吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
ムー一族
待ちに待っててやっと出た。「寺内貫太郎一家」とか「時間ですよ」とかどーでもいいから、とっととコレを出せこのやろうと、何年も待ち続けてやっと吉祥寺TSUTAYAに導入された「ムー一族」DVD。
しかし、「ムー」はないの? いきなり「ムー一族」か? しかも3巻まで?
日本テレビ史上最高傑作と言えば、何十年経ってもこれに勝るものはなし。やっぱりなし。

その後の「ムー一族」っぽいものなら何本もあった。そのクソのようなダサセンスの、「時間ですよ、ふたたび」とかさ、バーカバーカバーカの駄作たちなら何本もあった。
くだらぬ。またくだらぬものが流れてしまった。
二番煎じという言葉はそれらのためにあると言ってよい。
そもそも、「ムー」および「ムー一族」とは、上記の「寺内貫太郎」等にある典型的連続ホームドラマというジャンル全般に対して、徹底したパロディでひっくり返したということが何よりも素晴らしかったのだ。そして、言うまでもないことだが、パロディのモノマネをしても、そんなもん、なーんのおもしろいこともない。
そりゃつまり、「織田裕二のモノマネ(パロディ)をした山本高広」の芸は確かにおもしろいんだけれども、「山本高広のモノマネ」を普通の素人がモノマネしたところで、おもしろさなどちっともないことと同様である。そういうことを「二番煎じ」という。ギャグは最初にやった人だけがエライ。発見も最初にした人だけがエライ。最初の人だけが勇気がある。最初の人だけが褒め称えられる。
誰かがやったギャグの真似をしても、なんの価値もない。
だから、エライのは、「ムー」と「ムー一族」だけだ。

まずね、あのオープニングが素晴らしい。30年経った今観ても、飛び抜けた新しさだ。
こんなん、いったいどのテレビ番組が追従できたであろうか。
ホントに、今観ても、ぶっちぎりの前衛。これが芸術。やっぱりエライのは「ムー」と「ムー一族」だけなんである。
なんといっても横尾忠則である。80年代に私が初めてニューヨーク近代美術館に行った時、唯一日本人としてコーナーをとっていたのは、横尾大先生だけであった。もしかしたら今なら村上隆もいるのだろうか。いやいやいや、村上隆と横尾先生とじゃやっぱ格が違うんじゃない?
今国民が改めて瞠目するがいい。ぶっとぶよ。ホントに、何言ってんのか、今だにさっっっっっっぱりわからない。どうして、ホームドラマのオープニング映像がコレなのか。信じがたいほど極端にとぎすまされたセンス。何度観てもクチがポッッカーーーーーンである。
でまた、あの名曲をクリエイションが奏でる。もちろんアホな歌詞などはついていない。

アホな歌詞といえば、もちろん、劇中歌である、郷ひろみと樹木希林の歌う「お化けのロック」あるいは「林檎殺人事件」である。殺人現場にぃ林檎が落ちていた〜。へいお化けのロクンロー、おいらになにがでーきるぅ。どっちもこれほどの無意味さはなし。まるっっっっっっっきり物語とリンクしていない点が素晴らしい。ホントに、これがマジックリアリティだ。(ウソ) つーか、今思うに、あの時代のドラッグ文化を絶妙にシンクロしてるってことか、なるほど、改めて深い。

「寺内貫太郎」なり「時間ですよ」に代表される日本的ホームドラマとは、いったいなにか、その意味を解体し、パロディとして再構築させたこの前衛的哲学的な構成。飛び抜けている、ホントにあらゆる意味で。

●一条家の代理人としてやってまいりました(細川俊之)
●用件はいわねぇでもわかってんだろうな(たこ八郎)

というあの絶妙のコンビネーションのルーティーンギャグね。日本人はこの二人に、天丼の本当のおもしろさを学んだのではないだろうか。

「たこ八郎」の名前の出たところですが、他にも
「伴淳三郎」「由利徹」など、今じゃみられない喜劇スターが一堂に会する。「左とんぺい」の役名は「野口五郎」であったし、樹木希林の役名は「カネダじゃなくてカネタ」であった。

とにかく何万言をついやしても、このドラマのすばらしさを伝えることはできない。
何度も言うが、「エライのは最初にやった人だけ」であります。
タモリ
オリンピック開会式やら、サッカー男女の惜敗やら、甲子園、景気減速発表など、出張中いろいろなことがあったけれども、いちばん感動したことは何かと言われれば、そりゃもちろんタモリが赤塚不二男さんへ読んだ弔辞であるのは間違いがない。
久しぶりにテレビ画面を見て涙がこぼれた。

普段、ぜっっっっっっったいに、こういう湿っぽいことは言わない人が、言う台詞は重みが違う。
彼の芸能生活というのは、何十年間も一貫して、こうした「テレビカメラの前で、『悲しんで涙を流す自分』を過剰に演出することで、『なんて人間らしい自分』を他へアピールし、自己満足する」とする偽善的な態度を批判してきたのだと言える。私の知る限り、タモリは非常に潔癖かつ真摯にその言外の主張を崩すことなくテレビの前に現れてきていたはずだ。
その「偽善の排除」の姿勢一貫性が非常に美しく、たとえば、明石家さんまやビートたけしなどと比べても、頑固なまでにそのスタイルが通されてきたはずだ。
たとえば、みのもんたやら、なにやらのように、日本テレビの24時間テレビの最後、サライを歌ってみんなで号泣するようなことだけは、何がなんでもこの人はやらなかったように感じている。
そりゃタモリだって人間だからついうっかり感動する瞬間をテレビがとらえたこともあったろうけど、その瞬間の少なさは、(あれだけの露出量から考えて)圧倒的だったはずだ。

私がタモリのことを好きなのは、こうした「徹底した」ところ。
偽善を排することがそんなにいいこととは思わないし、また80年代あたりには、やり過ぎだとも思っていたけれども、しかし、「世間におもねない」態度には勇気もいったはずだし、相応の代償だって払ってきたはずなんである。ただしその「一貫性」はきちんと効果をあげてもいた。
さんまやタケシが場合によっては、大げさな感動をアピールしていたにもかかわらず、この人にははっきりとした思想態度とそれを貫く強靱な意志があった。
もちろんこの人の思想とは「思想なんかない」ということで「意志なんか持たない」というものであったからちょっとややこしいが、とにかく「賢しらに思慮深さを他人にアピールしない」という点は一貫していた。だから彼の態度は80〜90年代には日本人全体の思想観にきわめて重大な影響も与えていると言って過言ではないはずなんである。

そうして、とにかく、人前の涙やら、人の死を悼む自分を、ずーーーーっと映らないように努力してきたこの人が、さすがに恩人である赤塚不二男氏のお葬式に読むあの弔辞ね。
これはもう、何十年分の「いいとも」「タモリ倶楽部」でふざけきってきたその重みがすべてずっしり乗っかっているのである。
「これでいいのだ」
「私はあなたの作品のひとつです」
「未来講師めぐる」(宮藤官九郎脚本)
二日かけて「未来講師めぐる」(全10話)を観た。
おもしろかった。
最初の2話は、あーこりゃ失敗作と思ったものだ。
今ならなぜそう思ったのかはわかる、最初の2話はメイン出演者が子供だったからだ。
子供にコメディはできない。
泣かせる子役はたくさんいるが、笑わせることは子供にはできない。
笑いこそ人間の持つ最高の技術。
非常に高度な精神性が不可欠、しかも膨大な知識と経験、その上天性の呼吸ともいうべきものが絶対に必要。
そんなことは子供には期待できない。
そんなことができた子供は、過去二人しかいない。マコーレカルキンと吉岡秀隆だけだ。

そういうわけで、最初の2つの話はあきらかに失敗作。
宮藤官九郎ももうおしまいだと思ったものであった。
が、そこでやめないで、続きを観て、大正解。
ガキすっとばして、大人同士の話になれば、そりゃーもういつもの宮藤官九郎。
私の大好きな黒川智花はいい役だし、フカキョンも悪くない。
いちばん良かったのはエロビデオ。
テレ朝の強みで、ちい散歩のパロディもいい。

いちばん近いのは、あれか、みったんルミたんの「僕の魔法使い」。
今、他に「吾輩は主婦である」もレンタル中。
そういうわけでここ数日、うちは、完全に宮藤官九郎祭り絶賛開催中である。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

最後が残念な「SP」
「SP」惜しかった。
かーなーり残念な最終エピソード。

まず、日本のドラマ、なんで、最後はいっつもいっつも、あーやってさ、

●拳銃持って向かい合ったまま、ベラベラおしゃべりするの?

いっつもラストはそうじゃん。
あれがいっつもいっつも、どーのドラマでもそうで、毎回毎々イライラする。
撃っちゃえよ、その横で。
なーんで、つったって拳銃構えたまま、ベラベラしゃべってんのよ。
ワールドカップで、ゴール前にもたついて、シュート決められない日本代表のようにイライラする。
がっくりだよ、おまえもか、「SP」。
途中まであーんなにおもしろかったのに、最後はそれかい。
結局それかい。
あのスピード感、理詰めな展開、緻密な構成、それはどこにいったのか。
なに、フツーのドラマになってんのかと。


そして、さらに残念なことが。

●おまえは「アンフェア」かと。

何が「大義のため」かと。
がっくりやと。
それ、まーーーーーったく同じじゃん。
おまえはカオルちゃんかと。安本さんかと。江口洋介かと。
ちょっとーーーと口に出るよ。
あーもー、最後の最後でがっかりやと。
あまりにも同じ手で萎えまくり。
映画見る気が一気に消えた。たぶん、ビデオでも見ないと思う。
途中まであんなに素晴らしかったのに。
なんで、こんなオチに・・・・。
途中まで120点だったのが、最後で15点、記録的な評価の急降下。

堤真一にそれをやらせちゃーあかんと。
それじゃ全部がパーになると。
ラストのダメさは「ロンド」並。がっくし。
ひっくり返して良かったのは瑛太だけ。

とにかく「SP」が良かったのは、
■安易なサプライズ
とか
■奇抜すぎる(リアリティを欠いた)設定
を丁寧に避けてたのが良かったのである。
つまり、派手なところをトバして、地味ぃ〜にじっくり作り込んでいた、その地に足のついていたような、「本格感」が良かったわけじゃん。
「笑い」もあるけど抑えてるのが、大人っぽくてクールだったわけよ。
鉄砲もあんまり使わず、手刀で飛びかかる岡田の姿がかっこよかったのだ。
それが、もーラストはパンパンパンパン、まーた「ディパーテッド」状態に・・・。
世の中の刑事物はみーんな「インファイナルアフェア」のパクリってことになっちゃったじゃん。
飽きたよ、頼むから、せめて、この地味にかっこよかった「SP」だけはそうしないでほしかった。

「SP」見てない人に、警告。
ラストエピソードのみ、まったく見る価値なしです。
ほんと、最悪の結末。吐きそうなほどにつまらないオチ。
「SP」(金城一紀脚本)
そろそろ本気で仕事開始。
午前中に、家庭用品の件、報告書完成、メールで納品。これは今度の金曜日までだったはずなんで、今出せば十分でしょ。ゆっくり時間があったから、わりかし緻密に出来たと思う。
午後から、美容系の仕事開始。
これが意外とタイトなスケジュールで金曜日まで。とは言っても、これ一本に集中できるからスグでしょう。

レンタルDVDで「SP」を見始める。
これがおもしろい。
一気に3本も見てしまう。
3巻部分はテレビで見ていたから、今日借りてきたのは1巻、2巻、4巻。
はまる。
岡田かっこいいし。
特に2巻の病院ジャックの件、見応えある。
和製「ダイハード」とすら言えるほど。非常に高い完成度。
テレビドラマでここまでできれば120点でしょう。
すばらしい。
「白い巨塔」(唐沢井上ver)
仕事の合間に何を息抜きにしているかといえば、相も変わらず、昔のテレビドラマDVD。
今放送しているテレビ番組は「めちゃイケ」以外に見ているものはないと言える。

現在見ているのは満を持して真打ち登場、2003年放送のフジテレビ45周年記念ドラマ「白い巨塔」。
2003年で45周年ってことは、現在2008年なら、50周年記念ドラマがあってしかるべきではないかと思うが、どうもそういう噂は聞きません。あるんでしょうか? 普通に考えると45周年より50周年の方が気張ったものが出てきそうな気がしますが。

この10年間にあった日本のテレビドラマのうち、ベスト1は、宮藤官九郎脚本「タイガー&ドラゴン」だと主張してきたわけだけれども、いやいやいやーーー、やっぱり総合力で、「白い巨塔」かもなーと改めて思うdegonnsu。
そもそも、この骨格からして日本を代表する抜群の物語が原作にあってですね、それがまたテレビドラマとして、現在考えられる限り最高のキャスティングで(←これがいちばんのポイント)、半年ドラマとして完璧な再構成をされ、細かなエピソードや台詞はまるっきり置き換えられているにもかかわらず、原作の良さを損なわない脚本と演出。見事というほかない。完璧だ。

そもそも私は「白い巨塔」は裏番組録画にして、クドカンの「マンハッタン・ラブストーリー」をメインに見る予定だったんである。で、あるが、冒頭、唐沢がいきなり目ぇつぶって鼻歌歌いながら手術のイメージトレーニングをしている、あのシーン、あのフンフンふーーんのあの映像で、もう完全にやられた。なんじゃこりゃあああああ。形勢は完全に逆転、「マンハッタン」も素晴らしいが、結局は録画はそっち、「白い巨塔」なんてすぐ原作読んでストーリーはまるっきり先まで知ってるくせに、「白い巨塔」が優先されたのであった。

「白い巨塔」のすごさはいろんなところに何度も書いたけれども、なんといっても、キャスティングにある。これ以上ないっつーくらい、完璧なあり得ないほどの気の配りよう。こんなテレビドラマは他にゃ絶対にない。
吉祥寺拓也のベストキャスティング大賞を挙げるならば
●1位「東教授役:石坂浩二」
●2位「財前助教授夫人:若村麻由美」
この二人は絶対に外せない。一番株を上げた二人でもあるんではなかろうか。
東教授のあの嫌ったらしぃ役、あれはもー石坂浩二以外あり得ない。
よくこんな憎たらしい(まったく本人の性格の悪さを思いっきり反映した)役を石坂浩二も引き受けたものだ。そこがあのプライド高そうな彼なのに驚異的。自分がホントにどれほど嫌われ者なのかの自覚があるんであろうか? ホント、あのいやらしさは石坂浩二本人のいやらしさ抜きには無理だけど、あんなクソ役、水戸黄門がよくやったと思う。心から感服する。

そして、新境地にして、空前絶後。若村麻由美と言えば、財前杏子、財前杏子と言えば若村麻由美。
これ以前の若村さんと言えば、正直言いまして、元朝の連ドラ主演以来、パッとしない普通に綺麗な人(記憶に残らない人)という印象しかなかったわけだ。
率直にいって、私の理想のタイプが、この財前杏子役の若村麻由美。
あの、クソのような黒木瞳やら、もっと気持ち悪いウンコ的役柄の水野真紀と対比が際だって特にいい。(どっちもクソ役とウンコ役を素晴らしい演技力で演じていただけだとも言えるが)

東家は他にも奥さん役の高畑淳子、娘役の矢田亜希子、この二人がまた信じられないほどのドはまり役。伊藤英明と西田尚美他、医局員もみな新鮮でドンぴしゃ、弁護士が上川哲也vsミッチーって、それだけで別のドラマできちゃうほどのナイスキャスティング。

今、第二部に入ったところまで見た。
視聴率は第二部以降の方がいいみたいですが、私はどっちかというと第一部の方が好き。
第一部は野心の話だったけれども、第二部は死と医療の話。
第二部は悲しい。あと、やっぱ、財前ちょっとヒール過ぎ。私の大好きな東教授ほとんど出てこないし。若村麻由美のインパクトも薄れた。
どっちも物語の濃さたるや半端じゃないですけれども。
イーディ
「デスパレートな妻たち」シーズン3を見終わる。
以下全体を通じての感想メモ。

1)今回「たてこもりの回」という最高傑作があった。
2)今シーズン中に、4人の主役のうち、3人が結婚式を挙げた!!
3)シーズン構成にはちょっと疑問。

3の構成について。
これは世界最高水準の脚本なんで、アジアの末端の感想なんか聞いちゃいないんだろうけど、ちょっと「座り」の悪い感じは残る。

デスパレートは、いつも、「シーズンを通しての謎」てのがあって、それが少しずつ解明されていく縦糸と、そんなもんはともかく毎度毎度のバカ話が楽しい横糸で構成されているわけなんだけども、今回はその縦糸の解決がなんか、中途半端に早いタイミングでなされちゃったので、後の残りの回(5〜6話くらい?)が、「消化試合」のような印象が残ってしまったのだ。

シーズン1の縦糸は「メアリーアンの自殺からはじまるあの家の謎」という長大な謎解き。
シーズン2の縦糸は「引っ越してきたミステリアスな謎」という意外としょーもない(けど結構おもしろかった)謎解き。
シーズン3の縦糸は、「カイルマクラクラン(オーソン)は果たして前妻を殺していたんでしょーかっ」という謎だったわけである。当然。

そして、この謎ってのは、すっげーミステリアスだし、いろんな登場人物が途中現れてきて、めっちゃ盛り上がる。少なくともシーズン2のメイン謎よりはずっとおもしろい。
これが、しかし、シーズンの3/4くらいのところで、クライマックスを迎えてしまう。緊迫感のある、これが最終回違うんかいというような、大団円的な解決があってとてもスカっとしてしまう。

スカっとするんだけどさ、それはほんとの最終回でよかったんじゃないのと思う。
残りの何話かが、ちょっとね、いっきなりトーンダウンなんである。
つまり、縦糸不在の物語になる。それじゃー普通じゃん。それじゃー「デスパレート」のおもしろさ、半減じゃん。半減はなくても、3割減だよね、やっぱ。
だいたいやね、そのカイルマクラクラン的謎のクライマックスが終わると、いきなり、ブリーとオーソンは新婚旅行に出ちゃって、最終回まで帰ってこない。
4人の主人公のうち、3人だけで話を回せばそれだけでも当然、楽しみは3/4になっちゃう。

そういうわけで終盤のいくつか「消化試合」がちょっと残念。
リネットの隣のおばあちゃんネタもおもしろいし、スーザン&マイクに完璧なハッピーエンドが訪れたのは、視聴者全員が喜んだはず。

いやーそれにしても、最終回の最終カットがアレかよ。やばいでしょ、また。引っ張るでしょ。これでまた一年待たされるのかよ。頼むよ。
あとまー心配はとにかくリネット。ガブリエルは9割以上の確率で復縁の方向か。スーザンとブリーには大きな心配事がないというのが、逆にどうやって今後物語になっていくのか? ブリーは息子とも仲良くなったし、てかアンドリューが最近イイコ過ぎ。オーソンはわざわざ大物俳優を引っ張ってきたんで、あんまり問題にはならないと思われる。
最終回
「HEROS」最終回。
驚きの、というほどでもないが、かなりキレイに決まったオチ。
ピーター空とんでどっかいけよ(あるいは瞬間移動でもしろよ)と思っていたが、やっぱ、あのオチがヒューマンで美しい。
それはですね、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のラストと同じです。
テレサ一人で白色彗星に行けばいいじゃん、ヤマトくっついていく必要ないじゃん、という突っ込みをするのはヤボというものなんである。なんでヤマトがくっついていくのか、その方が美しいからです。

だいたいSFに突っ込みを入れるヤツが私は嫌い。
そもそもですね、これはウソなんです。超能力者なんてホントはいないの。そんなウソ前提の話について、細かいところで言い出したらキリないじゃん。ぜーんぶウソなんだから、そのウソにどうのっかって楽しむかである。踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃソンである。

確かに、サイラーとピーターの能力は、あれだけ組み合わせがあるんで、もーちょっと戦略的にやりゃーそんなもんじゃねーだろうにというのが絶対に多々あるはずなんであるが、(特にピーターは、ヒロの力もあるので、超最強のはず)そういう細かいこと言うのはやめたい。
ヒロが未来の自分と会ったりしているけれども、こういう時間移動については、いろんなルールがそれぞれのSF世界にはあるものです。すべてのSFがローカルルール。うるさいこと言いっこなし。

最近、米ドラマは、シーズン最終回で、まともな解決を与えず、おもいっきり「つづく」の形となるケースが多すぎて、あれはもー私のようなDVDレンタル派にはストレスがたまりまくりだったのだけれども、「HEROS」は比較的結論的オチになっていて助かった。もちろん相当「つづく」要素が大きいが、とりあえずの最大テーマ、NYの爆発はどうなるのか、については結論が出ていてほっとした。

いやーしかし、結構楽しめた。おもしろいドラマでした。次シーズンも必ず見る。バックステージの設定がどうからまっているのか、その風呂敷の広げ方が気になる。サイラーの血痕が下水道につながっているお約束通りであるし、パークマンは撃たれたままだし、ヒロは戦国時代(?)だし。その他たくさんの謎は山積みのまま。

顔的にはピーターがいちばんかっこいいと思うのであるが、うちの嫁は、インド人のモヒンダーが好きらしい。昔から彼女の趣味がよくわからない。しかしだいたい、彼女の言う意見はその後多数派となることが多い。麒麟の川島とか、V6岡田君とか、世間で盛り上がる前からずっと主張はしていたようである。モヒンダーも来るのか??? ●人じゃん。
女の子は言うまでもなく、クレアがいちばん。これはもう世界中の男の意見が一致であろう。ヒロみたいなオタクはチャーリー萌えというのもわかる。私は個人的に、ベネットの部下の故イーデンが好き。「あんた警官らしく、ドーナツでも食べてなさいよ、豚野郎」
「HEROS」おすすめ
「HEROS」、昨夜10巻を見終わる。
すげー。尻上がりにおもしろくなる。
特にこの10巻の「5年後の世界」は必見。いまのとこ、いちばんおもしろい回。
前半の山場、「チアリーダーを救え」の回までは、はっきりいって、顔見せイントロだ。
主要登場人物たちの顔と名前が完全に暗記できるようになってくる中盤以降が盛り上がる。
「5年後の世界」が、これまた、なんつーか、まるまる「AKIRA」だ。
途中一回爆発して、その後の世界の描かれ方、善悪がひっくりかえったりする全体の雰囲気が。

個人的には「24」より「HEROS」の方が好きだ。
そりゃたぶん、もともと警察モノ(サスペンスモノ、推理モノ)よりSFが好きだからだろうけど。

私の好きなアメリカテレビドラマシリーズ
1位)「ER」これはもーダントツ
2位)「セックスアンドザシティ」これも不動の地位と言えよう

ぐぐっと落ちて
3位)「デスパレートな妻たち」と「HEROS」が並ぶ。

途中脱落、どーもダメと思ったのが
■「プリズンブレイク」・・・最後まで我慢する価値はあるのか? とりあえず前半は超かったるい
■「グレイズアナトミー」・・・「ER」好きには二番煎じにしか見えず3巻で脱落

あんまりドラマや映画には我慢しないことにしている。
退屈さを我慢しなければならない義理など何もない。
私も忙しいのである。
やりかけの仕事はたくさん残っているし、時間があれば家のことも手伝いたい。読みたい本や漫画は山積みだし、時間があれば温泉だって行きたいのだ。そもそも、睡眠時間だって十分とは言えない日々が続くことも多い。
そんな中で、いったいどーして、映画やらドラマやらのために、我慢しなければならないのだろうか。
つまんない本も読みたくないし、凡庸な映画も見たくはない。限られた時間の中なんで、とにかく、「これは絶対におもしろい」というものしか接する価値などない。

ネット上で、この人の書評はいつも確実というブログが巡回サイトに入っている。
映画についても同様。
あらゆる娯楽は常に賛否両論だから、いかに自分の趣味に合った(そしてそれが世間より早い)書評・映画評サイトを見つけることができるかってのがブログ生活のポイントであろう。
HEROS
米ドラマ「HEROS」にはまっている。
今、8巻が見終わったトコロ。

見始めたとき、ヒロ中村が未来からやってきたシーンから、「これはAKIRAだ」と思ったわけだけれども(金田のシーンにそっくりだったので)、いろいろ見ながら、たぶん、いちばん色濃いのは「サイボーグ009」だと今思っている。

「サイボーグ009」って名作扱いされるわりに、実は結構つまんない。「鉄腕アトム」がつまんないのと同様。嘘だと思う人、文庫が出てるから読んでみるといい。実は読んだことのない人も多いはず。あの時代の漫画ってのは、こう言ってはなんだが、正直ぜんぜんレベルが低いのだ。まだ漫画の基礎を作り始めているころで、人を楽しませるエンターテインメントの鉱脈はまだまだつかみ切れていない印象である。どっから飛躍したか、その線を引くとしたら、私は梶原一輝の栄光のマガジン2作品と、本宮ひろ志の登場あたりからだと考えている。有名なジャンプの「努力・根性・勝利」の法則だが、そのジャンプの基礎を作ったのが本宮ひろ志だし。「ドラゴンボール」(の特におもしろい部分)なんて、まるまる、「男一匹ガキ大将」のストーリーテリングとほぼ同一だと言ってもいいくらい。その前段(本宮のカウンターカルチャー)にもあたる、梶原一輝がやはり日本のエンターテインメントを変えたのだと言えるのかもしれない。

話はそれたが、「サイボーグ009」、アレ、結構つまんないです。名作と言われているわりには。
ただ、アレの最終シーンが、何より、今でも歴史に残る、腐女子的傑作シーンであるのは確かで、あの詩的なエンディングは「あしたのジョー」に並ぶ出色の出来映えだ。「灰になって燃え尽きる」シーンのパロディはもううんざりだけど、流れ星のパロディをやる時はすごくセンスがいいと思う。

で、そのつまんない「サイボーグ009」だが、あれのどこがおもしろいかって、その最後のカットをのぞくと、実は、イントロダクションがいちばんおもしろいのだ。世界中のいろんな人種から任意にひとりづつが誘拐されて、改造されていく。で、それぞれのサイボーグたちが、各人で別種の超能力を持ってますよ〜的な紹介までの部分、ここは、ホントにわくわくする。
石ノ森章太郎先生は、上記でけなし気味ではあるが、やっぱり天才だと言えるのは、あのキャラクター造形力に尽きる。私の世代で石ノ森先生に影響を受けていない日本人男性はゼロだと断言できるほどだし、世界オタク文化の総本山というのは、実は手塚治虫教ではなく、石の森章太郎教だと言ってもいいはずなんである。少なくとも特撮分野においては絶対にそうなはず。石の森章太郎と松本レイジがいなければ、「スターウォーズ」は生まれていなかったはずだ。黒沢はいてもいなくてもたぶん「スターウォーズ」はできていただろう。ルーカスは妙に黒沢を持ち上げ気味だし、評論家も黒沢の影響をやたらと指摘したがるが、おまいら、そんな、「かっこいいところ」ばっかりの引用してんじゃねーよと。R2D2が「隠し砦の三悪人」とか言う前に、あきらかに、「宇宙戦艦ヤマト」のアナライザーじゃんと。怪獣怪人のたぐいは、石の森先生が生み出したものに影響受けてないはずがねーだろうと。

また話はそれたけれども、その「サイボーグ009」でいちばんおもしろいエッセンスがわかっている人が、そのイントロ部分を懲りまくって相当練り上げた物語が、この「HEROS」だと言える。
シーズン1は、そのサイボーグ戦士たち集合の物語みたいなものだ。
「幻魔大戦」映画版が「HEROS」だと前の日記で少し書いたんだけど、考えてみれば、「幻魔大戦」の最初のオリジナルは、石森章太郎版でもあったことだし。

また、私が米ドラマでいちばん好きなのは、やはりなんといっても「ER」なんだけれども、「HEROS」の構成が非常に「ER」的なのも、私が好きなトコロ。
特定主人公というよりも、群像劇。複数の物語を並行させて、視点と舞台をコロコロ大胆に変えていくことで、物語全体にスピード感と、適度な混乱を与えて、厚みのある物語になる。
今の心配は、「HEROS」のピーター爆発オチが、小山ゆうの「愛がゆく」的なチョーしょうもないズッコケオチにだけはしないでほしいということである。あれだけひっぱって、そりゃないぜセニョリータである。

「HEROS」にいちばん文句が出るのは、日本人の扱われ方なんだけれども、これはもうね、私、さすがに慣れました。「このドラマはこういうもの」と覚悟すればそれなりに楽しめます。
星ひとつの夜
桜は咲き始めたが、まだまだ忙しい。
てゆーかギリギリ土壇場受注が相次いで、結構タイト。
月火の2日で新規3件の引き合い。
他にすげー昔、言われてて忘れていた件が現れて、しかも、4月3日まででヨロシク。
今、業界は全員がテンパッているに違いなし。
どんな無茶ブリへも対応するのが私の得意技、どんなスパイクも必ず拾う(昔の)日本女子バレーのような仕事ぶりが真骨頂の私である。
今週末、てゆーか、今日入れてあと3日に形にして提出しなきゃならない仕事が4本ある。(そのうち一本は昨夜のうちに完成し送信)。
今日はまるまる一本完成させたいし、その気分転換で、軽いグラフ作りやら、軽いコメント書きやらもちょっと行ったりする。

そんな私の唯一の楽しみは、妻子が寝静まった頃に観る新作のDVD。
昨夜観たのは「星ひとつの夜」。

星ひとつの夜星ひとつの夜
(2008/03/19)
渡辺謙、玉木宏 他

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これは放映時すげー観たかったんだけど、ちょうど去年のその日、田舎に帰ってたりして観ることができなかったのだ。このネット社会ではあちこちで、感想やらあらすじが氾濫してて、観る前から完全に細かなストーリーまで把握してしまっていたので、ちょっとその辺ががっかり。
山田太一は必ず、細かなサプライズを入れて入れてつなぐタイプなんで、その驚きが味わえないとなるとちょっぴり残念。やっぱり山田太一はリアルタイムでテレビで観るのが一番。
もちろん山田ドラマは、そのびっくりを味わうだけの物語ではないので、しっかりと味わいが残る。

いつものように、解決のないドラマ。問題提起をぽーんと投げかけて、ゆさぶって終わり。
いしだあゆみの言う「若いうちに何億も稼ぐのってどうよ」的意見と、玉木の生き方に対する、結論は出ないままだし、渡辺謙のえん罪もそのまま。それどころか、笹野高志との関係すらほったらかし。
そして絶対に続編を作らない。
安易な教訓やら結論を垂れ流さず、対立的意見をくっきりと際だたせて、どっちにするか、視聴者のみなさん、ちゃんと自分で考えようね、というスタンスがいつものように、山田太一。ここが凡百の脚本家と文学者山田氏の違い。よく並び称される倉本聰と比べたって、あきらかに山田太一の方が深い。

テレビドラマは宗教じゃないので、答えはいらないし、だいたい答えなんかないだろうに、ってのが山田氏のいつものやり方。人は必ず死んでしまうという、厳粛な事実があって、その理由はいろいろ答えがあるようだけど、実際のところは、答えなんかないんじゃないかと思うような感じ。ある種のニヒリズム。答えなんかない、正義だって相対的なものじゃないか、みたいな虚無的なものがいつも底にあって、だからこそ、ちょっとしたふれあいに幸せやらを感じるみたいな。その麻酔注射のような、友情やら恋愛やらにまぎれて、本質的な虚無をやりすごしていくというのが生き方の本質なんじゃないか、みたいな、暗く言ったら山田太一はいつもそんなスタンスだと思う。

だから山田ドラマは解決策やら大団円はなく、突き放したような物語の終わりが来る。期待やら不安やらをどっちも適当に予感させるけれども、予定調和とは言えない結末を迎える。

それにしても、「彌太郎さんの話」からコッチ、やたらと多いのが、えん罪で何年も牢獄ってモチーフだ。その前の「遠い国から来た男」もそんな感じだし。
やっぱね、このえん罪が一番の「この世の地獄」感が出るね、確かに。絶望的な時間だ。10年とか20年とか。えん罪ってのは、つまり「誤解」ってことで、人は誰も共感できるのが、誤解を受けて関係ないそしりを受けるような事態、そういうことなら、誰にでも思い当たる経験があるけれども、あれは確かにつらいものだ。それの究極の形がえん罪なわけで。
「一生を台無し」になるという感じが一番伝わる感じがする。
伝説
伝説の番組と言えば、ただ一つ。
86年と87年のクリスマスに放映された「メリークリスマスショー」。
桑田佳祐と松任谷由実の二人を核に、ありとあらゆる、当時のスーパーアーティストを結集して作られた奇跡の音楽番組。司会は明石家さんま。出演アーティストの名前の列記はもうめんどくさい、ホントに当時のスーパーアーチストの全員が出たと言ってもいいから。いちいち書けないのだ。
ただダラダラと順番に出る番組なら、紅白歌合戦もそうだし、毎週の歌番組も基本そんなもんなんだけど、この伝説の番組のすごいのは、信じられないような、組み合わせで歌っていること。
たとえば桑田佳祐作曲、松任谷由実作詞の「クリスマスだからじゃない」とかね、あり得ないでしょう。
まーそれもあるっちゃーあるよね。いまでもたまによくある話。しかし、この番組は、その場で歌わせる歌自体がもー信じられないくらいの超スーパークオリティなわけ。しかもそのほとんどが一回こっきり。歌自体がそのスーパーユニットのために提供され、しかもその後の放送がなかったりする。
ウィーアーザワールドが出た翌年あたりの企画だから、あれを意識していたとは思うけれども、はっきりいって、日本人にとっての衝撃は、あの聞き飽きた音楽、見飽きたPVの百倍はあった。少なくとも私にはそれ以上のインパクトがあった。
何よりも、この番組が伝説となったのは、とにかく、楽曲の発売はもちろん、その番組自体の再放送やビデオソフト化が(確か)なされなかったこと。これにつきる。
だからまーとにかくレアでレアで、いまだに、語り継がれているわけである。
ほんっっっっっっとにあの日のあれには超びっくりした。
私個人は「電通」ってのはどこまですごい会社なんだろうと、あれほど思ったこともない(確かエンドクレジットでの制作が電通だったんで、そんな名前の出し方もすごいわ)。


そして長い間日の目をみることが許されなかったこの伝説の番組。
語り継がれることしかなかった、奇跡の番組。
やっぱね、ユーチューブはすごいわ。
なんでもあるユーチューブ。
こうして奇跡は再生される。
伝説は摩滅するが、あの時の興奮をもう一度味わえるとは思えなかった。
ソフト化されてないってのは私の勘違で、ビデオ発売されてたのか?

今見ると、例の桑田作曲、ユーミン作詞のエンディング曲「クリスマスだからじゃない」はそうでもない。当時死ぬほど笑い転げた次の曲などがやっぱり思い出にも残っているし、今見てもすばらしい。

二年連続で一番おいしい二人組
鈴木雅之&桜井賢




「二人のFour Season」
泉谷しげる&渡辺美里&竹下登(当時自民党新総裁)
好きだなぁ、こういうの。




超高額出演料の物まねグループ
BEACH FIVEの「長崎は今日も雨だった」
翌年の別メンツのTAKE FIVEもさらに下品になってて必見。


偽キャンディーズ(ユーミンと原ボーとアンルイス)の歌う「年下の男の子」
翌年はキョンキョンも参加。


とにかくね、あらゆる楽曲のアレンジのすばらしさをみよと。
一瞬だけのコネタ数々、そのすべてに対する偏執的な懲り方が伝説なんだと。
テレビ王
過去、私の知る限りの数あるテレビ番組の中で、これはっと思うもの。
ドラマの話は何度かしたが、それ以外のバラエティの番組企画で、すばらしいと思うもの。

いくつも候補はあがると思うが、まず筆頭にあげられるべきなのは、明らかに次の2つ。

一つは「食わず嫌い王」(とんねるずのみなさまのおかげでした)。
パロディとしての様式美は完璧。
みんなが大好きな「食」テーマ。食ってるシーンだけでも十分楽しめる。
どれだけ旬の(そして無芸の)芸能人も出演可能。たとえば野球選手とかね、トークがイマイチの人でもこれは話題が広がるし、そもそもしゃべらなくてもおもしろい。
ネタ当て推理番組としても奥が深い。
そしてあらゆる出演者の人間性掘り下げにもこれ以上有効な、そしてお茶目な企画はない。
本当に、この番組企画だけはすばらしい。
完璧だと思う。
だてに十年以上も続いていない。
とんねるずの二人でなければ、厳しかったかもしれないけれども、ただ、ナイティナインにこの企画は無理かと言えばそうでもないはず。でもね、この裏の意味として、「とんねるず石橋ほどわがままで好き嫌いが多そうなヤツもいねーだろ」みたいなニュアンスがあるからこそおもしろいってのもあるんだよね。
ナイナイが出てきたところで、他の食バラエティ企画、たとえば「ゴチ」もおもしろい企画だと思うけれども、やっぱね、あっちの方が飽きるんだよね。結局は「うまそう」って感想ばっかりだから。
いかにこの「食わず嫌い王」が優れているかだと思う。
何年たっても古びない。
好き嫌いってやっぱ、人間の尊厳の根源だよね、みたいな哲学がある。


他にもいくつもあるけれども、私の思う、これが日本テレビ番組バラエティ界の最高峰にして、到達点だと思うもの。
それは「空耳アワー」(タモリ倶楽部)。
同じタモリがメインとなる、その亜流企画(パクリ番組)「ボキャブラ天国」などはとても見る気も起きない蛇足番組の筆頭であるが、この「空耳アワー」のクオリティは、大昔から一貫して高いままだ。
他にもこんなような企画コーナーはいくらでもある。
しかし、この「空耳」はあの馬鹿映像のスーパーセンスと、タモリの脱力感と、サブの安斎さんの無気力な笑顔が、ことのほかはまっている。
上記の「食わず嫌い王」でもそうだが、優れた企画はたいていの場合「安い企画」でもある。
まさにアイデア勝負。
特にこの「空耳アワー」のチープさ加減は半端じゃない。何十年経っても、初期の頃からの低予算ぶりは変わらず、そして、そのおもしろさクオリティだけは常に一定以上をキープ。
投稿番組としては圧倒的だ。
大昔の萩原欽一氏司会の「欽ちゃんの〜」は当時から私はそのほとんどが受け付けなかったけれども、あの寒さの一因は、司会者のくどすぎるいじりもさることながら、そもそもの投稿レベルがかなり程度が低かったということもあるはずだ。
「空耳アワー」はまずその、企画からして、視聴者を選び、また投稿者を明らかに選ぶスタイルだ。毎週せいぜい2〜3本という、少数精鋭主義もまた、番組のクオリティを高いままに持続させるコツか。



昨日久しぶりに今年度の「空耳アワード」をやってて、また大笑い。何年経ってもおもしろさ変わらず。これまた、「食わず嫌い王」以上の長寿企画ではないだろうか。
実は他にも「マネーの虎」とか「クイズ悪魔のささやき」とかすばらしい番組企画はいくらでもあるのだけれども、とにかく「食わず嫌い」と「空耳アワー」は質が落ちない、長く続く、とそれだけでもすごく評価できると思うのであります。
欲張りなキムタク
キムタクは欲張りだから嫌いだ。
木村拓哉はその顔やら声やらは、確かに美しい。Gakutoと並んで、世界に通用するほどの美形スターだと心密かに思っている。美形揃いのジャニーズ事務所の中でも傑出している。

しかし、例えば、ラジオ番組「ワッツアップスマップ」とか聴いたりすると、イライライライラ、何かがカンにさわって仕方ない。一人で車に乗ってると、FM付けっぱなしだからどうしても耳に入ってしまうのだ。
テレビを気分良く観ていると、ふっとあらわれるニコンのCMにも、イライライライラさせられる。

このイライラのことをちょっと考えるに、彼のあの「負けず嫌い」な性格のためか、勘違いしたに等しい、はっきりいって自惚れが過ぎる、自意識過剰ブリがどーしても鼻につくのだ。
彼が自分のことを「美しい男」と語るのは、ぜんぜん自意識過剰ではないと思う。ホントにそうだもん。それは勘違いでもなんでもない。正しい認識だ。嫌がる人もいるかもしれないが、俺はオッケー。それは自惚れでもナルシストでもない、あんだけキレイな顔なら評価されて当然。30過ぎてるのに、体型維持もきちんとしてて、スターの自覚もある、堂本剛とか見習った方がいいよね。
だから、彼が自分の見た目の良さを誇ったりするのは、超オッケーだし、当然のことだ。彼のウリはそこなんだから(つーかそこしかないんだから)。

しかし、彼が「自分のことを、いっぱしのクリエーター」とか思っていたりするとしたら、そりゃね、誰でも思うでしょうが、おまえ、それはアキラカに勘違いだよと、それは普通(キムタクファンでない限り)イラっと来るのではないでしょうか?
キムタクは、見た目の男であって、見た目「だけ」の男であります。演技の才能もある程度はあると思うですよ、「ハウルの動く城」とかちょー見直しちゃったし(演技を付けた方の演技指導がきっと素晴らしかったせいもあるだろう)。少なくとも、同じ美形でも竹野内豊とかに比べたらもー超雲泥の差、ちゃんと演技できるアイドルですよね。
でも、彼は、何かを創り出すような人ではないし、気の利いたセリフを言って笑わせるような芸人でもない。彼はアイドル(あるいは俳優)としての「プロ」であって、クリエイターのプロでもなければ、お笑い芸人のプロでもないわけだ。

そのアイドルであるはずの彼しゃべる「ワッツアップスマップ」のフリートークとか聴いてると、それがもーーー、「クリエイター気取り」がヒドイわけ。「自分が物語を作っている」感を、むりくり漂わせようと、もーそりゃね、くさくてとても聴いてられないですよ、聴いてみりゃわかるけど。金曜日の夜にやってます。こないだチラッと聞いたのも、例の話題になってる「キムタクが総理大臣になる新月9」の話をやっぱしてるんだけど、もうね、さもね、「自分がそのアイデアを出した」とか言わんばかりなわけ。おそらくは優秀な作家やプロデューサーその他大勢の企画スタッフのプロたちが、集まって、あのノータリンのキムタクをどうやったらかっこよく見せておもしろいドラマを作ることができるかに、必死にいろいろ考えているに違いないだろうに、ラジオ中のキムタクは、さも「俺がキーワードを出した」「俺のアイデアでみんなを動かしてる」的なニュアンスのことを、言いがちなんだよね。この辺がちょっと脱力で、イラっとくるわけだ。
んなわけねーだろうが。
おまえもそら一言くらい意見は言ったかもしらんが(=しかもトンチンカンなヤツを)、そういう考える作業は考えるプロたちが一番大変なトコやったに決まってるじゃんと。スターさんが変なこと言うと、みんな気を遣わなきゃいけないんだから、黙っとけっちゅーの。

「ニコン」のCMでも、キムタクが、さもさ、「自分は撮られるだけじゃなくて撮るのも好き」な芸術家風要素をアピールしたがってるじゃん。カメラといえばその先人である福山雅治も超ダサかったけど。

おまえらはただの見た目だけの男なんだから、それ以外、口出しやめとけっての。
分をわきまえろと、言いたいんである。
自分が何者なのか、勘違いするなと。

人は自分の持っているものに、十分な注意を払わず、「もっと別の何か」になろうとするものであるが、それが過ぎると、こういうウザくてイライラさせられるわけだ。
同じSMAPの中居クンが芸人気取りでつまんない司会してるのも、私は結構ダメ、観ていて辛くなる。中居クンも静かな芝居すれば、超かっこいいのに、あんなくだらないことしゃべんなきゃいいのに。おもしろいことはお笑い芸人に任せればいいじゃん、なんで、その見た目プラスαとか欲しいのかな。

欲張りすぎ。
顔だけの男達が、ただ、そのチヤホヤの波に乗って、「俺は顔だけの男じゃないんだぜ」くらいに思いたいのかもしれないんだろうが、違います。あんたは「顔だけの男」です。それ以上ではないです。
芸人になるのも、クリエイターになるのも、芸術家になるのも、しかるべき才能をもった人たちが、結構地味な努力も重ねてやっとそれで飯食っていけるようになっているものです。あんたは「顔がいい」からってその人たちの仲間にいれてもたいかもしれんが、それは無理。あんたは「顔だけ」です。

もっとアイドルとしての矜恃をもってもらいたい。
分をわきまえてもらいたい。
いい年こいて勘違いは超恥ずかしいし、みていてもイタいだけだ。
Lの世界
「Lの世界」を観た。
松山ケンイチの当たり役、Lを主人公にした「デスノート」スピンオフムービー。
自分の命を引き替えにして、ライトの巧妙なカラクリを仕掛けた、エルの最後の日々を描いたもの・・・・ではもちろんない。

日本中のブログで、今日までに百万人がこのネタを使いました。
Lはレズビアンのエル。
男子中高生が観たならば、立って歩くことができなくなるほど、煩悩直撃の、エロエロドスケベドラマ。
アメリカはこんなん、テレビでやってんのか!!!
無料でみれんの?? すげーーー!!!
・・・ではなくて、子供観ちゃうじゃん、超ヤバイんだけど、大丈夫か、等とホントはちっとも思っていないが、良識なことを考えたフリをついしてしまう。

今、AVを借りようとしている男性がいたならば、こっちの方がヌケるって、とついお勧めしたくなるほど、本格的なエッチシーン超満載のソレがウリのドラマ。
洋物が嫌いな人にも一見の価値あり。
いやー、これは他人と観るもんじゃないね。

複層的な意味で、アメリカの退廃を味わうドラマ。ウソ、ホントは、きれいな女優さんのレズエッチシーンを楽しむためのドラマ。AVにもそういうジャンルあるよね、レズもの。私はそういうのあんまり趣味ではなかったのですが、この女優陣ならば、確かに見る価値がある。

例えば、私も大好きな「セックスアンドザシティ」とか「デスパレートな妻たち」とか、そういうものを期待して観るものではありません。まったく違うもの。いや、マジで、にっかつロマンポルノとか、「失楽園」とか「愛の流刑地」とかそういうのを期待して観るのとベクトルは同じ。

かーなーり本格でエロイよ。
マジでハンパなくエロイよ。
目的はエロだけ。
見せ場はエロだけ。
楽しみはエロだけ。
感動もエロだけ。

いや、久しぶりに、こういう本格派のエロを観た。
てゆーか、ホント、アメリカ、大丈夫なのか?
あいつらには、薬と同性愛しかないのか?
ホントに西海岸ってそうなのか?

とりあえず、全女優陣の中でひときわ輝くのは、「フラッシュダンス」のジェニファービールスではなく、「24」のテロリスト役ミア・カーシュナーであることは間違いない。

スケベな気分になりたい人にお勧め。
多部未華子あをによし
「鹿男あをによし」とは、“SFファンタジー剣道ドラマ”という意味で、「ねらわれた学園」以来だという話をネットで読んだ。
なるほど、それは確かにその通り。
それに加えて、“歴史ロマン遺跡発掘剣道ドラマ”という意味でこのドラマは「俺は鉄平」の流れであると、私は主張したい。

「あしたの喜多善男」が徐々にパワーダウンしているのに対し、ますますおもしろさが高まる「鹿男あをによし」。
今週は、前半のクライマックス、第1部完、的な盛り上がり。
やっぱり学園ものは、勝負がないとね。
あの目つきの悪い女、やたらとテレビに出てるのはどーゆーわけ? とずーっと思っていたのだけれども、今日やっと、ああ、こーゆーわけだったのかと納得しました。
やっぱいいね、彼女、多部未華子ってすげー変換しにくいこの子。

ところで今日は昼飯がてら「舞妓Haaaan!!」を観た。
評判があまり良くなかったけれども、それも納得。
宮藤官九郎は映画には向かない。
映画やるときは、「69」とか「GO」とかの原作をキッチリ映画向けに焼き直すような仕事が合っている。で、そういうリライト作業をこの人にさせるのはもったいないから、やっぱり映画用の脚本はこの人にさせるべきじゃないんだろうなと思いました。

なんで映画に向かないかって、コントのノリでストーリーが展開するってのが、やっぱ映画のリアリティベースの枠にうまくはまらない。ドラマならまだしも、映画のコメディには、そぐわない。
あまりにも破天荒すぎる展開は、悪い意味で漫画的で、一般的な映画を見慣れた人たちからすると、違和感が残る。じゃスラップスティックだけでいくかって、そうでもなくて、いわゆる通常の映画的な「感動」路線もよくばったりして、いろんな意味でチグハグ。どういう計算か知らないけれども、それはフツーの見方をする限り、単に「ハズしている」と言える。

例えば、堤真一に負けたくないアベサダオが野球選手になって、映画スターになって、ラーメン屋やって、というあの展開、コントとしてはもちろんおもしろいし、それがトムとジェリーの世界観なら当然アリなんだけれども、そういうギャグが「アリ」という非日常の世界での物語にするとしたら、日常的な感受性のやりとりは当然諦めなければならない。が、どっちつかずで中途半端になっている。
線引きが曖昧で、ただの混沌というかメチャクチャになったと言われてもあれじゃ仕方ない。
奈良飛鳥あをによし
「鹿男あをによし」とは、

●基本設計が「SF」で
●見せ場は「スポ根」で
●舞台は「青春学園モノ」で
●もちろん「教師ラブコメ」で
●コメディ担当部分は「動物モノ」で
●謎と伏線を散りばめた「ミステリー」で
●音楽は「アクションモノ」で

とジャンルを超えたクロスオーバードラマである点が非常に斬新なわけであるが、俺はまた今週も1つわかったことがある。
少なくとも私がこのドラマを一番好きな理由は

●「歴史教養」を狙った「NHK教育的」奈良「観光モノ」ドラマであることだ。

毎回毎回無理クリな話の流れで、京都・奈良の観光名所を随所に紹介。
もちろんこうした「旅番組」にはつきものの「おいしそうなモノ」紹介も絶対外さない。
名所においては必ず日本史にからめた「歴史一口メモ」を行うというのがNHK教育的。
2時間サスペンスドラマもしょっちゅう温泉やら観光地やらに行っているようだが、ここまであからさまな、「教育臭さ」は出せないはずだ。
しかし、この番組は、何しろ教師が主人公である上に、奈良京都完全フィーチャーの、奈良もちあげ番組であるため、執拗な「歴史紹介」はむしろ、ある種のパロディ感さえ残しながら、実に巧妙に、物語に入り込む。わざとらしさこそがむしろウリのような仕掛け。例えば「美味しんぼ」に山岡や海原雄山の料理ウンチクがなければ、あのドラマには何のおもしろみもなくなるように、初回から見ているわれわれにとって、既に奈良紹介シーンがなくなってしまうと禁断症状がうまれてしまうほど、奈良ウンチクに馴染んでしまった。

実は私、ちょうど一年前の2月〜3月、奈良プロジェクトに携わったことがある。
詳細は当然言えないが、奈良は、2年後には遷都から1300年が経つ。そう、「ナント(710年)おおきな平城京」でおなじみ、平城京遷都から1300年である。
これにむけて、当然、どこぞの広告関係やら何やら関係やらイベントやらなにやらすげー立ち上がる方向に動いているのであるが、その一端をお手伝いすることになり、昨年のこの時期、京都奈良に泊まりで出張してフィールドワークなどを行っている。

京都は何度か行ったことがあるものの、実を言うと、奈良を訪れたのは、恥ずかしながら生まれてはじめてのことであった。通り過ぎたことならたくさんあるが、奈良駅に降り立ったのはホントにはじめて。私鉄とJRがあるのね、まったく知りませんでした。
去年の訪問は、仕事でギチギチのスケジュールだったため、まともに見ることはできなかったが、奈良おもしろそーーーーと横目で超みていたものである。もう一回絶対に来たいと思いながらも、小さい子供を連れてくるところでもなし、なかなかそのままになっていたのだ。

そこへもってきて、今回のこの「鹿男あをによし」の奈良話である。奈良紹介番組として純粋におもしろい。話なんかどーでもいいから、もっと奈良の風景や奈良の歴史ウンチクを藤原先生は語っていてほしいと思う。
思えば第一回目の放送で、なんで私が立ち止まって最後まで見てしまったかと言えば、藤原先生が高台から見せたあの奈良の夕焼けの町並みにしびれてしまったからではないだろうか。

あーもー絶対行きたい、奈良。
あと、多分、マジで、今このタイミングで、ここまで奈良フィーチャーしているってことは、多分偶然ではないと思います。
音楽あをによし
昨日からおなかの調子が悪い。
コレが今流行の風邪か。
昨日はどうしても出さなきゃならない集計があったからとりあえず仕事したが、今日は急ぎの件もないため、仕事放棄で、病院→麺通団→本屋(ルーエ)→TSUTAYA→睡眠。
ホントはこんなイイ天気だし、車で日帰り温泉など行くのはサイコーに違いなかったのだが、やむをえず。
今年の目標である「健康」だが、今のところ、これで2回目の風邪。どっちもたいしたことはないものの、風邪ってのはどーもイヤだ。ちょっとした動作がめんどくさくなる。
高血圧なせいか、朝イチから、パッパパッパと腰が軽く、めんどくさがらないフットワークの良さだけが、自慢の私であるが、体調が悪いと、どうも動きが鈍くなる。ノロノロと、できることなら、何もやらずにすませたいなどと考えるようになる。

しかしよく寝たせいか、夜中には結構元気回復。
1週間に2回のお楽しみ、「鹿男あをによし」である。
このドラマ、何がいいのか、わかったね。
1つはっきりいえるのは、音楽がいい。
痴呆的な歌詞を繰り返す主題歌がない。
「愛」も「夢」も「青春」も主張しない、テーマソングがないのは素晴らしい。
そもそもこのドラマ、「愛」や「夢」をテーマにしていないのがイイ。
そういう些末なところにこだわらない、もっと大きなところを目指している躍動的な枠組みが従来型のドラマと大きく異なっている。
そうした、画期的でしかも古典的な物語の充実を表現している、あのBGMがすばらしい。

すばらしいBGMと言えば、例えば羽田健太郎の「宝島」が挙げられるけれども、アレに通じるスケールの大きさがある。
1回につき3回は流れる、あの、昔のスパイ映画のBGMみたいな、チャランチャッチャッチャチャランという、ドー考えてもそれアクション系の音楽やろう、みたいな、あのエンディングテーマ、あれがチョーかっこいいし、物語を百倍スリリングにさせる。
そう、例えばブライアンデパルマの「アンタッチャブル」や「ミッションインポッシブル」を彷彿とさせる音楽の良さ。

「宝島」も「アンタッチャブル」も「ミッションインポッシブル」も、男女の愛とか、せこーい局地的な話は関係ないし、ありきたりな殺人事件の犯人をあてる物語でもない。
そういう「アリモノ」の枠組みで登場人物を入れ替えただけのドラマとは違う斬新さ、もっと骨太でオリジナルな、物語そのものの魅力、それを訴求するドラマであり、それを支える音楽だ。

本屋で、この原作を買いたい気持ちとそれをとどめる気持ちがずっと葛藤している。
先を知りたいような、知りたくないような。結局まだ読んでない。読まないのが正解だとは思う。
戦力外通告
こないだもやったと思ったら、まだまだやるやる「プロ野球戦力外通告」ドキュメンタリーシリーズ。番組枠は違っても、ナレーションはいつもヒガシ。
どの選手の場合も
  (結末A)クビになったけど他球団で採用
  (結末B)クビになってクビになったまま・・・どうしよう
の2パターンしかないったらない、基本的には同じ話であるのに、なぜどれもこれも、こんなに胸に迫るのか。答えは

 (1)奥さんが美人
 (2)子どもが小さくてカワイイ
 (3)家もまだピカピカ(多分ローンが残ってる)

という点にあるのではないか。
昨夜の場合は、ヤクルトのピッチャー(←野球を観ないので、よく知らない)32歳。
32歳でリストラですよっ!!!
あり得ない。
メッチャ同情する。

奥さんは(他の選手もすげーそうだけど)美人の31歳。
子どもは3歳と1歳。どっちも超カワイイ。
2回のトライアウトを受けるも、どっちもイイ成果を出せず。
結局は横浜のバッティングピッチャーになることに。

プロ野球選手になるってのは、そりゃもーもんのすごい狭き門ったら狭き門で、まさに「夢をかなえた」と言ってもいい。「好きを仕事にした」という、信じられないほど超ラッキーな、宝くじ確率より低い僥倖人生。で、その「夢をかなえた」結果がコレだろうか。
ちなみに、プロ野球人生、最後の年の年俸は一千万円。
この金額が、高いのか安いのか、つったら、私は安いと思う。
イマドキ、それより高い給料をもらっているサラリーマンはザラにいる。

「夢」を仕事にすることが、本当に正しい人生だろうかと、改めて思う今日この頃。
もちろん「夢」は人生を豊かにさせる原動力だとは思うのだけれども、その「夢」を語るための、「覚悟」はちゃんと持っているか、「夢」をかなえるための「努力」は払っているか、「夢」の先には何があるのか、そういう「夢」周辺の厳しさを忘れて、呆けたように、「夢」を語る姿は自省が必要なのではないだろうか。

番組の中には、19歳で福岡ソフトバンクをクビになった選手も出てきたりして。
19歳だよ。
まだ人生はじまってもいないのに。
僕の小規模な失敗かよっ。
同じ年でまだ就職していない人も多いはずだが、リストラされちゃう人もいる。

夢を一度叶えて、それがあっという間に過ぎてしまった時、その後の人生は何を心のよすがにして生きていくのでしょう? ホントに「夢」に人生を費やしていいの?
考えてみたら、プロ野球選手で、億単位の年俸をもらっている人がいったい何人いるのだろう。メジャーに行って成功した人は、この野球人口の多い日本の中で何%にあたるのだろう?
結婚に思う
死にそうに忙しい。今日中に終わらせたら明日からはまたぜんぜんやってないヘビー級の仕事が30日までに出してと言われているのをやんないと。その後4日までの宿題というのが1本あったのだが、さらにもう一本今日追加でオーダーがあった。忙しい年末年始だがでも儲かるのは嬉しい。

それはとにかく、オダギリジョーと香椎由宇の結婚。
私、思うに、今いちばんのモテ男は、実はオダギリジョーなんじゃないかと。
彼は何しろ本質的にクリエイティブだ。
そこらへんの、ジャニーズやら、アミューズやら、ホリプロやらとはちょっと格が違う。

言うなれば、メジャー感の漂う浅野忠信と言えよう。
トヨエツを超えることができそうな本格派の筆頭である。
世界クラスをねらえる、あえて言えば、松田優作の後釜ポジションを唯一ねらえる男だとも言える。

そのオダギリジョーが香椎由宇。
どうよ、香椎由宇。

香椎由宇みたいな、気の強い女、つーか強そうな女(←賭けてもいいが、絶対に気が強い)
ああいうタイプが好きっていうのは、わかってるんである。
ああいうキッツイ顔の女だと、ごくごくごーーーくたまに、ニコっとホントに笑ってもらうその笑顔が嬉しいとか、貴重だとか、そんなことがアノ手の魅力らしいじゃないすか。
俺にはまっっっっっったく理解できないのであるが。

それは、つまり、いっつもDVを受けて、家でボコボコにされている女の人が、
「でも、あの人、たま〜に、ホントに優しいこと言ってくれるんです」
とか言うのと同じ理屈であります。
騙されるなっとその女の人に言いたいのと同様、オダギリジョーにも同じこと言いたい。
騙されるなっ香椎由宇に。

めったにみせない笑顔だから貴重ってのは、それ理屈としてオカシーですから。
いっつも笑顔の人がいいに決まってますから。
いっつも優しくて暴力ふるわない男がいいに決まってるのと同じですから。

オダギリジョー、俺にまかせろ。
あんたは、麻生久美子と結婚するのがいちばんいい。
時効警察でわかっただろう。
霧山君にいちばんお似合いなのは、三日月君なのっ。
俺がそういったら絶対にそーなのっ。
ああ、また香椎由宇みたいなのに騙されてぇ。
麻生久美子にしとけっつの。
あんな可愛い子いないっつの。
三日月フォーエバーやっつの。
なんでもかんでも霧山君だっつの。
理想郷「時効警察」
「時効警察」と「帰ってきた時効警察」をDVDで通して観た。
おもしろい。素晴らしい。
10年前の「踊る大捜査線」に匹敵する、警察ドラマの傑作。

このドラマの何が素晴らしいか、いろいろ言いたいことはあるのだが、結局は多分「帰ってきた時効警察」最終回の霧山の一言に尽きると思われる。
マカデ君の親戚の家にあつまった、時効課とそれをめぐる税金泥棒的警察官たちいつもの面々をひとまとめにして、霧山は

「なんだか親戚みたいだ」

と言うのだけれども、まさに、あの台詞にこのドラマの最大の魅力が凝縮されている。
「熊本さんはおじさんで、マタライさんはおばさんで、サネイエさんとマカデくんは従姉妹、十文字さんはお姉ちゃんの旦那さんで、蜂須賀さんは親戚に一人いる不良のおじさん・・・」云々の部分。

ほぼ毎回イントロとエンディングには、薄汚れた木造の総武警察時効管理課のオフィスを舞台に、交通課・刑事課・鑑識のより抜きのバカ警官たちが、息のあったルーティーンコントを、繰り返し繰り返し何度も何度も演じ続けるわけであるが、はっきりいってこのドラマはまさにあの、ゆるーい、呑気な、仕事しない仕事場の風景を描くことこそが、このドラマの本来の目的だったのだろうと思う。
霧山の推理ミステリー部分が本来の見せ場のようであるが、実はそれはむしろ二次的な存在。仮面ライダースナックのスナック部分みたいなものだ。一見スナックがメインであるかのように思われるが、実際には、おまけの「怪人カード」こそが目的で顧客は買うし、制作側もそこに一番力を入れている。

時効管理課周辺に漂う、「居心地の良さ」のようなもの。「居場所がある」感じ。
そこではどんな発言をしても、バカにはされても心から嫌われることもなく、個性として尊重され、厳しい批判はなく、常に和やかに受け入れてもらえる。社会の中でも家族のように、存在をまるまる肯定されたコミュニケーションがある。まるで夢のような場所だ。
フツーに考えれば、サネイエさんのようなタイプは、職場では無視されたりしがちだし、マタライさんはウザがられるし、熊本課長は間違いなくリストラもので、霧山君はうつ病になっているだろう。十文字も蜂須賀もあの場所にやたらと顔を出すのは、あきらかにそこでは「普通は嫌われる自分たちもまともに扱ってもらえる」感を感じているからだ。
あの場においては、「世間から外れた」存在たちも、「自分はここにはいてもいいんだ」という感じを味わうことができる。
総武署内では、まず100%お荷物の窓際の役立たずの「働かない5%のアリたち」のような時効管理課とその周辺の彼らが、毎日、似たような目くそ鼻くそ同士で、ユルーく、無意味に、和気藹々と自分らしく毎日を楽しむことができる。

好景気とは名ばかりのように経済格差はすすみ、公務員のリストラも本格化し、仕事場に潤いは滞りがちだし、職場の人間関係は表面化・形骸化が進む。
そんな現状にあっては、あり得ないほどのノー天気さで、時効課は和やかに、仕事そっちのけで突っ込みあう。
そういう「居心地のいい仲間」感に対する強い郷愁こそがあの物語の核だ。

あえてベタなことを書くと、人の幸せは「お金」や「権力」を持つことよりも、「自分を受け入れてくれる仲間」や「自分の居場所」のようなものに、より強く関与している。自分が自分らしくいることで、まわりから役割を持たされ、周囲と頼り頼られる関わり合いを持つことで、「自分が必要とされている」と確信できることが、おそらく幸福感の大きな要素だと思う。そうした「役割実感」のない、「孤独」な状態では、お金や権力、勝利や達成、美貌や名声などがあっても、心を和ませ、優しい気持ちで眠りにつくことはできない。

大昔、ホームドラマと呼ばれたジャンルのドラマでは、必ず食卓で家族がご飯をたべながら掛け合い漫才のようなことをしていたが、「時効警察」ではリストラ寸前の職場を舞台にして、そうした風景を表現している。

実際にはまずお目にかかれない、しかしほとんどの人が実際に経験したことのある、気の許せる仲間たちとの自然な交流のようなもの、それを最も理想的な形で物語化したのが「時効警察」だ。昔仲の良かった仲間で集まって「あの頃、楽しかったよね」と懐かしむような、すごく稀な楽しい職場風景、それを夢のような形でドラマにしたものが「時効警察」だと言える。

「時効警察」はつまり、(実際にはほとんどあり得ない)人間関係の理想郷だと言える。
そういえば、基本設定である「時効事件の推理」自体も、考えてみれば、非常に夢のような話である。そこには「事故のような犯罪はあっても罰されることはない」人たちが続々と集まってくる。口封じに霧山が殺されることはないし、犯人は常に協力的だ。
すべての人間関係が、まるで夢のように、理想的だと言える。
物語は、やたらと「夢オチ」が目立ったように感じたけれども、最終回の最後の最後で「パート1からパート2まですべての話が、三日月の見ていた夢でした〜」という超おっそろしいオチがくるんじゃないかと、最後の方はヒヤヒヤしていたものである。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

沖縄(1)10月11日木曜日
自宅出発朝9時。
羽田空港サービス到着10時30分。
空港サービス、安いのはいいが、なんつーか羽田から遠いのが気になる。成田みたいに近くに土地が余っていないからか。

飛行機は12時過ぎのJAL。
到着は2時半頃。

沖縄。暑い。セミが鳴いている!!
30度の猛暑日。
ちなみに滞在期間中ずっと晴れ。
これは当然、「日頃の行い」のせいであります。

那覇空港のダメポイント、それはレンタカーの場所が遠いこと。
普通、空港の中にレンタカースポットがあるか、あるいはすぐそばに隣接しているものではないだろうか?
私の知る限り、福岡空港は目の前にあったし、山口宇部空港は空港内にデスクがあるし、東京羽田だって空港内にレンタカーデスクはあったですよ(今は知らんが昔はそう)。知る限りのアメリカの空港もたいていはそうだった。
那覇は、なんと、バスに乗って10分ぐらい揺られて、ニッポンレンタカーに到着。他のレンタカー会社も似たようなものみたい。これじゃ、うーん、なんのためのレンタカーかと思ったりして。
しかもそのレンタカーの手続きが驚くほどまどろっこしくて時間がかかる。1時間くらいレンタカーを借りるのに時間をとられた。もちろん予約していたのにもかかわらずであります。

しかし、沖縄旅行で私が「これは嫌だ」と思ったのは、ただこの一時間のみでありました。
あとはもーーー驚くばかりのとんでもない愉悦の時間が延々と続くだけであった。信じられないような快適さ。気が狂うほどの気持ちよさ。沖縄は最高。星百万個(10点満点)。ハワイよりオーストラリアより、やっぱ沖縄じゃんというのが今回夫婦で一致した見解。老後移住先の話。

初日は疲れたので、到着して、すぐホテルの大浴場でお風呂。
ホテルは、残波岬ロイヤルホテル。
夕陽がキレイなことで有名な、残波岬にあるリゾートホテル。
評判通り、接客がすばらしい。
休みマン
今テレビ版の「働きマン」を見たところだけど、ダメだ、これは。
漫画と悪い意味で一緒だし、悪い意味でズレてる。
最悪のケースだ。
てゆーか、やっぱ、好きな漫画はドラマで見るものじゃない。
このパターンの最悪は例えば原田泰造主演の「編集王」なんかもそうか。
どっちも漫画の完成度があまりにも高いから、ドラマになるととてもみれたもんじゃない。原作のストーリーがあまりにも素晴らしいから妙にいじれないし、小手先だけの変更になる。そうすると漫画を知る人にとっては、「アラ」しか目立たない上に、ナンのサプライズもない物語になる。
強いて言うならば、
●マユ役の平山アヤがすげー似てて笑える。メイクやら表情の作り方とか相当研究したんではないか。
●それでいうと、主役の菅野美穂の、下まつげとか、一部表情の作り方とかも、マーマー似てると言えば似てる。

しかし、ドラマの役者が漫画と似てるからどーだというのか?
それでいうなら、世紀の傑作・映画版「課長島耕作」(根岸吉太郎監督)の異常な再現力にはとてもかなわないわけで。

配役のズレがまず、俺のようなコアなファンにはたまらなくイライラさせられるのだけれども、例えば、超重要な役所トップ2と言える
●成田デスク
●菅原
のあの役者はない。勘弁して欲しい。
どっちも顔だち的にはオッケーなだけに、なんじゃその演技はと怒鳴りたくなるほどにイライラする。
菅原役のBOSSの人には、以前にも「模倣犯」でガツンとやられた覚えもある。
成田デスクがそんな薄っぺらな人かよ。漫画読んだのかよ。あーイライラする。ただし、働きマン音頭の歌はうまい。あんたは最初からコメディをやっておけ。

そんなかんな。

しかし、私は明日から、本格的な「休みマン」に変身する。
かんっっぜんに、仕事を離れて、スッパーーーーと旅に出ます。
昨日・今日で、今進行中の件もある各社・各担当者には、キッチリ挨拶を入れているので、大丈夫。大丈夫なように、私が延々根回しもしてきたんである。毎度毎度みなさんの夏休み冬休み土曜日曜を替わってあげてるみたいなもんである。年に一度の秋休みくらいと、みなさん笑顔で許してくれる。武士は相身互いであります。
そういうわけで、しばらく更新ありません。
戻りは月曜日の予定です。
ではでは、またねー。
ビッグダディ
大家族モノは、妻が好きなんで、なんとなく見る習慣がついてしまったが、今のトコ、イチオシのおもしろさは、テレビ朝日の「ビッグダディ」シリーズだ。
これが群を抜いている。

他の大家族モノってのはたいてい湿っぽいんだよね。お涙ちょうだいがクサイ。出演者は頑張っているが、明るさが足りない。
多分、人気大家族シリーズといえば、高校生で子どもを生んだ美少女の長女「あざみちゃん」のいる青木家シリーズが筆頭にあげられるだろうけれども、あれも、いろんな悪い噂もあることだし。それがなくても、私はああいうかわいそうというか、短調ベースの悲しさが似合う家族よりも、同じ離婚してても、父親のたくましさとリーダーシップと明るさを家族全員が受け継いでいるような、南の島の「ビッグダディ」の方がずっと好きだ。

強いて言うなら、二番目は珍しくお父さんがホワイトカラーサラリーマン(確か外資系化粧品会社勤務)のシリーズ。あれも好きだね。どっちも親が明るくて、自然体なのがいい。口は悪くて、体力派だけども、実は結構知的って感じがする。

それはともかく、昨年の夏、初めて放送された「ビッグダディ」には、これまでの大家族モノとは、一線を画した、強い新奇性とエンターテインメント性があった。マジでやらせなんじゃないかっつーくらい、ドラマチックな舞台と展開。他のチマチマした大家族モノとは、ストーリーのダイナミックさが別次元だし、登場人物たちの内面的豊饒さたるや比較にならない。

大家族モノ筆頭ブランドである「あざみ」ちゃんのいる青木家シリーズがまず注目を浴びたのは、大家族なのに、お母さんが出て行っちゃってるという点。これは結構衝撃的であった。父親一人で大家族を支えている。すごい。で、長女の「あざみ」ちゃんの美しさと、その子がさらに高校生で未婚の母になるという、メチャクチャな展開もこのシリーズの視聴率を支えた。そこにはしかし「どうなっちゃうの?」「大丈夫なの?」という不安要素もあったし、母親が「モザイク出演」で涙のご対面など、どうも、70年代的「貧乏と戦う」「世間と戦う」つましさが残っていたのは否めない。

「ビッグダディ」シリーズも、お母さんが出て行っちゃっている。これは青木家と同様。「ビッグダディ」のウリは、お父さんのコミカルなスーパーマンぶりと、それに喜んで従う明るい子ども達。そこには涙はなくて、笑いがある。
しかも、舞台は、奄美諸島の、冴え渡る青空と、澄み切った美しい海。
リアル「サウスバウンド」である。

前回までで私はすっかり大ファンになり、ただその海の側での明るい子ども達の暮らしを描くだけでも、十分視聴に値すると楽しみにしていたところ、なんと、今回は、マージでとんでもない展開が用意されていたのであったぁああああ!!!
ホント、ドラマかと思うですよ。もしもそうなら、こんなに優れた脚本は存在しないし、登場人物(特に子役)たちの演技は、アカデミー賞を100個くらい取れるほどの信じられないリアリティであります。

なんと、今回、8人の子ども達を7年前に捨てたお母さんが「顔出し」で出演!!!!! 青木家のモザイク出演とは違います。しかも、これがまた、予想を裏切って、結構可愛い感じの36歳。おまけに(8人の子どもたちとは別の)3つ子を連れて登場。
昨年の放送をきっかけに、「やっぱり復縁」を願っての奄美到来であった。どんだけドラマチックなんだと。あとどれだけ大家族を増やす気なんだと。
このお母さん、普通に考えれば、相当、わがままなだけの人って感じだが、しかし、画面からはあんまりそう感じられないのは、36歳のこのお母さんが、また明るくてノー天気で結構かわいいこと。明るさはすべての欠点を隠す。
こっからさきはおもしろすぎる展開だったのだが、それは他のブログでも検索してご覧ください。あーーーおもしろかった。久しぶりにおもしろいテレビ番組を見た。だから「ビッグダディ」シリーズは、大家族モノでナンバーワンだって、俺、去年も言ったじゃん。しかし、さらに今回ここまでおもしろくなるとは・・・。大家族モノの枠を超えて、ドキュメンタリーシリーズとして、ほとんど最高傑作。日本のドキュメンタリーってまず間違いなく、「悲しい」話に終始するものばかりであるが、この「ビッグダディ」は歴然とコメディであり、はっきりとしたエンターテインメントであるということが、スゴイんだよね。