吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
マクロとマラソン
火曜日。
午前中に3章に別れているレポートの1つが終わった。
昼飯(朝飯兼用)は吉祥寺ヨドバシの8Fレストランフロアに新しく入ったラーメン屋、「ごくラーメン」。
大失敗。もう行かない。
ラーメンほど当たり外れの大きい食べ物はない。
TSUTAYAで「ジョーミリオネア」を見つけて借りてくる。
これは何年か前に、アメリカでメチャクチャな高視聴率だと大騒ぎされた番組で、いつかみたいと思っていたのだ。

午後から残り2章分。先にデータを整理することにした。その方が多分効率はいい。
この仕事をするときには、いつも「数字頭」でずーっとデータ編集や関数計算やマクロ・集計などに丸一日過ごし、次に完全に「文字頭」に切り替えてから分析の文章などを書いていくといったように、頭の切替を少なくした方が負担が少なく、集中がとぎれない、結果総体として早くできあがるというのが経験則だ。
イチイチ、一ページごとに、数的処理をして、文章を書いてということやっていたら、スイッチのオンオフの回数が多く、頭の使い方と時間に無駄がうまれる。

そういうわけで午後は延々とデータの編集処理。地味な作業だが昔からこれが嫌いじゃない。この仕事してる限りはボケないような気がしている。何メガもある膨大なExcel集計シートも、細かくマクロを設定して必要な部分だけを取り出し整理していくのは、気持ちいいものだ。マクロの作り方はその設問設計によってその都度考えるものだが、これもある種のクイズのようなものだと言える。もっとも適切な方法をその都度考えるが、最適解がわかるのは楽しいことだ。最後にボタンをポンと押して、スルスルスルっとマクロが動いてキレイに決まった時はホント気持ちいいものだ。

そんなこんなで作業は進み、ある程度「先が見えた」感じがしてほっとする。しかし、マラソンで「あと10キロで終わる」ということがわかることと、「あと10キロ走る」ことは、言うまでもなくまったく違うことだ。という書き方は、今読んでいる「走ることについて語るときに僕の語ること」の影響であります。いやーコレおもしろいね。村上春樹はその大半の小説よりもエッセイの方がおもしろいというのは、ここだけの話。

夜中に「ジョーミリオネア」を見始める。これがまた期待通りのおもしろさ。内容についてはまた今度。
徳永英明が友達
朝から、例の「QA想定問答集」を書き飛ばす。だいたいWord10枚位加筆か。時間がないと、結構文章というのは、進む。なぜなら、細かい言葉遣いなどで悩まずにすむから。
昨日は、「それでも僕はやってない」を見始めたら止まらなくなってしまったので、結局ぜんぜん進まなかったのだ。

なんとかとりあえずの形を仕上げて、各方面に送信。
はたしてこれが俺の仕事だっけと思いながら。
考えてみればこれこそが、パートナーであるプランナーM氏の出番そのものなんではないか?
いいよ、これは予算がかなり余っていることが判明したから、ゴッソリもらうことにした。

午後一で送信。
休憩を兼ねて吉祥寺散歩。
買った本
●「ヴィリ」(山岸涼子)
●「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹)
●「誰も寝てはならぬ(7巻)」(サライイネス)
●「ベストカー」(雑誌)

帰宅後、こっから毎年レギュラーの大物、ヘビー級の仕事が始まる。
水曜日中がリミット。
今日から三日でできるのかかなり微妙だが。
ちょうど3章に別れるので、今日は最初の1章分をつぶす。

そんななか、最近ヘビーローテーションで聞いているのがこちら。
徳永英明「ボーカリスト」シリーズ1〜3。

VOCALIST (通常盤) VOCALIST (通常盤)
徳永英明 (2005/09/14)
ユニバーサル・シグマ

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イイよ、徳永英明。
こんなにイイとは思いませんでした。
そりゃね、福山雅治が「ルビーの指輪」を歌うその一千万倍はイイ。
歌唱力がハンパじゃない。
歌がイイってのは
(1)声の良さ
(2)歌い方のうまさ
が大きくあると思うけども、特に
(2)については
(2−1)楽曲として美しさを引き立てるうまさ
     (=ボーカル技術としてのうまさ)
(2−2)歌から何かをイメージさせる表現力のうまさ
     (=芸術家としての創造性やセンスの良さ)
みたいなものに分類できるとは思う。

徳永英明に関して思うのは、(1)はもちろんのこと、(2-2)が抜群に優れているね。ホントスゴイ。歌から香り立つ映像力というか。歌だけ聴いててなんでここまで具体的な何かが浮かび上がるかっちゅーくらい、ものすごい表現力なわけ。
はっきりいいますが、オリジナルの女性ボーカリストたちより、たいていはイイです。中島みゆきの「時代」より徳永英明の「時代」ですし、山口百恵よりうまい「秋桜」なんて初めて聴いた(さだまさしの「秋桜」よりもやっぱイイ)。言うまでもなくユーミンより「卒業写真」がウマイ(ハイファイセットの「卒業写真」よりもイイ)。

ボーカリストの1が発表された時、ラジオでたまたま徳永英明がしゃべっているのを聴いたことがあったんだけど、その時の彼曰く「歌をうまく歌うコツ」は

「感情をこめすぎないこと」

なんだそうだ。これがまたすげー納得。
やみくもに気持ち入れるのって素人くさいというか、ちょっとだけウマイ素人カラオケって感じするけれども、あんだけ深くて高い表現力を持つ人だったなら、あんまり入りすぎないで、微妙に距離感をあえてとった方がむしろ心に響くんだろうなーと思います。
マージで、これはイイ。ちょっと最近聴いた音楽の中で突出してます。

忙しいので、家族とも会話は数えるほどしかしていないのだが、徳永英明の声は毎日ずいぶん聴いています。
「それでも僕はやってない」(周防正之監督)
評判通り、予想以上のおもしろさ。
周防監督って実はそれほど好きじゃなかったのだ。
ファンシーダンスにしても、シコふんじゃったにしても、イマイチフツーのよくあるコメディじゃん。キレが乏しいというか、テレビ的なギャグというか。言ってみれば、最後にシンクロをしない「ウォーターボーイズ」みたいなもの。それじゃ全然だめじゃんみたいな感じで。
10年前に「シャルウィーダンス」を劇場で観た時には、まーフツーにおもしろかったが、「退屈はしなかった」程度の感想でいたら、これがあれよあれよと周りはやたらと持ち上げて、世間中で大絶賛の合唱をはじめたので、えっそうだっけ、どのへんが? と何度か見直したりもしたけども、確かにおもしろいけれども、その絶賛のポイントまでがよくわからない。おまけにハリウッドリメイクまでされちゃって。いったいどのへんがスゲー評価されているのかってのは、実はいまでもよくわかってない。アレが「フツーにおもしろい」レベルじゃない理由を誰かわかりやすく教えてもらいたい。漫画でアレやっても、ナンの賞も取れないのはもちろん、「ジャンプ」だったら掲載すら難しいだろう。

そんな「フツーコメディ」を取る監督のイメージでいたのであった。考えてみたらイマドキ「フツーのコメディ」ってジャンルは「釣りバカ日誌」くらいしか存在していないのかもしれないから、それだけで実は貴重なのかもしれないが、映画で「笑う」ということは日本じゃ「あり得ない」ことなのしれない。

ともかく、今回の周防監督はまったく別の監督であった。
コメディでもなんでもない。緊迫感の高い法廷モノ。ドラマチックを抑制した分、「巻き込まれるえん罪」のリアリティが怖い。
ただ、いっつもだけど、なんでこの監督の映画はいつもこんなに「軽く」、ある意味「安っぽい」感じがするのだろう。どんなに真剣にやってもいつまでたっても80年代的というか。深夜のドキュメンタリー風ドラマのようだ。
例えるならば、「アンビリーバボー」の再現ドラマを日本人がやったみたいな感じか。それともうちょっとキチンと、小劇場系の役者や最近の日本映画でよく見る顔ぶれを揃えて撮った、みたいな印象が抜けないのはなぜか。
単純に室内シーンが多いから、画面が安っぽいのかなと思うけど。
とにかく「映画」見ている感じがしなくて、DVDでの鑑賞がちょうどお似合いな印象。とかなんだか変な感想ですが。

とにかく映画に集中するあっというまの二時間ではあった。
そう、いつもこの監督は、ストーリーテリングは抜群なんだけど、映画って物語の先を知るためだけのものじゃないからね。漫画がストーリーだけのものではないのと同様。映像や絵の楽しみというのが、イマイチ伝わらないんであります。
日曜仕事日記
朝から超快晴。極上の日曜日。
しかし、今日はとても外に出る余裕はない。
仕事が詰み詰みである。

しかし、朝食くらいは外にと思い、子供を連れて二人で吉祥寺駅前のマックへ。
レンタルDVDをポストに返却したり、二人で吉祥寺街散歩。
小笹の行列を初めて見た。やっぱ並んでるのね。しかし、確か朝3時頃に整理券獲得のために1回並んでいるはずで、それなのに、また開店時にまた並ぶのか。メンチカツのサトウといい、ここはホント行列スポットだ。多分、そういう土地の気なんだろう。
吉祥寺はホント龍脈の重要なポイントだけあって、良い気に満ちあふれていることよ。
だから私はこの町を散歩するのが好きだ。

子供が例えばもう一人増えたりして、義母と同居するということになったら、やはり今の3LDKでは手狭になるはずで、そうなると、駐車場代や管理費を払わなくてイイ戸建てに引っ越すことも考えるのだけれども、どーしても、私たちはこの吉祥寺から引っ越したくはない。
が、吉祥寺周辺で戸建てとなると、ソートーめちゃボロの古い物件でも簡単に6千万以上してしまい、余裕の広さの築浅物件なら、あっというまに一億円コースになる。
もちろんそんなお金はないわけなんで、どうしたもんかいろいろ考える。

吉祥寺を離れれば、もちろん、このマンションとほとんど同じ額ぐらいの戸建ても十分存在するんだけれども、それはどうもなーというのが悩み。だからまー私にできることといえば、いくらかでも吉祥寺に近い戸建てが買えるように、お金を稼ぐということくらいしかないわけである。

そんなわけだから、どんなに天気の良い日曜日でも、仕事があればガンガンこなす。
昨日に引き続いて定性の個別ヒアリング5件のレポートをまとめた。
ヒアリングに行ってくれた人は(面識がないが)かなり優れものと見たね。相当難易度の高いアポ取りのはずだし、取材内容もメチャメチャ聞き出しにくいことを、うまーくヒアリングして、そんでまた個票のまとめが上手。キッチリ5件を同じフォーマットにおさめているし、文章がこなれていて、しかも臨場感がある。1時間以上にはなったであろう各ヒアリングを12〜15枚位にまとめているが、もちろんそれはテープ起こしみたいな雑な原稿ではなく、読み物として高い完成度を持った調査文書となっている。

しかし5件ヒアリングについて、ビッチリ書かれたWord原稿が100ページ近いと、それは読むのも一苦労ということなんで(実際問題クライアント企業でそんな大文書をまともに読むのは多分一人か二人になるはずだ)、私がさらに手を加えて、調査結果要約で10ページ程度の、Power Pointによる要約編を作るわけである。その要約編なら、関係者の誰もが目を通せるようになる。

調査の意図/目的を考えながら、ヒアリング結果の要点を抽出し、各企業の対比させながら、共通項をあぶり出し、また企業規模別やら業種別、付き合い方別やらの何点かの分析視点をまじえながら、まとめていく。
レポートがおもしろいのは、原典を「読む」だけじゃ分からなかったことが、いくつか抜き出して整理して「書く」ことによって、明らかになってくることが必ずあることだ。
同じテーマについての回答結果を、並べて書き出すだけで、自然とおもしろい共通傾向が浮かび上がってくる、それは分析担当者がファインディングとしてみんなに提示して「おおっ」と言わせる。まず分析担当者自身が最初にびっくりできる。こういうのが調査マンの楽しみである。

土曜日昼飯を食い終わってから始めた仕事だが、日曜日の午前中には完成して送信。これは一応水曜日までということだったが、とりあえずオッケー。

昼寝を挟んで午後からは、これもまた先週からの仕掛かりのレポート。こっちは定量の結果、某調査機関の、自己発信型のもの。全8部の構成だが、そのうち既に6部は金曜日までに納品済み。
1部がだいたい40ページ位の構成であるが、8部がすべて似通った構成なんで、Excelをうまく活用し、ミスなく数値の参照を変えながら報告書を作る。たいして頭を使わないが時間だけかかる。そんなこんなで残り2部を夕飯頃完成させ、送信。

この土日に2種類のレポートを完成・送信したわけであるが、しかし、ホント〜に恐ろしいのは、超難物である某社の仕事には一切手をつけていないということである。これは水曜日までなんだけれども、月・火・水の三日で果たしてできるのかは、ソートー微妙。今から胃が痛い位。

さらに、先日水曜日の打合せをした記者対策用の「Q&A想定問答集」を加筆しなければならない。これはホントは月曜日の午前中には関係各位に送信だから、今夜これからまた続きをコリコリ書かなきゃならない。今からやって間に合うか微妙。

そんなかんなの土日仕事日記でした。
「ちゃんこダイニング若」と美恵子さん
27日土曜日。
午前中、近所の小児科にて家族3人でインフルエンザ予防接種。
さすがは小児科の先生は注射が上手い。
子供は気づかないうちに終わり。大人の私にとっても過去注射史上最も痛くない注射であった。
大雨の中だったので、病院は他に誰もいない。

ご飯を食べるのもそのまま車で行けるところへ。
と考えて、吉祥寺駅すぐのヨドバシカメラへ。
この最近できたこのビルの8Fは結構人気店を集めたレストランフロアになっているのだ。

今回はじめて「ちゃんこダイニング若」へ。

味はまーそれほど悪くはない(程度)。
いろんなものにゴマ油がききすぎな気がした。
この店の名物と自慢の薩摩揚げに関しては「さすがっ」と思った。
実際こんなにウマイ薩摩揚げは食ったことがないって位ウマイ。

味は全体にマーマー(料金にしては別にフツーって感じ)なのに対し、接客が、良くない。
店全体に気取っているのに、気が利かない。
人当たりは悪くないし丁寧なのだが、とにかく段取りが悪いので、イチイチイラっとしてしまう。
他の店は満員なのにここだけガラっとしているのは、単に価格が高いからだけじゃない。
例えば入り口に二人も案内を立たせているのに(これはいかにも感じの良い美人二人を揃えている)、その二人は店に入ろうとする客に気づかず(てゆーか呼び込みでそこに立っているんだろうに大丈夫か?)それどころか、入ろうとする客の邪魔になっていたりしてね。ニコニコはしてるのに、ドンクサイわけ。
こういう例が枚挙にいとまがないわけである。
鍋の手際は悪く、会話をとぎれさせ、子ども用椅子は持ってきても、子ども用の取り皿やスプーンは思いつかず、お会計を頼んで、請求書を持ってくるまでがえんらい待たされたりして。そもそも固まって店員同士がおしゃべりをしているのに、こっちが手を挙げているのは一切気がつかなかったりして。店内には3組しか客は入っておらず、店員は5人以上いるのにですよ。

「顔」と「感じの良さ」だけで店員を選んだ感じがスゲーする。
つまり、「頭の中身」とか「本質的な配慮」とかがさっぱりないわけ。
実際は鈍くて気遣いができない不器用でバカな女の子たちばっか。

と書きながら俺、またすげー発見をしちゃった。
つまり、元妻の美恵子さんもそういう選ばれ方をしたってことだよね。
うーん、さすがは俺、ナイスな分析。
経営者が従業員を選ぶ場合のチョイスのセンスと、夫が妻を選ぶ場合のチョイスのセンスってそれすげー似通ってて当然。
人事の不作は一生の不作。

薩摩揚げはすげーウマイのは確かですけれども、私は二度とこの店に行かないと思います。
コースで頼んだんだけど、一人あたり約5千円。ひからびた刺身やらが前菜で出て、サラダやらその薩摩揚げやらがいろいろ何品か出て、もちろん鍋に、最後は雑炊かラーメンで〆て、アイスクリームが付くというコースね。味は全体で70点(薩摩揚げだけ100点)、接客が15点。

他の店舗は知りませんが(多分、似たようなものでしょう)吉祥寺店は良くなかった。競争の激しい場所ですから、賭けてもいいですが、早晩つぶれるでしょう。キッチリ早めに撤退しなかったらそれこそNOVAのように大赤字でお兄ちゃん大やけど間違いなし。
こんなにナメた店員たちには、早いところ社長が「カツ」を入れないと、人生ナメた奥さんのようになってしまって一家離散になることが間違いなし。
亀田
さくらパパがあんだけ娘にウザがられて嫌われているのに、なんで亀田オヤジはあれだけ息子たちの尊敬を集めているのか。
さくらパパと亀田父の差はなんだろうか。
単に息子と娘という差ではないような気がする。

今回「テコの原理」で株が急上昇した亀田一家である。
雪印、三菱自動車、その他、企業の不祥事対応では、「記者会見がその後のすべてのイメージを決定する」という法則が世の中に浸透したが、今回の亀田興毅記者会見はまーそのお手本の1つともなりうるものであった。不明にして、その前回の亀田父親とダイキの記者会見は見てないんだけども(てゆーか亀田ダイキ戦すら興味がなくて見ていない)、今回の亀田興毅記者会見は

●いくら最悪の背景と事実があったとしても
 (反則の事実とか、前回記者会見の悪評、当事者たちの不在など)
●パッシングの強い記者会見場であったとしても
●「言い訳せず」「心をこめて」「平謝り」すれば、人の心を静めることは可能だ

ということを証明してみせた。
実際、世論の大勢は、おそらく、この会見をきっかけとして、ガラっと、ほとんど180度近く、亀田家に対して好意的な方向に流れたはずだ。「誠意を感じさせた」亀田興毅に、こんな言い方はよくないが、はっきりいって「うまくやった」。
人の印象というのは、やはり「まごころ」をもった対応で、いくらでも(真逆にまで)変えることができるというのが今回のプルーブだ。

例えば、山口県光市の母子殺害事件の犯人ね、彼も心をこめて謝る姿勢がはっきりしていれば、本宮さんも「絶対に死刑にしてくれ」とは言い出さなかったかもしれないです。

「真剣に謝る」というのは難しいことですが、それは人の心を変えることができるものすごい力のある行為だ。
真剣に謝るってのは、多分、「何を言われようと、どういう償いでも、引き受ける覚悟がある」ということを、相手に伝えることだろう。究極の謙虚さだ。

よくアリガチなのは「真剣に謝る“フリ”」である。それは、形は謝っているんだけども、相手から謝罪の条件として、「これこれをしてくれ」と言われたら、「いやそれは・・・」と口ごもったり、なんとか回避しようとするような態度。そういう代償を払いたくないから、見た目だけ謝ったという形を取り繕っている場合ね。そういうのは、ちゃんと伝わるから、そんな態度じゃ人の心は変えられない。母子殺害事件の犯人も、「死刑を免れたいから」謝ったフリはしてるけれども、そんな自己本位な気持ちでは、相手は許してなんかくれない。

それにしても、亀田父親はどーしてあれだけ息子たちの尊敬を集められるのか。さくらパパの講演なんか聴いたって、「そんなことやっても、お前、どーせ娘に嫌われてるじゃん」と思うだけだが、亀田父は、あれだけ親孝行な息子の教育に(ある意味)成功している。亀田父の講演の方が私は聴きたいと思う。人間的にどーかとは思うし、亀田興毅のような子供を育てたいとも思わないが。
「24-6th」や「ER-12th」など海外ドラマ
韓流に並んでアメリカテレビドラマがこの数年ブーム。
火付け役はまー例の「24」に違いなし。
アレで、前宣伝をある程度やればそこそこDVDレンタルでの商売が成り立つと、各社が踏んで後追いできているということであろう。

「24」はびっくりさせるのが商売ではあるが、今回の6thシーズンで最初のびっくりは、CTUの●●をジャックが殺しちゃうことね。
いや、その前に、ジャックが中国拘束中にブキャナンとカレンが結婚していたことが最初のびっくりか。
トニーとミッシェルが付き合ったり結婚したりするのは、若いし適齢期だから微笑ましく、ある意味美しい。しかし、ビルとカレンってば・・・。私には「老醜」という言葉も浮かぶ。前作5thシーズンで、あのアンポンタン大統領が奥さんに誘惑されて(しかもあっという間に事が済む)というシーンと同様、
「おまいら、いったいいくつだよっ」
と頭の中がグルングルンしてしまう感覚が残る。
この外人どもがぁあああ。
文字通り鬼畜米英である。

日本人の未婚の女性がよく言う台詞で
「将来は『チャーミーグリーン』のCMのように、おじいちゃんとおばあちゃんになっても手をつないで街を歩くのが理想です」
という百万人が言う手垢のついた言葉があるが、あの鬼畜米英どもには、もちろんそんな程度で済むはずはない。
「将来は24のバカ大統領夫妻のように、おじいちゃんとおばあちゃんになっても手をつないだり○○したり××したり▲▲しちゃったりするのが理想です」ということであろう。

それはそーと、今のところ、私にとって今シーズン(序盤の)最大のびっくりは、なんといっても『ER』のロケットロマノの再登場である。
そういや、彼は前作は終盤に登場し、黒幕の黒幕の黒幕の黒幕といういっちばん悪いヤツであったにもかかわらず、あっさり物語途中で姿を消してナンの懲罰もくだらなかった。
まーそういうわけで逃げおおせたために、再登場自体はさほどびっくりでもないが、すべての視聴者が、そこでひっくりこけたのは、やはり、彼がジャックの●●だったからということであろう。

こういうね、「びっくり」したいから人は「24」をいつまでも観るわけであります。「びっくり」がウリの物語は二回目は観ないから、レンタルDVDという商売がいちばんなわけですね。なるほど。
それにしてもあーびっくりした。
SFの本質とはセンスオブワンダーであるが、24の本質はセンスオブサプライズである。

ロマノの話が出たところで、「ER」の新シーズンDVDであるが、これね、もうね、超ヤバイ。悪い意味で。
はっきりいって、ソートーダメ。
本国の視聴率がウナギ下がりというのも納得。
やっぱり、カーターが降板したということは、本来の「ER」が終わったということであります。
「ER」という物語は、原作のマイケルクライトン本人の投影とも言われている、カーターがカウンティーに(まずは学生として)やってきた物語なわけ。狂言まわしとして、超スーパー当たり役の、(特に若い頃の真面目だが抜けてる)カーターの視点で物語は展開していたわけである。
それを言い出したらですね、狂言回しで語り部たるカーターが降りる前に、主役たるマークの死があの物語の本当の終わりだったのかもしれない。主役いなくなってよくやるよ。
さらに言うなら、私のいちばん好きなベントンが降りたタイミングでもう観るのを辞めてもよかったわけであります。
もっと言えば、ダグがいなくなったあの時、オリジナルメンバーの解散して、ERは終わったと感じた人は多かったはず。

などとすべての「ER」ファンが嘆いていることでしょう、シーズン12。しかしながら、そうして、どんだけクオリティが下がったところで、まだまだ、そこらへんのあらゆるドラマよりはっきりとおもしろさが上なところが、「ER」の圧倒的なところ。
こないだ「タイガー&ドラゴン」再放送を観ながら、やっぱり世界一のテレビドラマとはコレかもしれないと思ったものですが、今回チョーレベルの落ちた「ER」新シーズン観ながら、しかしなんだかんだ言ってやっぱ「ER」が世界一なのは、まだまだ不動かとも思う。が、このまま質が落ちていくのだけはなんとしても避けて欲しい。だったらぜひ、今のレベルで終わってください。
打合せおばあちゃん
午前中は大手町の某社にて打合せ。
私の書いたレポートは9月に既に納品済みなのだが、記者発表用の細かな内容について、発表者のエンドクライアントと代理店とわれわれスタッフで検討。報告書とは別に、記者用Q&Aマニュアルも作っているのだが、これがさらに増えそう。国会答弁のような応答問答集。
マスコミは昔「一休さん」に出てきた「なぜなに君」だ。なんでもかんでも「教えて教えて」と自分で考えることはない。そのくせ発言者の言質をつかんで、枝葉の部分を針小棒大にする。そして読者の結論を誘導するような、曖昧さの中にも強引な論法が見え隠れする記事を書く。マジで嫌いなんだけど、新聞記者とテレビ報道陣。あいつらは火事を煽るのが仕事で、火を消そうとする意思はない。大火事になって視聴率が取れたり、新聞部数が伸びればいいと思っているだけだ。

とりあえず、午前中の打合せは結構白熱。
午後帰宅。疲れたので昼寝。
いろいろ仕事が残っているのに、全然進まない。
今週・来週で5本のレポートを書かなきゃいけないのに、他の依頼も来たりして、もう無理だと2本断っている。

あとプライベートでは私の実家の祖母が危篤状態だと連絡も入るし。
おばあちゃんはもう90をずいぶん過ぎているから、まーそういうこともあるだろう。さすがに、通夜か葬式は行かなきゃと思っているから、それで多分一泊二日は完全に仕事ができない状態に違いない。

戦死した母方の祖父以外の、3人の祖父母のうち、わたしはこの父方のおばあちゃんが一番好きだったのだ。
おおらかで知的でユーモアがある。戦前は満州で教師をしたこともあるという彼女はずいぶんな読書家でおもしろい人なのだ。
高校行くのをさぼって1週間くらいおばあちゃんの家に滞在させてもらったこともあるが、学校に行けとは一言も言わない祖父母であった。
つーかまだ別に亡くなったわけじゃないけど。
仕事バタバタと片付けて早く山口へ行かないとと思うのだが。
おばあちゃん、頑張ってください。
キンモクセイとERの頃
「ER」の新シーズン(12)がとうとうレンタル開始。
街にはキンモクセイの香りが満ちる。
2年に1回はカーオブザイヤーが幕張である。

通常だとこういう時期、ヒマを楽しんでいるのであるが、今年はなんか様子が違う。すげー忙しい。どういうことだ。
答えは実はわかっている。今年は年度のはじまりに、「新規営業」を目標に掲げたけれども、あれがキッチリ実を結んだせいだね。ものすげーわかりやすい単純な図式。
一旦他社に(主に価格的問題で)取られちゃった案件も、やっぱ安いトコはダメって感じで戻ってきたりもしたし。
そういうなんとゆーか「景気回復」感ももちろん後押しをしているとは思うが。

普通にやってれば、仕事はたいてい減ることはあまりない。
知り合いは増える一方だし。
一度やった仕事はリピートがよくあるのがこの業界だし。
仕事1つ1つに細かな仕様があるから、イチから検討するのは面倒だからやった会社がもう一度受注するし、受注したら同じ担当者がやるのがフツーだし。
率直に言って、私は企画書のヒット率は決して高いとは言えない。が、当たった仕事のリピート率は、これは結構自慢できるほど高い。
これはつまり、見てくれは悪いが、一度やったら結構ウマイ、隠れたラーメン屋みたいなもの。視聴率は低いが、見た人の満足度の高いマニアックなテレビ番組みたいなものだ。はっきりいって顧客満足度が高いんである。

あ、いかんいかん、また自慢話。
俺って自慢始めると長いんだよねー。
筆が乗るのはいつも自慢。
俺ってサイコーって話なら何千文字でも超楽勝。
「俺が俺が俺が」って百万回言える。

こんなイヤなヤツのところに、いつも読みに来てくださってありがとうございます。
うちの息子の言葉を借りるなら「あいあと」。
もうね、これもね、個人的に爆笑。一人だけ大笑い。あと多分うちの嫁さんも大笑い。世界で二人だけにウケル超楽屋落ちなギャグ、それが子供ネタ。あいあと。また爆笑(一人だけ)。


ホントにすみません、あといつもありがとうございます。
どういうのがウケがいいのかよくわかんないので、適当に書いてます。
昨日もおおかたは自慢話だったのに、いつもに比べて「拍手」を押してくださった人が多かったので、今日も自慢話にしてみました。

ホント俺自慢多いんだよねー。
実際会ったことのある人はご存じの通り。
オフ会とか行くじゃん。
俺が口を開く時、その9割は自慢ね。
つーか、挨拶するじゃん、「こんばんは、はじめまして」
その次に自慢が始まるね、「ところで、さっき私、こんないいことありまして・・・」「私ってこんなにスゴイ人なんですけど、あなたはどういう人ですか?」。これが俺の場合、天気の話の代わりね。「いやーいい天気ですね」とか言われるとその返事は「天気がいいと俺調子がいいんですよねー」とかね、お百姓さんとか完全どーでもいい、常に自分100%。他人への配慮は1%未満。ファンタの天然果汁割合よりも低い。

こうやってわがままな人生を歩いているとですね、いろいろ苦労するんじゃないのとか思われがちなんですが、それは素人の考えです。そう、それは「俺」の素人。
わがままな態度で人生を渡っていますと、普通の人は逃げていきます。かかわりあいになりたくないと思います。あんなイヤなヤツはいないと避けるようになります。
ところが、中にはものすごく奇特な、キリストかゴータマシッダールタのような、もんのすごい徳のある人というのがいるものですが、そういう人だけが、このわがままな人の周りには残る。あんなわがままな人間、ほっとけない。みんなが見捨てるから、私が救ってあげないと、エライ人はそう思う。そういうものすごくエライ、人間の出来た人だけが、わがままな人間のまわりには残ることになる。

そういう事情から、私の周りにはものすごくエライ、人間的に本当に優しい、心が純粋で清らかで、献身的で道徳的なすばらしい人間しかいない。もーこれは昔から。ほんっとに40年間そうでした。私は周囲のみなさまのおかげだけで生きていると言ってもいい。それもこれも私がわがままに生きてきた賜物です。あ、やっぱ俺のおかげじゃん。

そういうわけで、私は経験的に知っている。
こんな言いたい放題やり放題の、自分が世界でナンバーワンと公言してはばからない頭のおかしい人間の書いているブログを、定期的に読んでくださっている皆様というのは、そのいつもいつも私を助けてくれる、あの心優しい人格者の皆様とだいたい同じような人たちであるということを。神様は私に「徳」を与えなかった代わりに、常に私の周りに「徳」のある人を配置するようになさっているのであります。もうね、それは昔っっっからそうなので、よくわかっているんであります。

じゃ、そういうわけで。
いつもいつもありがとうございます。
私はものすごくわがままであるけど、感謝の気持ちだけはいつも忘れたことはないんである。
中年はバカか?
子供の頃、例えば高校生の頃、40過ぎの中年オヤジたちには、若い時代はないと信じていた。ヤツラは生まれつき凡庸な感性しか持っておらず、先端的で美しい芸術やサブカルチャーを受け入れるこのできる知性はないと信じていた。

自分が40過ぎてみて改めて思うが、高校生の頃の自分の方がよっぽど感受性は鈍く理解力が乏しかったと言える。あの頃「感性」とか言っていたものは、非常に表面的なものに過ぎず「なんとなく知ったかブリ」が濃厚な、本質を理解できていない上っ面なものであることを知る。
はっきりいって、今の方がずっとずっと多様で深い感受性を持ち、もちろん言うまでもなく、繊細で細密なものをより複雑にえぐり取ることのできる知性もある。

人間は進化する。体力的には衰えたとはっきり言えるが、知的なもの、それは感受性も含めて、年を重ねるに従ってより繊細にしかも強靱になる。脳内の神経というのは、使えば使うほど複雑に絡み合い、細やかに発達していくものである。頭は間違いなくあの頃よりもいい。記憶力が落ちたってのは、私自身を振り返るとまだそんなには感じない。あの頃が特別良かったとも思えないし、今がすげー物忘れがひどくなったとも思わない。経験値が増えたことでものはより覚えやすくなったとすら思う。あの頃にはわからなかったたくさんのことは今はとてもよくわかる。人情の細やかな機微も含めて。感受性も高くなった気がするし、少なくともそれを表現する力は百倍身についたと思う。

じゃあ、あの頃感じていた、中年はみんなバカばっかという感想、あれは幻だったのだろうか?
それは違う。
今だって私は周りを見渡すと中年みんなバカばっかと感じる。高校生もみなバカばっかと感じるけれども。
年齢や世代には関係なく、たいていの人間がバカばっかなんである。
とか書くとまたいつものように、際限のない天上天下唯我独尊ブリであるが、俺のブログに俺がどうい自慢を書こうと文句あっかである。

それは半分冗談で、あの頃感じた「中年はバカ」の正体というのは、実はちゃんとわかっている。
それは例えば、昔の友達なんかに会ってみると、如実に感じる。
みんながみんな、ほんっっっとに「本を読まなく」なっている。
「映画を見なく」なっている。「テレビドラマも観なく」なっている。
「漫画も読まなく」なっている。
ものすごい勢いで、ものすごい割合の大人たちが、そういう変化を遂げている。

みんな家庭を持ち、仕事も忙しくなっているからである。
それはウソだね。俺だって家庭もあるし、仕事はそこらへんのサラリーマンより賭けてもいいけど絶対俺の方が忙しいってば。
仕事も家庭も言い訳ですね。
金持って他の娯楽を見つけているわけですよ、たいていは。
ゴルフやら、お酒やらが忙しいから、本やら映画やらまで手が回らないんですってば、絶対に。
別にどうということもない話でしたが。
東京ミッドタウン
21日日曜日。
今日は六本木の東京ミッドタウンで、みほちゃんたちとお昼ご飯を食べる予定。
みほちゃんというのは、よくこのブログにコメントをつけてくれるアノ人で、読みながらいったいこの人は誰なんだろうと思ってた人もいるかもしれませんが、その正体はうちの奥さんのとても仲の良いお友達であります。昔からわりと家族的なおつきあいをしている。例えば去年の大晦日は一緒に過ごしたり。その前の年の暮れは、みほちゃんとそのご主人の結婚式であったが、それには夫婦で出席もしている。ご主人のA君とは、結婚する前から何度も一緒に遊んでいる仲でもある。
うちの息子より1つ下の、まだ1歳になるかならないかのRちゃんという女の子も一緒。
6人で、東京ミッドタウンでメキシコ料理を食べる。

その前に、午前中某HUTのレポートを仕上げて送信。
土日にどうしてもやんなきゃいけないということでもないが、正直、こっから年末までかなりタイトに仕事がツメツメに詰まっている。だからちょっとのスキマ時間でも、やれることは少しでも前倒しでいかないととんでもないことになるのは目に見えているわけである。

そういうわけで11時頃車でミッドタウンまで。到着は12時前。
六本木へは、わりとシンプルに、青梅街道→新宿大通り(あるいは靖国通り)→外苑東通りの下道ルートが王道でかつやっぱ一番早い。
メキシコ料理はうまかった。
まだまだミッドタウンは新名所になって間もないため、来場者も多く、どの店も混んでいる。

2時間くらい会食。子供は二人ともまーまー大人しい方だった。
長引いていた風邪が治りかけてきて多少機嫌が良かったせいか。
ミッドタウンのいいところは、やっぱあの公園部分だと思う。
入っているショップは、安いアウトドア系アメカジ好きの私とはほとんど縁のないラインナップ。

帰宅は夕方4時。
夕飯は煮込みラーメン。
「建てても、いい?」「漢方小説」も読み、中島たい子はこれでコンプリートか。
結局いちばんいいと思ったのは、最初に読んだ「この人と結婚するかも」だった。表題作もいいし、併録の「ケイタリングドライブ」もいい。中島小説登場人物で、ベストキャラクター賞を一人あげるならば「そろそろくる」に登場する脇役、デザイナーの町田さんを推したい。
こういうオヤジに私はなりたい。
ワンナイトオンリー
昨夜、DVDで「ドリームガールズ」を見始めたらやっぱりコレが止まらない。劇場で観てからそんなに経ってないはずだが、おもしろい映画は何度観てもおもしろい。
サントラもウンザリするほどヘビーローテーションで聴いているので、劇中の曲はほとんど耳に馴染んでいるものだが、字幕で歌詞が出ながら観ると、あーそういう意味だったのかと改めて思う。

名曲のラインナップがズラズラズラっと並ぶわけだが、その中で一曲だけ選べと言われたら、私だけでなく、ほとんどの人が
「ワンナイトオンリー」
を選ぶに決まっている。

今回も、エフィが最初に「ワンナイトオンリー」を歌う場面、その時、イントロが静かに流れるシーンで
「きたきたきたっ」
とやっぱ思う。
あそこは何度聞いてもサイコーにしびれる。
これがアカデミー助演女優賞のほとばしるパワー。
あの切なさにかなう曲なし。
さらに、重ねて、ディーナが歌うゴージャスバージョンがこれがまた、イカス。

この映画では
(1)ファミリー
(2)夢を叶える
みたいなモチーフが繰り返されるわけだけれども、
それを上回る上位概念として
(3)ワンナイトオンリー(一夜の夢)
みたいなものがあると、改めて昨夜観て思った。

一晩限りの行きずりの恋を歌った「ワンナイトオンリー」であるが、これはもちろん、物語のあらゆるものを象徴している。

例えば
●歌の世界の頂点にいたのも「一晩の夢」のように泡沫のものだ
●カーティスとの恋も一晩(一瞬)だけのものだったのか
●また一晩だけでいいからもう一度だけあの舞台に立ちたい。あの一晩だけの熱狂をもう一度だけ取り返したい

あの曲が「一晩の恋」で象徴しているのはだいたいそういうことだ。
エフィがコブシをきかせて力強い歌声で
「ワンナイトオンリー、ワンナイオンリー」
と響かせるたびに、そうしたいろんな複雑な気持ちがあふれる。
やっぱ、R&Bてのは黒人の演歌なんだよなーと思うね。
もちろんイイ意味で。桑田佳祐も言っていた通り。

さらに物語は反転し、成功者となったディーナがこの名曲を歌うことで、さらに複層的な意味を持つわけだ。

●富も名声も恋愛も完全に欲しいものを得たディーナにとっても、やはりその成功はすべて「一晩限りの夢」のような存在だ
●そうした成功に実態はなく、あっというまに消えてしまう、一晩の恋のようなものだ
●家族と信じていた人間関係も、実は一晩限りの恋人のように、明日になったら忘れてしまうような、希薄なものに過ぎなかった

そういうニュアンスを含ませて、ディーナの歌が響く。
マジでこの曲は名曲だし、うまくそれに合うような演出で、脚本であることよと、つくづく思います。

圧倒的な名曲がきら星のように散りばめられている中で、「ワンナイトオンリー」だけが別次元に輝いているのは、この物語の核心をこれが象徴しているせいだ。
ちなみに、次に私が好きなのは、エディマーフィー演じるジミーがクビになっちゃう最後の舞台でアドリブで歌い出すアレね。くだらなくてノリノリでいかにもエディーマーフィーらしくてサイコー。
「そろそろくる」(中島たい子)
そろそろくる そろそろくる
中島 たい子 (2006/03)
集英社

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こないだの中島たい子「この人と結婚するかも」がやたらと良かったと宣伝したら、グレースケリーさんが、この作家の他著書を続々と読破されている。負けていられない。
「そろそろくる」「建てて、いい?」「漢方小説」を買ってくる。
まず「そろそろくる」を読んだ。

生理の話。PMSの話。

この人は、ワンテーマに絞っているから、「生理の話」とか「家を建てる話」とか「漢方の話」とか「結婚するかもしれない話」とか「中央道の話」とか、説明がしやすい。
しかし、その説明のしやすさは、諸刃の剣。「漢方の話」と聞いて、わかった気になる人は多いはずで、そういう人は読まないかもしれないし、また「漢方って嫌いなんだ」と思って読まない人もいるかもしれない。コンセプトの明確さはそういうある種顧客を狭めてしまう危険性もはらむ。

コンセプトは明確、とゆーか、この人はモチーフをクッキリさせているけれども、その奥行きは深く、またどんな読み手も楽しませることのできる普遍的な読み物としてのおもしろさをはっきりとたたえているのがこの作家の力量のある所なんである。
実は最初「漢方小説」が話題になった頃、私自身「えー、なんか漢方にも独身女にも興味ないけど〜」と食わず嫌いをしていたわけである。

そういう「漢方」とか「料理研究家」とか「家を建てる」というのは、むしろ「おまけ」。本を読む楽しさがこの作家にはあふれている。

「そろそろくる」は生理(PMS)のことがよくわかる小説でもあるが、しかしこの小説のいちばんの読みドコロは、何気ない(ありがちな)フツーの庶民のフツーの恋愛風景だったりする。そのさりげない自称の、生き生きとした描写、それに読者はいちばん心を揺さぶられる。
結局「PSMのことがよくわかってよかった」というオマケがつくだけ。ただ人に説明するときには、「生理の話だよ」とつい言ってしまうことだろう。なにしろ「生理をテーマ」にした小説はそうそうないし、言ってみればそういう希少性と独創性のため、この小説はヒジョーにキャラがたっているからである。

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武蔵野赤十字病院
17日深夜、2時頃。
これまでにない頭痛。
頭痛薬を飲んでもキキが悪い。
結局一時間以上かかってやっと眠る。

起きたら頭痛はおさまっている。
が、なんか不安なため、精密検査をしてもらおうと、朝イチで武蔵野赤十字病院へ。
本格的な検査系診察は、武蔵野エリアでは多分ここが一番ではないかと前から思っている。

結局忙しい中、午前中をつぶして、まるまる検査。
CTをとってもらう。
異常なし。
あーほっとした。
いつもの偏頭痛の重たいバージョンだったということがわかった。
検査するとやっぱ高い。
1万円近くかかる。
しかし、こういうのは安心料である。
私は、会社の健康診断とかもないわけだし、たまにはちゃんと検査してもらいたい。

それより仕事が残っている。
が、安心して仕事ぶっとばす。
病院の待合室でも少し仕事は進めていたのだ。
細雪キャスト
17日仕事本格化。
18日に出さなきゃいけない件があるのだが、結構残っている。
そういうわけで一般的な仕事の一日。
朝起きてまず仕事。
がーっとやって昼飯を食い(あるいは買いに)吉祥寺に出て、町をウロウロする。これはまー散歩という有酸素運動。だいたいこれがいつも1〜2時間。

サブウェイのサンドイッチを食べながら、借りてきた「細雪」をちらっと見る。
市川コン監督ノリノリの頃。
これ私が高校生の時の上映であったか。
確か「蒲田行進曲」もこの頃ではなかったか。
どっちも高校通学途中に、ポスターを観て、あーこれ行きたいなーと思った記憶がある。結局どっちも劇場には行けてない。

今ならこのキャストは誰だろうと思う。
末娘は、エリカ様でどうでしょう? あるいは蒼井優ちゃんで。
吉永小百合の三女(ほぼ主役)は、松嶋菜々子か?
市川監督だし。
他には暗めってことで、小雪とか。着物似合わないが深津絵里とかか?
上の二人は、まーどうでもいいっちゃどうでもいい。
寺嶋しのぶとか黒木瞳とかテキトーにやればいいじゃん。
最近観た映画
沖縄から帰ってきて、また早速忙しくなってきた。

秋の映画週間。
「深呼吸の必要」
沖縄を追体験する意味で見始めたが、これが意外とおもしろい。
長澤まさみがまだサブの扱い。メインが香里奈。
谷原章介や成宮寛貴など、今にして思うとすごい豪華出演陣。
2004年というと、3年前だが、既に結構な売れっ子になっていた頃だと思うけども、よくこんな地味な映画に、こんなキャストを集めたなーと思う。ちゃんとおもしろかった。

最近思うけれども、映画の筋って「びっくり」させるのもどーかと。
期待や予想を裏返すサプライズは、ミステリーには欠かせない要素だとは思うが、それは別に「すげーびっくり」させる必要というのはない。「ちょっとびっくり」くらいで結構十分だったりする。

こないだ観た「アンフェア」の映画版なんかもそうだけど、「すげーびっくり」を狙うと、わりと底が浅くなりがち。「24」のシーズン5の黒幕には「すげーびっくり」だし、「アンフェア」のテレビ版の黒幕にも「すげーびっくり」だが、そういう刺激を求めてしまうと、細やかな味わいができなくなってしまう。
例えば、とてもおいしいダシが出ている味噌ラーメンなのに、やたらと唐辛子を振りかけて「辛さ10倍」にして食べるみたいな。辛いのが好きな人のことを批判する気はないが、私は、そもそもの味わいを大事にしたいので、香辛料はあまりかけない派である。

そういう意味で、この「深呼吸の必要」程度のうっすらとしたミステリアスと、ゆるいネタバラシな感じが心地よい。刺激的じゃない分、落ち着いて観られる。「ちょっとびっくり」でいいんだよなーと思う。あんまり唐辛子はかけられてない感じで、しみじみと沖縄の味を堪能する感じがしていい。


「ディパーテッド」
も今初めて観た。
これがまた、上記の「すげーびっくり」を狙った感が明らかにするんだけれども、それがある分、確かにここんところのスコセッシ監督にしてみると、珍しく、ちゃんとおもしろい。(←退屈させないという意味)
元ネタがいかにもアジアンでクドイ感じ。ネズミネズミネズミでパンパン頭を撃ち抜きすぎ。だけど、ちゃんとおもしろい。
よくわからないのが、いったいなんでこれが、アカデミー賞なのかということだ。
こんなに品がないストーリー、どー考えてもエンターテインメントのことしか考えていないような映画の、(しかもパクリ映画の)いったい何が評価されているのか。普通に考えてアカデミー賞から最も遠いような映画なんではないか。
マーチンスコセッシ監督への功労賞か?
どっちかというと「アビエイター」の方がよっぽどアカデミー賞らしいと思うけども。
沖縄(5)10月15日月曜日
お昼の便で東京へ。
午前中は買い物などする時間もなく。
東京着は3時前。自宅へは5時に到着。

疲れた。
メールが490件来ていた。

沖縄のまとめ
●お勧めビーチ情報

1位)「瀬底ビーチ」
2位)「伊計ビーチ」
3位)「古宇利ビーチ」

●お勧めドライブスポット
「海中道路」

●騙されるな情報
「ちゅら海水族館」・・・観光本が書いてるほどたいしたことないよ
沖縄(4)10月14日日曜日
毎日毎日遊びまくり過ぎで、家族全員疲労がピークに達した。
特に子供の体調がイマイチ良くない。

当初、日記仲間のRomduol氏とこの日に落ち合う予定だったのだが、そんな事情でキャンセルさせてもらうことにした。
申し訳なかった。

この日は休養デー。
ホテルそばの海水浴場や、プール、その他施設を冷やかす程度で、カラダを整えた。
いやもう、遊び疲れなど、何年ぶりかというくらい、今回の旅行でははしゃいでいる。
今年は夏が死にそうに忙しく、私はプールに2回行っただけで、海には入れなかったのだ。その思い残しを、この秋休みに、沖縄で敵を取るように海で泳ぎまくっていた。
沖縄(3)10月13日土曜日
朝8時過ぎホテル出発。
「ちゅら海水族館」へ。
到着が10時頃。

今、とにかく、沖縄はここが観光のメインくらいの扱いで、どの沖縄本でもそのように書いてある。
が、はっきりいって、たいしたことなし。
沖縄は海以外、たいした観光資源はありません。
沖縄の人は、観光客は海くらいしか行かないとか思っているようですが、それはですね、はっきりいって自信過剰です。
海以外にはたいした観光資源などやっぱない。
この水族館はたしかにたいしたものだとは思う。
びっくりするよね、あのサメとか。すげーよ。マンタも。
でもそんなの、沖縄の海の青さに比べたらもーぜーんぜん、私にとって価値はほとんどないと言える。
水族館ってここのはそりゃスゴイけどさ、他にもあるよ、いい水族館って。

その後、
「伊計ビーチ」へ
このビーチがまた、なんとゆーか、素晴らしいの一言。
ホントに美しい。
泳ぎがいがある。
やっぱね、沖縄は海であります。
それ以上にどれほどのものが素晴らしいというのか。

マジで将来移住しようかと検討中。
車でぐるぐる回りまくって、北半分はそうとう土地勘もついたし。
沖縄(2)10月12日金曜日
ホテルで朝食。
8時30分に、出発。
目指すのは、2005年開通で、今ドライブコースとしては旬の

「古宇利大橋」

すばらしい。
絶景。
感動するよ。

また、その橋のたもとの海水浴場が信じられない透明度。
ほんっっっっっっとに、スゴイ。
ちなみに、通常10月末までは、普通に海水浴できます。
寒くはないです。
この日も最高気温が30度でした。

今まで経験したビーチとしては、世界第二位。
一位はやっぱりオーストラリアグレートバリアリーフにある「ホワイトへブンビーチ」かも。


とか言いつつ、昼飯を食った後に、寄った

「瀬底ビーチ」

が簡単に「古宇利ビーチ」を上回る。
すごいすごいすごいすごいすごい。
信じられない。
どうやって表現していいのかわからない。
とにかくものすごい透明度。
すぐそこに、熱帯魚が泳いでいる。
遠浅の海岸は何キロも続く。(どれだけ沖に行っても海水は腰まで来ない)
海岸は砂じゃないのね、珊瑚なの。
私は生まれて初めて、普通に泳いでいて、「ウニ」をゴロゴロしているのを見ました。俺は海女か?
「瀬底ビーチ」、これは沖縄本島ではナンバーワンビーチの呼び声も高かったが、さすが。ホンッとにスゴイ。
「ホワイトへブンビーチ」と同率首位。

帰宅後疲れて爆睡。
沖縄(1)10月11日木曜日
自宅出発朝9時。
羽田空港サービス到着10時30分。
空港サービス、安いのはいいが、なんつーか羽田から遠いのが気になる。成田みたいに近くに土地が余っていないからか。

飛行機は12時過ぎのJAL。
到着は2時半頃。

沖縄。暑い。セミが鳴いている!!
30度の猛暑日。
ちなみに滞在期間中ずっと晴れ。
これは当然、「日頃の行い」のせいであります。

那覇空港のダメポイント、それはレンタカーの場所が遠いこと。
普通、空港の中にレンタカースポットがあるか、あるいはすぐそばに隣接しているものではないだろうか?
私の知る限り、福岡空港は目の前にあったし、山口宇部空港は空港内にデスクがあるし、東京羽田だって空港内にレンタカーデスクはあったですよ(今は知らんが昔はそう)。知る限りのアメリカの空港もたいていはそうだった。
那覇は、なんと、バスに乗って10分ぐらい揺られて、ニッポンレンタカーに到着。他のレンタカー会社も似たようなものみたい。これじゃ、うーん、なんのためのレンタカーかと思ったりして。
しかもそのレンタカーの手続きが驚くほどまどろっこしくて時間がかかる。1時間くらいレンタカーを借りるのに時間をとられた。もちろん予約していたのにもかかわらずであります。

しかし、沖縄旅行で私が「これは嫌だ」と思ったのは、ただこの一時間のみでありました。
あとはもーーー驚くばかりのとんでもない愉悦の時間が延々と続くだけであった。信じられないような快適さ。気が狂うほどの気持ちよさ。沖縄は最高。星百万個(10点満点)。ハワイよりオーストラリアより、やっぱ沖縄じゃんというのが今回夫婦で一致した見解。老後移住先の話。

初日は疲れたので、到着して、すぐホテルの大浴場でお風呂。
ホテルは、残波岬ロイヤルホテル。
夕陽がキレイなことで有名な、残波岬にあるリゾートホテル。
評判通り、接客がすばらしい。
休みマン
今テレビ版の「働きマン」を見たところだけど、ダメだ、これは。
漫画と悪い意味で一緒だし、悪い意味でズレてる。
最悪のケースだ。
てゆーか、やっぱ、好きな漫画はドラマで見るものじゃない。
このパターンの最悪は例えば原田泰造主演の「編集王」なんかもそうか。
どっちも漫画の完成度があまりにも高いから、ドラマになるととてもみれたもんじゃない。原作のストーリーがあまりにも素晴らしいから妙にいじれないし、小手先だけの変更になる。そうすると漫画を知る人にとっては、「アラ」しか目立たない上に、ナンのサプライズもない物語になる。
強いて言うならば、
●マユ役の平山アヤがすげー似てて笑える。メイクやら表情の作り方とか相当研究したんではないか。
●それでいうと、主役の菅野美穂の、下まつげとか、一部表情の作り方とかも、マーマー似てると言えば似てる。

しかし、ドラマの役者が漫画と似てるからどーだというのか?
それでいうなら、世紀の傑作・映画版「課長島耕作」(根岸吉太郎監督)の異常な再現力にはとてもかなわないわけで。

配役のズレがまず、俺のようなコアなファンにはたまらなくイライラさせられるのだけれども、例えば、超重要な役所トップ2と言える
●成田デスク
●菅原
のあの役者はない。勘弁して欲しい。
どっちも顔だち的にはオッケーなだけに、なんじゃその演技はと怒鳴りたくなるほどにイライラする。
菅原役のBOSSの人には、以前にも「模倣犯」でガツンとやられた覚えもある。
成田デスクがそんな薄っぺらな人かよ。漫画読んだのかよ。あーイライラする。ただし、働きマン音頭の歌はうまい。あんたは最初からコメディをやっておけ。

そんなかんな。

しかし、私は明日から、本格的な「休みマン」に変身する。
かんっっぜんに、仕事を離れて、スッパーーーーと旅に出ます。
昨日・今日で、今進行中の件もある各社・各担当者には、キッチリ挨拶を入れているので、大丈夫。大丈夫なように、私が延々根回しもしてきたんである。毎度毎度みなさんの夏休み冬休み土曜日曜を替わってあげてるみたいなもんである。年に一度の秋休みくらいと、みなさん笑顔で許してくれる。武士は相身互いであります。
そういうわけで、しばらく更新ありません。
戻りは月曜日の予定です。
ではでは、またねー。
好き
「アンパンマン」の中で誰が好きかって、そんなもん、百人の男が百人ともドキンちゃんと答えるであろうことだけは間違いがない。
ウソ。
少なくとも私はドキンちゃんが一番好き。

あの性悪さ加減が、実にキュート。
無意味に明るく、バイキンマンにすら横柄な態度。
責任感はカケラもなく、誰が言い出したのかとか、そういう大人のロジックはまったく無縁の世界にいる。
まさに見たマンマ「小悪魔」な女。

変な話だが、ドキンちゃんはAVに出たりとか、風俗で働いたりとかは絶対にしないタイプだ。
そういう所で働いてしまう女性は、基本的に「責任感のある女」だからだ。「借金がある」と「返さなきゃ」と思ってしまうような、ある意味常識的で真面目でいい人だ。しかも、その借金が親の借金だったり、バカな彼氏の借金だったとしても、何しろ彼女たちには「責任感」があるので、ついつい悪い業者の言われる通り、AVに出たり風俗で働いたりしてお金を返さなきゃと思ってしまう。

しかし、ドキンちゃんには、責任感というものが1ミクロンもない。1ナノミクロンもない。こういうタイプの女性は強い。倫理観が根本から違うからである。本物の小悪魔とはこうである。小悪魔の手本。
いっつも最終的な責任はバイキンマンにおっかぶせて、「じゃ、あたし先に帰るねーー」ですませてしまう。アンパンマンはそんなドキンちゃんまでアンパンチでぶっ飛ばすことはしないのもちゃんとわかってる。
なんと賢い。

ドキンちゃん的生き方をするには、もってうまれた才能が必要だ。誰もがあの生き方を許されるわけではない。あれは、ホント、ドキンちゃんのように特異なキャラクターとキュートな魅力(?)みたいなものが備わっていないといけない。普通の人が「小悪魔」になることは世界が許さない。

また、これは私、経験的に知っているが、この手の小悪魔というのは、すごく「運がいい」のも必ず共通している。大病したり大失敗したりしないのが彼女たちの特徴でもある。健康的で明るく自分自身にもんのすごく正直であり、しかも機を見るにあまりにも敏。天衣無縫というか、自分自身の内面的自然にとことん忠実であるせいか、動物的な勘が異常に発達しており、沈みそうな船は一瞬で見抜き一番先に脱出できる。
自己犠牲とか、そういう人間的な美徳は彼女たちには無縁だ。しかし、生き物すべてが持つ「生命力」のようなものは、信じられない位に強く強く輝いている。

私がドキンちゃんタイプのことを好きなのは、まさにこの「生命力」のような部分か。あまりにも心から生き生きとしている、屈折のなさというか、わかりやすさのようなもの。
チュートハンパに小賢しい言い訳などをしないのが美しいのである。
嫌らしく汚らしいのは、ショボイ知性をタテに、ぐるぐると堂々巡りに陥っているようなハンパな人間タイプであるのは間違いない。こじつけた言い訳とか、見え透いたウソとか、おためごかしの偽善とか、私はそういう薄汚れたものが反吐が出そうなくらいに嫌いなんである。
「いのちの星のドーリィ」
疲れがたまっているのか、今日は一日ダルイ。微妙に風邪か。カラダの節々がちょっと痛かったりして。かといって、熱もなし、喉も大丈夫。ただダルいだけ。基本、もう急いで仕事することもないので、ガッツリ寝て暮らす。
そんな中でポロポロ最近の雑感。

映画「いのちの星のドーリィ」。傑作。
子ども向けであるが、シンプルで力強く、アニメーションとしての質も相当に高い。そのため、大人が観てもしっかり感動が伝わる。演出がうまいし、ビジュアルのクオリティが抜群。
後半最大のクライマックスに、男性重低音のアカペラでクラシック風に響くテーマソング「なんのために生まれてなにをして喜ぶわからないまま生きるそんなのは嫌だ」が、短調に編曲されて流れるんだけど、ここがもう、圧倒的な迫力で音楽美術の映画的重奏が生まれ素晴らしいの一言である。

バイキンマンが偶然作りあげたモンスター、これは制作者であるバイキンマンすら駆逐し、自立的に世界を破壊しようとする。つまりこれは「フランケンシュタイン」物語モチーフを非常にうまくアレンジしているわけだが、とてもアンパンマンシリーズとは思えないほどの恐怖の緊張感を成立させている。バイキンマンが敵役ならいつもアンパンチ一発でぶっとばされてて、ナンの怖いこともない。実際この映画では、なんとタイトルクレジットにかぶるオープニングエピソード3分でいつものようにアンパンチでぶっとばされている。そう、この映画の物語はそこから始まっているわけである。つまり「いつものテレビのアンパンマン」が終わった所からこの映画は始まっているわけだ。ね、まずこの着想と構成が素晴らしいじゃん。脚本は、俺の世代のアニメ通なら誰もが知ってるコンパル智子。作画監督は鳥山明モノの時代からは遙かにセンスが上がっている前田実。

しかしこの映画のすばらしさの本質は、実はその恐怖と緊張の演出にあるわけではない。
「なんのために生まれてなにをして喜ぶわからないまま生きるそんなのは嫌だ」
というあの主題歌の歌詞(作詞はやなせたかし本人)はなかなかに哲学的だという指摘を読んだことがあるが、この映画が素晴らしいのは、このテーマソングの歌詞を受けて
「じゃあなんのために生まれてきたのか」
というあらゆる人にとっての最大のテーマに、はっきりと力強く、しかも上っ面でも偽善的でもない形で、確信的な回答を与えていることだ。
その明確なテーマ性がこの映画最大の長所と言える。
しかもそれを、抜群におもしろい120%のエンターテインメント物語を使って。

難しい話を難しく語るのはわりと簡単だ。
難しい話をわかりやすく語るのが難しいのである。
この映画はまさにソレだ。
人生の一大命題に対し、明白な回答を、わかりやすく、おもしろく伝える。しかも説教臭さはなく、むしろ感動的に。ありきたりな展開なのに、スレた大人もつい涙を流すような美しい物語として、心に直接的にビンビン響かせます。「なんのために生まれてきたのか」。

まさかアンパンマンシリーズでこんなに優れた映画が存在するとは思いませんでした。アンパンマンのことをろくに観たことがない私のような大人が、あのシリーズのフトコロの深さを思い知って、その見方が一変してしまうような、傑作と言えます。
未見の方は、ぜひ。
ドラえもんの映画よりは、より深いテーマをはらんでいると思う。何よりも見せ方がうまい。単純に映画としての演出技術が素晴らしいんである。この監督のことは全然知りませんでしたが、やるなーと思いました。

蛇足ながら付け足すと、通常のテレビシリーズのアンパンマンは、まーあれは純粋に子ども向けテレビ。この映画だけが傑出して優れています。
それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ
戸田恵子、中尾隆聖 他 (2006/12/06)
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ドライブの楽しみ
早朝、千葉の妻実家へドライブ。
今日は妻実家で法事。
私が出席するほどのものではないし、本来すげー大忙しの状況のはずであったので、妻子は当初電車で行く予定であったのだが、昨日までに仕事がイー感じに収束したので、車で送ることにした。
朝7時頃には出発。
首都高、新宿線のツケネから両国までが混雑していたが、それを抜けるとスカっと通れる。天気も上々、海岸線も気持ちいい。
10時半頃には到着。

昼から法事。
私は実家との親戚づきあいをほぼ9割9分断っているので、何回忌とかうんぬんとかの法事というものに出席するのは子供の時(親と同居していた時)以来。東京に一人で暮らし始めてからは、さすがに祖父の葬式には出席したが、それ以外の行事はすべて欠席している。
ナンの自慢かよくわからないが、昔から私は親族から「いないものとされている」一人である。

ともかく昼から妻実家の法事。
念仏があって、挨拶があって、それ以降は献杯と食事。
よく晴れた日に、昼から飲む酒はうまい。
金を払わなくて済む寿司もうまい。
飲みきれないほどのビール、食べきれない位の寿司。

朝早かったせいもあり、食ったら熟睡。
起きたらもう夜。
夕飯は、寿司の残りと鍋。
また食べる。
今日はダイエットはなかったものとする。
実際レコード用のメモも忘れたし。
あ、そうそう、レコーディングダイエット、スゴイ効果ですよ。
記録を初めて、何もしてないのに、1週間で2kg痩せました。体脂肪も1%減少です。オタキングはウソをつかない。

夕飯を食ったら帰宅ドライブ。
これがまた道が空いてて快適。
空気は澄んでて夜景は美しい。

免許を持ったのは30の頃だが、正直それまで車に乗るのが好きじゃなかった。タダだから同乗しているだけなもんで、ドライブというのは、私にとって窮屈な空間に押し込められる、どっちかというと拷問に近いものであった。
が、免許を持って車を持って初めて知りました。
ドライブというのは楽しい。
ドライブというのは、あれ、本当は、運転手の楽しみですね。9割以上はそう。助手席や後部座席なんて、運転席の楽しみの1%も楽しくないんじゃないか。車というのは運転手のためにあります。乗って移動なら、やっぱ電車の方が楽しいような気がするし、飛行機の方がいろんなところへぶっとばしていけて意義がある。車というのは、「運転する」という楽しみを味わうものだ。ホントそう思う。

今日はとにかく、
朝運転
昼飯食って
昼寝して
夕飯食って
夜運転
という、言ってみれば、運転と食事しかしないような一日であった。
が、片道100キロ2〜3時間コースのこの運転は、私にとって非常に楽しいものであった。

運転の楽しさは、適度な緊張感と操作で増幅される全能感みたいなことなんだけれども、それはまた今度書きます。
ただの自慢話(読む必要なし)
今月10日過ぎに沖縄へ家族旅行に出かけるが、その前の10日間に提出しなければいけない仕事が6本もある、どーしよう大丈夫か・・・という話を先週末に書いたけれども、ふっふっふっふっ。
まず、こないだの木曜日までに3本は仕上げていた。そして金曜日の夕方ギリギリ営業時間内に4本目の仕事を納品した。あと二つ。
で、金曜日の夜8時過ぎに、やっと到着した5本目の仕事の集計データ、これをもってすぐさま作業を開始、つっても昨夜は1時位までしか仕事せず、そのまま今日土曜日8時に起きてから早速続きをガリガリと書いて、書いて、そして昼過ぎの13時30分頃、Power Pointで総ページ数が120ページ弱のレポート、とうとう書き上がりました。
これで、土曜日昼には6本の仕事のうち、5本が出来た!!
あと一本。
しかもこの残りってば、他の作業部隊の仕事とツキ合わせなきゃいけないんだけど、そっちがどうも火曜日以降じゃないと出来ないらしい。そんなかんなもありーので、実は私の仕事は、その旅行から帰ってきてからでもぜーんぜん間に合うというスケジュールに変更された。

やった、つまり、旅行前にやんなきゃいけない仕事はほぼ完成だ。
万歳。すごい俺。今週は俺結構働いたなー。つーかね、やったよ。実際問題、この間の売り上げもかなりイー感じになったと思う。

実は旅行から帰ってからやろうと思ってたもう一つ別の仕事もあるんだが、それが早めに集計データが届いているから、もうやっつけちゃおうかと思ったりして。
君は君のままでいい
三浦展の「下流社会」は非常に示唆に富む本であった。
三浦氏は、調査・シンクタンク業界の人間らしく、あの本は、データの読み込みが中心になっている。あの本は同業の私の目から見て、非常に優れたレポートだったと思う。

数値の読み取りには、公正さが必要だ。正しくあろうとしても、頭が悪いとつい間違った読み取り方をしてしまうこともある。頭が良くても、先入観や偏見を持って、自分の持つ主張的結論に無理クリ導いてしまう場合もある。
その辺、さすが