吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
「となりの801ちゃん」(3巻)他
●「となりの801ちゃん」小島アジコ(3巻)
「となりの801ちゃん」が素晴らしいのは、それはネタがBLだからでも、婦女子だからでも、オタクだからでもない。単純にセンスが抜群なんである。
あの突っ込み、その呼吸。これ以上ないリズムの合いの手。
パロディの差し込み方、楽屋落ちの絶妙さ、そしてその元ネタを知らないひとへの(私も知らないものが多い)これまた、息をのむほど巧みな説明。脚注だけで十分文学だ。脚注だけでも読む価値がある。「なんとなくクリスタル」以上に優れた注釈を私は初めて見ることになった。
あえていうが、エクセレント。
すばらしい。ジーザスクライスト。

あの薄くて読みにくい手書き文字の印刷も含めてぜひこのまま、彼女のセンスで進めて欲しい。
今回の私の最大のヒットは74ページ。
ってアルェーーーーー。

●「中学生日記」QBB(8巻)
久住昌之も永遠だ。
画家が誰であろうと、天才は天才。
「カッコイイスキヤキ」から既に30年近くになるはずだ。
「ダンドリくん」「豪快さん」「ロボ」など地味にぃに、漫画界地下室のトップスターの座を堅持。
絶対にメジャーブレイクのない天才。
本シリーズもすばらしい。
たしか山下監督が映像化するとかしないとか、なんかそんな話もなかったっけか。
登場人物は粒ぞろいであるが、あえて、「ただひとり」を挙げろと言われたら、私はあの、「ママにだけキレる」「超内弁慶」のボーズことヒカルを推したい。
彼が登場する回は常にワンパターンであるが、その圧倒的なリアリティで毎回息が詰まるほどの大爆笑である。

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最近読んだ漫画
最近読んだ漫画

●「誰も寝てはならぬ」(9巻)

結局いま一番楽しみにしている、また確実な満足感が得られる漫画がこれ。
「誰も寝てはならぬ」。
以前は「働きマン」とコレが双璧であったけれども、「働きマン」が作者病気で長期休載になったため、結局はこれが一番。
サライネス、前回「大阪豆ごはん」も良かったけれども、これはかなり究極にすばらしい。
昔、一年だけ編集者をやったことがあったんだけれども、そんときも、すげーこの人が好きで、この作家の新連載を強行に主張しようとしたのだが、当時は上司から「顔がみんな同じみたいだからパス」として却下されたのだった。あほーめ。なんと見る目のないうすらバカどもよ。

それにしても、なんでこの漫画がこんなに好きか?
地味で、格別な何かがあるというわけでもなし。
だけれども、とにかくなんかこれが好き。
これ以上ない共感度。自分の人生とすごくシンクロする部分が強いからじゃないかと思う。
ハルキにしても、ゴロちゃんにしても。


●「聖★お兄さん」(第2巻)

あれだけ持ち上げといてなんだが、この漫画は1巻で終わっている。
ダメだ。あの奇跡のようなギャグの輝きが、まったく失われている。たった1巻ですべてが出尽くしてしまったのか。2巻のネタは、ほとんどが、1巻のネタのリピートになっているようだ。残念。ギャグマンガは続けるのが本当に難しいという典型例。
あの鮮烈なネタの数々、そもそもの設定からして、強烈に大爆笑だったのだけれども、あっというまにそれが陳腐化してしまった。もう、元に戻ることはできないだろう。ダイヤはあっというまに木炭になってしまった。馬車はカボチャになってしまった。


●「未来歳時記・バイオの黙示録」(諸星大二郎)

マジでキモイ。とても読み進められず。おらと一緒にパライソさ行くだ。
少年ジャンプ編集部のことを、唯一、ホントにエライと思っている点は、諸星大二郎と星野之宣を見いだしたことであろう。よくまー「孔子暗黒伝」を連載したものだ。今にしてみれば考えられない。
手塚治虫と宮崎駿という、世界の2大天才が、揃って「諸星大二郎にだけはかなわない」と言わしめる。天才のみが認める天才中の天才。
いや、そりゃそーだけどさー、今回ちょっとキモ過ぎでしょう、ページとまったっちゅーの。
東京犬さんも早速お読みになったようで、あの「生物都市」との対比の視点から分析され、とても興味深い感想をお書きになっていますから、そちらをご覧ください。
「生物都市」は私もスゴイといまだに思いますが、これはちょっといーよー。絶対にCGなどで実写化してほしく「ない」作品のナンバーワン決定。

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「グーグーだって猫である」(大島弓子)
午前中でケータイの件、コメントはほぼ上がり。残りは要約。こっちが正味1〜2時間か。
それが終わるタイミングで、おそらくCMの件の集計データが届くはず。
届かなかったら昨日もらった医薬品の仕事の方をはじめる。

なんにせよ、疲れたので、ちょっと一息。
最近見たり読んだりしたもの。

●「グーグーだって猫である」4巻
グーグーだって猫である(4)グーグーだって猫である(4)
(2008/05/30)
大島 弓子

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「La.La」から「ASUKA」にうつってきらめきのような仕事を矢継ぎ早に発表されていた大島弓子御大であるが、その後パタっとお仕事を止めていらしたという印象で、ほとんど漫画を見なくなった。
その頃、大学の同級生で、白泉社の編集やってる女の子から「サバ」が亡くなってから、描けなくなったとかいう噂を聞き、ああ、そうなのかなーと思っていたのだ。
それから、10年以上、大島弓子空白の時代というのが世間にはあったのだ。

この「グーグーだって猫である」は、えーーーらい久しぶりの復帰作という感じで私はとらえていた。
が、その線は、「え?」というような変わりよう。
大島弓子の弟子が描いたような絵というか、大島弓子に影響を受けた人(ちょっと郷田マモラ風でもある)が描いた絵みたいな、ずいぶんな変わり方であった。
そして、御大の悪口なんてとても言えないから、もごもごした言い方になるが、決してその変わり方はプラスなイメージとは言えないものだったりしたのだ。
なんで「下手になった」とか、大声で言わないのかってのは、そりゃね、この本で知ったが、やはりご病気のことを知ったりするとね、それはさもありなんでしょうと、感じたりもするからである。

大島弓子は日本の宝で、私なんか人格形成に多大な影響を受けた方でもある。心から尊敬申し上げている。今、吉祥寺に住んでいるのは、その半分くらいは、大島先生の影響であると言っても過言ではない。

そんな尊敬する大島先生なので、いかに絵が変わったとは言っても、お体を大事にしていただきたい一心で、もちろん私は初版本を買う。
ま、ただ、その中身は、まーなんというか、「オールウェイズ」(←スピルバーグのヤツ、三丁目じゃない)に出てくるオードリーヘップバーンみたいな扱いで、あんまりまじめに見ていなかったりした。
そもそも、全盛期の頃から、私は大島先生のネコモノは、どーでもよかったんである。
ネコモノ以外が好きだった。
ネコモノとは、「綿の国星」だけじゃなくて、「サバ」モノというか、大島先生のお宅のネコちゃん話。
心から尊敬する大島大先生だから、我慢するが、大島先生じゃなかったらネコの話なんか誰が読むか、ボケェと言いたくなるとか、ならないとか、言うとか言わないとか、誰かが言ってたような気がするとかしないとか・・・モゴモゴ。

人が飼ってる犬や猫の話、いったいどれほどの人が興味あるのだろうか。
そういうブログはたくさんあるから、「自分が飼ってる犬や猫の話」に興味を持っている「自分」はたくさんいると思います。
俺だって自分の子どもや家族は大好きだから、そういう話はバンバンブログに書きますね。

しかし、その自分の犬猫話を、原稿料取って、本にして人様に売ろうとするのは・・・・なんというか、ちょっと常識を越えたような自己愛というか、そういうのは、うーむ、この日本を代表する天才大島弓子にしか許されないような気がします。
たとえば、自分の飼ってる猫や、自分の子どもは、みなきっと写真を撮っては喜んでアルバムに整理し、何度も眺めて楽しむと思います。そりゃ普通の感情だし、絶対やるわ、当たり前に。なかにはブログにアップしたり、年賀状の写真に使うことだってあるでしょう。私はそういうのまったく否定しないというか、微笑ましいことですよね、人間らしくていいじゃないですか。

だけど、自分の子どもがかわいいからといって(ハタから見たらそーでもなかったりして)、いきなり芸能人が子どもの写真をテレビではしゃぎながら見せ始めたり、自分の子どもをテレビ画面に出して、この子も将来芸能界に入れたいとかなんとか言い出したりすると、どーですか?
ちょっと、それはさすがに「バカ?」と思ってしまうし、そして、そんなことはその親に権力がある場合にしか不可能なことですよね。その大先生、大御所様のご機嫌を損ねては局としてとても困るとような人にしかなし得ない暴挙なわけだ。
バカな成り上がり社長が、自分の孫がかわいいから、自社製品のキャラクターに使おうとするような、非常識さを感じてしまう。ついつい、「かわいいと思ってるのは、あんただけだよ」と陰口をききたくなってしまう。

そんなこともあって、とにかく私は、大島先生のネコ話が基本、どーでもよかった。
たまに息抜きでネコ話を差し挟まれるのはいいでしょう、それでどうぞ英気を養い、次の傑作を仕上げてください、そのために、ネコ話に印税協力するのも私は惜しみません。何しろ先生の(ネコ話以外の)漫画は、マジで世界最高傑作です。たまにゃーネコでも書いて、次回作の構想をきっちり練られてくださいと思っていた。

ご病気から復帰されて、あの(ファンには有名な)吉祥寺のマンションからも引っ越されて、どこぞの戸建てにお住まいになって、絵がこうなったのもおいたわしい。まだまだ元気を取り戻されるまでは、ぞんぶんに、ネコ話でもテキトーにお書きになってください。われわれファンは(いくらそれがつまんなくても)支えますとも、どんなにアレでも本は買いますよ、二冊でも三冊でも。これまでのご恩を考えると、余生はネコ話でお茶を濁されていいじゃないですか、どうぞ、どうぞ、ちゃんと買いますから・・・・そんな気持ちで、私はこの「グーグーだって猫である」シリーズを読んでいたのである。

そんなわけで、「臨死! 江古田ちゃん」はすぐ読んだけれども、「グーグーだって猫である」は正直ほったらかしていた。これはファンにとって寄付みたいなものだから、読まなくていいのだ、とか思っていたのだ。だって、ネコ話だし。

そ・れ・が、(こっから話はずいぶん急展開)。。。。
いやーーーー、読み始めたら、どうしたことか、これが、あんた。
上記の通り、私はこのタイプの話に、もー強烈批判的な人間なんだけれども、しかも、大島先生、あっきらかに絵が下手になったというか、手を抜かれたというか、あの美しい絵は見る影もなくなっていったというのにですよ、びっくり。
おもしろいのである。
他人のネコの話なのに、そんなどーでもいいこと、この世にはないってくらい、どーでもいいことの代表、他人のペットの話が、どういうわけだか、おもしろい。
これが、大島弓子クオリティ。どんだけ画質を落としても、こんなしょーもない題材をもってこようと、さーすーがーはー世界に誇る日本一の女流作家。
奇跡の才能大島弓子。
これが橋本治の言う「ハッピーエンドの魔術師」。
去年だかに、やっぱ日本一の女流はくらもちふさこだとか、この日記に書いたことありますが、やっぱり撤回かも、大島弓子は世界一ぃいいい。
天才だ。ホントに。
不遜なこといろいろ書いてすみませんでした。
大島先生のためにこの日本漫画界はあります。
やっぱり一生ついていく。
私が本当に心から(どんなにつまらなくなっても)絶対に一生ついていくと、決めている人は、今まで宮崎駿くらいしかいなかったわけだけれども、大島先生もやはりそうします。
言うまでもなく、手塚治虫よりずっと上ね。

映画化もされるらしい。
キョンキョン主演だとか。
キョンキョンが40くらいか、もう、どうせなら松嶋菜々子使っちゃえば?

ああ、ホントは山下君主演のドラマ「プロポーズ大作戦」も初めてDVDで見たんで、その感想も書こうと思ったけど、タイムアップ。
「ヨリが跳ぶ」(ヒラマツミノル)
ヨリが跳ぶ 20 (20)ヨリが跳ぶ 20 (20)
(1999/12)
ヒラマツ ミノル

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最近漫画喫茶で何をコン詰めて読んでいるかと言えば、もう、女子バレーマンガとして、おそらくは史上最高傑作「ヨリが跳ぶ」。
ペキン最終予選で快調な柳本ジャパンを見ていて、ムズムズと再読したくなったのである。

おもしろいよ、あいかわらず。
何度読んでもすばらしいものは素晴らしい。
連載中もリアルタイムで読んでいたが、その後、満喫で通しで読むのも、今回が二度目か。

いわゆる「ギャグストーリー」とでも呼ばれるジャンルのマンガってのは、この時代にかけてまで、結構多くて、そのどれもが傑作なんだけれども、「ヨリが跳ぶ」もその中でも特に優れたものの一つ。あんまり取り上げられることはないのが、また、マンガマニアの間で渋い人気。

●ストーリーテリング
●ギャグセンス

そのどちらも、抜群で、高い次元でバランスを取っているのだけれども、しかし、このマンガが、他に比べて大きく優れていると、今回改めて思ったのは、やはり次の点

●キャラクター造形

の見事さね。これは、ホント、すばらしい。
昔熱狂した人は、今すぐに読み返した方がいい。その価値のあるマンガです。
今読んでも新鮮そのもの。

特に、あのジャンジャカあふれるように出てきては、増殖を繰り返していく、ライバルキャラクターたちの見事な描写ね。どいつもこいつも、超本気で大爆笑であります。漫画喫茶の個室で、3回はこらえきれずに、声をもらして大笑いした。涙出る。

私は、テレビとマンガの「笑い」については、かなり厳しい視線でいるんである。
「ぐー」とかやる人には、いまだかつて、ぴくりとも笑ったことはない。
なんとかすみこのSMの真似にも、一切笑えない。
狙っている笑いは、プロがやる限り、ある一定以上のレベルのものでないと、一切笑うつもりはない。
てゆーか、笑えないんである。
田舎のおばちゃんは大笑いするかもしれないけれども、俺も40過ぎてまでマンガにどっぷりつかってるからね、ヘボな笑いは、完全無視。

しかし、「ヨリが跳ぶ」にはかっちり、大笑いさせられた。10年前のマンガだが、しかし、いまだに最先端だ。このマンガは、どっちかというと、お笑い要素よりも、ストーリー要素のほうを重視した作りになっていて、感動する場面も数え切れないくらいあるけれども、しかし、なんといっても、あの「どいつもこいつも」なバカ登場人物たちのバカぶりにだけは、吹き出さずにはいられない。あれだよね、ホント、ヨリが跳ぶにはかなわない。

主人公大久保ヨリは、オグリ製菓の女子バレーチームに所属しているわけだけれども、そのメンバーたちがキャプテンを筆頭に、濃い人ばっかりなのは、言うまでもないが、ライバルチームの面々のキャラクターが特に傑作なわけだ。しかも、実業団やらVリーグの女子バレー選手たちなんて、結構狭い社会で、主人公以外にも、みんながたいてい対戦した経験のある人たち同士で、顔見知り同士という小さい世界なんである。
特に実業団リーグは、総当たり戦が各チーム2回もあるという構成なんで、敵キャラ全員がどいつもこいつも強烈なルーティーンギャグを繰り返せるという環境にある。

オグリ最強のライバルとは、鳴海ラン&ユリ姉妹の率いるモンテルジャパンなわけだが、このモンテルのトップ2が、おそらくこのマンガの中でも最高級のバカキャラクター。さらに、日本女子バレー界の頂点にいる全日本女子バレーのエース、カジヒロコは、全登場人物にとっての目標なわけだが、これがまた美しい容貌からは考えにくいほどの、徹底したバカチンぶりを随所に発揮しつつけている。このヒロコ×鳴海姉妹の掛け合いシーンが20巻の中で一回だけあるんだけれども、そこだけはどうしても大笑いが禁じ得ず。たまらない。

それにしても、おもしろいマンガってたくさんありますよね。
それを繰り返し読むことが最高の贅沢かもしれない。
「ドカベン」再読とか、「タイガーマスク」再読とか、「ストップひばりくん」再読とか、「編集王」再読とか、時間があったらやりたいことはたくさんある。
つまんない小説を読むよりも、間違いなく充実した時間を過ごせると思う。
くるくるシニカル(玖保キリコ)
玖保キリコは篠原涼子みたいなものだ。

篠原涼子を初めて見たのは、80年代、ダウンタウンの「ごっつええ感じ」。Youとともに、若くて可愛いいじられ役の『汚れアイドル』としてであった。この時はキレ者のYouとは対照的にかなりのバカキャラであったように思う。

その後、ふっと画面から姿を消し、次に現れた時は90年代初頭、小室ファミリーとして、「愛しさと切なさと心強さと」でスーパーヒットを飛ばす『ミリオン(一発屋)歌手』としてであった。
ずいぶんとイメージが違って、ちょっと色気も出てきた感じ。

篠原さんはその後また画面から姿を消して潜伏する。
結構長く、「たま〜にチョイ役で出る(昔流行った)アイドル」みたいなスタンスであったように思う。
例えば、97年放送の「踊る大捜査線」のテレビシリーズでは、織田裕二の情報屋としてちょっと動いたりする、台詞の数もたかがしれてるような、あっきらかな脇役出演をしていたりする。
2000年の「かばちたれ」でも、単なる婦警さん役でこれまたちょい役出演。

だったのが、ホント、篠原さんがスゴイのは、何度も何度もスターになる場面が周期的にやってくることだ。この人くらい粘り腰に、何度もピークを迎える人も珍しい。
その後、どういう経緯かはわかんないけれども、今じゃCM本数もたっぷり、主演ドラマは目白押しで、そのどれもが高視聴率という、視聴率クイーンの一人として君臨中である。(この3番目のピークには結婚によって多少落ち着いた感はあるが・・・)

さて、今日の日記は篠原涼子の話ではない。
漫画家玖保キリコの話である。

80年代、白泉社を主な舞台として、初期代表作「シニカルヒステリーアワー」によって、彼女はメジャーになる。
そのスピンアウト作品とも言える「ロジカルアレルギーアワー」もヒット。
ここが彼女の第一のブレイク。
ちなみにこの頃のLALAは大豊作で、成田美奈子が「エイリアンストリート」で超スーパーヒットを飛ばせば、一方で吉田秋生は「櫻の園」の連作を発表し、「日出処の天子」もクライマックス、たまに大島弓子が「綿の国星」やら他作品も発表するという、信じられない超強力な布陣!!! 古今東西あれだけ贅沢な作家が揃った漫画雑誌もなかったんじゃなかろうかという構成であった。
その中で「シニカルヒステリーアワー」もキッチリと輝きを放っていたものであった。

その後、玖保キリコは小学館スピリッツへ舞台をうつす。が、正直、私からみて、これはかなり失敗だったんじゃなかろうかと思う。「バケツにごはん」とかつまんねーもん。「いまどきのこども」も焼き直し感があるよねー。やっぱり「ツネコちゃん」ほどの強力なキャラクターが生まれるかどうかが漫画の生命線だ。

ぶっちゃけ、ここは玖保キリコ先生の低迷期だったんではないかと私は考えています。

しかし、玖保キリコさんは、その後不死鳥のように再生します。
もちろん、ご存じのアレ「どうぶつ占い」によってであります。
これがまたまたスーパーヒット。
スゴイ。どうぶつ占いのような「キャラ祭り」こそ彼女の本領発揮部分。
これでまた一世を風靡します。


・・・・しかし、時は流れます。どうぶつ占いが流行ったのは90年代末〜2000年初頭まで。私は今でも信頼度ナンバーワン占いだと思っていますが、世間の若い人には、「どうぶつ占い何?」って聞くとバカにされちゃうか、「ああ、そういうの、聞いたことある」で終わりです。俺はクロヒョウなんじゃぁあああ。


ところが、玖保キリコはまさに篠原涼子のように再三の復活を遂げようとしています。そう、お手本は火の鳥ではなく篠原涼子。何度も何度もブームを起こす女。ブームのきっかけはいっつもよくわからないけど。一発屋人生を三発も起こす奇跡の女。

その3度目のブームを狙った「くるくるシニカル」。
これ、おもしろいよ〜。
「シニカルヒステリーアワー」のみんなが、大人になって登場。
みんな結婚してたり、離婚してたり、子供がいたり、起業してたり。
あの80年代のキャラクターたちがそのまんんま蘇る。
それにしても、20年ブリに読んだというのに、全員のキャラクターをかなり克明に覚えているこっちも不思議。
私の記憶力の問題ではない。なぜなら「いまどきのこども」の大人バージョンがあってもそれは誰も覚えていないだろうから。
「シニカルヒステリーアワー」の登場人物たちがいかに傑出したインパクトを持っていたかということであろう。
あの頃のアレを読んでいた方、必見。
くるくるシニカル―帰ってきたツネコちゃん (花とゆめCOMICS) くるくるシニカル―帰ってきたツネコちゃん (花とゆめCOMICS)
玖保 キリコ (2007/09/05)
白泉社

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夏の終わりと大島弓子
夏の終わりの生まれのせいか、夏が終わるこの時期が好きだ。
真夏も大好きなんだけれども、こうやってそれが終わる寂しさがまたキューンとしていい。
秋にはロクな思い出がないくせに、その「何もできていない」切なさがたまらない。

鈴虫とか秋の虫の音は、欧米人には、ノイズとして捉えられるらしい。脳波的にそうなんだって、「うるさい」「ウザイ」「騒音の一種」らしい。これは結構認知とか脳の研究の世界では有名な話らしい。

欧米人(多分アフリカも大雑把大陸アジアも)だからダメ。
やっぱ日本人サイコー。
四季がこんなにきめ細やかに感受できるのは、日本人くらいらしーよー。国家の品格にも書いてあったじゃんね。
だから、和歌は季節の言葉とともに他国じゃ考えられないくらいの発展をしたし、味覚を含めた味わいの繊細さは、肉ばっか食って大味な野蛮人ども(欧米人含む)にはないんである。
やっぱ日本人サイコー。

それはともかく、大島弓子の短編に「夏の終わりのト短調」という結構有名な作品があります。大島弓子にはうなるような傑作がゴマンとあふれまくっているのに比べて、これは別に傑作というほどでもない、まー大島弓子としてはタダの平均的水準作。そのフツー作がなんで有名かっつーと、そりゃもちろん、彼女の最大のヒット作「綿の国星」の1巻に同時併録されているからであります。

で、その「夏の終わりのト短調」ですが、傑作かと言われれば、別にまーそうでもないと私は(きっと多くの人も)思うのですが、しかし、この今の時期、まさに「夏の終わり」の雰囲気だけは、この漫画ほどうまく出ているものもない。物語としてはまー平凡作ながら、しかし、夏が終わる寂しさとか悲しさみたいなものの描写だけはさすがは、天下の大島弓子、こんだけリリカルにビビットに、抽象的かつ絵画的に、非直接的ながらいきなり核心をついたように、描き出しているのは超さすが!!! それだけの意味で、やっぱ傑作なんじゃないだろうかと思い直したりして。

なによりも、タイトルがね、「夏の終わり」=「ト短調」ですからね、考えてみれば、このタイトルだけで成功。夏の終わりはニ長調じゃないもんね。変ホ長調でもない。

ちなみに私がいちばん好きな「ベスト大島弓子」は、何度も書くけど「毎日が夏休み」であります。佐野史郎&佐伯ヒナコ主演、金子監督で映画化もされましたが、アレはとりあえず無視して、原作の「毎日が夏休み」が大島弓子の最高傑作。私がこれまでに読んだあらゆる漫画の中でも多分ベスト5には入るもの。少なくとも「私の人生を変えた一作」であることだけは間違いがない。
それも「夏」がテーマなんであります。
他にも私が作る大島弓子傑作選には必ず入れる「あまのかぐやま」も百人一首のアレ「なつきにけらししろたえのころもほすちょうあまのかぐやま」からだし。
大島弓子の3大夏作品が、
「あまのかぐやま」(夏前)
   ↓
「毎日が夏休み」(夏まっさかり)
   ↓
「夏の終わりのト短調」(夏終わり)
であります。
長谷川町子
基本的にどんなに暑くても、どんなに忙しくても、一日一回(雨以外なら)外出をちょっとはしようと思っている。
ホントに、外に出なくなるのはあまりにも不健康だし、外の風にあたってると気分もスッキリしてさて仕事するかという気分になるからである。

だいたい、吉祥寺に、昼飯の材料を買うか、昼飯を食って帰るかする。
最近は夏休みなんで、昼の外食があんまり好きじゃない。
街中に子供がワサワサしてて、どの店にいっても、子供がいたりして、あんまり落ち着かないからだ。
だから、どっかのスーパーで昼飯になるものを買って帰ることが多い。つっても簡単に、今日はホルモン(味のついているコテっちゃんみたいなやつ)と、冷凍のラーメンを買って帰った。これならフライパンで焼きながら、ラーメンを溶かすだけでいい。しかも横浜有名店「六角家」だから超うまいんである。

で、その昼外出の際、大量のペットボトルの飲み物を買い込むのと、なんかしらの読み物を買って帰るのも習慣になっている。
目についたもの。
昨日は志村貴子の漫画。
今日は長谷川町子の「サザエさん旅歩き」と「サザエさんうちあけ話」。私どっちも朝日新聞でリアルタイムで読んでいるし、その後単行本化されてからも何度か読んだことがある。

長谷川町子全集 (32)  サザエさんうちあけ話,サザエさん旅あるき 長谷川町子全集 (32) サザエさんうちあけ話,サザエさん旅あるき
長谷川 町子 (1998/07)
朝日新聞社

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「まあ姉ちゃん」の原作でもあるが、アッチは田中裕子がキレイだっただけで、原作のおもしろさの1%も伝えてはいない。
すげーひっさしぶりに読んだが、あいも変わらずメチャメチャおもしろい。傑作である。たいてい覚えているエピソードであるが、しかし発見もあったりして。「いじわるばあさん」ってあれ、毎日新聞に連載だったのね。もちろん「サザエさん」を朝日新聞で連載しながらである。そんな日本の両雄的超巨大メディアを長谷川さんは独占していたということであった。日本人の2/3(は大げさか?)位は長谷川町子の漫画を毎日読んでいたということか。

いしいひさいちは単なるブームだったと思うけれども(タブチ君あたり)やはり長谷川町子は永遠だ。
もちろん、あの、日曜日にいまだにやってる子供っぽくてぬる〜いアニメは論外だけれども。
日本の漫画世界で、本当の意味で、4コマ漫画を完成させたのは、多分長谷川町子だろう。あの普遍的でそのくせ過激なハイクオリティなギャグたるや、その後、いったい誰が超えることができただろうか。
強いて言うならば、長谷川町子に近づくことのできた、あるいは超える可能性のあるギャグマンガ家は、喜国雅彦だけだと私は思う。
「となりの801ちゃん2」(小島アジコ)
これはもー1巻を読んだ人なら、即買い決定。
801ちゃん、相変わらずの腐女子ぶり。

となりの801ちゃん 2 (Next comics) となりの801ちゃん 2 (Next comics)
小島 アジコ (2007/08/01)
宙出版

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腐女子とゆーのは、いつのまに、こんなにはびこり、市民権を得たのか? 池袋の乙女ロードはそんなににぎわっているのか?
「テニミュ」ってなんで俺は知っているのか(←答:48th streetに書いてあったから)

これは、考現学的価値のある書物であります。
いつから、少女漫画がセックスとか性欲とか描きはじめたのか? とか、そういう女性の性意識の変遷には社会学的興味がわくけれども「となりの801ちゃん」には、それと同様の歴史的エポックになりうる。

ヤオイという言葉は、実は私が20歳前後の頃からあった言葉だ。
「ヤマなし、オチなし」の同性愛的同人誌愛好者、女性のオタクを示す言葉で、もう20年来使われている非常にポピュラーな言葉。オタクという言葉に少し遅れて発生したような言葉だったと思う。腐女子ってのは、多分、ここ数年の言葉だと思う。もしかして今世紀になってからか? せいぜい90年代からだと思う。

私が学生時代にも、漫画サークルには、女の子はフツーに(少数だが)いたし、あんまり関わりはなかったけれども、フツーの青春があったことであろう。なんとなく、ここまで「腐女子」の「腐れ」部分は(ファンタジーとしてでも同性愛やらエッチやらを志向する部分は)もうちょっと隠れている印象であった。当時の少女漫画にはカジュアルなセックスが出てこないように。

何もそういう世間を嘆くつもりはまったくない。
むしろ歓迎である。
そもそも最近のオタクの女の子ってのは、可愛い子が多いんである。
話もすげー合うっちゅーの。
そういうお洒落で可愛い知的なオタクの女の子たちが、どんどんエッチなことを表沙汰にしてくれる分には、おじさん的に超微笑ましく、とても嬉しい展開でしかない。もっとやれ、がんがんやれ。

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「キャラ者」(江口寿史)
世界遺産級の漫画界の宝がまた1つ更新された。
日本漫画の宝ってのは、そりゃつまり、世界の宝である。
法隆寺とか万里の長城とか「ハムレット」とかと同じ国際的な文化遺産である。
世界に影響を与える日本文化人とは、黒澤明や紫式部や横山大観なんかではない、宮崎駿と大友克洋とそして江口寿史である。もーそりゃ明らかすぎるほど明らかな超明白なれっきとした事実。

その世界の宝の日本の3トップのうち、私はこれが代表作と言ってもいいのではないかと思う。
私はこの人がパイレーツの前身の漫画を「ジャンプ」に発表した時のことをはっきり覚えている。「おそるべき子供たち」もリアルタイムで雑誌で読んでいる。そして「進めパイレーツ」という伝説が生まれ、「STOPひばり君」へと続く。
世間的には、多分「パイレーツ」と「ひばりくん」が代表作ということになっているのだろうけれども、確かにそれらがものすごいできばえで歴史的価値があることははっきりしているけれども、単にまとまった長編がその2つ位しか存在してないからってのが理由ではないか。この天才作家のすごいのは、毎年毎年、作るたびに、もっともっとよくなっているということである。どんどん進化し続けている。最新作が常に最高傑作だと言ってもいいのではないかと思う。

他の2人の天才文化遺産、大友克洋と宮崎駿であるが、正直言って、大友は「童夢」がピークだったし、宮崎駿も「コナン」と「ルパン」と「ホームズ」以上のものはその後生まれていないと私は思っている。

しかし、もう一人天才、江口寿史は、多分私の読んだうちでは、いまのところ、これが最高傑作である。
私は、意外と漫画は買わない。そして漫画は本棚にちゃんと残さない。
今のところ、ちゃんと保存的に残しているのは、「風の谷のナウシカ」全巻と「AKIRA」全巻くらいだ。
が、もう1つ完全保存版が決まりました。
それがこれ、江口寿史の「キャラ者」(1〜3巻)であります。

キャラ者 3 (3) (アクションコミックス) キャラ者 3 (3) (アクションコミックス)
江口 寿史 (2007/07/17)
双葉社
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圧倒されると、すべての言葉を失います。
生まれて初めて「スターウォーズ」を見た時もそうだったか。

評論家とか歴史とかNHKとか朝日新聞とか、そういう「権威」がほめてくれないと、何も語れない人ってのは、結構多いけれども、そういう人はとりあえず無意味なので無視。
ポップアートとは何か、文化とは何か、芸術とは何か、そういうものを本当の自分の感覚で感じ取れ、また自分自身の言葉で語れる人だけが、この世界最高の芸術を手に取ればいいじゃんと思う。
そうじゃない人に、逆に読んで欲しくない。
裸の王様が裸だと言えるような見る目のある人だけがこの本の真価がわかることでしょう。

時事ネタは多いんだけれども、だからこそあえて思う、江口寿史は永遠だ。真の永続的芸術・真の古典は常にコンテンポラリーの最先端を追随しているものだ。
どれだけ言葉を尽くしたところで、江口寿史のすばらしさを語り尽くすことは不可能です。

テーマ:感想 - ジャンル:アニメ・コミック

「ジャンプ」的消滅を避けて
4年くらい書いたブログを閉鎖し、こちらに移転してきました。
自然消滅という形は避けて、キッチリ完結という形にしたのだけれども、それはやっぱり良かったと思う。
多少なりとも惜しまれるうちに幕を引くのがイキというものであります。

例えば「ドラゴンボール」。
魔神ぶぅは果たして本当に必要だっただろうか?
私はセルのエピソードすら蛇足と思う。
もしも、あれが、フリーザを倒した所で終わっていたとしたらどうだったろうかとふと思う。
例えば「北斗の拳」。羅王を倒してからのエピソードっていったいナンのためのあったのだろうか?
羅王を倒してエンディングにしたら、あの伝説は本当に伝説になったはずだ。

いかにも集英社らしい商売っけを出して、もうちょいもうちょいとかやってっから、ズルズル人気がなくなって、無惨な終わり方になってしまったとしか言えない。飽きられて終わりじゃ悲しい。

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