吉祥寺で暮らして働くマーケッターの、本と映画と仕事の日記
「八日目の蝉」(角田光代)
最近読んだ本など。

●「八日目の蝉」(角田光代)

「対岸の彼女」が本当に傑作であったので、最新作も。これも各方面で結構評判がいい。
そこそこおもしろいが、そりゃやっぱ「対岸の彼女」だけやっぱり突出していたのだなーということがわかる。ありゃやっぱ奇跡の小説だったんである。

「八日目の蝉」は、言ってみれば、桐野夏生をもうちょっと、優しい女性らしい視点で描いたものというか、「残虐記」の心温まる版とでもいうか。
桐野夏生って、やっぱりね、なんとゆーか、グロ過ぎ。心が寒々しくなり過ぎ。いくらなんでもそりゃーねえだろう的な、ドス黒い感情だけで構成されているような、人間とか人生のダークサイドストーリーだけれども、角田光代が描くと、似たような事件の、似たような小説でも、もっとずっと、前向きで、希望のある物語になるものです。
私は甘口カレーが好きなんで、桐野夏生の50倍カレーみたいな、香辛料で真っ黒みたいな、辛さ我慢大会用の味のわかんないほどの辛さのカレーよりも、角田光代の、バーモンドカレー中辛くらいの方が好きだ。たまには、桐野夏生のブラックカレーもたまに食べる分には悪くはないが、あんなの、毎日食ってたら、人間がゆがむと思う。舌が麻痺しちゃうね。微妙な味がわかんなくなりそう。私は韓国人じゃないんで、唐辛子とか日常的に食べません。和食の繊細な味わいが好きだし、和風な木村多江の見た目が好きだし、いかにも和風な角田光代的ほのぼの感が好きだ。

でもやっぱ「対岸の彼女」がいいけどね。ホント、あれだけ、ちょっと特別だわ。なんであんなしょーもないストーリーのフツーの話が、あれだけ胸を打つのだろうか。小説ってすごいなーと思う代表的なもの。ストーリー展開は、あきらかに「八月の蝉」の方が歴然とすばらしいし、この二段構成にしたってとこなんて、マジでいいと思うんだけど、でもね、「対岸の彼女」は別なのだ。ホント。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

にわかで素人
FC2は訪問者情報の取得がかなり細密で、誰がいつ来たのか、相当細かいことまでわかるけれども、たとえば検索エンジンのキーワードから来た人の場合、よく使われるキーワードは何かまでランキング形式と実人数で把握することができる。

うちのサイトの場合、意外と多いのが、

●調査企画書
●調査企画書の書き方
●調査企画書 書き方

というキーワードだ。いちばん多いってわけじゃないが、毎月コンスタントに上位に入るキーワードである。
実際に上記キーワードで、グーグルにいれてみると、うちのサイトがたぶん、1ページ目に出てくる。
特に下のページで。
http://marketingrobo.blog108.fc2.com/blog-entry-70.html

「マーケティング」という言葉は、日本では、もんのすっっっっっごく定義が曖昧で、あまりにも広大な範囲の内容を指し示すニュアンスを持つため、誰でもかれでも、「自分の仕事はマーケティングで」と言える仕組みになっている。「歯科医」や「弁護士」、「うどん屋」や「八百屋」といった職種・職業名などとは違って、他の仕事内容との境界が実に曖昧、人それぞれの持つ意味合いが異なるからだ。
これが「マーケティングリサーチ」となると、まだぐっと絞られてくるのだけれども、それでも、世間では「そば屋」と「うどん屋」と「ラーメン屋」といった「麺もの一般、全体的に」まで含めたような、ゆるやかで境界が見えにくい仕事のように感じられる。その中には「製麺屋」も入りそうだし、「インスタントラーメン」を販売しているコンビニも入れてもいいような、そんな幅広さがある。

たとえば、テープ起こしの内職をしている主婦が、インタビューテープを起こしているからといって「自分はマーケティングリサーチをしている」と言い出している現状がある。
インターネットでただのネットサーフィンをしていることを「市場調査」と自称する場合も目立つ。
街でウインドウショッピングをして、商品ラインナップを見ることで、「リサーチ」とか言い出す場合だってある。
「マーケティング」になると、もっと悪質で、ネットのインチキ商法で詐欺まがいの商売をする人間が、ばんばん意味なく頻用している。おめーらのような、黒くて頭の悪いアフィリエイターみたいな人間がなんでもかんでも「マーケティング」とか言い出すから、イメージ悪くなって本職のこっちは大迷惑なんだよっとすごく思う。「情報商材」ってそりゃーなんだよと。まずそのダセーセンタリング画面の大きすぎでカラフル過ぎるフォント使いをやめてから何か言え、うさんくさすぎなんだよっ。

こうしたケースは笑止なあるいは迷惑な例だが、ホント、あまりにも気楽に「マーケティング」、または「マーケティングリサーチ」という言葉は使われすぎて、その言葉の本当の中身が見えにくくなっている現状がある。

こうした混乱した状況にあって、正式なマーケティングリサーチの、王道的な、教科書的な内容を伝えるサイトは確かに少なすぎる。
とにかく「自称・マーケッター」が多すぎなんである。
で、また、そのインチキ、にわかマーケッターが、語る語る。
テキトーすぎる自分理論、持ちすぎ。
ネットだから、言ったもんがちとか思ってないか?

日本には、(社)マーケティングリサーチ協会という、何十年も続いている(もちろんインターネットが生まれる前から)業界団体もちゃんと存在していてですね、その協会の会員企業(ちゃんとした調査会社)だけでも、100社以上はあるんだよね。賛助会員には、朝日新聞など大手新聞社や、電通博報堂など大手代理店、その他トヨタ・花王・松下・味の素・JRなど、そうそうたる日本を代表する企業で構成されている正式な団体であります。

そのマーケティングリサーチ協会に加盟しているような、ちゃんとした市場調査機関にいる人ならば、もちろん「何が調査」で「何が調査でないか」の区別はきちんとつくけれども、そうでない、外野のにわかも、テキトーに「自分なり市場調査」を主張したとしても、世間的には特に罰則はない。マーケティングリサーチ協会会員企業が、そんな「自分なり市場調査」を主張したら、怒られちゃうけどね、つーか協会からハズされちゃうです。
調査の方法には、いろんな種類があるけれども、それぞれの調査手法の正式名称も、協会会員企業だったら、きちんと統一されている。
たとえば、CLT(会場調査)と、集合調査、この2つ、内容が似ているようだけども、いったいどこが違うのか、ちゃんとした調査会社に勤務する調査マンなら、それはすぐに答えられないとダメ、そうなるように教育訓練がなされているはずであります。
調査ってゆーと、すぐ、「マクロミル」みたいな、WEB調査のことだとばっかり思うのも、「にわか」、あるいは「インチキ素人」ね。「にわかインチキ素人」はまず、「集合調査」と「CLT」がどういう段取りの調査かもほとんど知らない。もちろんその両者の違いもわからない。どこが似ているかも知らない。

調査手法は、「自分なりに」開発しているものでは、決してなくて、百パーセント、既に「正式に名前の決められている」ものがあるわけです。
素人は、すぐに、「自分だけの調査」とか言いだしがち。料理をしたことのないヤツに限って、レシピを無視して、「自分流」だとか言い出すのと同じね。まずは基本をちゃんと勉強してから、自分流を言い出せと。

そう、言いたいことは、いくらでも自由に「自己流調査」を言い出せる世の中ではあるけれども、実際には、その「にわかインチキ素人」マーケッターの知らないところで、「基本」というのは、ちゃんと存在しており、専門調査機関のわれわれは、きっちり、その基本に習熟してから業務を行っているわけであります。
先日もとんでもない、「にわか素人」がネットですげーでかいつらして、滔々と、自己陶酔的にマーケティングリサーチの自分理論を述べていたのを発見した。これがまーものすごい赤面。おまえいったい、何知ってんだよと言いたくなるようなことで、「知ったかぶり」情報を延々語っているわけ。
そのどれもこれも、たとえば、用語の使い方が微妙に間違っていたりして、素人まるだしなわけ。
たとえば、グループインタビューのことを批判してたりするんだけど、(グルインにネガティブな側面があるのは当然、つーか、あらゆる調査手法にはそれぞれ長所と短所があるに決まってるけどね)、その一方で、彼が唱える、「新しいインタビュー方法」とか載ったりするのだ。
いわく「シンク□ナイズド・ヒアリ●グ」らしい・・・・。
・・・・はぁ???? としか言えず。
それは、正式な用語である「デプスインタビュー」あるいは「個別ヒアリング」、「有識者ヒアリング」などとはどう違うんデスカ??
10年くらい前に流行った分析方法で「ラダリング法」ってのがありましたけれども、それとか関係あるんデスカ??

この著者いわく、プロフィールには、高校卒業後、市場調査会社に勤めてうんぬんって書いてあったんだけど、いったい、そりゃ、どこだよ。
「シンク□ナイズド・ヒアリ●グ」とかってさ、そんなオヤジのだじゃれ的ネーミングの調査手法とか、ねーよ、つか、他にそれに相当するちゃんとした手法名は既に確立されてんだよっ大昔っっっから。
テキトーなことばっか言ってんなよと。
「グループインタビュー」のことをちょっとだけ知ったから、「じゃ、一人相手のインタビューを深掘りしてしちゃうって方法をすればいいじゃん、俺、発見した、この方法俺だけじゃん、」とか思ったんじゃねーの?
彼が市場調査会社に勤務していたというプロフィールを信じるのならば、その調査会社は、どーしよーもないインチキ会社であるか、あるいは、ちゃんとした調査会社にはいたけれども、ちゃんとした仕事はしてなかったということだ(結局はただのバイトとかね)。
そんな「見よう見まね」でやってるくせに、自信満々でインターネットで発表すんなよっ、みっともない。
読んでるこっちがド恥ずかしい。
その他プロフィールなど詳細を読むにつけ、うさんくささが、超満タン。文章というのは、読む人が読めば、その人の人となりが、これ以上ないくらい正確に反映されるものです。腐った心根の人は、腐臭を放つ文章しか書けない、甘ったれた人は、気持ち悪い文章しか書けない。
んでまた、エラソーに、講演会とかセミナーとか、バンバン開催して、自費出版みたいなインチキ本を売りつけたりしては、せこい詐欺まがいの商売で小銭を稼いでるわけだ。脱力。とにかく、神田なんとかって安っぽい起業本の著者が流行って以来、こーゆーインチキマーケッターが世の中にあふれかえってて、あたしゃー嘆かわしいですよ。

テーマ:マーケティング - ジャンル:ビジネス

企画仕事
この3連休にしたこと。

(1)医薬業界関連の企画書作成(7ページ)
(2)通信業界関連の企画書作成(10ページ)
(3)精密機械関連の報告書作成(60ページ、ただしコメントのみ)

である。
市場調査プロジェクトには、段取りから考えて、企画→実施→入力→集計→分析・報告というステップにわけられますが、このうち、実施や入力は人海戦術が重要、集計は冷静さが大事。
いわゆる、「頭」を使うのが、なんといっても、最初の「企画」と、最後の「分析・報告」であります。
で、実施、入力、集計は、外部スタッフやらアルバイトさんやらを大量動員することがまー普通ではありますが、その最初と最後の「企画」と「報告」だけは、人手もいらないので、ディレクターたる調査マン本人(調査機関社員)が行うというのが、まあ一般的。

で、私が引き受けるのは、その「企画」と「報告」部分の代筆というか、ピンチヒッターというか、その部分の専門家ということに一応しているんであります。この「代打」要員というのは、これが意外と、層が薄い。普通、この部分を任せる人は少ない。そもそも、この部分は内容に通底してないと無理だから、普通は各調査のディレクター本人がやるもんだし、外部にまかせたくても、普通そういうことができる人間はどっかの調査機関の社員になってるから、そういう人材がなかなかいないって事情があります。そういうわけで、私はこの世界では、かなりレアケースのフリースタッフだと思われます。プロ野球の世界にも、DH専門って人は数少ないですけれども、そんな感じ。

ところで、その「企画」と「報告」の2つの仕事のうち、私はまーほとんどの場合、「報告」が仕事の大半を占めています。「企画」には、フリーになってから、あんまりタッチしない。せいぜい、年に2〜3件、自分で丸請けしてディレクション全般をしている件か、よっぽど頼まれて、「これで取れたら、後の仕事全部やるから」的な乗せられ方をしての、プレゼン用企画から入ることが希にあるくらい。

「企画」の仕事はまーおもしろい、というか自由度は高いし、やりがいもあるのは間違いないのだけれども、自分としてはあんまり引き受けたくはない。
そもそも「企画」段階からの依頼があんまりないってのもあるけれども、軽く振られても、忙しければ、それを理由にわりと断りがちなことが多い。
とゆーのも、なんとゆーか、「企画」仕事は、どうしても、コンペ系が多い、すなわち、通らなかったら金にならないんである。
企画が通らないってのは、もちろん企画内容がイマイチだったてのも理由にはあるけれども、ぶっちゃけ、世の中はそんな簡単な話だけとは限らないんである。コネがあって最初っからほとんど決まってるようなコンペに、一応形だけ参加するって場合もあれば、なんだかわけのわからん政治力が絡む場合もある(こないだはアッチをとったから、今回はコッチが引き下がるとか、そういう大人の事情やらね)。
仮に企画が通らなかったら、会社によっては、ご苦労さん、企画書作ってくれてありがとね、とほんの気持ち程度の企画書作成費が出る場合もあるけれども(通らなかったらその会社の自腹になるから、マジでたいしたお金なんか出ない)、すんません、次仕事お願いしますから的に無料働きってケースだってあるわけである。
自分で企画を持ち込んだ場合なら、もちろん、通らなきゃ完全にお金なんかもらえないわけね。

企画から取り組んで、それが通ると、たいていは大きな見返りになることも多いんだけれども、私は基本的にギャンブルが嫌いな性格なんであります。
これが「報告書」の仕事だと、何しろもう、仕事は受注して動いているわけなんで、多少厳しいスケジュールだろうと、それをうまくやっつけちゃえば、確実にお金はもらえる。
そういう確実に金になる報告書の仕事が目の前にいっぱい動いている時に、わざわざリスクを冒して企画書を書く必要もない。
そんな感じで、あんまり企画書仕事には手を出さないスタンスであった。

去年も確かこの暑い時期に、プリンターの会社に縁があって直接企画書を出す機会があったけれども、これがまた没。先方の社内事情が変わったとか、そういう説明を一応受けましたが、それは体のいい言い訳だったんだろうと思います。
今年も、この時期、いろいろ思うところもあって、報告書仕事も一段落してることだし、企画書仕事のお手伝いをすることになっている。
どっちもうまくいけば、いいけれども。
ただまー久しぶりに書いてみて、やっぱ企画書はおもしろい。
御宿
日曜日は、今年初プールで、御宿へ。
せっかく御宿なんだから、目の前で海水浴にすりゃーいいのだが、子供が海怖い、プールというご所望のため。
妻は家でお留守番。
二人でクルマでプールへ。

ガチガチのピーカンで、たぶん、気温は30度以上。
これはプール日和。
幼児用の浅いプールの水温は、ぬるめの温泉とでも言えるほどのぬくもりがある。

10時半〜12時までプールで泳ぐ。(てか水遊び)
今回は週末にやんなきゃいけない仕事が結構あったので、ノートパソコンを持って行っており、暇を見てはパチパチ企画書書いたり、コメント書いたりしてたのだけれども、やっぱり効率が悪い。
通信関係の企画書は結構イー感じに書けたんだけど、報告書はやはり大画面じゃないと、グラフの文字が小さすぎてコメントしにくいんである。テンキーも持ってこなかったから数値も打ちにくい。

そういうわけで、当初予定を一日繰り上げて日曜日の夜中に帰ることにした。

夜10時半頃出発、あらゆる道はガラガラで、東京の家に着いたのが1時前。東京FMでは宮崎駿のロングインタビューを流しており、それが非常におもしろかった。やっぱり私にとって宮崎駿の言葉というのは聖典だ。それはホントに何年経っても。
しかし、問題はいつ、どこで「崖の上のぽにょ」を見るかということだ。
平日の深夜興業に行くのがやっぱり妥当か。
宮崎駿は引退しないのか
7月19日土曜日。
朝9時頃、東京出発。環八はそうでもないが、首都高はそれなりに混んでいる。やはり夏休み初日で三連休初日。おまけにこの上天気。全国的に梅雨は明け、三連休とも良い天気だろうと予報もされている。そんな土曜日の首都高が混まなくなったら、道路公団も自動車産業もガソリンスタンドもおしまいである。
おしまいであると言えば、とにかく、地方で、えーらい目立つガソリンスタンドの廃業・倒産。大丈夫か? こんな値段になったら、人は一円でも安い店に行くようになる。そうして大規模経営セルフスタンドだけが生き残り、それ以外の個人経営小規模SSはほぼ全滅になっている模様。ガソリンスタンドで働いていたフリーターたちが、蟹工船を読んで労働争議をやってる場合やないって感じ。

9時過ぎに出発、千葉外房に到着は12時半頃。ルートを選びに選んで渋滞を極力回避してもこの通りである。この時期とにかく道は混む。昔、独身のコロ、東京を10時に出発して、千葉マザー牧場に着いたのが夕方4時だったということすらある。5時閉園なんで、渋滞に巻き込まれに行ったということが正しい。そんな時代もありました。

一週間ぶりに子供と遊ぶ。
「未来少年コナン」の後半(DVD4巻〜7巻)がお土産。
一緒に見る。
そういえば、ラジオで今日から「崖の上のぽにょ」が公開だとか、各局とも騒いでいた。
今から10年以上前、「もののけ姫」公開の時、ジブリは「宮崎駿はこれで引退します」と大々的かつ正式にコメントしていたのだが、結局そうはならなかった。世の中がそれを許さなかったのだ。
さらにその後の「千と千尋の神隠し」の時にも、確か「宮崎駿の最後の仕事」的な発表はあったかもしれない。ただこんときは結構曖昧。実はなかったのかも。
しかし、「ハウルの動く城」の際には、もう、メチャメチャはっきりと、断言的に絶対に「宮崎駿はこれで引退」という発表がなされていたはずだ。
だから、例の「ゲドなんとか」は、血を受け継いだ二代目が監督をするようになり、原作者すら公に批判をし、もちろんわれわれ、宮崎駿に人生を賭けた人々はネット上の各地で炎上活動をした。いまだ、「ゲドなんとか」を私は一切見ていない。レンタルDVDにも金を払うつもりは一切なく、もともと見ないタチだけどもテレビ放映もまったく見るつもりはない。

そんな何度も何度も「これが最後です」と発表し続けているにもかかわらず、また監督の宮崎駿氏。
通常であるならば、こういう筋の通らない、いかにも儲け優先主義の、商売っけが過ぎる態度には、激しい批判をする私であるが、正直言ってこの件についてだけは
「何度でも監督して、お願い」
という、祈りに近い気持ちである。心からほっとしている。あーまた監督してくれてありがたや。世界の映画界にまた一つ新しい宝が生まれた。見てないけれども、そんなこたーあったりまえなんである。
今回はまた特に「これで最後」とか「引退」とか聞こえてこないでしょ。
すんげーーーほっとしている。まーーーーじで嬉しい。
ずっとお元気でいてほしい。
宮崎駿氏は後進を育てなかったという批判も世の中にはあるが、それは違う。
どうやったって、宮崎駿の次なんて、人間にはどうあがいたって無理なんであります。
世の中には、こうして、あらゆるものを超越できる、本当の天才というものが、ごくごくごーく希にいて、それはもう、伝承不可能なんで、ただ大切にするしかない。
影に隠れているけれども、高畑監督だって、むろん、とんでもない超才能ですよ。
しかし、宮崎氏の天才が、あまりにも過ぎているために影に隠れてしまった。

もしかしたら高畑監督の後釜には人は努力したらなれるかもしれない。早逝が惜しまれた近藤氏はもしかして高畑監督クラスにはなれたのかもしれない。
だけど、宮崎駿には誰もなれない。絶対に無理。ましてや息子が嗣ぐなど超あり得ない。

ともかく、千葉初日。夜は焼き肉を食いに出た。ここすげーーうまい店。だが、ウェイトレスさんたちのボケぶりがちょっと信じられないクラス。厨房と原材料費にはすんげー金かけていて、フロアの人件費を渋りまくっているのではないか。どんな格差社会店なんだよ。フロアの人たちがみなまんべんなくダメ、なのに、食うモノは信じられないくらい美味い。逆よりは私はいいと思いますが。
「ぐるりのこと。」(木村多江/リリーフランキー主演)
全国数百人はくだらない木村多江マニア熱望の初主演映画。
やっぱりコレは劇場に行くでしょ。
てかいっとかないと。今後あるんだかどうだかわかんないし。
共演は、もっともうらやましいフリーランサーリリーフランキー。
劇場来場者には超特典の信じられないスーパーカットもあり。
なんと、
(1)木村多江、超マジ、本格派ヌードシーン大公開はもちろんのこと
(2)それどころか、これまた超マジ、アナルセックスにまで初挑戦!!
(3)ファンにとっては鼻血かつ卒倒確実、静香ちゃん以上の超長回しの入浴サービスシーン付

とまー以上事実関係にウソはありません。
もちろん、そんなエロ目的の黒谷友香や寺島しのぶの映画とはまったく違う意味で、本当におもしろかった。いや、マジで予想を遙かに超えるおもしろさ。
私、昨夜から今朝にかけて「ゴッドファーザー」と「マッドマックス2」を見たけれども、「ゴッドファーザー」より2.5倍はおもしろかったし、「マッドマックス2」より25倍はおもしろかった。
「ゴッドファーザー」は映画史に残る名作ではあるが、別におれ、イタリア人でもアメリカ人でもないし、親戚にマフィアもやくざもいないし、今は1940年代じゃなくて、2008年の日本だし。
今の日本人としてリアルタイムで感じるのであれば、間違いなく、「ぐるり。のこと」の方がずっとおもしろい。「マッドマックス2」には石油価格高騰の折、共感する部分は確かにあるが。

いまのところ、今年いちばんの「アタリ」ではないだろうか。あれだけ宣伝が派手な「ザ・マジックアワー」よりずっとこっちの方が質が高いと思うし、「インディジョーンズ」よりこっちの方が好きだ。


それにしても、渋谷、あいかわらずすっっげーーーーわからん。ぜんっっぜんわかんない。
私も東京に住んではや20年以上なのであるけれども、渋谷のことは何年たってもさっぱりわかんない。だいたい渋谷で映画見るのなんて、何年ぶりであろうか。もしかして「ハル」以来じゃねーの? それは1996年の映画です。たぶん、その前に渋谷で見た、映画って、シャルロットゲンズブールの「小さな泥棒」(1988年)だと思う。
よっっっっっぽどじゃないと、渋谷で映画なんか見ない。オシャレだとは思うが、文化的センスの低い街だと実は思っている。あるいは、非常に「浅い」街だ。内容が希薄なというか、カッコだけってゆーか。
東急沿線に住んでいたことだってあるんだけれども、当時だって映画は新宿か銀座で、あるいは郊外のシネコンで見たものだ。
渋谷の何が嫌いかって、ロクな本屋がないことね、まず、第一に絶対にソレ。このおかげで、この駅には降りる気がほっとんどしないのだ。なりだけでかいが、センスが超〜ないブックファーストとか、まだあるんだろうか。アレならまだ、丸井の横のながぼそーい店がマシなんだけれども、なーにしろ、垂直方向の移動が大変で、しかも、苦労の割に品揃えがもういっぽ。
渋谷にはBunkamura以外に文化がない。

「ぐるりのこと。」は東京では「シネスイッチ銀座」と渋谷の「シネマライズ」でしか(今は)やってないんだけど、今日は午前中バタバタ書き物していたら、銀座の時間には合わなくなってしまったので、やむをえず、渋谷で下車。
この「シネマライズ」の場所がさっっっっっっぱりわからず。スペイン坂ってのは、ラジオでよく聞いてはいる地名だが、自力でたどり着くことが非常に困難。何度も迷う。渋谷。本当に相性が悪い。渋谷よ、ああ、その安っぽい街よ。古着だか安着だかボロだか先端だか渾然となった貧乏な若者たちの街よ。その見た目にいれる力と反比例して頭の程度が弱そうな街よ。GDPのように、歩いている人間たちの偏差値を総合計すると、銀座にはもちろん、新宿や、ことによっては池袋よりも低いんじゃないかと思ってしまう街、渋谷よ。思わずポエムを語りたくなるほど、はっきり言って嫌いな街よ、渋谷。まずその迷路のような地形からどうにかしたらどうだろうか。同じ迷路でも、新宿や池袋にはそうは感じないのに、どうしておまえはそんなに感じが悪いのだろうか。きっと歩いている人のガラと頭が悪そうだからだろう。一部ポエム調でお届けしましたが、悪意はないので、無視してね。

そんなことはともかく、すごいイイ映画だった「ぐるりのこと。」。やっぱり木村多江サイコー。
あの和風なたたずまいがいいのだ。
髪の毛の黒そうな知的で古風なところがイイ。
日本人は黒髪がいちばんだと、この人を見るとホントにそう思う。
黒木瞳のダンナが電通だからといって、別にどーでもよかったけれども、木村多江のダンナが電通だと聞くと、キクショーと思うのは、私だけでしょうか。

木村多江に似合う役はいくつもある。
ぽっと思いついたところで
●神楽坂の芸者役・・・これがまたハマってる
●ダンス教室の先生のレオタード姿・・・・これがまた超似合う
●癌におかされたMR役・・・・白い巨塔でいちばん泣けるシーンはここ
なんかが特に印象に残っている。
看護婦の「白衣」や、幽霊役が似合うってのは言わずもがな。
しかし、今回の「普通の奥さん」役が、また、ここまで素晴らしいとは、予想外です。

宮藤官九郎がいろんなドラマで何度も同じテーマを繰り返していることからもわかる通り、21世紀の愛の形とは「夫婦愛」ということなんだと思う。うれしはずかし、家庭内デート、待ち合わせは我が家である。
「不倫」とは、確かに石田純一の言う通り「文化」であることは、間違いないと思う。それは本当にそうだと私は常々感じている。
しかし、文化は当然、浮き沈みがあるというか、ブームのあるもんである。「不倫は文化」だが、ぶっちゃけ、その「文化」は今もう、ちょっと古い感じで、ダサイんである。今、不倫ってそれ、超遅れてるって感じ。今世紀的な、アップトゥーデイトな文化とは、夫婦ラブラブなラブである。「不倫は文化」であるが、その文化は廃れてしまって、イマドキの最先端にしてホットなキーワードとは「夫婦ラブラブは文化」であるということであろう。
90年代末ごろに、あんだけ、うんざりするほど、不倫ストーリーが世の中にあふれだすと、質の悪いものも大量に生まれたせいもあって、不倫文化のインフレが起こってしまったのだ。不倫はいまどき流行らないんだよね。

で、この木村多江とリリーフランキーが描くのも、まさにその最先端、「夫婦愛」の話。心から素晴らしい話。「ゴッドファーザー」の「家族愛」よりずっとずっと身にしみます。ホントに良かった。
リリーフランキーと木村多江のために描かれたような脚本。てゆーかたぶん、ホントにそうなんじゃないかな。このキャストありきの映画であるのは間違いない。
寺島進ファミリーもまたいつも以上の好演技。日本映画に今出ている人、がほとんど全員出ている感じ。あと足りないのは大森南朗だけじゃねーのと思うほど、主に法廷の犯罪人役たちで現在の邦画B級スターが勢揃い。そう、法廷画家という職業を通して、90年代からのこの10数年間の日本の犯罪史の鏡にもなっているのも興味深い作りであった。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

曖昧な美人のテーゼ
昔からよく「モーニング娘。の構成員が覚えられないとおじさん」とか「嵐のメンバーで名前がわかんない人がいるとおじさん」とか「おにゃんこクラブのメンバーがわかんないとおじさん」とか、つまり時代時代の有名アイドルの認知程度がおじさん定義の構成要素とされてきたのは周知の通り。
いまならなんだ? 「ヘイセイジャンプのメンバーがわかんないとおじさん」とか「そもそもヘイセイジャンプとかカタカナで書いてる時点でおじさん」とかだろうか。「山下智久ってキムタクそっくりじゃんと言った途端におじさん」とか、「岡田准一をTOKIOのメンバーと勘違いしたからおじさん」とか「結局ダパンプのメンバーはISSAしか覚えられなかったからおじさん」とか「しかも、最近そのISSAが出てきても気がつかなかったからおじさん」とか、「ところでISSAってすげーいっぱいいろんな女性アイドルと付き合ってきてねぇ? とか言ってるからおじさん」とか何度もおじさんおじさん、うるさいよ。

それはともかく、私は昔から自分をはっきり中年と自覚するおじさんであり、決して「年より若く見えるって言われるんですよぉ」とか妙な自慢をしてみたりはしない。「俺って精神的にはまだ20代だからさぁ」とか若ブルことはダサイと考えている。人間、年相応が一番です。
若いことはたいていの場合恥ずかしいことだ。
少なくとも男はそう。女性はもしかしたらちょっと意味が違うかもしれないが、男がなんでもかんでも女の真似するのもみっともない。私は学生時代から姪がいたせいで、「おじさん」という呼称には20代から慣れているんです。姪やら甥に「おじさんではなく、○○くんって呼んでね」とか、そんな「タラちゃんにおけるカツオ兄ちゃん」的なことは日本語としても間違っているし、いつまでも若さにしがみつきたいような幼稚な精神性だけはまっぴらごめんなんである。
30代には30代としての自覚が必要だし、40代には40代の生き方をすればよい。人間として「若い頃は良かった」とか「昔は良かった」とだけは言いたくないものです。

そういう中年として、今、いちばん、区別の曖昧なテレビ出演者とは何かを考えてみたい。
もっとも「おじさんバロメーター」として適切なものはなんだろうか。
人のことは知らんが、私は以下の3人の区別が今いちばん微妙なんである。

●相沢紗世
●松下奈緒
●佐田真由美


上記の3人である。
これがね、結構曖昧。相当間違いやすい。てゆーか、各人の名前、今ググってやっとわかった。そしてたぶん今後記憶することはできないだろう。

私にとって
●相沢紗世→「『日経のCM』に出てた子」
●松下奈緒→「『恋に落ちたら』に出てた子」
●佐田真由美→「『働きマン』に出てた子」


という認識でしかない。撮り方によっては間違う場合は多い。
ちなみに好感度的に言うと、
『恋におちたら』の子(松下)がいちばん。

だいたいこの3人の3人ともが昔っから私がいちばん興味のないタイプ。美人ではあるが、ちっともそそらない、どーでもいい女の子たち軍団である。(だから覚えられないんであろう)
ライバル
16日水曜日。午前中は集計。
VISTAにしてから、ある集計ソフトがうまくインストールできないため、めんどくさいが、こっち系の集計のみ、XPが入っているノートパソコンで行う。
ちなみに、私が使っている集計ソフトは2種類。「太閤」と「秀吉」。どっちも似たような名前だが、それは業界の人なら結構知ってる事情、もともとの開発者が同じだから。ただ、現在は2つの会社に分派していき、「秀吉」の方はずいぶんと別の方向に進化しているので、操作方法はずいぶん違う。

集計仕事って実は結構好きだ。なんとゆーか、ロジカルなところが。きれいな規則性が性格に合っていると思う。集計だけじゃ儲からないからそれを本業にするつもりはないが、こう作業内容的に「ボケ防止」に有効だとも思うので、年取ってたまーに仕事するなら、集計専業ってのもいいかも。

その後、吉祥寺の病院で軽く検査。先日かかりつけ病院で偏頭痛の薬を出してもらったら、たまにはCTでも撮るかと言われ、念のために吉祥寺保健センターの予約をしてもらったのだ。たぶんたいしたことなし。頭痛持ちは辛い。一日中PCはりつきの仕事だし、通勤もないし、どー考えても運動不足なのがなんつっても一番の原因なのは間違いない。趣味を持とうと思う時だ。
今の候補は、「散歩」と「自転車」ね。どっちももともと好きなんだけど。特に「自転車」は前々からまじめに取り組みたいと思っているのである。せっかくスポーツタイプの自転車なんだし、ちょっと本格的にやってみたい。

夕方から都心の代理店にて打ち合わせ。次の企画に向けて。ただそっちの内容は軽い。なんとゆーかたまには会って話しましょう的なノリに近い。大半は雑談。でも、時間がある限り、こういうことってすごく大事。
昨日一日かけて特急で作業した件に関連して、I社の作成した資料を見せてもらう。
I社というのは、簡単に言うと、まさに私がやろうとしているジャンルを、本格的に進化させて特化した小規模企業だ。が、今相当勢いがあるっぽい。
調査実施は行わないが、調査・集計結果をもらってから、その分析を行い、プレゼン用資料や報告書作成、その後のマーケティング提案書の作成に特化した会社だ。
20名足らずの小さな会社で、その社員は、元調査会社出身者が多い様子。一説には私の元いた会社出身者もいるとかいないとか。
そんな少人数の会社なのに、某一等地の高級ビルに、3フロアも占めている。どんだけ儲かってんだよと。
で、そこの会社の作成した資料を見せてもらったが、これが、イイ。さすが。うーん、ちょっとやられたかも。さすが、儲かってる会社は違います。

汐留の某世界的広告代理店にとっても、切り札的存在らしく、一二を争うトップクラスのセンスということらしい。たぶん、私の3倍の費用は取ってると思われる。
このI社の業務スタイルというか、作業ジャンルは、まさに私がやろうとしていることで、そこに集中している存在というのは、実際にはまだまだきわめて少ないメチャメチャニッチなはずなんだけれども、たぶん、この会社が現在業界ナンバーワンと言ってもいいのではないか。超極小業界ですが。

今日はその会社の仕事成果にずいぶんと刺激を受けた。
世の中には、調査報告書がごまんとあふれているはずで、私の作るものは、その中でも上から10%に入るほどのクオリティなりがあるはずだとか、ちょっと思っていたりもしたが、いやいやいやーーー、まだまだ修行の余地は十分ある。少なくともこれまでスピードだけは業界ナンバーワンくらいに自分で思っていたりしたけれども、それにしたって、そのI社もスゴイことが判明した。やー、やっぱり井の中の蛙であった。
ちょうどいいベンチマークができたと思う。このI社が、スピード・質とも、おそらく価格も、その巨大代理店にとってナンバーワン評価を受けているのであれば、そこに匹敵する、あるいは凌駕する内容の仕事をするようにすればいい。それがまったくの無理とも思わない。
フリーになって、そこそこ仕事も適当に順調に来ていると思っていたが、初めてこうなんというか、具体的な目標というか、ライバルの姿みたいなものが見えたと思う。この会社に負けないようにしたいと思う。そうすりゃ、単価も3倍になるかもしれないのだし。頑張ろう。
「ダイハード2」(レニーハーリン監督)
「ダイハード」を見たらそりゃ「ダイハード2」を見なければならない。
いわゆる「続編」もので、屈指の出来映えと呼ばれるのがコレ。
ただ、連日で見直すと、

(1)第1作よりも派手
(2)第1作よりも緊張が続く
(3)しかし第1作の方が味わいがある

といった印象が残った。
なんでかなーと思うに、やっぱりちょっと詰め込み過ぎな部分にあるのだろうか。
あまりにも矢継ぎ早に、休む間もなく、ギューギューにアイデアを押し込み、それを具現化するもんのすごい金が投下された驚異のアクションシーンが連続するんだけれども、そうすると、味が濃すぎちゃうって面が出てくるのだ。
「箸休め」が必要。
桂花ラーメンで言うならば、キャベツみたいな。
味は濃い〜ばっかりじゃダメ、その濃さを味わうためには、「休憩」が必要なんだという、そういう逆説的なものを感じた。

第二作に比べると、第1作は、言って見りゃ「休んでばっか」みたいな感じすらある。
しかし、その「休み」こそが、メリハリをつけた。あの「休み」あればこその「印象」だったのだ。

第二作で思い出すものは、と言われたら、たぶん、ほとんどの人は、例の手榴弾をぽんぽん投げ込まれた飛行機の中から、椅子ごと脱出するシーンを思い浮かべるのではないかと思う。あーりゃ、さすがにすごかった。すごかったけれども、他はどうでしょう? ちなみに、ラストを覚えてますかと言われると、結構ハタと止まるのではないかと思う。実は私は忘れていた。見ながら、ああ、そうか、飛行機のアレかと思うけれども、そりゃーそれですごいアイデアの名シーンには違いないのに、そんなスゴイシーンばっかり他にもたくさんあったんで、印象に残っていなかったりする。だから、たった一つだけ、椅子脱出シーンだけが記憶にあるのではないか。

さらに、1作目でも相当だけれども、二作目になると、さらに目立つ、明かなマクレーン刑事の「過剰防衛」ね。「24」のジャック・バウアー並と言っても過言ではない。
ラスト、飛行機に火を付けるのはいいんだけれども、いや、それいいっけか。やっぱやりすぎじゃんと今になるとやっぱり思う。一応他国の実権を握ってた将軍だしね。その一味が乗ってるとはいえ、飛行機一台いくらするっちゅーのか。よく考えれば、ナカトミビルもぶっつぶしているし。一介の市警警察官がだね。単独行動にもほどがある。管轄外なのに。近代警察は組織捜査がモットーだと室井管理官だって言っている。

私はこういう低次元な、いわゆる「つっこみ」というべきものが、すげー幼稚でするのが嫌なんだけれども、あえて今回はする。マクレーンやりすぎ。
最近の警察モノは、とにかく「違法捜査」を厳罰視するものが増えてきていて、「捜査の妥当性」やら「捜査倫理」とか「組織論理」みたいなものの対立そのものが、テーマとなってきている位なんで、こういう20年前の感覚には、さすがにちょっとひっかかりが生まれる。もちろん非常にうまく作っているからギリギリのレベルだけれども。


しかし、今日は意外と忙しかった。
昨夜から始めた突貫工事の件で、やっぱり一日かかってしまった。
夕飯時にこの一本を見たきり。
明日は打ち合わせで外出と、新規の集計を一本。
「ダイハード」(ジョンマクティアナン監督)
「未来少年コナン」については、書くこと多すぎなので、また今度。

今日から、本来は3件の仕事が始まる予定であった。
クルマの件と、ファッションの件と、飲料の件。
しかし、クルマとファッションの方は、集計はあがったものの、分析軸について、エンドクライアント側と調整中。そのため、こっちの作業はちょっとペンディング。
飲料の件は夜中にデータが到着で、これは明日中に仕上げるという超特急案件。

WEB調査の分量が多くなるにしたがって、ますます求められるのは、スピードだ。
もともと私は、「世界最速」の報告書作成屋というのがウリのコンセプトである。
そういうわけでどんと来い超能力。

飲料のデータ到着までは、今日一日暇。
飯食いながら今日観たDVDは「ダイハード」第1作目。
これを観たのは学生時代。
世の中はバブルに浮かれていたコロだ。
だから標的は金がうなるほどある日本企業の米法人<ナカトミビル>である。
そういえば、日本企業がエンパイアステートビルを買収したり、ハリウッドの映画会社を丸ごと買収したりとか、そういう時代もあったのだよなぁ。
どんな時代だよ。
島耕作も、ハリウッド映画会社をそのまーんま買ってたからね。

私は当時、風呂無しの四畳半に暮らしていたので、かなりバブルとは縁遠い暮らしだったと言えるが、それでもやはり、世間には非常においしいバイトが転がっていたし、あとなんとゆーか、今考えるとあれもちょっとどうか、と思うような経験もある。
ちょうどそれが「ダイハード」の想い出とちょっとだけ関係がある。

実はこの「ダイハード」、私は劇場に3回見に行っている。
よっぽど好きかというのともちょっと違う(結構好きだけど)、そこがちょっとバブリーな理由と関係している。
当時、友達の友達みたいな人で、ちょっと不思議な慶応ボーイの人がいた。私より二歳くらい年上で、既に卒業し、お父さんの会社を手伝っている=というのが既にバブルっぽい。この人が今思うとSF(少し不思議)的なことであるが、なんだか異常に女の子の知り合いの多いくて、彼がなんとゆーか、女の子紹介バンクみたいなことになっていたのだ。
バンクっつっても、たぶん怪しいものでなくて、お金はかからないし、その女の子たちもお金なんか使ってなかったと思う。エッチなことの斡旋とかそういうわけでは全然ないのだ。
たぶん、その慶応ボーイが、趣味で、彼氏のいない女の子の電話番号を集めていて、それがなんだか莫大なデータベースとなっており(ってのがバブルっぽい)、男の友達(の友達とか)やらに「紹介」していたのである。
これはどこにも利益というか金銭的なものは発生せず、また、援助っぽいイヤラシー意味合いとか、そういうものもない、牧歌的で昔ながらの「お友達紹介」システムみたいなもんなんだけれども、とにかくその慶応ボーイの女の子データベースがすごかったのだ。

そんなSFシステムにちょっとした縁があったため、私はその頃次々に女の子を紹介してもらうことになった。こっちは彼女なんかいない時だったので、超ラッキー。
次々と紹介と書いたが、ホント、誤解のないようにはっきり書きますが、エッチな関係は一切なかった。もちろん、その後、付き合うことになったとしたら、そりゃあったかもしれなかったが、たいていの女の子とは、一回会って、映画観て、お茶飲んで(あるいはお酒飲んで)お話してそれっきりというようなことを何回か繰り返したのみであった。

そのSFバブル慶応ボーイは、言うなれば、若いくせにすげーーお見合いおばさん的な趣味にはまっていたのだと思う。あるいはパッと見、モテる男だったので、その女の子の電話番号を次から次へと聞いてはゲットしていく、その行為自体にはまっていたのだろうと思う。で、電話番号はたまったものの、別に使い道がないので(←あんまり野獣のようなタイプでもない、ある程度ちゃんとした男だったのである)、結構信用のできそうな良さそうな男に、良さそうな女の子を、お見合い紹介していたというのが実際のところだと思う。

話はそれたが、ちょうどその慶応バブルボーイとの付き合いがあったコロ、公開されていたのが、まさにこの「ダイハード」だったわけだ。
で、女の子と会って、じゃあおもしろそうな映画でも見ようかと、なると必ずこの映画がチョイスされるということである。私はそれもう見たわけであるが、非常におもしろい映画だったので、何度も見るのは全然苦痛ではなかった。そういうわけで、私はこの映画を、劇場で3回も繰り返して見ていることになる。

個人的に、いちばん繰り返し見た映画は、「野獣死すべし」か「ルパン三世カリオストロの城」で、どっちも二十回以上みているが、しかし、それはほとんどビデオで繰り返し見たに過ぎない。
劇場で金払って見た回数がいちばん多いのはたぶんこの「ダイハード」だろう。
そんなアホみたいな思い出話でおしまい。
今回久しぶりに見直したが、劇場で三回見た後も、テレビでも見たし、ビデオも借りて見てもいるから、中身のサプライズはほとんどない。安心感を持って純粋にディティールを楽しんでみた。
改めて思ったのは、緩急のリズムのメリハリがきいた映画だなーということ。
「明かな休憩時間」というのが、ちゃんと入るのだ。どんな映画もそうだけど、まーこの映画くらい、はっきりと「いま、お休みですから」的な演出になるのも珍しい。もちろんちょっと一服着けたらすぐまた緊張のシーンが怒濤のように押し寄せるわけだが、その切り替えが毎度毎度楽しい。

またこの映画では犯人チームの緻密な作戦がやたらと持ち上げられがちで、私も当時はすげーとずっと思っていたわけだけれども、今回じっくり細かく見ていると、これで意外と結構アナもあるよなーと思わなくもない。ロス市警とFBIが超ド間抜けだったから、犯人チームもイー感じに進めたけれども。

テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

「未来少年コナン」その2
大人になるに従って、テレビドラマや映画を観なくなる人は多い。あれだけ小説を読み、映画も観ていた若者が、会社にはいるとすっかりそういう文化から遠ざかってしまう。忙しいからね、そりゃわかる。
私は会社に行かないせいか、大人になっても、映画もドラマも小説も、まーまー見たり読んだりしているほうかと思う。つーか、いまだに好きだね。そういう暮らしを続けてきてもう40年、これで結構趣味がうるさくなり、あえて言うと、目が肥えてきたと自分では思う。

いちばんは、世の中の「商業的評論家」の言うようなことを、まったく信用しなくなってきたこと。
仕事をはじめて特にリアルにわかるけれども、マスコミはいかに戦略的に、商業主義的に、作品をあおり、キャンペーンを張り、口コミなども適当に操作して、世の中のムードを作り出しているのか、そういう裏側を多少なりとも知るようになると、雑誌や新聞、いわんやテレビなどの、「おかかえ○○評論家」の語る「宣伝文句的映画批評」にはうんざりとしてきたのだ。その文章を書くためにいくらもらってんだよと、ついついハスに構えた見方をするようになる。

そうしたからくりを背中にしょった、売文的批評家の言うことを、ほとんどそのまま鵜呑みにして、さもしったかぶって、オウム返しのようにブログでほめたりするような、バカな人たちのことは私はもっとよく知っている。世間のムードを敵に回して自分の言葉を発表するのは勇気が必要だ。「王様は裸だ」と言い出すことは、やっぱり相当難しい。

「未来少年コナン」が放送された時、私は小学校6年生であったと思う。
あの頃の私は毎週毎週ガクガクブルブルであった。
人生で、もっとも30分が短いと感じたのは、たぶん、あのコロの火曜日夜7時30分〜8時であった。
そのとき、世界中の人はだれも「宮崎駿」という名前を知らなかったはずだ。
テレビ局関係者にもまずいなかったであろう。
アニメ業界の中の人だけだ。
たとえば、アニメ雑誌ですら、「宮崎駿」の名前を取り上げることはほとんどなかった。
「未来少年コナン」発表時でも、どちらかというと、作画監督大塚康夫氏の方がスター的に取り上げられていたのは覚えている。
要するに「未来少年コナン」も「宮崎駿」も世の中的にはごくごくごーーーく一部の人しか知らなかったわけだ。「コナン」の視聴率だって決していいわけじゃーなかったし、おまけにいわゆるマニア的な人たちもここにはほとんど注意が払われていなかったのが現状だったのだ。

そう、当時、アニメーションファンというのは、もう既に生まれていた。
いわゆる第一次アニメファンというのは、「宇宙戦艦ヤマト」を皮切りに熱狂した人たちのことであった。
たぶん、唐沢俊一とか、その辺ね。オタキング岡田がその下の世代ではあったが、やはりこの第一次アニメファン層のグループ。
このバカチンなアニメファンたちも、ちゃんと気づいていなかったのだ。
それは「カルピス名作劇場」のノリくらいに思っていたのだと思う。「ヤマト」の宿敵は裏番組「ハイジ」だったわけだしね。
このスカタンな第一次オタクたちのことはまあ、ほっとくとして、いわゆる第二次アニメファンたちというのもかーなーりスカポンタンである。
私は世代的にはここに入るはずで、当時私もその手が非常に好きな人間ではあったが、その大部分の人たちとはかなり肌が合わなかった。
なぜなら、第二次の人たちというのは、そのほとんどが「ガンダム」のことばっかガタガタ言ってたアホーだったからであります。がっくり。今考えてもオタクくさく、気持ち悪い。認めたくないモノだな、若さ故の過ちというものは・・・・などとホントに、日常生活で使っているような奴らである。認めろっつーの、おまえらはっきり間違ってるっつーの。父さんにもぶたれたことがないのに・・・とかその気持ち悪い台詞回しやめろっつーの。

「未来少年コナン」はこうして、世間からも黙殺され、当のアニメーションファンのオタクたちにも黙殺されていたのである。
そして、当然のように「ルパン三世カリオストロの城」も、ごく一部の慧眼の人たちをのぞき、多くの人たちから同様に、無視され、興行的には、ほぼ「大失敗」と言ってもよい状況であった。
中学生の私は、冬休み初日に、「カリオストロの城」の劇場に駆けつけたが、カップリングの「ミスターブー」に辟易しながらも、劇場から出てきてその興奮はとまらなかった。ありえない。

「コナン」「カリオストロの城」がいかに、アニメファンたちの間でも無視されたかをはっきりと示す事例を(記憶をもとにだが)書くと、当時、アニメーション好きの間で最も部数を伸ばしていた、アニメーション雑誌・徳間書店の「アニメージュ」(のちに「ナウシカ」の連載母体ともなる)では、「カリオストロの城」が封切られた年あたりだかに、投票式による、「アニメグランプリ」なるものを開催している。

はっきり覚えてるから書くけども、そのグランプリは

作品グランプリ1位「機動戦士ガンダム」
演出家グランプリ1位「りんたろう」(←「銀河鉄道999」等の人)

などであり、そこには「未来少年コナン」も「カリオストロの城」も、演出家名では「宮崎駿」もまーーーったく出てこなかった(たしかベスト10のうち、相当下位にちょろっと出てた程度)
渋いアニメ評論を展開し、当時からアニメファンのオタク的傾向に批判的だった、おかだえみこ氏や、脚本家として有名な辻真先氏などは、「コナン」「カリオストロ」でその制作スタッフの抜群のセンスに感嘆し、持ち上げようとしていたけれども、世間の大勢は、「ガンダム」で「シャアさま」で「安彦良和」と「富野喜幸」であったのだ。(「富野由悠季」は当時は「喜幸」)

正直、当時の薄っぺらな風潮の影響で、私はいまでも「ガンダム」が嫌い。てゆーか、あれ、おもしれーか? はっきりいって。
異様なムードを持つブームだったんで、私もそりゃ教養程度には観たし、多少は覚えているけれども、「未来少年コナン」やら「カリオストロの城」やらに比べると、格段に落ちるというか、圧倒的に下というか、ウンコとダイヤモンドくらい価値の違うものだと当時も思ってたし、今でも思っている。
そのウンコのような「ガンダム」がブームというわけのわからん風潮のおかげで、どういうわけか、本当に優れているその「コナン」や「カリオストロ」がかすんでしまったという事態に、私の子供心は相当すさんでしまった。
そう、そのとき、私ははっきりとわかったのだ。
「世の中のやつはバカばっか」
「本当におもしろいものを知る人は少ない」
「テレビや雑誌がもちあげるものがいいものなんて、そんなこたーない」
「むしろ本当に優れた素晴らしいものは、地味ぃに隠れているものだ」
そういうことを当時身にしみて感じていた。
この考えは当時生まれて今でも自分の中に強く染みついている。
私がブログを続けているのも、たぶん、そうした意識が強く出ているからではないかと思う。
世の中の評判なんてアテになんねーんだよ、俺の感じた通りがいちばんやっつーの、という傲慢ともとれる意識。それが私の意識の核に座ることになる。

そして、その後、10年を経て「ラピュタ」の後には多少、「宮崎駿って多少は知ってる」ムードが広がり、いつのまにやら、「世界の宮崎駿」になってしまった。
遅いんだよ、あのときだーれもそう言わなかったじゃんと。
「ラピュタ」とか「トトロ」とか、そんなん「コナン」や「カリオストロ」に比べたらぜーんぜんつまんねーじゃん、なに、いまごろ言ってんだよと。

世界ブランド「宮崎駿」が生まれる過程をまたつぶさに経験することで、私はまた、こういう意識も自分の中に持つようになる。
「結局いいものは、時間が経てばみんなに伝わる」
「それにしたって時間経ちすぎなんだよ」
「いったい何年かかってんだよ」
それはともかく
「おれ、ずーーーーっと前から、好きだって言ってたもんね」
というこれまた、相変わらず傲慢かつ選民的な過剰な自信。
こちらのブログを継続的にお読みいただいている方にはおなじみの、「吉祥寺拓也のゴーマンかましてよかですか」的自信過剰日記というのは、こうして生まれるに至ったのであります。

ぜんぜん「未来少年コナン」の中身にはふれないままさらに続く。
「未来少年コナン」についてその1
12日土曜日、朝8時過ぎに、東京出発。千葉外房へ。
環八が混んでいる。
首都高は、ボチボチ。
とにかく最近は4号新宿線の渋滞が極端に減っている。これはまずあの新しい線の影響だろうと思う。いいことだ。ただし、都心環状線を南下する時、また、葛西前後で少々渋滞。
到着は11時頃。3時間くらい。

子供と遊ぶ。
子供大喜び。

今回はお土産に、DVD再生機と、「未来少年コナン」DVD1集〜3集、「ラピュタ」「トムとジェリー」などを吉祥寺ヨドバシカメラで購入し持参。
先日「猫の恩返し」の放送を喜んで観ていたらしいので、もう、ジブリ系は大丈夫と考えたのだ。
「猫の恩返し」なら、そりゃーもう「コナン」の方が百万倍おもしろい。

水道橋博士は自分の子供にオタク英才教育とでも言うべきものを施しているので有名。
自分が感動した素晴らしいものすべてを小さいコロから見せてあげるという方針で、たとえばわかんなくても「スターウォーズ」シリーズを一から全部見せているとか。
これには共感するところも多く、てゆーか、俺も最初っからそう思ってたんであると、当然、宮崎駿マニアの私は宮崎アニメ英才教育を開始である。
まず、最初に見せるべきは、やはり、なんといっても、「未来少年コナン」。これはもう決まっている。

私が小学校の時のアニメだから、既に30年前のアニメ。
しかしながら、いまだに、というか、本当に宮崎駿は、結局これがいちばん。
今回一緒に見直しながら、はっきりと改めて確信した。
宮崎駿でナンバーワンというか、古今東西、私がテレビ画面で見たあらゆるドラマ、バラエティ、アニメーション、などすべての映像作品の中で、いちばん好きなものは、これなんである。
「未来少年コナン」
これは、本当に自分の中での横綱。
「ER」も「タイガー&ドラゴン」も「白い巨塔」も「ムー一族」も、すばらしいテレビ番組は世の中にたくさんあるけれども、「未来少年コナン」にかなうものはなし。

たとえば今回、比較のために「ラピュタ」も一部見直したわけだが(これも86年なんでもう20年前の作品、俺が大学に入学した年だ)、そんりゃーーーもう、比べものにならない位、圧倒的に「未来少年コナン」がいい。
ビジュアル的には、「ラピュタ」の方がちょっとだけいい。特に美術。宮崎ブランドが生まれつつあったため、幸せなことに予算とスタッフ確保が十分に行われたためか、細かいところでやっぱりちょっとだけ絵面は美しいと言える。そしてそのクオリティは、その後も同水準をキープしつつある。あの時点でほぼ完成型だったと言えるだろう。

「コナン」はそれに比べると、多少は粗さもあるかもしれない。いや、しかし、この当時の世界アニメーション事情からすると、「未来少年コナン」は本当に革命を起こした抜群のレベルにあり、今観ても、ぜんぜん悪くない。「ラピュタ」クラスの9割程度ではあるが、現時点でもまずたいていのアニメーション作品を圧倒的に凌駕しているのは間違いないと断言できる。

語り始めると本当に止まらないので、次に続く。
マージで、やっぱり世界一がコレ。
息子も呆然として、食い入るように、すべての動きを止めて、画面に吸い付いている。
注意力の散漫さで世界最高クラスの彼が、こんなになったのは本当に生まれて初めてであろう。
そりゃそうである。
40年間アニメを見続けてきた私が、ダントツで世界一だと太鼓判を押すこの作品をみて、私の血を受け継ぐ男が夢中にならないわけがない。
(ぶっちゃけ、途中休憩でいれた「ラピュタ」ではやはりそうはならず、わさわさとすぐに注意をそらせてしまった、違いがわかる男である)
「未来講師めぐる」(宮藤官九郎脚本)
二日かけて「未来講師めぐる」(全10話)を観た。
おもしろかった。
最初の2話は、あーこりゃ失敗作と思ったものだ。
今ならなぜそう思ったのかはわかる、最初の2話はメイン出演者が子供だったからだ。
子供にコメディはできない。
泣かせる子役はたくさんいるが、笑わせることは子供にはできない。
笑いこそ人間の持つ最高の技術。
非常に高度な精神性が不可欠、しかも膨大な知識と経験、その上天性の呼吸ともいうべきものが絶対に必要。
そんなことは子供には期待できない。
そんなことができた子供は、過去二人しかいない。マコーレカルキンと吉岡秀隆だけだ。

そういうわけで、最初の2つの話はあきらかに失敗作。
宮藤官九郎ももうおしまいだと思ったものであった。
が、そこでやめないで、続きを観て、大正解。
ガキすっとばして、大人同士の話になれば、そりゃーもういつもの宮藤官九郎。
私の大好きな黒川智花はいい役だし、フカキョンも悪くない。
いちばん良かったのはエロビデオ。
テレ朝の強みで、ちい散歩のパロディもいい。

いちばん近いのは、あれか、みったんルミたんの「僕の魔法使い」。
今、他に「吾輩は主婦である」もレンタル中。
そういうわけでここ数日、うちは、完全に宮藤官九郎祭り絶賛開催中である。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

「40歳の童貞男」
「ハリウッドで一番頭がイイ人」に選出された(確か)監督の映画だが、特に頭がイイ感じはうかがえない映画。良い意味でバカ丸出しの映画。良い意味でバカってどうかとも思うが。
主演の俳優の「いかにも40まで童貞」っぽい感じがこの映画の成功のキモ。
まずね、胸毛が童貞っぽい。髪型も童貞っぽい。目つきは言うまでもなく童貞。童貞だから当然、シャツはズボンにin。ベルトも童貞な感じで。

たぶん「結婚できない男」はこの映画が下敷きにあるんじゃないかと思われる。時期的にも。
しかーーーーし、ヒント着想はこっから来たとは言え、その描写の深みやセンスの良い視点、ディティールの演出やらドラマチックな展開その他諸々、あらゆる面で阿部ちゃんの「結婚できない男」の方が何倍も上だと言える。改めて、あのドラマがいかに素晴らしかったかも感じさせる。
優れたテレビドラマはたいていの映画よりもずっと価値がある。

タイトルが示す以上のことはない(タイトルだけで全部がわかる)よくあるハリウッド型コメディだけれども、それは「つまんない」という意味ではまったくない。十二分に楽しめる、ちゃんとしたバカ映画だ。ちゃんとしたバカってのもなんだが。

普通に見れば誰でも気づくが、これは「恋愛コメディ」というよりも、「友情コメディ」だろう。童貞であることは、恋愛ストーリーよりも、大人の友情に強く関与する。もちろん恋愛もあるんだけれども、この映画がまー他と一線を画すとしたら、その点。
社会に出た後の、大人の男同士の友情なんてのは、まー映画やドラマでまずめったに見ることはできないテーマだ。なぜなら、世の中一般においても、社会人になって30、40にもなろうかってのに、男同士の友情なんてほとんど残っていないからでもある。
男と女なら、その辺にいっくらでもある。普通は夫婦だし、あるいは恋愛だし。
物語には、おまけ程度の友達役はいつも出てくるけれども、それがメインとなる話なんてのは、これがほとんど思いつかない。女性同士の友情の話ってのは、これは結構よくあるんだけれども。女性映画なんて名前が付けられるようなタイプ。実際女性同士の友人が集まって飯食ったりなんてのは昼下がりの吉祥寺ランチ風景を見ても、とてもよくあるケースであったりする。

童貞の男を、心からバカにしながらも、まー一応「酒の肴的に」フォローしてやるかという、きわめてリアルな会社の同僚たちの、ゆるくて自己本位な友情的なもの、その描かれ方が、とても印象に残る。
その押しつけがましい、ピュアとは言えない友情っぽいスタンスが、見ていて非常に心地よい。
童貞卒業ストーリーってのは、そりゃあまりにも定石通りで、だいたいそれ自体は昔からハイスクール舞台で何度も繰り返されてきたネタなんだけれども、「大人の会社」の中でも「友達みたいな」感じの関係ってあったらいいね的なテーマであることが新鮮なんだと思った。
「ボケ」と「リンス」
一人暮らしをしていると、これまでにもまして、完全に一人の世界に没入する。
あたりまえか。
いや、そもそも、会社に行かないので、起きてすぐパソコンに向かって仕事をし、一歩も外に出ずに一日を過ごす、しかもテレビのニュースなども見ないで過去のDVDばっかりという暮らしだったので、世界との接点は妻子との食事時間の会話くらいだったのだ。
その世界と私を結ぶ唯一のほそーーーい糸との瞬間的接点すらなくなったのだ。
テレビもDVD用チャンネルに固定、ご飯の時も嬉々として、昔のテレビドラマやら映画のDVDを見ているだけ。
しかも、最近はたいした仕事量でもないもんだから、お客さんとの電話会話も少なくなった。てか、三日くらい電話でトークしてないYO。メールですんじゃってるYO。

かんっぜんに一人の世界だ。
そもそも独身時代にこのフリーになったわけなんで、その状態に戻っただけだ。
こういう暮らしが嫌いな人はフリーにはならないだろう。
そう、私はこのかんぜんに、一人ぽっちという状態が、心の底から大好きなんだYO!
いや、家族は家族で大事ですが、私は一人も好きなんだYO!

そう、孤独が嫌いな人もいる。
結構いるらしい。
私はまったく平気というか、すげー平常心で、むしろ好き。
三ヶ月、四ヶ月、ずっと一人ってのも、超オッケー。
もちろん、無人島へ行けと言われたらそりゃちょっと考えますけれども、この都心で、今の暮らし、自宅で仕事をチョコチョコやって、一人で飯食って、一人でDVDを見て、一人で本読んで、一人で眠る、この暮らしってば、かなりイー感じよ。
「結婚できない男」が私、大好きだったんですが、それはね、あの阿部ちゃんのライフスタイルに心のどこかで共感し、ある種のうらやましさを感じていたからなのであります。
そのすがすがしい自由感。
ひきずるもののない、まるで毎日が夢遊病のような暮らし。


・・・・そう、やっと本題ですが、ちょっと最近自由過ぎて、ボケがはじまってきたのかとすら思う。
まず、曜日感覚が(もとから薄かったのが)すっかり希薄になってきた。
まだね、子どもの保育園とか、あった方がメリハリがありましたですよ。
そして、致命的なのが、「時間」感覚も。
何しろ起きるのも自由、寝るのも自由、食うのも自由、風呂も自由、そうなってくると、ホント、えーっと今食ってるのは昼飯なのか夕飯なのか、状態に。
もともと(独身のコロなど)仕事に煮詰まると、気分転換にすぐに風呂に入るタチだったんで、今も、一日に何度も、朝だろうが、昼だろうが、かまわず、気が向くとシャワーを浴びるようになっている。
そうなるとますます、時間がめちゃくちゃになってくる。
で、テレビも見ないでDVDばかり、ますます時間がわからない。

いっちばん、ボケがはじまったと思う瞬間とは何か。

それは、「リンス」です。

頭洗って、湯船に戻ろうとする、その時「あれ、リンスしたっけか?」と髪の毛をさわる。
それがリンスして、流した後なのか、洗ったはいいけど、リンスはしてないのか、それがよくわかんなくなっている。完全にボケはいってます。
ほら、毎日、へんな時間に何度もシャワー浴びたりしてるから、シャンプーとリンスも毎日、デジャブになっているわけだったりするのだ。

あるいは、風呂からあがって、バスタオルで体拭いている時、頭をさわってみる、「あっ!!! リンス流してないじゃん!!!」。そう、リンスして、体洗ったりヒゲそったりして、そのまま湯船に入って、お風呂からあがろうとしていることもある。

これが高じて、風呂あがりにバスタオルで体拭いている時、「あれっ、俺、今日リンスしたっけ?」状態になってくる。
頭がぬれてればまーシャンプーはしたと思う、体が自動的に動いているはずなんで。でもね、リンスは微妙なのだ。そこまで体が完全記憶をしているかどうかは微妙なり。

よく記憶喪失になっても、自動車の運転は体が覚えているからできるとか言うじゃん。
それと同じでボケても、シャンプーする行為は体が覚えているような気がする。けども、リンスする行為を覚えているかはちょっと微妙。
最後が残念な「SP」
「SP」惜しかった。
かーなーり残念な最終エピソード。

まず、日本のドラマ、なんで、最後はいっつもいっつも、あーやってさ、

●拳銃持って向かい合ったまま、ベラベラおしゃべりするの?

いっつもラストはそうじゃん。
あれがいっつもいっつも、どーのドラマでもそうで、毎回毎々イライラする。
撃っちゃえよ、その横で。
なーんで、つったって拳銃構えたまま、ベラベラしゃべってんのよ。
ワールドカップで、ゴール前にもたついて、シュート決められない日本代表のようにイライラする。
がっくりだよ、おまえもか、「SP」。
途中まであーんなにおもしろかったのに、最後はそれかい。
結局それかい。
あのスピード感、理詰めな展開、緻密な構成、それはどこにいったのか。
なに、フツーのドラマになってんのかと。


そして、さらに残念なことが。

●おまえは「アンフェア」かと。

何が「大義のため」かと。
がっくりやと。
それ、まーーーーーったく同じじゃん。
おまえはカオルちゃんかと。安本さんかと。江口洋介かと。
ちょっとーーーと口に出るよ。
あーもー、最後の最後でがっかりやと。
あまりにも同じ手で萎えまくり。
映画見る気が一気に消えた。たぶん、ビデオでも見ないと思う。
途中まであんなに素晴らしかったのに。
なんで、こんなオチに・・・・。
途中まで120点だったのが、最後で15点、記録的な評価の急降下。

堤真一にそれをやらせちゃーあかんと。
それじゃ全部がパーになると。
ラストのダメさは「ロンド」並。がっくし。
ひっくり返して良かったのは瑛太だけ。

とにかく「SP」が良かったのは、
■安易なサプライズ
とか
■奇抜すぎる(リアリティを欠いた)設定
を丁寧に避けてたのが良かったのである。
つまり、派手なところをトバして、地味ぃ〜にじっくり作り込んでいた、その地に足のついていたような、「本格感」が良かったわけじゃん。
「笑い」もあるけど抑えてるのが、大人っぽくてクールだったわけよ。
鉄砲もあんまり使わず、手刀で飛びかかる岡田の姿がかっこよかったのだ。
それが、もーラストはパンパンパンパン、まーた「ディパーテッド」状態に・・・。
世の中の刑事物はみーんな「インファイナルアフェア」のパクリってことになっちゃったじゃん。
飽きたよ、頼むから、せめて、この地味にかっこよかった「SP」だけはそうしないでほしかった。

「SP」見てない人に、警告。
ラストエピソードのみ、まったく見る価値なしです。
ほんと、最悪の結末。吐きそうなほどにつまらないオチ。
組織
サラリーマンの友人と話しをして、その悩みをいろいろ聞くにつけて、感じるのは、「働く」ということの意味を見失いかけていることだ。
いまどき流行の、偽の鬱病みたいなヤツ。あのやたらと本人が「おれは鬱で、鬱なんだけど、鬱だから、鬱だってば」と大騒ぎして、「こんだけクスリを飲んでて、副作用がどーだから、俺は今こーんなに頭が悪くなってて、でも本当はてか昔はもっとずっと頭が良かったのに、最近ちっとも物覚えが・・・」どねーのこねーのなどと人にアピールしているけれども、よく見りゃ結構本人は元気、みたいな、例のヤツ(←ブログやってる人にもとても多い症状)。
仮面鬱病だっけ、なんだっけ、本人がやたら大げさに騒いでる系の鬱ね。ああ、やっかいだ。

最初の一時間はもちろん同情するんだけれども、もちろん2時間目以降からはイライラしてくるわけだ。
躁鬱病ってゆーか、総ウソ病じゃんかと、北杜夫のエッセイに出てきたようなことを言いたくなってくるわけである。

仕事にストレスというのはつきものなので、いい大人がそんなものを自慢するのもどーかと思う。誰しもある程度はそういうものと付き合うのがこの社会はむしろ自然で、虫歯や近視、肩こりみたいな持病の一種とすら言えるのではないか。

それはともかく、彼がそうした鬱的状況にはまりこむというのも、私も30過ぎまで会社員やってたからすごくよくわかる。
「なんのために働いているのか」とつい、呆然となってしまうような状況というのが、大きな組織だと起こりがちなんであります。
たとえば、一人で、とある得意先を担当し、そこからの売り上げを三年かけてこつこつと伸ばしていき、ようやくスゴイことになってきそうだという矢先、はい、じゃ、異動なんで、ごくろうさん、あとはこっちのチームが引き継ぎますよ〜と、勝手な人事が行われて、そのチームがいきなり巨大な売り上げをあげて、これまでほとんど関係なかったそのチームの課長が社長賞かなんかもらって、社内で一躍脚光を浴びたりしてね。最初から俺がいちばん大変なところの下地を作ったんやろうと、誰に言っても信じてもらえないとかさ。
たとえばね、そういう話だって、私は何件もみているし、もんのすげーーー会社組織としてはよくある、ありふれすぎてナンの新味もない話だ。
そういうとき、その人は「なんのために働いてきたのか」とかついぽろりと漏らしがちであります。

他にもたとえば、もーれつ働いて、毎日誰よりも早く朝8時には出社し、夜中1時過ぎまで仕事して、一般的な同期の3倍は働いて5倍の売り上げは挙げている、そんながんばりやの20代の男がいて、その隣の席には、一年先輩だけれども、コネ入社で毎日お稽古ごとで定時に帰るつもりの、一般職みたいな仕事しかしてない女性がいましたと。その先輩は朝10時出社、夕方5時半帰宅で、一切休日出勤はしない主義の人で、それはそれでいいんだけど、なんかの機会に、その先輩の給料とボーナスの額を聞いてびっくり、その人の三倍働く男よりも月収はもちろん、ボーナスの査定も良くって、年収にして100万はその人の方が良かったと知る。
そうするとね、別にその先輩が悪いわけじゃないのはよくわかってるんだけど、「いったい俺はなんのために働いているのだろうか」とやっぱりその彼もがっくり来るかもしれない。
こんなこともすげーよくある話。ボーナスの査定とか適当だからね。たまたまその女性の先輩が上司に妙に気に入られてたのかもしれないし、コネ入社の時に最低年俸の契約があったのかもしれないし。

そういうね、組織というのは、末端の人間のやる気をうばうようなことはいっくらでもある。ありまくりである。ありまくるのが組織。不当なものが組織。組織に公正さとか求める方がおかしい。組織とは成り立ちからしてそもそもが絶対的に理不尽なものなんであります。

組織で「働く意味」を失いがちというのはだから当たり前。
武士と同じで、何らかの「プライド」だけで生きているものだと言える。矜持というか。
武士は食わねど高楊枝だから、給料の高い安いは俺は気にしないんだという、(それも妙にねじれた話だが)そういう高い志を持たないと会社員はやっていられないものだ。

大企業の中で出世するというはっきりとした野心を持つのなら、出世は通常実力だけじゃだめだから、いわゆる政治的なおもねりやらなんやらかんやら、年始の挨拶で妻子を連れて上司のお宅にご挨拶に行くようなこともやっぱりやらんといかんかったりとかね。
その出世の可能性を目指す一部の人以外は、昔から日本企業じゃ、定年まで本社にしがみついているのがせいいっぱいで、ブルンブルン関連子会社にふるいとばされていくのが当たり前の状況だ(なにしろ上に行くほどポストの数は限られてるからね)。

自分と自分の監督下の部下たちが、ミスをしないことが前提で給料というのは渡されるもので、チームの誰かがずっこけたら、あっというまに、左遷だ、なんだかんだ、これもすごくよく聞く話。昨日までは、飛ぶ鳥を落とす勢いの部長だった人が、とあるボケナス部下のために、あっというまに、箱根の保養所にぶっとばされて、その保養所の布団の上げ下ろしが仕事になってしまったとかね。そんな漫画みたいな話、私はいっくらだって知ってます。
そんな、毎日が、綱わたりみたいな仕事環境で、「チャレンジング」で「冒険的」な仕事とか誰がするかよ、「無難」に「ミス」なくが最高だと、思うのが通常の神経であります。


そういう職場で「働く意味ってなんだ」と考え込むのは、自然なことではないでしょうか。誰もが組織では哲学者になる。あるいはミスだけはしないようにという無難ロボットになる。あるいは鬱病にだってそりゃーなるだろうさ。
友達にあったら、2時間も3時間も愚痴を言いたくもなるのも当たり前だろう。
「SP」(金城一紀脚本)
そろそろ本気で仕事開始。
午前中に、家庭用品の件、報告書完成、メールで納品。これは今度の金曜日までだったはずなんで、今出せば十分でしょ。ゆっくり時間があったから、わりかし緻密に出来たと思う。
午後から、美容系の仕事開始。
これが意外とタイトなスケジュールで金曜日まで。とは言っても、これ一本に集中できるからスグでしょう。

レンタルDVDで「SP」を見始める。
これがおもしろい。
一気に3本も見てしまう。
3巻部分はテレビで見ていたから、今日借りてきたのは1巻、2巻、4巻。
はまる。
岡田かっこいいし。
特に2巻の病院ジャックの件、見応えある。
和製「ダイハード」とすら言えるほど。非常に高い完成度。
テレビドラマでここまでできれば120点でしょう。
すばらしい。
男三人ハイキング
毎日が夏休み。
久しぶりに「暇だなー」感を満喫している。
昨日の土曜日なんかDVDを3本も見た。
息子がいればあそびに連れて行ってやるところだが、それも千葉の嫁実家だし。
こないだ妻実家に行ってきたばっかりなので、もう一回行くのもちょっと行き過ぎだし。

そういうわけで、久しぶりに、友達を誘ってあそびに出ることにした。
荻窪のA君と、町田のO。結婚している川崎のYやらは誘いにくいので省略。

日曜日新宿駅に午前11時に集合。
伊勢丹で各人がうまそうな弁当を買い、都内ハイキング(長距離散歩)に出発。
こないだ映画「転々」を見ていて思ったのだが、散歩は都心部こそがおもしろい。
都会は、ちょっと歩くだけで風景がガランガラン変化するので、とっても散歩向きなのだ。
(と、あの映画で三浦友和が言っていた)

当初は、新宿御苑でも行くかという話だが、それじゃー近すぎてほとんど散歩にもならない。
そんじゃ高田馬場方向もありかなーと思ったが、あの辺は日曜日ってちょっとゴーストタウンっぽくておもしろくない。飯を食うための手頃な公園なんて、戸山公園くらいだし。
OとA君は、市ヶ谷の会社勤務なので、お堀方向の散歩も慣れすぎててイマイチつまんない。

というわけで、新宿出発で、徒歩で明治通り経由、原宿渋谷代々木公園を目指す。
まー距離も手頃。明治神宮を通ったりすると緑も適当に出てくるし。
暑くて楽しい散歩。
車道のそばなんで、大声で話しながら歩いても迷惑にもならないし。
さすがに空気が悪かったんで、千駄ヶ谷から明治神宮の中を通る。
さらに参宮橋を経由して、オリンピックセンターなども通りつつ、代々木公園に到着。
昼飯。
学生のベンチャーの話やら、なにやら。
このメンツがいいのは、気を遣わなくていいことだ。
相当意地の悪い毒舌を好き放題吐いたところで、特にいまさら人間関係は壊れないし、喧嘩にもならない。各人の笑いのツボも知悉しているので、疲れない。慣れ親しみ過ぎの夫婦のような、遠慮のいらない会話ができるのはまー気楽である。

飯食った後は、NHK放送センターへ。
先日「めちゃイケ」の「近くへ行きたい」コーナーにも出ていたが、私はここ数年このセンターの常連みたいなものである。かーなーり大人が楽しめることも知っていたので、二人を誘うが、(何しろ代々木公園の目の前だし)これがちゃんと二人にもツボにはまる。でしょ、ここね、はっきりいって、めちゃくちゃおもしろいんだよね。入場料200円だし。荻窪のA君はアナウンサー体験までやった。二人で「おしん」の当てレコまで経験する。今日はなんだか客が少なかったのだ。
五月みどりは生放送してるし。「篤姫」はセットくんでるし。

そんな感じで3時頃まで。
疲れたので、先に帰った。二人はその後渋谷で卓球をやってるはず。
こんな休みもたまにはいい。
今夜も一人で深夜までDVD三昧の予定。
「ラブソングができるまで」
最近見た映画「ラブソングができるまで」

「姿形を交換できるとしたら、誰に換えてもらいたいか」という神様からの「もしもオファー」があったならば、「あ、じゃ、ヒューグラントの線で」と答えるように昔から準備している。
洋画出演者にいい男はうんざりするほどたくさんいるが、最も、自分から見て、好感度が高いというか、こんな感じになりたいなー感が高いのが、ヒューグラントだ。
ハリウッドよりイギリス寄りってのがまたいい。トラディショナルで退廃的だ。余裕と歴史がある感じがちょっと知的で身近でもある。
やっぱアメリカ人って馬鹿な感じが否めず。というか、単純に過ぎる。深みがあまりにもない。トムクルーズも顔は好きなんだけれども、やっぱ、どんだけ頭イイ役やったとしても、あまりにも底味がない。親切そうだし、明るそう、たぶん頭もいいんだろうなーと思うけれども、こうなんというか、「底抜け」な感じがどうしても馬鹿っぽさが残る。てゆーか、やっぱ、馬鹿だよ、彼、ぜったい、賭けてもいいけど。

ハリウッドで頭がいいって評判は、まーリチャードギアなんてのは有名ですが、あのじーさん、若い頃からうさんくさかったよね。「愛と青春の旅立ち」の時代から、腹にイチモツ隠し持ってる感が満タンで、彼の出演映画は好きなのが多いのに、どーしても好きになれなかった。
あいつの本性は、たぶん、「シカゴ」の弁護士そのままだと思うよ、ぜったい腹黒だって。おもしろいヤツっぽいけど(インドで嫌われたりして)。

また、このネタで出してきて恐縮ですが、どうしてもハンサムとは認めがたい不細工スター代表のマットデイモン、彼も結構頭良さそうな感じがすげーする。だけど、絶対にマットデイモンの顔にされたら嫌だ。村上ショージの顔にされるのと同じくらい嫌だ。

女にモテそうといえば、ジョージクルーニーですが、あのオヤジも別に顔がイー訳じゃないよね、声とかしゃべり方とかの、あのいーかにもイタリアンテイストでフェロモンぷんぷんな、トータルコーディネイト。ジョージクルーニーもなんか嫌だね、妙に臭そうだし。うそ、やっぱジョージクルーニーは結構いいかも、佐藤浩市と同じくらい「楽しい人生」を歩いている感じがする。


いやいやいや、しかし、私の中では、映画俳優世界でもっとも、「男はこうありたいね」キャラクターは、やっぱりヒューグラントであります。
あの、「ちょっと落ちぶれた」感がいい。「中途半端に金持ち(だった)」感というか。
「イギリスの首相」も「元スター」の役もバッチリはまるが、「旅行専門本屋」の役もいい。
「親の遺産を食いつぶす」役も最高。
ある程度のステイタスをもちながらも、偉ぶらない親しみというか。思うに、「階級社会」イギリスならではというか、成り上がりじゃない分だけ、「偉い立場」の人間が、そうでない人たちとのコミュニケーションの取り方について、延々歴史をかけて修得してきたというような、非常に巧まざる形で身についた「親しみ」がいい。
うまく言いにくいけれども、基本は(そうするつもりはなくても、本質的にどうしても)「上から目線」なんだけれども、それを「嫌み」に感じさせないほどの「諦念」が底に流れている上に、まさにイギリスって感じで会話にウィットがあふれている。その知性とユーモアが、あのタレ目にくっきりと染みついていて、だから彼のあの渋めのニヤけ顔は、年輪とともに好感度が高くなる。
とにかく、男の俳優では、私はヒューグラントがいちばん好きなんであります。

ところが、嫌いな女優で、ベスト10をあげるならば、この人は入るかもねってのが、本作の相方、ドリューバルモアであります。てゆーかね、この女優さんが、トップクラスにいること自体がまずとても信じられないのであります。私は柳原加奈子も森三中の村上も黒沢も大好きなんで、別に太ってる女の人が嫌いってわけじゃーないんだけど、ドリューバルモアの中途半端な体型にはどうも・・・。なんでチャーリーズエンジェルみたいな激しい運動しといて、そんななんだよ、卓球の愛ちゃんじゃねーんだから。というのは、言い過ぎですが、とにかく、この女優がどういうわけか昔から嫌い。

そんな二人の組み合わせの映画なんで、見るのに抵抗がちょっとあったけれども、ヒューグラントの良さで、ドリューバルモア分は帳消しでおつりが来た。
さらにドリューバルモア分をカバーしてあまりある、「コーラ」役のヘイリーベネットがまた素晴らしいし。この子はアタリ。特に日本ウケするのっぺりしたロリ顔だし。ブッディストだし。

ストーリーについては、当初から期待していた通りの、過不足なしのカッチリとツボを押さえたもの。ラブコメなんてのは、外れても55点なかわりに、最高点でも80点というジャンルの映画であります。人生最高の映画にはなりにくい代わりに、見てすげー損したって映画はあんまりないのが、ラブコメ映画ね。ラブコメに必要なのは、無難さ。ミスのないことがラブコメ必勝法。トヨタの車のような安定感こそが求められるもので、その点、これはパーフェクトにこなしている。
ちなみに、私がこれまでの人生で最高のラブコメと、ぴかいちで自信を持って確信しているのが「ラブ・アクチュアリー」。これもイギリス映画。群像劇なんで明確な主演ではないが、ヒューグラントは中でも最も重要な役で登場。