのも、結構ノリノリである。
グラフをパッとみるだけで、顧客像がアリアリと思い描ける。Aという店にいくのは、こんな人で、Bに行く人たちとはここが違うとか、まるで物語を追っていくようにスラスラと情景が浮かぶ。

まーしかし一日集中するとやっぱ疲れた。
明日も特急案件をやらんといかん。ホント、今月はこういう細切れ仕事が多い。
近所忘年会
今日は、近所に住む仕事仲間ご一家を招いてのホームパーティー的忘年会。
ご主人が私とほぼ同じ年、奥さんが嫁さんとほぼ同じ年、子供同士もほぼ同じ年と、結婚したのもほぼ同じ年、どっちも旦那がバツイチ同士と、まーいろいろ縁があって、わりと家族ぐるみで仲良くしており、年末のクリスマス会を兼ねてどっちかの家で飲み会をするというのは、毎年恒例、今年で3年目。前回と前々回が先方の家だったので、今回はウチで。

こういう時は無難にナベ。
プラスαで私が鶏の唐揚げを揚げて(←ほとんど自分で食った)、妻がサラダを作った。
酒は結構買って置いたんだけど、結局全部なくなった。

12時集合の、解散が6時。
子供たちには、「アンパンマン」をエンドレスでつけていれば二人ともご機嫌。同じ話を何度も見て飽きないのが不思議。
大人たちにしてみても、酒に酔った時というのは、特に何か内容のある話をしているわけでもないのに、よくまー6時間も話題が続いたものだ。そしてソコソコ楽しんでいる。あとで振り返ってみて、いったい何を話したんだろうと不思議に思うが、別にコレといったイベントもなく、会話だけして、いつのまにか時間が過ぎている。

そういうわけで私の日記では常に、飲み会の時の日記はいつも内容が薄い。だってよく覚えてないですよ。「なんとなく楽しかった」という記憶があるだけで。
あと大量に作った鍋がなくなっているから、相当おなかが膨れている。夕飯は結局食べずに今に至るが、大丈夫。
クリスマス会
金曜日、午前中は息子の保育園の「クリスマス会」。
0歳〜3歳の言葉も怪しい乳幼児たちのお遊戯やら挨拶をみて、親ばかどもが全員ビデオとカメラを持って狂喜し、自分の子供のかわいらしさに悶絶する日。
これまでも遠足やら陶芸教室やら親子参加型のイベントはいくつかあったようだが、基本的にそういうのは妻に任せていた。自分も時間があれば出てみたいとは思っていたが、今年はなんだかやたらめたらと忙しく、なかなか時間がとれなかったのだ。

が、さすがにクリスマス会なら、「カブトレ」で忙しい中も、時間を割いて参加。

吉祥寺のヤングママたちは、なぜか皆(ごく一部を除き)ほとんど元芸能人なんじゃないかと思う位超美人ばかり。そして全員が軽いプチセレブ(風の身なりと持ち物)。考えてみればこの保育園は、地元公立保育園には入れなかったご家庭対象で、毎月のお月謝がかなり高めのトコロなんである。
内容は、拙い子供達の踊りや挨拶、父兄によるピアノ演奏、保育士さんたちの紙芝居やら、おきまりのサンタからのプレゼント。一番気の利いている催しは、近所の成蹊大学のチアリーダーの方々をお招きしてのチアリーディング。これはスゲー盛り上がった(特にお父さんたちに)。この保育園は、よく散歩先に、成蹊大学の中に入れてもらい、馬術部の人たちに馬をみせてもらったり、チアリーダーのお姉さんたちに踊りをみせてもらっていたりするらしい。

まーしかし、当然、どの親もいちばん観て喜んでいるのは、我が子のお遊戯。
自分の子供が出ていない他のクラスのお遊戯なんてですね、超あくび連発。はっきりいって、どーでもいい。音楽にも合ってないし、そもそも歌、ちゃんと歌ってないし。全体としての統一もほとんど感じられず、各人の能力とやる気にあまりにもバラツキがある。とてもじゃないが、見れたモンじゃない。
しかし、これが自分の娘・息子が出ているとなると、これほど感動的なショーは存在しない。オカザイルの百倍は感動しているし、大笑いしている。

もうね、アホかと。どこまで親ばかなんだと。
こういう客観性も何もない、あまりにも動物的というか、遺伝子そのままみたいな、ある意味原始的で低俗性きわまりない「親バカ」ぶりが私はどーも昔っから肌に合わない。
そもそも子供なんか絶対にいらんと、超真剣に知り合い全員に説いて回っていたのである。人を生み出すことは、その人の絶望や死を生み出すことでもある、ショーペンハウアー読んでないのかと、会う人ごとに語っていたものである。

そういうわけで、私はそういう親バカな視線は基本的に除外している。
そんな目で子供を見るのは、今までの自分の生きてきたポリシーに反している。
そんな非論理的で原始的な、ありふれた陳腐なマネなんか俺は決してしない。
だからにやついた、アマアマな態度で、自分の子供のお遊戯なんかを過剰に評価したりなんかは絶対にしない。もっと自分の態度客観的にみてみろと、あらゆる親バカたちに言いたい。

そういうわけで、私は超冷静に厳格なる客観的な視点から、我が子のお遊戯を評価するのであるが、
うちの子は天才
である。

どー客観的に観ても、これだけははっきりしている。
そんじょそこらのフツーの親バカとは違うんである。
冷静に冷静にみればみるほど

うちの子はカワイイ
のは仕方ない。

これはもー客観的な事実である。
ある意味科学的であるとさえ言える。
いや、これこそが科学だ。
この相対的な価値観に覆われた世界には、実は真理というものは存在しないが、唯一真理があるとすれば

うちの子が一番カワイイ

ということであろう。
いや、そんなこという、お前が一番親バカじゃないかとか、そういう批判はあって当然だとは思うけれども、そうじゃないんだって、絶対に誰がどーみても

うちの子が一番カワイイ
んだってば。マジで。超マジで。
そんな偏った立場では・・・(以下略
とにかく「カブトレ」にはまっている。
別にあってもなくてもいいような、ガキっぽい物語が一応くっついていて、それがウザイんだけれども、基本は、今年の株価がゴッソリそのまんま何百社もこのソフト中に入っており、それを、各種指標を使いながら、手持ちのお金を増やしていくという、まー株取引シミュレーションのゲーム。一応初心者向けに、基本解説から始めているので、私のような、これまで株に一切縁のなかった人でも始められるし、もちろんシミュレーション内のお金は実際のお金ではないので、仮に損をしてもまー実害はない。だから安心して、(実際の株価連動をみながら)いろんな試行錯誤をしながら株取引を覚えていくという仕組み。

指標や基本概念などは簡単に教えてくれはするのだけれども、そこはほれ、現実世界と同様、決して懇切丁寧に、バカでもわかるような、使い道詳細まで教えてくれるわけじゃない。
だから、そのメッチャメチャ膨大な数に上る、ありとあらゆる指標(おそらく実際の株取引で使う指標はすべて入っているのではないか)の使い道やら意味を、「自分なりに」理解していくということになる。

だから、難しい。
自動車を見せて、このアクセルを踏めば動き出す、ブレーキで止まる、ハンドルで曲がる、ミッションはこれこれ、クラクションはこれですよ、とだけ口頭で教えられて、いきなりレースに参加するよりずっと難しい。まーゲームなんで、そのレースでいくら事故っても死なないのがいいけれども。とにかく痛い目にあいながら、膨大な数表の意味を自分で解いて行かなくてはならない。どんなロールプレイングよりも、リアルで、そして難しい。
しかし、当然のことであるが、ゲームというのは、難しければ難しいほどやりがいのあるおもしろいものである。

今、ステージが6くらいまで来ているのだが、最初、自分なりにこれかなーあれかなーと思いながら、半分以上は当てずっぽうでやっていたら、半分くらいは勝てて、半分くらいは負けてしまう。まーそりゃね、キッチリルールをわかっているというわけでもないのだから、勝率が半々って当然かもね。それがしかし、どんどん指標が増えてくる、アイテムが増加し、ルールが複雑化してくると、メッチャメチャ難しくなってお手上げ。何がなにやら、やってもやっても、うまくいかない状態になる。最初、何も知らずに、デイトレードなんかはじめたら、こうなって最初の元金をすっからかんにしてもう株なんてやめたということにきっとなったに違いない。

しかし、こっからがいつもの凝り性の私であります。
本屋で、ゴッソリ株関連教科書、特に実践的なチャートの読み方やらなんやらの参考書を何冊も買ってきては、キッチリそれを読破し、参考書片手に精読しながらさらに挑戦。
ちなみにここんところに買ってきて読んだ(未読のものもまだあります)本は以下の通り。どれもメッチャメチャ実践的で役に立ってます。

株価チャート練習帳株価チャート練習帳
(2006/01/27)
秋津 学、チャート研究会 他

商品詳細を見る


株価チャート練習帳 スイング&デイトレ編株価チャート練習帳 スイング&デイトレ編
(2006/06/16)
秋津 学

商品詳細を見る


デイトレードは「5分足チャート」で完勝だ!―究極の勝率を約束する売買テクニック大公開!デイトレードは「5分足チャート」で完勝だ!―究極の勝率を約束する売買テクニック大公開!
(2005/01)
小山 哲

商品詳細を見る


ちゃんと儲けたい人のための株価チャート分析大全―実戦相場で売買タイミングをつかむ必勝テクニックちゃんと儲けたい人のための株価チャート分析大全―実戦相場で売買タイミングをつかむ必勝テクニック
(2004/05)
藤本 壱

商品詳細を見る


今すぐ受けたいデイトレ授業―講師:降臨・うり坊・渋谷高雄今すぐ受けたいデイトレ授業―講師:降臨・うり坊・渋谷高雄
(2006/04)
別冊宝島編集部

商品詳細を見る


これらを読み込みながら、覚えた「チャートの読み方」等そのまま適用していくじゃん、それが、あんた、ものすごいことになっている。
勝率で、8割以上。損切りもほとんどない。
実際の儲け額が、(結構ビビリながら消極的な金額を使いながらも)毎週50万円前後は儲かっている。
DSソフト内に入っている株価チャートはこれまでの実際のものであるから、(もちろんプレイヤーには先は分からない仕組み)ホントに、この手の本に書かれている、基本的な分析テクニックが、キッチリ当たるということがよく分かる。
ダイエットでもなんでも、私はこういう「勉強型」というか「オタク型」の方法がすげー好きだし、得意なんであります。
上記の本はまだまだ全部読んでないし、もちろん知らない分析手法もたくさんあるので、この手の株本をガッチリ読み込んで、さらに勝率アップになっていきたい。

いやもーね、とにかく、おもしろいですよ、はまりすぎ「カブトレ」。
年内読みたい本はたくさんあるのだけれども、そっちまでちょっと時間が取れなそう。
久しぶりに本格的にはまってる。
「中原の虹」(浅田次郎)
仕事以外のあらゆる時間は「カブトレ」に吸い込まれており、考えることもなければそれ以外にしたこともないので、とりあえず最近読んだ本の感想などを適当に。

「中原の虹」

残念な感じ。
わりとなんでもかんでも「蒼穹の昴」。

この小説、全体としてはおもしろさ90点と言えるが、しかし、「蒼穹の昴」は百点満点で500億点とかそういうものなので、仮に百点満点を取っても「残念」と言われる宿命にはあるのだが、それにしても残念。
出だしがあれだけおもしろかったのに、終盤が、えええ、そこで終わり? とどうしても思う。
梁文秀も戻ってきたことだし、これは、意外と第三弾もあるかもね。
それを見据えたこの中途半端な結末か。
つまり、「スターウォーズ 帝国の逆襲」(劇場公開二作目)を観たときのような、不完全燃焼感が残る。おいおい、ハンソロ、そんなところで固まったまま終わりかい、みたいな。

これでは、まるで袁世凱の物語のようだ。

この「中原の虹」、何が残念かまとめると

(1)登場人物が残念
(2)物語構成が残念

なんであります。

とにかく出てくる登場人物の魅力がイマイチ。描き方にはそれぞれ力が入っていてそれなりに楽しめるのだけれども、例えば、「蒼穹の昴」に出てきた、トリプル主役(梁文秀、春児、西太后)その他のようなメッチャメチャいけてる登場人物がいない。康有為、譚嗣同、ミスチャンやらトーマスバートンやら、なんといってもベストキャラクターである李鴻章将軍のような、素晴らしい登場人物たちが「蒼穹の昴」の核も核、魅力のすべてであったと言っても過言ではない。
こうした魅力ある人物がいない。

出てくる人たちは、みな、ハンパなんである。時代を作るにたるような人たちではない。スケール感のない、ちっこーくて、せこーーーくて、なーんとなく、その地位に就いちゃった、他に気の利いた人がいないからたまたま〜みたいな、消去法的に選ばれた中庸で凡庸なサラリーマン的な小物登場人物ばっかりなんであります。

もちろん、次の龍玉を持つ男、主役たる張作霖は別格ですが、彼も途中から、ほとんど登場しなくなる。常に張作霖は「人の噂」で語られるだけの男になってしまう。それは物語としてどーよと思う。代わりに前面に出てくるのが、まーあの、中途半端な、他に駒がいなかったから成り上がっただけのこすっからいサラリーマン社長のような袁世凱で、彼が死ぬことで、この物語は完結する。ええええええ???と思うですよ、袁世凱が死んだ後、張作霖が中華民国の総統となるのが歴史ですが、じゃあさ、張作霖が主役の物語なんだからさ、長城を超えてそこに至るところで終わらせればいーじゃん。そういう話だったじゃん、何寸止めしてんだよ。やらずぶったくりかよ。
惜しかった。残念。途中まではとてもおもしろかったけれども。最後の巻のまとめ方が気に入らない。梁文秀帰ってきても、結局そこでしまいかよ。彼の中国での活躍はもうちょっと後にあるだろうに。
あと結局吉永とかなんだったわけ?
ヤバイ「カブトレ」
はまりすぎ。
DSの株トレーニングソフト、「カブトレ」。
あまりにもおもしろく、席を立てず、あっというまに3時間が経過。
おもしろすぎてトイレに行くのを我慢したテレビゲームは、「ドラクエ6」以来。

よくこの場で、小説の百倍くらい漫画には価値があるというようなことを書くけれども、優れたゲームはその漫画よりもやっぱり価値がある。

昔から、マネックス証券の松本さんのことは尊敬しているのだけれども、その松本氏プロデュースの株入門用ゲームソフトがコレ。
そりゃね、ほりえもん等新興IT長者はその辺にいくらでもいるけれども、はっきしいって松本さんはその辺の有象無象とは毛並みの良さが歴然と違う。
IT長者のほとんどはマネーゲームの勝者であるが、そのマネーゲームの世界において、世界中が認めるプロ中のプロってことでしょう。なんつったって、世界最強の投資銀行ゴールドマンサックスで世界最年少経営陣入りした人で、おまけにその莫大な上場利益をフイにして一人で証券会社を作った伝説の人。
ライブドア事件の際にはケチもついたようですが、そこにはむしろ哲学を感じさせ、利益度外視の清廉さもかいま見せる。

私にとって、やはり一番のクリスマスプレゼントとは、「愛」とか「家族」とか「仕事の充実」とかそういうこと基本的な欲望以外では、「温泉」か「(良質な)物語」がサイコーだ。「おいしいもの」とか「高価な服」よりそっちの方が上。「車」は大事だけど、それはもう今ので完全に満足しているので。
「物語」は、おもしろい小説、舞台、映画、テレビドラマ、漫画、ゲーム、種類は問わないですね。コンテンツに満足できれば、媒体は問わない。ヘボな小説より「ドラクエ」の方が明らかに充実した時間を過ごせるし、つまんない映画よりも、山田太一のドラマの方が一万倍感動できたりする。
しばらくカブトレにはまると思います。もしかすると日記の更新も止まるかもしれません。そのくらいの勢いではまってます。
オフ日
月曜日朝提出の件、タイトルを整理して朝9時過ぎに送信。問題ないはずなんで、とりあえず今日はオフにした。今週の予定は軽いレポートを2本、木曜日と金曜日に出せばいいだけ。楽勝である。

まずは洗車。朝夕は結構寒いが、車磨いていると意外とカラダも温まってくる。
で、そのままいつもの庭の湯へ。
新宿さくらやのポイントが2万円分くらい貯まっているので、また今日も新宿へ。
昨日の飲み屋に、買ったばかりのDSソフトを置き忘れてきたのだが、それを受け取り。
さくらやホビー館でプラレール系をゴッソリ大人買い。全部ポイントで。
さくらやは柳原加奈子を使った「オニ安CM」等イメージは活発に見せているものの、いやいやいや、やっぱヨドバシカメラの勢いや品揃えには大きく水をあけられている。新宿電器はヨドバシが圧勝なのは間違いなし。

なんだかんだ新宿を3時間くらいブラブラ。
南口のエディバウアーで試着していると携帯が鳴る。
こういう、こっちが休んで遊んでいる時を、ねらいすませたように電話してくると言えば、もちろんYちゃんである。
急いで直してもらいたいページが一箇所あるとかいうので、4時前には車に乗って自宅へ。
まーしかし、のんびりできた。ずっと歩き通しで運動にもなったと思うし。

帰宅後10分で直し送信。
一日休んでスッキリしたので、夜から仕事開始。
嵐のような11月に比べて、12月は比較的まだゆったりしている。その分人と会う約束がいろいろ続いているので、それが楽しみ。
「警官の血」届く。
ゲーム「カブトレ」始める。
「中原の虹」ははっきりいって終盤がイマイチだった。感想はそのうち。
忘年会
日曜日。
午前中は新宿に家族で出て、妻へのクリスマスプレゼント購入。
帰宅して、少し仕事進める。
夕方4時30分からまた新宿に集合。
今度は毎年恒例の友達4人忘年会。
毎度毎度もー何年目かと思うが、「東方見聞録」新宿三丁目店。
飲み屋としてはホントこのチェーンのことをすごく気に入っているのだ。

(1)ほぼ全席個室で落ち着ける
(2)値段の割にどの品も結構ウマイ
(3)接客もまー普通

そういうわけで、私が店を選ぶとほぼ100%この店系列となる。

最初の話題はやはり、来年結婚することになった(今日は呼んでない)WCのこと。
これで仲間内では、独身率の方が低くなった。
残されたのは東大卒荻窪のA君と、最近鬱気味の町田のO。
川崎のYは去年結婚したし。
A君とOはもう結婚とか無理なんで老後に向けて二人で暮らせばいーと思うね、マジで。
去年O&Aコンビは、春に屋久島、夏には小笠原と二連発で旅行している。今度の冬休みも一緒にどっか行くかとか話出てたし。
これが、独身女性の二人組ならまーよくある話である。
40がらみのおっさん二人組は、多少気持ち悪いが、多分今後増えていく話だと思う。

あとは例年通り、今年の反省と来年の抱負。
解散は10時前。それでも5時間くらい飲んだ。
トーマスステーション
土曜日は毎週、半分休日、半分仕事。
晴れていると、まず妻子を乗せてどこかにお出かけ。午前中いっぱいどこかで遊び、昼飯を外で食べて帰ってくる、午後はそのまま仕事というパターンが毎週のように続く。

今日は池袋東武百貨店にあるという、トーマスステーションへ。
ここ数ヶ月というもの、うちの息子のトーマスへの傾倒ぶりはハンパではない。
起きて第一声はまー9割が「トーマス」だし、寝言も半分以上「トーマス」や仲間の「ゴードン」や「パーシー」等。家の中ではスプーンやフォークを持たない時はまずトーマスのプラレール用エンジンを持ち歩いている。うちのテレビがDVDのトーマス(あるいはアンパンマン)以外をつけるのは、子供が保育園に行っているが寝ている時だけ。つまり彼が在宅中は、われわれ大人はテレビを観ることは許されない。ほんっっっっっとにトーマス漬けな数ヶ月を過ごしている。おかげで、私も今はトーマス検定が多分4級ぐらいは合格な知識はある。パーシーとヘンリーの区別はたいていつけられるし、トーマスとエドワードの違いもわかる(これはかなり難易度の高いことなんである)。

DVDにない話を、ユーチューブで検索して見せてやると、これがクセになり、おそらく今ネットにおちてるトーマス話(日本語)はあらかた彼は観ているはずだ。そういうわけで仕事にもかなり支障をきたしはじめている。
しかし、彼が四六時中食い入るようにトーマスビデオを繰り返し観ていることで、ある程度の教育効果も認められる。まずは言葉の力がかなり上がっているように思う。野蛮なシーンはほとんどないし、牧歌的で勧善懲悪的ないかにも神父が作った、良